摘まれても—–9

 綺麗な人。
 ティアは、ヒースと並ぶ女性を見てそんなことを呆然と思った。
 帝国の軍服に身を包んだ二人を、遠いところからみつめる。
 ああ、並ぶ二人はなんて絵になるんだろう。
 ヒースと談笑する女性は、女性らしい丸みを帯びた曲線が服の上からでもわかる。華美な装飾のない帝国の軍服をまとっているというのに色艶が滲むような美女だ。すらりとしていて。凛としていて。白い百合の花のよう。
 ナナイの薔薇のごとき美貌に勝るとも劣らない。きっと、手放しに誰もがその美しさを褒め称えるだろう。
 今のティアがどんなに望んでも、手にはいらないもの。
 やっぱり、ヒースはああいう人が好きなんだと、ふと思う。
 楽しげに会話を交わす二人は、親密そうだ。
 ティアは、自分の肺が呼吸し辛くなっていることに気付いた。さらにいうなら、目が熱い。鼻の奥が痛い。
 ちゃんとわかっていたはずなのに。理解したつもりだったのに。
 ヒースは素敵な大人の男性だから、それに似合う人が傍らにたつことがあるだろうって。いつかこんなところに、でくわすだろうってことくらい。
 所詮、わかっていた「つもり」だったのだ。
 やっぱりまだまだ、自分はふっきれないと、自覚する。
 あの頃に戻れなくても、女の子として側にいられなくてもいいと願った想いは本物だ。でも、それと同じくらいにヒースに自分を見てほしいと想うのも、また事実だった。
 足が動く。
 本能が、危険なものを避けるようにできているせいか、ティアはその場から、そっと姿を消した。

 

 そして。
「うっ……、ふぇ……」
 ティアは、ひとり泣いていた。
 フランネル城は、あちこちに大きな柱が立っている。古い様式を今に伝えながら城を支えるその陰に、ティアはしゃがみこんでいる。
 城の片隅は静かで、時折ティアの嗚咽と、鼻をすする音だけが落ちては消える。
 膝をあわせ、そこに手をついて額を押し付ける。閉じた瞼の裏に浮かぶ光景。
 ドロテアに頼まれたものを届けた矢先に、あんなところにでくわすなんて。神様って意地悪だ。ここまでされるほど、自分はなにかいけないことでもしたのだろうか。そんなことさえ考える。
 すんすんと、鼻を鳴らしていたのはどのくらいの時間だったのか。
 ふいに近づいてきた気配に、ティアはのろのろと頭をあげた。
 ひょい、と柱を回りこんで顔を覗かせる大きな影。
 ティアは声をあげることもできず、大きく目を見開いた。
 うずくまったままのティアの頭上から、降る声。
「……ティア?」
「ヒー……しょ、将軍……」
 あやうく名を呼びかけたのをなんとか飲み込む。
 こんなところをみられるなんて、と唇を噛む。ぐるぐると、恥ずかしさとか申し訳なさとか、いろんな感情が、意識をかき回す。
 ようやく乾きかけていた瞳が、また潤んでいくのをとめられない。
 なんで、どうして、ここにいるの。ここにきたの。みられたくなんて、ないのに。
 八つ当たり気味にそんなことを考えながら、ティアは胸元をぎゅうと抑えながら、怯えきった小動物のような息を繰り返す。
「おい、大丈夫か?」
 あからさまに動揺をみせるわけではないけれど、ヒースが絨毯に膝をつき、ティアを覗き込みながら心配そうにきいてくる。視線の位置が近くなる。
 綺麗な、青灰色の瞳に、胸が高鳴る。

 大丈夫なわけない。あなたのことが恋しくて、こんなに苦しいのに――

 ティアは、ぶんぶんと頭を振る。飛び出しかけた言葉を振り払う。いうわけには、いかないからだ。
「泣かないでくれ」
「……っ、」
 そういうのなら、そんな優しい声で語りかけないでほしかった。
「なんだ、その……オレが言える立場ではないと思うが……」
 ヒースが、がしがしと頭を掻く。その手で、口元を覆って言う。
「君に泣かれると、困る」
「……ぅ、」
 我侭に泣く子供を宥めるのに慣れていない父親のような、そんなヒースの口調に、ティアは短く息を吐いた。
 だから。
 こんなだから、ヒースに好みじゃないなんていわれるんだ。
 その事実をバネにして、ティアは勢いよく立ち上がる。
「おっと、」
 その動きに、ヒースが驚いて声をあげた。
 ごしごしと目元を拭う。先ほどとは逆にヒースを見下ろして、ティアはなんとか笑った。
「あ、あの、なんでもないんです。その、目にゴミが入っただけ、で……だからっ」
 なんてことはないのだと、わざとらしいくらいの明るい声でいう。わたわたと手を動かして、心配かけてごめんなさいと伝える。
「……そうか」
 ゆっくりと立ち上がったヒースが、ティアの頭をそっと撫でてくる。
「それにしても、随分と水分を出してしまったんじゃないのか」
「う~……」
 恥ずかしくて、目元をさらにこする。
「おい、赤くなるぞ」
 それを優しく遮ったヒースを見上げれば、穏やかな笑顔がそこにあった。
「まあ、なんだ。ちょっとよっていけ。茶の一杯でもだそう」
 そういって、ティアの返事も待たず、ヒースが歩き出す。慌ててティアはついていく。
 向かう方向から察するに、行き先はヒースの執務室らしい。ふかふかの赤い絨毯を踏みしめ、追いかける。
「なあ、ティア」
「は、はい」
 こちらに顔を向けることなく、ヒースが続ける。
「――オレは別に、あの女性となにかあるわけじゃない」
「……!」
 ひく、とティアの喉が勝手に震えた。
「彼女は、本国から派遣されてきた文官だ。顔見知りでな、少し話をしていた」
 相槌をうつこともままならず、ティアは俯いた。  だってそんな事情、ティアには関係のないことのはずだ。
 それなのに、ヒースはどうしてそんなことを言うのだろう。
 でも、心が軽くなる。あたたかくなる。
 ヒースは、あの場所に自分がいたことに気付いていたのだろうか。
 もしかして、逃げた自分を探しにきてくれたのだろうか。
 ――まさか。
 馬鹿だ。つくづく馬鹿だ。
 ティアは、自嘲の色を滲ませながら瞳を伏せた。
 そんなはずないって、わかっているのに期待するなんて。ヒースは優しいから、心配してくれただけなのに。
 馬鹿すぎて、ティアの瞳にまた涙が浮かんだ。
 そのせいでヒースの背が歪む。遠くなる。長い足で先をゆくヒースに、このまま置いていかれるような錯覚に陥り、ティアは歩を速めた。
 と。
 階段に差し掛かったところで、滲む視界が目測を誤らせた。
「きゃっ……!」
 ぐらり、身体が傾ぐ。足を踏み外したティアを、重力が容赦なく引っ張る。
 落っこちる。そう思った瞬間に。
「ティ……!」
 ティアの声に気付いたのか。ヒースが、素早く振り返って手を伸ばすのが見えた。
 衝撃とともに、太い腕がティアの腰に回る。飛び込んでしまったヒースの胸は、ティアを受け止めてもびくともしない。
 とん、と。ティアの小さな心臓が高らかに鳴った。一瞬にして凍った血潮が、安全を確認したと同時に再び流れ出す。それは安堵だけでなく、ほかの感情も連れて行く。
「あ、ご……ごめんなさ、」
 だが、このままでいいわけがない。謝罪の言葉を口にしつつ、慌ててヒースを見上げるように首をめぐらせた瞬間。
 ぎゅう、と強くなる力に、ティアの言葉は途切れて消える。
 んく、とティアは息を止めた。
 押し付けられた逞しい胸からは、ヒースの鼓動が聞こえるような気がした。広くあたたかなヒースのそこは、たまらなく心地よくて泣きたくなるほどだ。ゆるり、睫が下がる。

 ずっと、このまま――

 だが、ティアのそんな淡い夢は、すぐにはじけて消えた。
 ティアが細い腕をもちあげヒースの背に回す前に、つま先が床に着いた。
「ああ……驚いた。そそっかっしいな、君は」
 く、と小さく笑ったヒースの腕から、ティアはゆっくりと解放された。
「――ティア?」
「っ、」
 固まってしまったティアの顔を、ヒースが不思議そうに覗き込む。それを、ティアは避けた。
 顔が熱を帯びている。
 助けてもらっただけなのに。助けられるときに抱きしめられただけなのに。こんなに、嬉しいなんて。
 心臓が静まるように願いながら、ぎゅっと胸元で手を握り締め、ティアは俯く。
「し、死んじゃうかと、思いました……」
 震える声でなんとかそういうと、ヒースが大きく笑った。
「まあ、なんだ。怪我がなくてよかった」
 たかが数段の階段だ。よほど打ち所が悪くなければ、死んだりはしないはず。大げさだと、ヒースは思ったかもしれない。でも、ティアがいいたいのは、別な意味でだ。きっと、ヒースには伝わっていないのだろうけど。
「……はい。ありがとうございました」
「いや、君が無事ならいいんだ」
 もう転ぶなよ、という言葉とともにヒースが歩き出すけれど、ティアはもうついていくことができなかった。膝が、がくがくと震えるのをなんとか押さえつける。
「あ、あの……! 私、やっぱり、帰ります……!」
 俯いたまま、言う。ぎゅっとスカートを握り締める。
 自分の言葉に振り返っただろうヒースの顔は、見られない。そうしたら、自分の顔まで晒すことになるからだ。真っ赤になっているだろう自分を、ティアはみられたくなかった。
「――そうか。まあ、君にだって用事はあるだろうしな……。無理に誘ってすまなかった。では、またな」
 あっさりと引き下がり、ヒースはティアの頭にぽんと手を一度乗せ、悠々と城の奥へ歩いていく。
 そっと、視線を上げる。
 去っていく大きな背に向かい、誰にも聞こえぬほどにその名を小さく転がして紡げば。
 ティアの胸が、せつなくないた。