時遡り時辿り

「新しい石碑?」
 目の前に置かれた紅茶の湯気で小さな肺を満たしながら、ティアは相対する人物の発言を繰り返した。
「ええ、そうよ」
 豊かな赤い髪を背に流した都の魔女ナナイが、頷きながら机を挟んだ正面の椅子に腰掛ける。
 たまたま占い横丁を通りかかったら、ティアがくることを見透かしていたように待ち構えていたナナイに、この館に引きずり込まれたのがつい先ほどのこと。今日のお話ってこのことかと思いつつ、ティアはだしてもらったお茶に手を伸ばした。
「おばあちゃんから連絡がきてね。砂漠の宮殿に隠し部屋がみつかったんですって。その中に、おばあちゃんも知らない石碑が置いてあったそうよ」
「へえー」
 喉を滑り降りる熱さと、鼻を通るいい香りを味わいながら、ふむふむとティアが頷くと、ナナイが笑った。
「おおかた、オオリが独り占めでもしようと思っていたのよ。まあ、預言書の持ち主はあなたであるわけだし、宝の持ち腐れもいいところよね」
「確か、ブランダーバスも、そうだったよね」
 ティアは、かつてエエリから依頼されたことを思い出す。シリル遺跡の奥深く、エエリが隠した銃を探し出して欲しいという、内容であったそれ。今は、その銃もエエリが厳重に保管していると聞く。
「そうそう、あんな感じよ。でね、ティアに一度見に来て欲しいってことみたいなの」
「うん、わかった! じゃあ、明日にでもいってみる」
 預言書の価値はいくら高めても悪いことなどない。それにティアもまた、新たなメタライズにはおおいに興味があった。アイテムの作成やコードの整理など、もともと細かい作業が好きなティアにとっては、とても楽しいことだからだ。
「そう? じゃあ、おばあちゃんには連絡しておくわね」
 砂漠の魔女たちに伝わる古い魔術を使えば、遠くへの伝言も可能なことをティアは知っている。いまや謝罪も済み、祖母との良好な仲を取り戻したナナイにとって、そうした何気ない連絡さえ楽しみのひとつなのだろう。ティアは、ふわりと笑った。
「うん、お願い」
 わかったわ、と頷いたナナイが、そのままにんまりと笑う。
「で、話は変わるけれど――ここのところ、どうなの?」
「どうって……何が?」
 ティアは紅茶の入ったカップを手に、小さく首を傾げる。
「まーたまた、しらばっくれちゃって……」
「???」
 ナナイのいいたいことがわからぬまま、ティアは喉を潤そうとカップに再び口をつけた。
「で、実際のところは? あの将軍様とはうまくいってるの? どこまでいった?」
 きらきらと、好奇心に満ち満ちた瞳を向けられた上、ナナイが発した言葉の内容を理解したティアは咳き込んだ。ちょっと前なら、本気で言おうとしていることはわからなかっただろうが、今は事情が違う。
「ぷはっ……! けほっ、も、ナナイっ! な、何言って……! ごほっ!」
「あら、その様子じゃ全然進展なさそうね……つまらないわ」
 最後のほうは呟くほどの小ささであったけど、ティアは聞き逃さなかった。
 まったく、人の恋路をなんだと思っているのだろう。……娯楽あたりだろうか。
「だって……ヒースさんは、忙しいし。それに、お、大人だし。私、どうしたらいいのかわからなくなるときもあって……」
 胸の前で手を組んで、ティアはごにょごにょと言い訳のような、愚痴のような言葉を紡ぐ。その姿に、一瞬だけきょとんとした表情をみせたナナイが、笑った。
「ほんと可愛いわね、ティア。それにしても、あの将軍様ってば意外と鈍いのね。こんなに想われてるっていうのに」
「う~……」
 想うだけでは恋が伝わるなら苦労はしない。いや、そういう場合もあるだろうが、ヒースと自分の場合、『師匠と弟子』という関係も多分に原因があるような気がする。ティアは、ふうとため息をついた。そんなティアの頭を撫でつつ、ナナイがいう。
「さ、せっかくだからここ最近のことについて、あらいざらい吐いちゃいなさい。お姉さんがちゃーんと聞いてあげるから」
 あやしい。
「……からかいたいだけじゃないの?」
「あら、そんなことないわよ?」
 むう、と唇を尖らせてティアが上目遣い問いかければ、とんでもないとナナイは手を振った。しかし、その好奇心に満ち満ちた輝く瞳が、それとは逆の心境を物語っている。
 ううう、とティアは涙目で唸る。きっと、自分の片思い話を聞かせるまで、ナナイはこの館から出してはくれないだろう。
 かくりとティアは肩を落とした。

 ――翌日――

「おお、よくきたのう、ティア」
「こんにちは、エエリさん」
 年月を表す顔の皺をさらに深くして、嬉しそうに出迎えてくれたエエリの顔が曇る。「んん?」と首を捻って顔を覗き込まれ、ティアは思わず後ずさった。
「どうしたのじゃ、ティア。随分と疲れておるようじゃが……」
「いえ。ちょっと……」
 あなたのお孫さんに、いろいろと根掘り葉掘りきかれ、恥ずかしさのあまり精神にダメージを負っているんですとはさすがにいえない。あはは、と若干乾いた声で笑うと、エエリが心配そうに眉を下げた。
「ふむ、砂漠の熱にでもやられたのかのう?」
 するりと額に手を当てられて、ティアは慌てた。そんな顔をしてもらいたくなかった。実際、身体に問題はまったくない。
「いえ、あの、大丈夫です! そんな、体調が悪いとかそういうことじゃありませんから!」
「そうか。じゃが、無理はせぬようにな」
 英知の宿る深い瞳が、ふわりと和む。心配してくれるその優しい心が嬉しくて、ティアは微笑んで頷いた。
「はい。気をつけます」
「うむ、よい返事じゃ」
 ティアの頭をひとつ撫で、エエリは背を向けて歩き出した。
「さて、ナナイから話はきいておるじゃろ?」
「はい。宮殿に隠し部屋があったとかで……」
「うむ。欲深き姉の忘れ物、といったところじゃな」
 そういって、靴の音を響かせながら二人が歩くことしばし。
 なんの変哲もない回廊の一角、まわりと同じ壁の前に案内されたティアは、きょろきょろとあたりを見回した。綺麗なモザイクで飾られた壁面は、砂漠らしい精緻な意匠がこらされていて、これだけでも随分な値打ちもののように思えた。ここからどうやって隠し部屋にいくというのだろう。壁のどこにも、怪しいところなどみつけられなかった。
「えと、ここ、ですか?」
「うむ。まあ、みておれ」
 本当にここに隠し部屋があるのか、わからないといった顔をしたティアに、エエリは「ヒョホホホ」と笑って、下がるように促した。そのまま、手にした杖をひょいと持ち上げ、モザイクの一部分を押し込む。ガコン、と何かが動くような音がして、ティアは壁を凝視した。てっきり、壁が動くとばかり思っていたのだが。
「ほれ、そこが入り口じゃ」
「あ」
 ついさっきまでティアがたっていたところの床が滑らかに開き、ぽっかりと口をあける。下へ下へと誘うように続く階段に、ティアは目を瞬かせた。
「ゆくぞ、ティア」
「は、はい!」
 杖の先に魔術で光をともしたエエリの後について、ティアは慌てて階段へと降りていった。真昼の砂漠の下にあるとは思えないような、ひんやりとした空気が頬を撫で、ティアは思わず身を震わせる。
 階段は思ったより長くはなかった。たどり着いた場所は、ひどく広そうな感じがするが、明かりがエエリの杖の先だけなので、詳細まではわからない。レンポに頼んで、火でも灯してもらおうかな、と思った矢先、エエリがティアには聞き取れぬ魔術の言葉を紡ぎ、杖で床を打ち鳴らした。
 床に光が走る。その光はやがて壁を駆け上がり天井にたどり着くと、あたりを照らし出す光源となる。夜明けの太陽のように、徐々に光を強めていくその魔術に、ティアはほうと息をついた。
「すごい……」
「ヒョホホホ、奇跡の使い手たるティアのそういってもらえるとは嬉しいのう。さあ、ティアや。ここが砂漠に巣食った魔女オオリエメド・オーフが、その生涯をかけて求めたものが、集う場所じゃ」
 エエリを見つめていたティアは、促されて前を向き、ぽかんと口をあけた。
「うわぁ……」
 眩いばかりの財宝がそこにあった。フランネル城の地下に住み、忘れられた宝物を溜め込むタワシの住処よりもなお輝かしい。まるで御伽噺の世界にも迷い込んだような錯覚に陥る。真珠色の変わった形の壷や見たこともない柄の織物、ティアの頭ほどもある真紅の玉、白銀に輝く宝石のはめ込まれた大剣、魔術の道具らしき竜の骨、宝石をふんだんに使った黄金のマスク。ティアにもわかるものもあれば、まったくもって見当さえつかないものもある。そしてそれらの隙間を埋めるように、金銀宝石が無造作に積み上げられている。これだけで、何国分の財であろうか。
「まったく、ここまでして……姉は一体、何を求めたんじゃろうなあ」
 目の前の光景に圧倒されたティアの横、すっとエエリが歩き始める。独り言のような言葉に滲むのは、悲しさと寂しさのような気がして、はっとティアはエエリの横顔をみつめた。
「美しいが、冷たく物言わぬ財宝に一人きりで向き合って。……どうしたかったのか、ワシにはわからぬ……」
「エエリさん……」
 泣いているような気がして、ティアがエエリの名を呼ぶと、遠い過去に意識を飛ばしていただろう老神官は、いつものように穏やかな笑顔を浮かべた。
「おお、すまんな。さて、ティアにみせたいものはこっちじゃ」
 杖を突いて歩くエエリのあとを追いながら、ティアは南飛流派を教えてくれた、あの魔女にほんの少しだけ、思いを馳せる。あの人は自分に正直であったといえば、それまでだ。人は誰も皆、自分の欲に従って生きている。ただオオリは、周囲に不幸を振りまこうとも、心を痛めることもなく、憂うこともない人であっただけのこと。その欲を満たすだけの力を持ち合わせていたことも、彼女の不幸だったのだろうか。
「これじゃ」
 そんなことを考えている間に、ティアとエエリは部屋の片隅に到着していた。ふたつ、同じような古びた石碑がおいてある。その部分だけは、綺麗に片付けられていて、ティアはちょっと不思議に思った。だが、すぐに思い直す。
 一度自分から預言書を奪ったオオリがここにやってきたのだろう、と――だが結局、オオリでは、この内容を読み取ることはできなかった。
 ティアは、目の前にあるメタライズの表面を読むように、顔を近づける。
「あれ? 途中で途切れてる……?」
 文字はわからずとも頭に内容が流れ込んでくるはずなのに、それがうまくいかなくて、ティアは首をかしげた。そんなティアに、助けの船が出される。
「これは、おそらくふたつでひとつの石碑なのじゃ。ほれ、こことここを繋げてみるとよいじゃろう」
「あ……ほんとだ」
 ティアは、エエリの言葉に従い、左右の石碑を見比べながら内容を読んでみる。
「アイテムのメタライズみたいですね」
「そうか。預言にまつわるものならば、ワシも少しは読めるのじゃが、思ったとおりじゃな」
「どういったものかは、取り込んでみてみないと詳しくはわかりませんけど」
 そういって、ティアは預言書を取り出した。
「よいしょっ、と!」
 ひらりとページを開いて、勢いよく石碑へと押し付ける。
 ちゃんと読みとることができたページを開いて、ティアはその文面に視線を走らせる。
「ええっと……ひとつは『時遡の薬』、もうひとは『時辿の薬』……? それぞれ『時間を巻き戻す効果』、『時間を早める効果』があるみたいです」
 ふむ、とエエリがひとつ頷く。
「おおかた、姉が欲したのは『時遡の薬』じゃろうな。預言書をおぬしから奪ったら、作って飲むつもりだったのやもしれぬ」
 なるほどと、ティアはひとりごちた。すべてを欲し、手に入れてきたオオリが、果てを知らぬその野望のために、若返ることを望んだところで、おかしくはなかった。
「そして、ふたつでひとつの石碑ゆえに、ここへともに持ってくるしかなったのじゃろうな……」
 エエリの瞳が、また遠いところをみている。ティアは、何もいうことができず、ぎゅっとコートの裾を握り締めた。
「ほんに、愚かな姉じゃ……大馬鹿ものじゃて……」
 残った双子の片割れは、二つの石碑を前にして、深く項垂れる。
 シリル遺跡の天空槍は蘇ることはなく、世界征服というその邪なる夢も泡と消えた。それでよかったはずなのに、この世へとともに生れ落ちた姉へと、エエリは思うところがあるのだろう。本当なら、ずっと仲良く――この石碑のように、寄り添っていたかったのかもしれない。
 持ち主が戻ることのない部屋の片隅、石碑を前に立ち尽くすエエリを、ティアはそっと抱きしめることしができなかった。

 

 砂漠から戻って数日。
 ティアの目の前には二つのガラスの小瓶がある。どちらも似たような作りであるが、中身は全く違う。先日、砂漠の宮殿にある隠し部屋でティアが手に入れてきたメタライズをもとにしてつくったもの。
 『時遡の薬』と『時辿の薬』である。
 ティアならばちゃんと使いこなせる、安心して託すことができる。そんなエエリの言葉のもと、とりあえず作成してみたものの……さて、どうしよう。
 預言書の価値を高めるには、そのもののなりたちを知ることが一番大切なことであるが、そのものの効果を確かめることも必要である。  とはいえ……。
「飲んだらどうなるかわからないよね……」
 むむむ、とティアは眉間に皺を寄せた。
「大丈夫じゃねぇの? 別に死ぬとか書いてなかっただろ」
 それはそうだ。預言書の説明によると、一口含めば10年分の時間を戻すか、流すことができるらしい。だが、もし勢いあまってたくさん飲んだりしたら……どうなるのか。考えるだけで恐ろしい。
「もう、レンポったら。ティアの不安も察してあげようよ」
「……考えなし」
「なんだと、このっ」
「……!」
「きゃあ、ちょ、ちょっと二人とも!」
 じゃれあうというにはあまりにも過激なレンポとネアキの追いかけっこにも、それを見て悲鳴をあげるミエリにも、もう慣れた。ティアは赤と青の軌跡が、ばちばちと火と氷の攻防を繰り広げる真下で、うんうんと唸る。
「ティア、大丈夫です。預言書があなたに悪影響を与えることはありませんよ」
 だから安心して飲めとでもいうのか、この雷の精霊は。
 じっとりとした視線を投げかけると、にこっと綺麗な笑顔を返された。そのまましばらくみつめていても、その作り物のような表情が崩れることはなかった。さすがはウル。
「そこまで心配なら、他の人で試しみるのもよいのでは?」
 ウルが笑顔のまま、空恐ろしいことをさらりという。ようは実験台だ。
「んー、そ、それはちょっと……」
 さすがに、それはまずいような気がする。ティアが思わず視線を逸らすと、ミエリが勢いよく手をあげた。
「あ、でもでも! あの人の若い頃とかちょっと興味あるー!」
「あの人?」
 ミエリのいっているのはどの人のことだろう。ティアがくるりと瞳を向けると、ミエリが満面の笑みで頷いた。
「うん、ティアの一番大好きな、あの人! ヒース将軍のことよ!」
 ティアの脳裏に、ぼんとヒースの姿が描きだされる。大人で、自分なんかいつまでたってもかなわない、あの人の若い頃。想像つかない。確かに、それはみてみたい、かも。
「ああ、それいいな! おもしれぇことになりそうだ!」
 レンポが手を叩いてミエリの言葉を後押しすれば、ウルが自分も要望があるとばかりに口を開いた。
「私は、ティアが美しく成長した様をみてみたいところですね」
「……私、も」
 ウルの言葉に賛同するように、ネアキがいう。
「きっと、大人になったティアならば、誰もが振り返るような麗しい乙女になることでしょう」
「そ、そうかな……」
 どこからそんな自信がくるのかは知らないが、さも当然とばかりにいわれれば、ティアとて悪い気はしない。うん、それもいいかもしれない。ネアキがこくこく頭を振って、その通りだといっている。
「えーと……どうしよう」
 精霊を二分するそれぞれの提案は、どちらもティアにとっては魅力的なものだった。
 さあ、どちらを手に取ろう?
 ティアは悩み悩んで――ようやく、震える指を伸ばした。