摘まれても—–4

 清潔な寝具で整えられている寝台から起き上がろうとしたヒースを制し、部屋を訪れたヴァルドは、これまであったことのすべてを話してくれた。伝説の魔王や、預言書の話など、にわかには信じがたいことばかりだったが、ヴァルドが嘘をつくわけもない。ヒースはそのすべてを信じることにした。
 聞く限りでは、ヴァイゼン帝国の将軍として、自分が成せそうな仕事は山積しているようであった。なくしたという記憶の間、自分付きだった事務官も後ほど立ち寄らせるといってくれたことから、ヴァルドのために、国のために、平和のために、自分ができることがあるようでヒースは安堵した。
 そして最後に、ヴァルドは重々しく言った。
「ヒース。どうか彼女には、優しくしてあげてほしい」
「彼女?」
 これまで静かにヴァルドの言葉をきいていたヒースは、首を傾げた。
 はて、自分にはそういう風にいわれるような親しい女性はいただろうか。
 そうした考えが顔にでていたのか、ヴァルドが悲しげに顔を曇らせた。
「昨日の、女の子のことだ」
「――ああ」
 脳裏に、ぽろぽろと泣いていた小柄な少女が浮かんだ。そういえば。
「あの少女は誰なのですか」
「……」
 赤い瞳をそっと伏せ、ヴァルドは僅かな沈黙の後、形よい唇を動かした。
「彼女は、ティア、という」
「……ティア」
 何度か、口の中でその言葉を転がす。なんとも可愛らしい響きの名前だ。あの少女に相応しいとさえ思う。
 優しくしろと、名指しでいわれるほど、彼女には一体何があるのだろう。昨日の様子から、ヴァルドと親しいことはおおむね理解していたが。
 しかし、主の口からは、ヒースの予想以上の言葉が飛び出した。
「彼女は世界に選ばれた預言書の持ち主にして、私の恩人だ」
 ヴァルドの話で幾度も出てきた預言書の持ち主。それが昨日の少女とは。想像できようはずもない。
「あの少女が、ですか」
 カレイラの英雄と呼ばれ、魔王すらも打ち倒したということから、どんな猛者かと思っていたのに。
「そうだ。ヒース、君は忘れているけれど、魔王に乗っ取られて動かぬ体も、魔王の憎悪によって薄れゆく私の意識を救い上げてくれたのも、彼女だ」
 ヒースの知らぬ時間を思い出し、辛い記憶も救われた記憶も、そのすべてを噛み締めるような表情を浮かべたヴァルドに、ひとつ頷く。
「わかりました。皇子が、そこまでおっしゃられるならば」
「それに……」
 歯切れの悪いヴァルドの様子に、ヒースはわずかに瞳を細めた。
 民を導く王族である自分の立場をよくわきまえているヴァルドは、滅多にこんないい方をしない。常にその言動に迷いはなく、なにがあっても決して取り乱さないよう、幼いころから帝王学としてそれを学び、またそれをよく実践している。そんなヴァルドに、内心で首を捻った。
「君にとっても、彼女はとても近しい存在だった」
「近しい……」
 そういわれても、すぐに頷けるものではない。そもそも、帝国の将軍とカレイラの英雄と呼ばれる立場から考えるに、敵対していたと思えるのだが。
「だから、優しくしてあげほしい」
 しかし、ヒースが心から仕えるヴァルドがそういうならば、その身を脅かすような無茶な命令でない限りきかねばならない。
「はい。承知いたしました」
「よろしく頼む」
 そういって、ヴァルドは外套を翻し、ヒースに背を向けた。王族らしい気品を滲ませながら、優雅に去っていくヴァルドを、ヒースは黙って見送った。

 ――ふ、と。そんなことを思い出す。そういわれたのは、今朝のこと。

 寝台の上で上半身を起こしたヒースは、ふむと脳内で一呼吸置いてから、目の前にいる少女をみつめた。つい先ほど、兵士に案内されてやってきた少女は、細い腕に可憐な花を束ねた小さな花束を抱えている。
「君は、ティアか」
「……はい」
 わずかに滲む悲しそうな寂しそうな表情に、ヒースはいたたまれない気分に突き落とされた。名を確認しただけなのに、これではまるで自分が苛めているようではないか。
 優しくしろ、とヴァルドにいわれたものの、どうしたらいいのやら。
 漂う妙な緊張感に、居心地が悪い。
 会話の糸口さえつかみあぐねていると、ティアが髪を揺らして一歩前にでた。
「……ヒースさん。怪我は、大丈夫なんですか?」
 おずおずと尋ねてくるティアの全身からは、心配という空気が滲んでいる。
「ああ、頑丈なだけが取り柄だからな」
 会話を途切れさせないよう、にこりと笑ってみせると、ティアがぷるぷると頭を振った。絹糸のような髪が、さらりと揺れる。
「そんなことないです!」
 勢いよく否定され、ヒースは思わず「は?」と呟いた。それが聞こえているのかいないのか。
「ヒースさんは、とっても優しい人です!」
 ぐ、と拳を握り締め、ちゃんと私は知ってます、といわんばかりの純粋なまなざしで断言されれば、いい歳をした大人でも恥ずかしいものだ。そこには、からかうそぶりもなにもない。ただ、ほんとうに。心からそう思ってくれているのがわかった。
「ありがとう」
 だから、ヒースは笑った。心からの笑顔だった。ティアもまた、それをみて笑う。
 さきほどまでの張り詰めたものが、すうと溶け消えていく。なぜだか、不思議と落ち着いていく。
「とにかく、今は無理しないで、ゆっくり休んでくださいね」
「ああ」
 ヒースが頷くと、安心したようにもうひとつ笑ったティアが、きょろりとあたりを見回した。そして、ととと、と近くのテーブルへと近づく。
「この花瓶、お借りしてもいいですか?」
「かまわないと思うが」
 かってに自分が決めてしまっていいものか、とは思うものの、与えられた部屋の花瓶だ。もともと使うために置いてあるのだろうし、構わないだろう。
 花瓶に花を挿し、近くにあった水差しを手に取ったティアが、その軽さを確かめるように小さく振る。頼りない水音がきこえた。
「お水、いただいてきますね」
「すまないな、助かる」
「いいえ」
 にこ、とティアは水入れを抱えたままヒースに微笑むと、軽やかな足音とともに部屋を飛び出していった。
 元気な少女だ。
 昨日の泣き顔よりも、ああしているのがよく似合う。
 ふいに、ずきりと頭の奥が痛んだ。
「っ、……」
 眉根を寄せて、横になる。戦いに身を置いてきたヒースにとって、身体の痛みはなれたもののはずなのに。
 枕に頭をあずけ、ほうと息をつく。
 はやく、よくなりたいものだと思う。そうしたら、今度こそ必ず、皇子の役に立ってみせる。
 そんなことを、寝転がったままぼんやり考えていると。
 す、と扉が開く気配がした。目をあけて顔を横に向ければ、水差しを持ったティアが部屋にはいってくるところだった。
「ヒースさん?!」
 水の入ったものを抱えたままでは、さすがに走ってこられなかったのだろう。一瞬驚いた顔をした後、泣きそうに眉を下げたティアに、大丈夫だと手を振る。
「ちょっと横になりたかっただけだ」
 気にしないでくれ、というが、それでもティアは瞳を潤ませる。寝台の側にやってきたティアは、ヒースよりもひどい怪我を負っているような、辛そうな顔をしていた。
「大丈夫だ」
 そう言葉にして伝えると、こくんとティアは頷いて、花のあるテーブルに近づいていった。花瓶に水を注ぐティアの横顔を眺めていると、ふとヒースはいいたくなった。
「――どうして」
 ヒースにとってみれば、ティアは赤の他人である。ティアにとってはそうでないというのはヴァルドからもきいてはいたが、できるならその理由が聞きたかった。
 あまり大きな声でいったつもりはなかったが、ティアはゆっくりと水差しをテーブルに置くと、すっと顔をあげた。
 その透明な横顔が印象的で、目を細める。と、髪を揺らしながら、ティアがヒースに向き直る。そこには、さきほど垣間見せた氷のような張り詰めた気配はなく、にこりと温かな笑顔があった。
「だって、ヒースさんは私の――お師匠様、ですから」
「師匠……?」
 言われ慣れていない言葉に、眉を顰める。
 師匠ということはつまり、自分はこの少女に何かしら教えていたということだ。
 剣だろうか……? だが、こんな少女に戦いの術を自分が教えるだろうか。そもそもカレイラの英雄とたたえられるような少女に、剣術を教えるなど……よほどの理由がない限り、そんなことありえないはずだ。一瞬のうちに、そんなことを考える。
 が。
「徒手流派とか、騎士の心得とか……」
「っ!?」
 ごく自然にとびだした言葉に、ヒースは痛みも忘れて体を勢いよく起こした。
「なぜそのことを知っている!」
 そのこと、とは、徒手流派のことだ。世間の目に晒されることのないように、秘されていなければならない流派。いつの日にか、伝えるべき者があらわれるその日まで、人知れず受け継がれるべきもの。若気の至りで、それを世間の目に晒してしまったヒースは、ずっとその拳を封印してきた。
 それをなぜ。
「だって、教えてもらいましたから」
 ヒースの剣幕に一瞬だけ驚いた顔をしたティアが、ふふ、と顔を崩した。
「……なん、だと?」
 どうして。どうして。
 そこに至る経緯がわからない。滅多なことでは、自分はそんなこと考えない。間違いない。
 厳しい顔のままヒースが黙り込むと、ティアはゆっくりと近づいてきた。
「そのことは、またいつかお話しますね」
 視線だけをティアに向けると、泣きそうな、困ったような顔をしていて。ヒースの心臓が、跳ねた。この年端もいかぬ少女がするべき表情では、なかったからだ。
「それ以上にもっと、たくさんの大切なこと、教えてもらいましたけど――それは、」
 ぎゅ、と自分の胸元を握りティアは、ひどく辛そうに見えた。
「――それは?」
「……いいえ。今は、秘密です」
 ヒースが続きを促すも、ふるふる、とティアは頭を振った。
「あ。そうだ。今日は、お見舞いと一緒にこれをお渡ししようと思ってて……どうぞ」
 ふと、当初の目的を思い出したらしく、ティアがコートのポケットから小さな何かを取り出した。
 浮かぶ疑問は数あれど、それはおいおい聞いていくしかなさそうだ。
 そんなことを考えながら、差し出されたティアの手に対し、ヒースは手を出す。
 と。
 ぽん、と薄紅色をした瓶が置かれた。硝子の冷たさが皮膚に伝わる。その中で、紫色の液体がたゆたっている。
 なんという、色合い。
「なんだ、これは」
 みたことがないものだった。思わずそう呟くと、ティアがひとつ頷いた。
「エリクサーっていう、お薬です」
「エリクサー……」
 確か、あらゆる傷に効くという伝説の聖水――ではなかったか。戦場にいたころ、そんな噂をきいたことがあった。
 なぜそんなものをティアが持っているのかと思うが、世界のあらゆることを記すという預言書の持ち主ならば、当然なのかもしれないとも思う。
「皇子もね、飲まれことあるんですよ」
 にこにこ、とティアが笑う。
 なんだろう、暗に飲めといわれているような気がする。というか、飲めということなのだろう。間違いなく。
「……飲めばいいのか?」
「はい、ぐっとどうぞ!」
 確かめると、ティアは満面の笑みで小さな手で拳をつくった。やはり「飲め」、ということらしい。
 ヒースは、そっと瓶の蓋をはずした。そして、小さな穴から立ち昇る匂いに、う、と息を詰まらせる。
 精神と舌にとっても悪そうな、そんな匂いである。人間の本能が、やめておけ、と警告を発するような。
 だが、隣をみれば相変わらずの笑顔でヒースの行動をみつめるティアがいる。その眼差しが痛い。親切心からくれたものだというのもわかっている以上、ヒースは腹をくくった。ヴァルドが恩人だといいきる人物が、毒を盛ってくるわけもないだろう。
 瓶に口を付け、顔と一緒に傾ける。ぬる、と舌先に中身が触れた瞬間、噴出しそうになるのをなんとか堪え、勢いよく口を離す。じんじんと痛む舌が、やばいやばいこれはやばい、とそう訴えてくる。
「まずい……」
 だらだらと嫌な汗をかきながら、ヒースはついついそう呟く。
「き、君は、飲んだことがあるのか……?」
 おもわず問いかける。
「ないですよ?」
 あっけらかん、とティアはいう。
 ……そうか、としかヒースは返せなかった。
「良薬は口に苦し、っていうじゃないですか。ヒースさん、がんばって!」
「……」
 可愛らしい声援に、ヒースはちょっぴり泣きたくなった。
 だが、ヴァルドもこれを飲んだという。ティアは頑張れという。
 ヒースは一呼吸、二呼吸。
 そして、ぐっと一息に瓶の中身すべてを飲み干した。嚥下のために動かした喉が、拒否反応を示す。意地でそれを押さえ込み、なんとか胃へと納めると。か、と腹の底が熱を帯びた。
 ヒースは震える手で、瓶の蓋を閉じる。
「どうですか?」
 空になった瓶を受け取りながら、ティアがきいてくる。
 そんなもの、まずいに決まっている。なんというか、強烈過ぎる味である。何と何を混ぜたなら、こういう味になるのだろう。意識が遠のきそうになったのは秘密にしておこう。
「……効きそうだな、という気はする……」
 ヒースのなんとか搾り出した言葉に、よかった! と無邪気にティアが喜ぶ。ヒースの掠れた声には気付いていないようだ。
「じゃ、あんまり長居しちゃいけないと思いますし、今日はこれで失礼しますね。ヒースさんがよくなったら、いろんなところにいきましょうね」
 頑張りましょう! そんな言葉を残して、ティアは明るく部屋から去っていった。
「何を頑張るんだ……?」
 ティアが消え、舌の感覚が戻ってきた頃。ヒースは呟く。
 またエリクサーでも飲まされるのだろうか。
 ヒースはややげんなりとした気持ちを抱えて、ごろりと寝台に横になった。
 できることなら、「もう一本」というのは勘弁して欲しいと、思いながら。
 しかし、徒手流派のことといい、謎が多い。頭が混乱しそうだ。いや、記憶がないということですでにそうなっているのか。
 それにしても。
「なぜあんな目をする……」
 静かに閉じた瞼の裏に、ティアの姿を思い浮かべる。その大きな瞳の奥に灯っていた懸命な光。あれは一体なんだろう。どんな表情のときにも、必ずあったそれ。隠そうとしても、どうしても隠しきれないようだった。
 彼女を追い立てるようなあの光は、なんなのだろう。
 考えてみる。いろいろな予想はたつ。だが、それを裏付けるようなものはない。
 つまり。
 ヒースにはそれがなんなのか。やはり、わかりはしないのである。
「まあ、いいか――」
 直接自分に関係あることではあるまい。
 そよと窓辺から吹いた風を頬に受けながら、ヒースは薬がもたらす熱に誘われ眠りに落ちていった。