さらさらと、櫛を通すたびに、艶を増す髪。
丁寧に、丁寧に。寝台に腰掛け、鼻歌を奏でながら髪を梳くティアは、何を思っているのだろう。
女の子らしい仕草を眺めながら、空中に寝転がったレンポは、その心を推し量る。
ティアがぽろりと零した誕生日の情報に、勢いよく飛びついてきた人間たちのことか。
それとも、生まれてから十数年という月日がもうひとつ増えたことに対する感慨か。
どちらにしても、精霊であるレンポには、想像はできても理解はできない。
生まれ方も、月日の過ごし方も、人間とはまったく異なるのだから。
だが。
「なあなあティア! 誕生日会ってのは、賑やかなもんなんだな!」
今日この家で開かれたパーティが楽しかったことは、理解している。
家に押しかけてきた人間の連中に、最初うんざりとした気持ちを抱いたが、パーティがはじまれば、そんな気持ちは吹っ飛んだ。
人間たちが繰り広げるゲームや余興は、なかなか楽しめたし、なによりティアが嬉しそうに笑っていたのがいい。
知らないティアの話がされるたび、ティアが顔を真っ赤にしたり、懐かしそうに目を細めたりしていたのもよかった。
要するに、レンポはティアが幸せならばそれでいいのだ。
「うん。皆が来てくれて嬉しかったなぁ」
ふわりとティアが笑う。
テーブルの上には、贈られた品がたくさんある。それに目を細めた後、ティアは寝台の脇机に櫛を下ろした。
「ね、レンポ」
そうして、レンポに向かって可愛らしく手招きをしてくる。
「なんだ?」
すい、と空中を滑り近づくと、ぽんぽんと己の隣を叩く小さなティアの手。
どうやら「座って」ということらしい。
とはいえ、小さな姿のままではさまにならない。
腰掛けると同時に、レンポはその姿を変じた。ティアの手のひらに丁度よい大きさから、ティアを抱きしめることができるくらいへ。
ティアと同じ目線の高さを得たレンポは、となりに視線を流した。
居住まいを僅かにただし、ティアが愛らしい面を引き締める。
「えっとね、レンポに伝えたいことがあります」
凛とした、と表するにふさわしい涼やかな声。
「なんだよ、改まって」
自然と、レンポも背筋を伸ばした。そうするべきだと、なぜだか思ったから。
ティアが動く。その一挙手一投足を見守る。レンポの、とがった爪の先を持つ手に、小さな手が重ねられる。
自分のように炎を操るでもないのに、人の手はどうしてこんなにあたたかいのか。炎のような焼き尽くすものではなく、目を閉じたくなるような穏やかな熱。
すう、と細くなる、ティアの大きな瞳。浮かぶ柔らかな微笑みに、レンポは唇をわずかにひき結ぶ。
どきりと、人間のような心臓がない精霊の胸の奥が、絞られるような感覚とともに、確かに跳ねた。
ゆっくりとティアの唇が動く。
「たくさんたくさん、ありがとう」
触れれば崩れてしまいそうなほどのはかなさをはらんで、ティアが笑いながら言う。
ぱちり、とレンポはつりあがった大きな瞳を瞬かせた。
なんでか、わからなかった。
「どうして、オレに……そんなこというんだ?」
いぶかしい思いは、素直に言葉に表れた。
いつもティアはことあるごとに、感謝を口にする。
レンポだけでなく、他の精霊や人間などにも同じだ。しかしながら理由もなく、ただのおべっかや上辺だけで、ティアはそんなことをいわない。本当にそう思ったとき、躊躇いなく、惜しむことなくいうだけだ。
ならば、今言われた「ありがとう」には、なにか意味はあるはずだが、レンポに思い当たる節はない。
そもそも、パーティをひらいたのは人間たちで、むしろティアと一緒に楽しんでいた側である。なにを感謝されることがあるのか。
うーん、と首をわずかに捻ると、同じようにティアも首をひねった。
だがそれは、レンポと同じ理由ではない。くすくすと、ティアが笑う。
「レンポだけじゃないよ、皆にありがとうっていいたい」
「?」
ますますもってわからなくなってきた。
ティアのいう「みんな」とは誰のことか。
「わからないかな?」
「ぜんぜんわかんねー」
頷くを、ティアがちょっとだけ、困ったように眉を下げた。
「レンポたちにとっては当たり前のことだもんね」
ティアの指先に、わずかにこもる力を感じながら、レンポは答えを求めて、ティアの瞳をひたと見据えた。
ひとつ、ティアの瞳が瞬く。
「皆がいてくれたから、預言書があったから、たくさんの世界があったから――この世界があって、私が生まれたから、」
す、と柔らかな色をした唇が、空気を吸い込んで、閉じられた。一度何かを噛み締めるようにしたティアが、ゆるゆると息を吐いた。
「だから本当にありがとう。そうでなかったら、私レンポに会うこと、なかったかもしれないもん」
えへへー、とティアが幸せそうに笑う。
「……」
その笑顔に、レンポはこうして二人の時間が重なっていることは、すごい奇跡なのだとふと気付いた。
「たくさんの世界があってよかった」
ティアが目を閉じて、まるで遠いその過去を思い出すように、言う。
ぐるぐると、これまで辿ってきた世界と、そこに生きていたものたちが、レンポの脳裏に浮かんでは消える。
「いっぱい価値あるものがあってよかった」
それらが生まれたことを、まるで祝福するように響く声。
数多の預言書の担い手と冒険をともにして、価値あるものを探した日々が、大河のように胸の奥を流れる。
「だけど、たいしたことないもののほうが、多かったぜ?」
精霊にとって、世界が生まれ滅び、それを繰り返すことは、決まったことだ。いつの日にか辿りつくべき世界のために。この世界だって、そのためのひとつでしかない。
どんな種族、どんな動物、どんな植物があろうとも、次の世界へもたらす価値がなければ、滅びとともに失われる、そんなものだと思っていた。
惜しいとは思わない。それは、選ばれるほどの価値がなかっただけのこと。そして、そういたものたちのほうが、圧倒的に多いのは事実だ。
ふるふるとティアが頭を振った。
「そんなことないよ、これまでのぜんぶ、ぜんぶにありがとうっていいたい。いらないものなんて、ひとつもなかったよ、きっと」
どうやら、ティアはそのすべてが大切だといいたいらしい。
価値在るものをはぐくむために、消えていったものすべてと、そうしてそういった世界を経てきた精霊たちに、感謝をしている。
「この『今』が、あるから、か」
「うん!」
二人一緒にいることのできる、この大切な、現在があるから。
レンポは、ティアの壮大すぎる考えに笑った。小さな身体で、どうしてこんなことをいえるのだろう。
「そうだな! ティアに会うために、これまではあったんだろうってなって――オレも、いまなら思うぜ」
「でしょ?」
賛同を得られたことが嬉しいらしく、ふふふ、とティアが笑う。
「教えてくれてありがとな」
に、と笑いながら、そっとティアのほほを撫でる。そのまま、引き寄せられることが自然の摂理であるように、レンポはティアに唇を重ねた。
「ん」
羽のように触れて離れると、ティアがほんのりと頬を染め、長い睫をわずかに震わせ、すうと瞳を開いた。
ふと瞳を揺らして、ティアが小さく首を傾げる。
「ね、そうして今までが繋がってきたのなら、きっとまたこれからも繋がっていくから、だから、だからね――遠いどこかで、また会えるよね?」
ティアのかすかに震えた言葉に、レンポはしっかりと頷いて返した。
「おう。あたりまえだろ。繋がっていく先で、結ばれるものはきっとある。そういったのはティアだろ? オレに教えてくれたのもティアだ」
うん、とティアが消え入りそうな声を漏らす。
「それにオレはティアのことは絶対に忘れねぇし、すぐにみつけてやる」
「約束してくれる?」
頷くと、ティアがきゅうと笑みを深くした。
「ありがとう。レンポからのプレゼントが、一番嬉しいよ」
たった一言で、こんなにも喜んでくれるティアが、愛しい。可愛い。
「誕生日おめでとう、ティア。――オレのほうこそ、いろいろとありがとうな。やっぱりおまえ、世界で一番の女の子だぜ!」
これまでの世界の中でも、これからの世界の中でも、レンポにとってティア以上の女の子は現れない。そう、断言できる。
ティアという存在のすべてを自分に刻み付けるように、レンポはその細い体をかき抱いて寝台へ転がる。
ティアの軽やかな歓声が、小さな家に響いた。