AVALONCODE3周年企画作品 ホゲロう様よりのリクエスト
「ところで――ティア、明日デートしましょう」
きっぱり、とウルがまじめな顔をして提案してくる。
午後のお茶を楽しんでいた最中の唐突な言葉に、しばらく黙ったあと、ティアは苦笑した。そっと、手にしたティーカップを下ろし、隣の椅子に腰掛けた恋人を見上げる。
「また、何かの本で読んだんだの?」
「はい」
輝く金の髪を揺らして、ウルが頷く。
「そうですね。人間の男女は、一緒に出かけて親愛を深めるのだと、以前読んだ本にもそのように書かれていました」
大方、本屋や図書館にでもいって、その手の恋愛ものでも読んだのだろう。
知識を欲し、知識を増やす行為を好むウルはすごいと、ティアは素直に思う。そして、その範囲は手広い。目についたものを、かたっぱしから何でも読むのである。それこそ、文学、科学、政治学、哲学、宗教学、果ては料理本から育児書に――夜のあれこれに関する本などなど。
そのたびごとに、できそうなことを実践しようとするものだから、ティアが振り回されることになる。そのあたりは改善してくれないだろうかと思うのだが、その知識に助けられることもあるため、頭ごなしに止めることもできない。それはさておき。
「でも、デートならいつもしてると思うんだけど……」
うーん、とティアは可愛らしく首を傾げながら、記憶の棚をあさる。
「お買い物に付き合ってもらったり、一緒に夕日を見にいったり……あ、ほら、大道芸人がきたときも一緒にいったよ?」
つい最近の思い出を指を折り数え、「ね?」と愛しい精霊を見上げると、ウルはゆっくりと頭を振った。
「ですが、それはティアひとりにしかみえないでしょう?」
「それは、だって、ウルは精霊だもん。仕方ないよ」
そう。精霊は霊元素の塊だ。人間とはそもそも成り立ちが違う。
ティアがこうしてウルたち大精霊の存在を認識できるのも、預言書の力があってこそ。
子供はそういった世界に近しい者もいて、ときおりその存在を見ることができるらしいが、その稀有な力も年月がたてば失われていくという。
つまり、普通の人間にとって精霊を認識する術はないのである。精霊や妖精と仲がよいという一部のエルフならそれも可能だろうが――。
「ティア、私はいいたいのです」
「……なにを?」
ウルの言葉が熱を帯びていくのを感じ、ティアは少し身構える。普段から冷静で思慮深い精霊ではあるが、意外と負けず嫌いだったりするし、お説教がはじまると長くて重いのだ。
「ティアが私の恋人だと、人間たちに知らしめたいのです。できれば大きい声で、あらん限りの力で叫びたい」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと何言ってるの、ウル?!」
たんたんと、だが熱烈に宣言された内容に、ティアは真っ赤になって立ち上がった。
「ですから、ティアは私の、私だけの、何よりも愛しく、何より可愛い恋人だと――「わーわーわー!」
予行演習だとでもいうように、遠くまで通るようなやたらと良い声恥ずかしいことをのたまうウルを、ティアは手を振り回しながら遮った。
整った顔立ちに不満げな色を浮かべるウルに対し、これ以上なにかいわせてなるものかと、あわてて口を開く。
「で、でもでもでも、さっきも言ったけど、ウルは精霊だよ!?」
だから、いくらそんな願望をもってもかなえることはできないはず。
「ええ、ですからこれを」
そんなティアの考えなど、もちろんウルはお見通しなのだろう。得心しているというように頷くと、テーブルの上に置かれいてた預言書を手にして、ウルはとあるページを開いた。
そこはメタライズの情報がおさめられているページだった。中身をみて、ティアはやや眉を下げる。
「これちょっとまえに遺跡で見つけたメタライズ、だよね?」
建設当時は白い大理石に輝いていただろう古代の神殿地下でみつけたものだ。そして昨日、ティアがウルに指導されながら、なんとか解き明かした。
神の作った人形――などと書かれていたように記憶している。神様もお人形が好きだったのかな、と疲れきった頭で思ったものだ。
「はい。これを使えばデートできると思います」
「どういうこと?」
ティアにはウルほどの知識はない。きちんと説明して欲しいと訴えれば、とん、と細い指が紙面を叩いた。
「これは、鍛冶の神が作った、黄金細工の機械仕掛けの人形です」
「金?!」
思わずティアの声がひっくり返る。人形の仕掛けに金を使うなんてきいたことがない。
「ええ。表面は神の姿を真似て作られていますが、内部は精密に作られた黄金細工です。その動力部は人間の心臓位置、駆動させるには膨大な魔力が必要となります。まあ、神の使役物であったわけですから、魔力供給の心配などなかったために、そのように作られたのでしょう」
「へー……あ、ほんとだ書いてある……」
まじまじと、ページをみつめる。メタライズを解いたところで力尽きたので、詳細にまで目を通していなかったが、なるほどたしかにウルがいったように金細工を用いた機械仕掛けの自動人形と書いてある。外見も、使役者の意識により変化する魔法もかけてあるようだ。つまり望みどおりの、侍従が生み出せるということらしい。
さすが神様、やることが違う。と、ついつい感心してしまう。
「私の属性は黄金と相性がよいので、おそらく操作できると思います」
「つまり、お人形の中にウルがはいるっていう感じ?」
「そうですね、そう思っていただいてかまいません」
もともと肉体をもたぬ精霊だ。ティアにはわからないけれど、そういうこともできるのだろう。
「でも、お人形を動かすには魔力がいるんだよね。私……そんなに魔力なんてないよ」
実のところ、預言書に選ばれたとはいえ、ティアが有する魔力量なんて微々たるものだ。それこそ一般人となんらかわらない。預言書がなければなにもできない。預言書を通じた世界からの支援があってこそ、ティアは奇跡の力を振るうことができる。
神のような魔力を人形の維持のために提供するなど、ただの女の子に等しいティアに、できるわけがない。
「ティアには偉大な精霊がついているではありあませんか」
「――レンポと、ミエリと、ネアキと、ウル……?」
んー、としばし考えてのち、ティアが名をあげると、にこりとウルが綺麗に微笑んだ。
「そうです。人形の中に私たちの魔力を蓄えて使えばよいのです。ティアはただ、人形の持ち主として最低限のつながりを結ぶだけの魔力を提供してくださればいい」
「でも、そんなことしたら、みんなの魔力が空っぽになるんじゃないの?」
いくら世界と契約を結ぶ精霊とはいえ、無尽蔵に魔力が溢れでてくるわけではない。それくらい知っている。
またにっこりと、ウルが微笑む。あっさりと頷く。
「そうですね」
「そ、そうですね、じゃないよ! 消えちゃったらどうするの?!」
家族ともいえる精霊たちを失う恐れに、ティアは顔を青ざめさせる。だが、ウルはそんなティアの頬を愛しそうになでるだけ。
「心優しいティア。そのような顔をしないでください。大丈夫ですよ。預言書との契約がある限り、私たちは消滅することはありませんから」
「ほんと?」
どこにそんな要素があったのかわからないけれど、うっとりとした瞳で見下ろされながらそういわれ、ティアはわずかに眉をひそめる。ウルが嘘をつかないことは知っているが、なにか裏がありそうな気がしたのだ。
「ええ。私たちは、消滅することは許されないのですよ。そういう『契約』ですから」
ティアは、わずかに目を見開き、そして伏せた。
それは死ぬことが決して許されないということ。世界が望む世界にたどり着くまで、その道から逸れることも外れることもできないということ。ただただ、見えぬいつかを目指して歩き続けなければいけないということ、だ。
むにゅ、とティアは口元を動かした。
「……結構怖いんだね」
「ええ、ですがそのおかげでこんなにも可愛いティアに出会えたのですから、感謝せねば」
「もう、うまいんだから」
なんでもないことのように片付けて、ウルが幸せそうに笑うからティアもまた笑って彼を見上げる。確かに、ウルのいうとおり、いまこうして向かい合える現実は、何ものにもかえがたい幸福である。
「というわけで――」
はらり、片手でウルが預言書をめくる。まるで手品のようにその指先にあらわれる、三枚の栞。いつのまに抜き取ったのか、ティアには全然見えなかった。
そして、それぞれの魔力を滲ませて、三大精霊が浮かび上がる。
レンポは昼寝でもしていたのか、わずかに眠たげに。ミエリは相変わらずにこにこと。ネアキはいつものように涼しげに。
そんな三者三様の様子をみせる仲間たちに対して、ウルが言い放つ。
「明日、ティアとデートにいくので、魔力をすべて渡しなさい」
あまりのいいように、ティアがの口が、ぱかりと開いた。説明もなにもなしとか、いつもからは考えられないが――それだけ、ウルは必死なのかもしれない。
しばしの沈黙のあと、かっ、とレンポが目を見開いた。どうやら眠気も吹っ飛んだらしい。
「はあ?! なんだよそれ?! 命令してんじゃねぇ!」
「なんか、もう決めたから~って感じ?」
「……横暴……」
「なにをいうのですか。ティアによからぬ虫がつかぬよう、恋人である私が懸念を払拭するのは当然の行いでしょう」
「おまえはみせびらかしたいだけだろうが!」
「それはもちろんありますね。私のティアは可愛いですから」
「あはは! 仲がいいところみせたいんだ~」
「……」
ウル対レンポ・ミエリ・ネアキの図を前にして、ティアは恥ずかしさから小さくなっていく。
まさか堂々と、「ティアとデートしたい。仲がよいのをみせびらかしたいから魔力を渡せ」などと、ウルが直球で言うなんて思ってなかったのだ。
はー、と顔を歪めてため息をついたレンポが、つりあがった瞳の半分まで瞼をおろして、ウルを睨む。
「なんつーか、段々とやり方がえげつなくなっていってるような気がするぜ」
とんでもない、とウルが頭を振る。
「私は以前からこうです」
それもどうなんだろう……。
きっとレンポも同じことを思っただろうと思いながら、ティアはゆっくりと椅子に腰かけた。
「ああ、そうかよ……。もー、好きにしろよ……」
げんなり、とした顔でレンポが肩を落とす。その言葉どおり、あまりかかわりたくないといった様子である。その隣で、ミエリがにこにこと笑いながら頷く。
「私はいいよー。ティアが幸せならそれでいいもの。あ、でも、どこいって何をしたとかは、あとでお話してね」
「ありがとうございます。レンポ、ミエリ」
次いで、精霊三人分と、ティアの視線を受けとめたネアキが、わずかに身じろぎする。もじ、と後ろで重ねた手を動かしながら、言う。
「……魔力を渡してもいいけど、条件があるの……」
「なんでしょうか」
「一週間、ティアと一緒に眠りたい」
ちら、とティアのほうを伺って、ミエリが僅かに頬を染めながらそんなことをいう。はっきりいってその様は可愛いの一言に尽きる。きゅん、とティアが胸をひとつ鳴かせたとき、ミエリが大きく手をあげた。
「あ、いいねそれ! そうしよう! 私もティアと一緒がいいな~! いつもウルが独り占めしててずるいもんね!」
きゃー、とミエリがティアに飛びつく。私も、ミエリが飛んでくる。両頬を可愛い精霊たちに挟まれて、ティアは首をすくめた。
「あはっ、くすぐったいよ~」
「ね、いいでしょ、ウル」
「それ以外は、だめ」
ミエリとネアキが出した条件に、ぎり、とウルが歯噛みする。
「……くっ。そうきましたか……なんという究極の選択を!」
「そ、そんなに悩むことかなぁ……?」
きゃっきゃ、と女子精霊たちと戯れながら、ティアは小さく苦笑した。
口元を手で覆い、ウルが瞳を伏せて思案する様子は、ため息がでるほど美しいが、考えていることが『ティアとのデート権』をとるか、『ティアの添い寝権』をとるかということなので、あまり格好よくはない。本人はきっと真剣なのだろうけど。
ややあって、ウルが顔をあげた。
「仕方ありません。涙をのんで要求にお応えします」
ウルの決定に、やったーとネアキとミエリが抱きついて喜ぶ。
「ですが、レンポは許しませんからね」
「誰が一緒に寝たいっていったよ?!」
きりっ、と顔を引き締めたウルにそういわれ、予想外だったのかレンポが顔を赤くして叫んだ。とんだ濡れ衣をきせられた気分だろう。今日はレンポにとって災難な日かもしれない。
「ごめんね、レンポ。今度、レンポが食べたいものとか、なんでも用意するから、ね?」
これ以上騒ぎを大きくするのも困ると、ティアが二人の間に割ってはいる。眉を下げて謝罪しつつ、譲歩すれば毒気を抜かれたように、振り上げられかけていた手が落ちていく。
「……ちっ、ティアに感謝しろよな、ウル」
「いつもこれ以上ないくらいに感謝していますのでご心配なく」
胸に手を当て、澄ました風情でウルが頷く。やれやれとレンポが肩をすくめた。
「うふふ、レンポもなんだかんだでティアに甘いよねー?」
「ほっとけ!」
「やだ、暴力反対~!」
ミエリのからかうような言葉に、レンポが真っ赤になった。そして、そのままの勢いで、二人の空中追いかけっこがはじまる。
「……ふふ」
その様子に、ミエリが可憐に笑う。
ティアもウルも、ついつい笑えば、家の中がことさら賑やかになった。独りで暮らしていたころには考えられない、明るく温かな空気が満ちる空間が心地よい。
ああ、預言書に選ばれて良かったと――こういうときに、ティアはことさら思うのだった。
あれやこれやと打ち合わせをして翌日。
ウルの強い願いを聞き入れたかのような晴天の、気持ちの良い朝を迎え、身支度を整えたティアは、預言書から人形のページを繰る。そして、神がつくりあげたという、人間と寸分変わらぬ人形が、長き時を経て蘇る。
静かに床に横たえたそれに、周囲四方に降り立つ精霊たちの力がそそがれる。
存在を維持する分だけを残し、レンポが、ミエリが、ネアキが消えていく。最後に残ったウルの姿が消えて――四枚の栞がその場に残された。火と森と氷の精霊は、瞳を閉じてその姿を現しているが、黄色の栞には麗しの精霊の姿はない。
ティアは床にそれらが落ちてしまうまえに、そっと栞を手繰り寄せる。
「ありがとう。いってくるね」
にこ、と眠る彼らに笑いかけて、預言書のページにそれらを挟み込む。と。
人形が、動いた。
「なるほど、不思議な感じではありますが――ええ、悪くはありませんね」
さきほどまで、活動するなどととは思えぬ無機物の塊であったはずなのに、そうして声を発し、手の動きや関節の動きなどを確かめている姿をみれば、生きているとしか思えない。
「うわぁ、すごいね……!」
もっと人形然としているかと思っていたのだが、さすがは神が創ったという人形。滑らかに動き、表情にも不自然なところはまったくない。
「ちゃんとウルだぁ……」
光を細く紡いだような金色の髪、左右で色の違う宝石の瞳には、膨大な知識がもたらす静かな光が宿っている。触れたくなる白い陶器のごとき肌と、薄い唇に刻まれた淡い笑みに魅入られる。綺麗で、格好いい、ティアが大好きな――これまでは、ティアと精霊たちしか知りえぬウルが、そこにいる。 「使役者の意識が外見の魔法に作用しますからね。ティアのなかの私に対する認識が、今の私を形作っているのですよ」
「そ、そうだったね。えへへ」
自分はこんなに格好いいとウルを思っているということだから、それはそれでなんだか恥ずかしい。いや、実際格好いいのだけれど。
「では、でかけましょうか」
時間が惜しいといわんばかりに、家の扉へと向かうウルに、「あ」とティアは声を漏らした。
ぐい、とその身をつつむ衣服の裾に手をかけて引っ張り、引き止める。
「そ、その前に……。えと、昨日いいそびれたけど、その、……絶対に叫んだりしないって約束して!」
「叫ぶ? なにをですか?」
よくわかっていないのか、とぼけているのかわからないが、ティアは頬をほんのり染め上げて続ける。
「……わ、私、が……ウルの恋人とか……す、好き、とか! 愛してるとか! そういうことだよ!」
「な、なぜです?! それでは人の姿をとる意味がありません!」
納得いきません! と、とたんに顔色をかえるウルに、ティアはますます顔を赤くした。
「は、恥ずかしいじゃない! っていうか、やっぱりやるつもりだったんだね?!」
「当然です!」
ティアは想像しただけで、穴があったらはいりたいという心境に陥った。
「とにかくだめだめ、絶対にだめ!」
「そこまで嫌がられるとは……私のことがお嫌いになりましたか……?」
物悲しげに瞳を伏せるウルに、ティアは大きく頭を振る。
「そんなことあるわけないよ……。と、とにかく恥ずかしいからやめて!」
「では、愛しているといってください」
「~~~っ、」
どんな交換条件だ。
だけど、にこにこと微笑むウルは、そこから引く様子はまったくみえない。
街のみんなと顔を合わせづらい状況を作り出されるよりも、今誰もいない家の中で、どうにかするほうが得策のような気がして。
ティアは、ちょいちょいとウルにしゃがむように、手だけで合図をする。
精霊の姿のようにとがっていないその耳へ、唇を寄せて――ティアはウルにだけきこえるように愛を囁く。
次の瞬間、蕩けるように微笑んだウルの手を、ティアは引っ張った。
「ほら、デートするんでしょ? もういこ!」
「はい」
くすくすと楽しそうに笑うウルをつれて、ティアは家を飛び出す。
「じゃあ、とりあえず市場にいこっか」
「そうですね。楽しみです」
昨夜、どこにいこうか相談したとき、ウルの希望はいくつかあった。そのうちのひとつに、人間たちの生活の空気に直に触れてみたいというものが含まれていた。いつもは店の人間と話しをすることもできないので、できれば売買行為をしたいらしい。ならば、市場が一番手っ取りばやい。
そうして、二人仲良く連れ立って、青い空の下を歩いていく。
すれ違う人が、全員ウルに目を奪われているのが、面白くもあり誇らしくもあってティアは小さく微笑む。
石橋を渡り、ローアンの街中を進めば、市場はすぐそこだ。様々な商品を求める人と、彼らに自分の店へと立ち寄るようすすめる客引きの声が、賑やかに響いている。
ちょっと興味のあるところを覗いたりして歩いていると。
「ティアちゃん!」
ふくよかな体型をした店主――顔なじみの露店主である――が、ティアに笑顔を向けながら手招きしているのが見えた。
「ティアちゃんの好きなナッツがはいったよ! みていかないかい?」
「わぁ!」
ぱたぱたと石畳を踏み鳴らし、ティアは店に駆け寄る。先日はちょうど仕入時期だったので、買えずにいたものだ。どれくらい買っていこうか悩むティアの傍らにたつウルに、店主が首を傾げた。
「おや、ティアちゃん。この人は……」
「このひとは、私の「夫です」
別の国に住んでいる私の遠い親戚で、遊びにきてくれたんです――というティアが用意していた言葉は、あっさりとウルによって遮られた。昨夜の打ち合わせの意味がない。
目を見開いて、ティアはウルをみあげた。それを見下ろしたウルが、わずかに眉をよせたあと店主に顔を向け直す。
「あ、『未来の』夫です。いつもティアがお世話になっています」
そう満足げにつけたして、「どうですか? あってますよね?」といわんばかりの顔で、ウルはティアをもう一度見下ろした。
「――ウルぅぅ! そういうことじゃないよ!」
固まったのを別な意味で勘違いしたらしいウルに、ものすごく微妙な訂正をされたティアは、真っ赤になった。
それを、しばし呆然と眺めていた店主の顔が、みるみる輝きを増していく。
「へえええ、ティアちゃんってば、いい人いたんだねぇ! ええっと、ウルさん? だったかしら? まあまあ……!」
この年代の人ってどうしてこう、他人の恋愛ごとの噂に目がないんだろう。うぅ、と小さく唸りながら、ティアは視線を彷徨わせる。
「こんな格好いい人だなんて……素敵じゃないの!」
「あ、あのあの……!」
違うんです、とは言いづらい。というか、実際のところ恋人なのは間違いないわけで、嘘をつくのはいまさらながらに憚られた。
大慌てのティアとは違い、落ち着き払っているウルが、流れるような動作で手を伸ばす。
「ありがとうございます、マダム」
「んまっ」
ウルが恭しく手をとれば、店主は目を丸くした後、うっとりと笑った。
「あらあらあらあら~、あ、これよかったもっていって。二人で食べてみてね」
そういいながら、店主が袋にナッツを詰めはじめた。買うとも言ってないし、値切ってもいないのに、ウルの笑顔だけでナッツが手に入るとは夢にも思ってなかったティアは、驚きの声をあげる。
「え、ええっ?!」
「ああ、ありがとうございます。貴女はなんて優しい女性なのでしょう」
「いやだね、そんな……! うふふ!」
ウルが感謝の言葉を述べながら微笑めば、袋につめられるナッツの勢いが増した。頬を染めて妙にくねくねしている店主の瞳には、ウルしか映っていないようだ。
その魅力、恐るべし。
「また二人でいらっしゃいね!」
試食というには多すぎる量の試食をもらい、ティアは何度も頭を下げながら、ウルを連れ立って店をあとにする。
そのあとも、いくつか露店に立ち寄ったが――女性のいるところでは、おまけしてもらえたり試食させてもらえたり、値切る間もなく安くしてもらえたりと、ウルの効果はいかんなく発揮された。
麗しい顔立ち、丁寧な口調、洗練された所作が、どうにも魅力的らしい。その気持ちがよくわかるティアは、途中ですべてをウルに任せることにした。おかげさまで、ずいぶんと安く欲しいものが手に入った。申し訳ないと思う気持ちもあるけれど、ティアはほくほくと顔を緩ませる。
「ありがとう、たすかっちゃった。それにしてもすごかったね」
「ええ、みなさんとても親切な方ばかりで。私も買い物をするということができて、とても新鮮でした。いい経験になりましたよ」
ウルにしても、買い物がてら自分は『ティアのいい人=恋人』であることを宣伝できたので満足らしい。ティアとしては恥ずかしかったわけであるが、会う人会う人、皆一様に祝福してくれたことが嬉しかった。
「ああ、ティア」
「なぁに?」
市場の終わりからさらに進めば、噴水公園だ。少し休むにはちょうどいいかもと思っていたティアの肩を、ウルがそっと掴む。
「あれを食べてみたいのですが、どうでしょうか」
ウルがいう先には、小さな屋台があった。
「クレープ? いいよ、一緒に食べよう」
「私は一口分ほどいただければそれでいいのですが」
「そう? って、あ、そっか、そうだよね……。だいじょうぶなの?」
そういえば、いくら人間のように見えても、今のウルの体は人形なのだ。あやうく忘れてしまうところだった。食べても問題ないのかと小声でたずねると、ウルが笑った。
「ええ、ご心配には及びません。支障がでないようにつくられているようですので」
「そっか。じゃあ、どれにしよっか?」
「ティアがお好きなもので」
手をつなぎ、露店へ向かう。
にこにこと微笑む店員を待たせながら選んだのは、ベリーのジャムがはいったもの。
お金を渡し、クレープを受け取ると、ウルが公園方面を指差しながら言う。
「せっかくですし、公園にいきましょうか。きっと気持ちいいですよ」
「うん!」
「ありがとうございましたー。またお越し下さい」
丁寧に送り出してくれたクレープ屋に軽く会釈して、また手をつないで階段を上がっていく。
あがりきったところで、すう、と爽やかな風が髪の間を通り抜けていった。陽光に煌く噴水に目を細めていると、ウルが空いているベンチへとティアを誘う。
その近くでは、年端もいかぬ子供たちがボールで遊んでいる。初老の男性が、可愛らしい犬と散歩をしていたり、赤ん坊を連れた母親たちが笑顔で会話を楽しんでいたりする。
そんなローアンの人々の憩いの場の片隅に、ウルと並んで陣取る。日当たりのよいベンチは、ぽかぽかとしていてうたたねをしたくなるような暖かさだった。
ティアは、ウルへと手にしたクレープを差し出す。
「はい、ウル」
「ありがとうございます、ティア」
「あっ……」
上半身を傾けて、ウルがクレープを齧る。もごもごと口を動かす様子に、『食べる』機能がちゃんとあることがわかる。神様も凝り性だ。
「……」
というか、食べさせてあげるつもりで差し出したわけではなかったのに。だが、結果としてたべさせてあげたという状態になっている。
頬を染めたティアは、クレープをぎこちなくひきもどすと、ウルと同じようにかじりついた。
ほんのりとした生地の甘さ、ジャムの甘さ、クリームの甘さ。
どれもティアが大好きなもののはずなのに、ウルが幸せそうにみつめてくるから、味が良くわからない。そんなにみつめないでほしい。
小さく喉を鳴らすようにして、ティアがクレープを飲み込む。と。
「あー! それって『かんせつきす』だよねー!」
急に響いた声に、ティアは肩を跳ねさせた。ウルが、おや、という顔をして前方へと視線を向ける。
「えっ?! えっ?!」
慌てて同じ方向へと目をやると、ついさきほどまでそのあたりで遊んでいた子供たちの純粋な目がそこにあった。
男の子も女の子も、皆きらきらとした瞳で、ティアとウルを注視している。
かああ、とティアは全身を火照らせた。そういうつもりではなかったが、そういわれればそうである。
恥ずかしさ八割、苛立ち二割りくらいの心持ちでティアは立ち上がって叫ぶ。
「も、もうっ! そんな言葉誰に教わったの?!」
「「「ビスおじーちゃん!」」」」
あの人はー!
甲高い声で唱和された人物の名に、ティアは眩暈を覚えた。
「ひゅーひゅー!」
「らぶらぶだー、らぶらぶー!」
「いちゃいちゃしてるー!」
「あはははっ」
「こらっ!」
ぷりぷりと怒るティアをみて、子供たちはきゃいきゃいと騒ぎながら逃げ出した。
「ふふ、これが囃し立てられる、という状況なのですね。なかなかおもしろいものですね」
「なに一人で楽しんでるの……もう」
追いかける気力もないティアは、むす、としながらベンチへと腰掛け直す。しかし、ふいに嫌な考えが脳裏を掠めた。まさか。
ティアは、ウルに詰め寄る。
「ウル、もしかして、このためにクレープを……?!」
「ふふ」
予想を裏付けるかのように、ウルが口元に軽く握った手をあてて、笑いをこらえるかのような仕草をみせる。
やられた!
「もー!」
「ああ、ティア。そんなに怒らないでください。これほどうまくいくとは、私も思っていなかったのです」
「……うう~」
くすくすと、ひたすら楽しそうなウルと、手の中のクレープを交互に見遣る。
ティアは、深く息をつく。
そして、何の罪もないクレープに、ティアはいま一度齧りつく。
今度は、いつもよりずっと、あまいあまい味がした。
その後、普段ティアが世話になっている人に会ってみたいというウルの言葉を受けて、お城にいったり、道場にいったり、裏町にいってみたりとして――最後に訪れたのはローアンの街中にある一軒の家。
「お茶ごちそうさま、ファナ」
「いいのよ。また来てね、ティア。ウルさんも、よろしければ……」
「はい。是非また。今日はお邪魔致しました」
ティアの幼馴染であるファナに見送られ、ティアとウルは彼女の家を玄関をくぐる。
ウルが片手で荷物をもち、空いたほうを自然に出してくる。照れくさく笑いながらその手をとると、ファナが微笑んだ。
「ウルさん、ティアのことお願いしますね」
「この魂にかえても」
「もー、さっきからずっとそんなことばっかりいって!」
家の中でお茶をしながら話している間も、ティアをよそに二人でそんなことを言っていた。
「だって、ティアがすごく幸せそうだから。ずっとそうであってほしいって、思わずにはいられないんだもの」
優しい優しい幼馴染の言葉に、ティアは一瞬黙り込む。
そして、安心させるように満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、ファナ。大丈夫だよ、ね、ウル」
「もちろんです。ずっとティアのそばにいますよ。ずっとね」
「ふふ、ほんとうに仲がいいのね」
視線を重ね微笑みあう二人に、ファナが目を細める。
「じゃあまたね!」
「失礼します」
「気をつけてね」
小さく手を振るファナに手を振り返し、二人は家路につく。
あたりはすっかり夕焼け色で、行き交う人たちもどこかせわしない。めいっぱいに遊びそれぞれの家へと駆けていく子供たち、仕事を終えて酒場へ向かう男たち、幼子をつれて今宵の食事の材料を抱えて歩く母親。
その中に混じりながら、ティアとウルはのんびりと歩いていく。
「ティア、ありがとうございました。とても有意義な一日でした」
「えへへー、私も楽しかったよ」
指を絡めた手にわずかに力をこめて、ティアは言う。今日一日を思い返して、照れくさく視線を下げる。
「は、恥ずかしいこともあったけど……その、それよりももっとね、楽しくて、嬉しかった。ありがとう、ウル」
ウルは、ただ黙ってティアの言葉をきいてくれている。
「やっぱりね、この人が私の大切な人ですって……みんなに知ってもらえてね、よかったって思うの」
ほんの少し瞳を閉じて、ティアは言う。
露店で、公園で、日々お世話になっている人たちへ。この人が私の一番大切なひとですと――紹介できて、ほんとうによかった。
自分もウルのことはいえない。声高らかにとはいかずとも、ウルを自慢できて嬉しいのだから。
ふふ、とティアは微笑んで、ウルを見上げる。
「大好きだよ、ウル」
そばにいてくれてありがとうと、ありったけの気持ちをこめる。
それを受け取ったウルが、ぴた、と立ち止まる。
「……ティア」
「きゃ、うぷっ」
あれ? と思った次の瞬間には、引き寄せられて抱きしめられていた。ウルの片腕が、しっかりと身体に回されて身動き取れない。
「ティア……」
せつなげな感情交じりに名を呼ばれたあげく、顔を近づけられたティアは、思わずのけぞった。
「ちょ、ちょっと! ダメだよ、ウル!」
「なぜです?」
む、と整った眉の間に皺が寄る。そんな表情も美しい――いやいや。
「な、なんでって、だって、ひと、いるし……ダメ!」
「ティアが誘って下さったんじゃないですか」
なんとか手をはずそうと試みれば、あからさまにウルが不服そうな顔をする。
「してないもん! そ、そんな顔したってダメなものはダメ!」
「――しかたありません」
「わっ」
どうあっても離れそうになかった細い腕が、あっさりとティアを開放した。勢いにたたらを踏むティアを支え、ウルがすいと耳元へと唇を寄せてくる。
「人にみられるのがだめだというのなら、その恐れがなければよいということでしょう?」
「~~~っ、」
そういう意味ではなかったのに。でも、ここで断ったら、強引な手段に出られそうな予感がするというか、ウルならばきっとやる。
このまま帰って、家でならいいかな……、と恥ずかしいけれど妥協する。
ごにょごにょと自分でも何がいいたいかわからない言葉を口の中で転がして、ティアが小さく頷けば、ウルが晴れやかに笑った。
「さ、いきましょう」
再び手を繋ぎ直し、歩き出す。
恥ずかしくて、ウルに任せるままにしていたティアが気づけば、そこは人気のない路地裏だった。少し入り組んだところで、大通りからは見えない位置。
「……あれ?」
確かにこの路からでも帰れないことはない。帰れないことはないが――。
問いかけようとした瞬間、くるりとウルが振り返る。
夕焼けが作る色濃い影を連れ、だけれどその金色の輝きは失うことなく、忍び寄る宵闇の中で煌く赤と青の瞳。
ぞく、と身を震わせたティアに、す、と伸びる手。ゆっくりと頬を撫でられて、身体が竦む。
「ティア」
楽しげなウルの声。獲物をみつけたしなやかな肉食獣を前にした、草食動物の心境でティアは健気に唇を動かす。
「……い、家でならっていったのにぃ……!」
「私は、家でしましょうとはひとこともいってませんが? ティアも承諾されたはずです」
「!」
そうだ、家でならというのはティアの考え。ウルはそんなこといってないし、ティアもそう言葉にしてはいない。いきましょうとは言われたが、帰りましょうとは言われてない。
ぐ、と顎を掴まれる。片手だけのはずなのに、ティアはそれだけて身動き取れなくなった。
「あ、――」
ウル、と言いかけた小さな唇を上から覆いかぶさるようにして、口づけられる。
人形のはずなのに、あたたかくてやわらかくて、食まれる感覚に手足がじんわりと痺れていく。
なにもこんなところまで忠実に再現しなくていいよ、神様!
半泣きになりながら、ティアはウルに縋る。そうしていないと、崩れ落ちてしまいそうだった。
思う存分、街の片隅で貪られながら、誰もきませんように! と、ティアはただひたすら祈る。
ちゅ、と音を立ててようやく離れたウルを、ティアは涙目で精一杯に睨みつけた。
「……も、ダメだって、いった、のに……!」
「我慢できなかったもので。それに、ここには人がいないでしょう?」
しれっとした顔でそんなこといわなくていい!
「ばかっ、あ……」
もうひとつ、文句を封じるように優しく触れるウルの唇。
すぐに離れたウルが、ティアを蕩かすような甘い表情を浮かべた。
かつかつと、人が歩いてくる靴音が、二人がやってきた方向から聞こえてくる。
「残念ですが、続きはのちほど――、ね?」
腹立たしいくらいに美しい自分の精霊に、ティアは真っ赤になってむくれながら、ぺちりとその白い頬に手を押し当てる。その手を恭しくとり、ウルが誘うように歩き出す。
ひきずられるようにして追いかけながら、ティアは唸る。
この人形を手に入れた今、ウルにできないことはなく。そして自分が勝つ要素が微塵もなくなったということに、気づいたのだ。
悩むティアの前、ウルがわずかに振り返る。その顔はいつになくいきいきとしている。愛しき黄金のひとは、その面を夕焼けに縁どらせながら、微笑む。
「ねえ、ティア。私はこの人形が、とても気に入りました。ティアは、いかがです?」
「しらないっ!」
こちらの考えを見透かしたようなウルの言葉に、ぷいっとティアが横を向いてみせれば、堪えきれないというような楽しげな笑い声が、軽やかに路地裏へ響いた。