二人の過去~十年前~

 どれをつけても、怪しいことこの上もない。

 じーっと手にした帽子、スカーフ、そして仮面を見下ろしながらヒースはそう思った。
 このカレイラ王国の首都ローアンにおいて、十年に一度開催される武闘大会。その申し込みはすでに済ませた。
 あとは、本来ならば世間に知られてはならない流派の使い手である自分の顔を、人前にさらさないようにする方法をどうするかだけである。
 安直に変装すればいいと考えて、勢いのままあちこちの露店を覗き、使えそうなものを準備したのはいいものの……さてどうしたものか。
 スカーフだと頭から被った場合、ほっかむりの状態になってあまりにも格好悪い。
 帽子が無難なような気もするが、試合の最中に落としてしまいそうだ。
 仮面だと、どこの仮面舞踏会からやってきたのだと、野次が飛んできそうである。普通に考えて、そういう人間をみたら自分でもそう思ってしまうだろう。
 だが、目元から額までを覆うタイプのそれが、顔をみられる可能性が一番低い。
 じっと手の中の仮面が見返してくる。白い艶やかな素材で作られているそれはなんとも鮮やかな装飾が施されている。よくよく見れば、犬あたりをモチーフとして作られたもののようだ。
 空ろに開いた両の目が、ヒースに自分を使えと訴えかけてくる。
 これをつけた自分を想像する。

 ……やはり、怪しい。

 まだ経験も足りぬ十代のヒースには、若さ特有の気恥ずかしさがある。
 己の力を試したいという無謀さ、まだ見たこともない強敵と戦うことへ期待、誰よりも自分が強いという自負はある。しかし、堂々と仮面をつけて闊歩する勇気はないのである。
 延々とヒースが悩み続けてどのくらいたっただろう。
 なんだかもう、考えるのも面倒になってきた。もういっそ素顔ででてやろうかと思いつつ、ぼんやりとローアンの街への橋の上をゆく人々を眺める。
 伝統の大会を一目見ようという観客たち、この大会で名を上げてあわよくば国に仕官しようという参加者たち、それら目当ての行商人などが賑やかに行き交っている。
 ヒースは、ぴくりと眉を動かした。
「……ん?」
 その波の中に、小さな女の子がいる。
 年の頃は、五つか六つといったところだろうか。
 ちょろちょろと歩き回り、自分よりもずっと背の高い大人たちに囲まれて、今にも踏み潰されそうだ。
 危ないな。
 そう思った瞬間。
 こてん、と少女はすっころんだ。
「!」
 だが、忙しそうな大人たちはそれに気づいていない。いや、気づいていても相手にしていられないのかもしれない。
「しかたないな……!」
 腰掛けていた橋の欄干から飛び降りて、手にしていた変装用品候補たちを荷物に乱暴に突っ込む。
 厳しい修行を積んだヒースは、人にぶつかることなく器用に隙間を縫って少女に近づいた。
 だが、手を伸ばそうとほんの少し屈んだヒースの目の前で、少女はゆっくりと起き上がった。
 真っ赤な顔をして、目に涙をためて。
 痛みに耐え、泣くことも堪えるその姿に、思わず感心する。
「おい、大丈夫か」
「……!」
 声をかけると、きょろり、と大きな瞳をめぐらせて少女はヒースを見上げた。ぱちぱち、と瞼が上下する。たまった涙が長いまつげに絡まって光をはじいた。
「おにいちゃん、だあれ?」
 ぐす、と鼻をすすりあげ少女は問いかけてくる。
「いや、あー……」
 力試しがしたくて、師匠の元を飛び出し黙ってここへ来たヒースは、できるかぎり名乗りたくない。どこで誰が聞いているかわかったものじゃない。大会用に使った偽名を名乗るべきか、それとも適当に流すべきか。だが、この少女の問いにはなぜか真摯に答えなければいけないような気がする。
 内心冷や汗を流し口元をひきつらせて悩むヒースを、じーっと無心に見上げていた少女はふいに視線をずらした。
 あまりにもまっすぐに見つめられて、多少居心地が悪かったヒースはほっとする。子供特有の澄んだ瞳は、綺麗すぎてちょっとだけ眩しかったのだ。
 と、安心したのもつかの間。
 少女が地面に降ろしていたヒースの荷物をみて、きらきらと目を輝かせはじめた。
「おにいちゃん! せいぎのみかたなんだね!」
「はぁ!?」
 いきなりの発言に、ヒースは思わず裏返った声をあげた。
 その様子に、なんだなんだと数人が足を止めて二人を遠巻きにみてくる。
「えほんでみたことあるよ!」
「いや、な、何をいって……」
 ちくちくと刺さる視線から顔を背けながら、ヒースがそう問いかけると。
「だってほら、かめんもってる!」
 そういって、ぱっと少女は手を伸ばす。あっと思う間もなく、少女はヒースの荷物からわずかに覗いていた仮面を引きずり出した。
「ね、そうなんだよね!」
 小さな己の手の上にある仮面と、高い位置にあるヒースの顔を交互に見比べる少女は、本気でそういっているらしい。
 可愛らしい期待が重い。
 事態を把握したのか、くすくすと零される周囲の笑い声が耳につく。面倒見のよい兄と妹、とでも思われているのかもしれない。
 違う! と、色々否定したくなるものの、痛みも転んだ衝撃もすっかりどこかに吹っ飛んでしまったらしいこの少女に、そう言うのは憚られた。
 もうどうにでもなれ、とヒースは半ばやけっぱちな気分で、頷いた。
「あ、ああ、そうだ」
 やっぱり! とさらに笑顔を花開かせる少女に若干の罪悪感を覚えながら、ヒースは少女の手から仮面をとりあげると、すっと顔半分を隠すようにそれをかざした。
「オレは正義の味方だよ」
「すごーい!」
 きゃっきゃっと無邪気に笑う少女に、ヒースは安心した。ぴーぴー泣かれるよりは、こっちのほうがいい。
「お嬢ちゃんが転んで怪我をしたのを黙ってみていられなかったんでな。おかあさんか、おとうさんは近くに、」
 いないのか、と尋ねようとしたら。
 どん、と少女は勢いよくヒースの足にしがみついてきた。そして、さらに期待に満ち満ちた目をしてヒースを見上げながら、小さな花びらのような口を開く。
「ねえ、おにいちゃんはどこからきたの?」
「あーいや、あのな、」
「わるい人やっつけにきたの?」
「オレの話を……」
「どこに『ひみつきち』があるの?」
「だから、」
「どうしてお空がとべるの?」
「……」
 この少女が読んだという絵本はどんなものなんだ。そして、自分は彼女の中でどんな人物に祭り上げられてしまったんだ。
 遠い目をしながらそんなことを思いつつ、ヒースはため息をついて少女を抱き上げた。いや、抱き上げたというより、わきの下に手を入れて持ち上げたというのが正しい。人形のような可愛らしい両手足をぷらぷらとさせながら、それでもやたらと楽しそうに少女は笑っている。
 だが、その膝には血が滲んでいる。痛々しい赤に、眉をひそめてヒースは呟いた。
「あー……とりあえず、手当てだな」
 そのまま少女を連れて、ヒースは人ごみからわずかに外れたところにある露店へと近づいた。実はここ、例の仮面を買った雑貨を取り扱っているところである。
 店主に断り、中身のはいっていない木箱の上に少女を座らせる。
 自分の荷物の中から水筒をとりだし、土の汚れと血を洗い流して傷薬を塗り、布を巻いてやる。修行の最中にはこれくらいの傷は日常茶飯事だったのだから、慣れたものだ。
「こんなものか」
 痛いだろうに、じっと静かにそれを見ていた少女にヒースは笑いかけた。
「えらいな」
「えらい?」
「ああ、痛いのを我慢してたんだろ? えらいえらい」
 くしゃくしゃと髪を撫でてやると、嬉しそうに頬を赤くして、少女は笑った。ヒースにすっかり慣れたらしい。
 人懐っこい子だな、と思っていると。治療するために横においていた仮面を、少女は再び手に取った。
 ずいぶん大きいそれを自分の顔にあてて、拳を振り上げて言う。
「あいとゆうきの名のもとにー! このよのあくを、せいばいだっ! せいぎのみかた、うるふ仮面のこぶしをうけるがいいー! だよね? あってるよね?」
「……あー……」
 いきなり決め台詞らしきものを叫んだ少女に、ヒースが反応できずに困っていると。
「おや、お嬢ちゃん帝国からきたのかい?」
 聞いていたらしい店主が、相好を崩した。
「知ってるのか?」
「帝国の子供たちの間で流行ってる絵本のことだろ? 今のはね、その主人公の有名な台詞なのさ。さっきその仮面を買っていったから、あんたも知ってるんだとばかり思ってたんだがね」
 ヒースは知らなかったが、どうやら購入した仮面はその絵本をもとにして作られたものらしい。狼の化身が正義の心をもってして、日夜悪と戦い弱きを助ける ――という勧善懲悪なお話だと、ごく簡単な説明を店主から受けたヒースは納得した。それならば少女の言動の意味もわかる。
「なるほど……」
 だが、ここ数年間、帝国を離れて修行に励んでいたヒースが、流行など知っているわけない。そんなヒースの服が、ちょいちょいとひっぱられた。「ん?」と視線を下に向ける。
「おにいちゃん、岩を手でわれるんだよね!」
「ああ、できるぞ」
 修行してそのとおりのことができるので、先ほどまでとは違ってヒースは素直に頷いた。きゃー、と少女が歓声をあげる。
 が、そのやりとりに店主が噴出した。
「あんた、ずいぶん面倒見がいいんだねぇ」
 その台詞に、ヒースが少女の夢を壊さぬように付き合ってやっていると勘違いしているのがわかった。
 しかし、岩を砕けるのは本当のことなのだが、いちいち訂正するのも面倒だ。ヒースは、曖昧に笑った。
「でも、おにいちゃんこれつけなくてもいいの?」
「あー、今日はな、休みなんだ」
 木箱の上で足をぱたぱたと動かしながら、少女は小さく首を傾げてヒースをみている。絵本の中のセイギノミカタには申し訳ないが、適当に話をあわせることにする。
「お休み?」
「そうそう、お嬢ちゃんだっていっぱい遊んだあとはお家でご飯食べたり、お風呂はいったり、眠ったりするだろう? それと一緒でな、オレは悪と戦ったあとは仮面をはずしてゆっくりと疲れをとるんだ」
「そっかぁー」
 少女は疑うことなく、ヒースの言葉に素直に感心している。
 これはおもしろい。
 ヒースの中に、むくむくと悪戯心が湧き上がってくる。正義の味方の言葉ならすべて真に受けるその様子に、あれこれといらんことを教えてみたい気がしてくる。だが、そういうわけにもいかない。
 そろそろ親を探さねば。心配しているに違いない。
「さて、お嬢ちゃんのお父さんとお母さんはどこにいるのかな?」
「んとね、おうちみてるよ」
「おうち?」
「えっと、おうちかえるんだって。ここにくるんだって」
「引越しか?」
「たぶんそうじゃないかねえ。帝国は軍事国家でなにかと物騒ではあるしね」
 店主の言葉に、ふむ、とヒースは顎に手を当て思案する。この様子なら、親の居場所はわかっているように思えた。ならば、案内させて親元まで連れて行けばいいだろう。
「よし、じゃあオレをそこまで連れっていってくれるか?」
「おとうさんとおかあさんのところ?」
「そうそう」
 にっこりと笑って少女の言葉に頷くと、それに負けぬくらいの笑顔で少女は言った。
「わかんない!」
 口元を引きつらせたヒースは、思わず店主と顔を見合わせる。
「迷子、ってことか?」
「迷子、じゃないですかねぇ?」
 ぽそぽそと小声でやりとりする。これはもしかして、とんでもない事態なのではないだろうか。この広いローアンでどうやってこの子の親を探せばいいのか。
「まいごじゃないよ、おにいちゃんがいるもん」
 しかも、この台詞である。
 つい先ほどまで見ず知らずだった少年に全幅の信頼を寄せる少女が、いろんな意味で心配になってきたヒースはため息をついた。こんな純真さじゃ、将来騙されそうである。
「まあ、この子の足じゃそう遠いところからこれるわけないし。しばらくここで待ってみたらどうだい? はぐれたらその場から動かないほうがいいこともあるからねぇ」
「助かる」
 途方にくれかけたところの助け舟にヒースは心底感謝した。商売の邪魔にならないように少女をすこし移動させる。
 その後、店主への礼も兼ねて色とりどりのキャンディが詰まった小さな瓶を買い、少女の手のひらに乗せた。それは、木の葉のような両手に丁度おさまる。
「?」
「迷子になっても泣いてなかったし、転んでも泣かなかったしな。ご褒美だ」
 ヒースの言葉に、わーい、と手をあげてよろこんだ少女は、蓋を開けてさっそく赤いキャンディを口に放り込む。もごもごと口を動かし、少女はヒースを見上げる。
「ねえねえ、せいぎのみかたになるには、どうすればいいの?」
 少女の中で、ヒース=正義の味方のウルフ仮面というのは決定事項らしい。
「そうだなー……」
 どう答えたら子供の夢を壊さないのか悩みつつ、ヒースは言葉を選んで口を開いた。

 その後、半時ほど少女と正義の味方の会話が続けられたころ。

「――ア! どこ――? ティ…―――!」
 雑踏から途切れ途切れに聞こえてきた声に、少女は顔を輝かせた。
「あ、おかあさんだ!」
 そういって、木箱の上に立つと手を振る。
 それに気付いたらしい母親が、同じように手を振って駆けてくる。
 僅かに息を乱して駆け寄ってきた母親をみて、ヒースは思った。
 どうやら、少女は母親似らしい。髪も瞳も、面立ちもとてもよく似ている。きっと、少女が年頃になったらこんな風になるだろうと想像させる美しい人は、長い栗色の髪をなびかせながら少女を抱きしめた。
「もう! どうして勝手にいなくなったの? 心配したのよ!」
「おかあさん、あのね、このおにいちゃんね、えほんで見たせいぎのみかたなんだよ!」
 心配ゆえに厳しくなったのだろう口調もなんのその、頬を薔薇色に染めて興奮気味に少女が訴えると、ようやくヒースの存在に気付いたらしい母親が視線をこちらに向けた。
「ころんだけど、おてあてだってしてくれたんだよ」
「まあ……すみません、うちの子が随分とご迷惑かけてしまったようで……」
 なんとなくすべてを察したらしく、少女の膝や手にしたキャンディの瓶と、ヒースをせわしなく見やりながら母親は慌てて頭をさげてくる。
「えーっと、まあ、なりゆきというか、なんというか。気にしないでください」
 それを制しながらヒースは小さく笑う。そして、少女の頭を優しく撫でてやる。
「さて、お母さんもきたことだし、もう大丈夫だな?」
「うん。ありがとうおにいちゃん!」
 きらきらと出会ったときのように、輝く笑顔をみせる少女にひとつ頷く。
「やっぱりおにいちゃんがいたから、だいじょうぶだったね!」
「……ははは」
 それはオレのせいじゃないぞ、と言いたかったが、もう会うこともないだろう少女に対し、最後にそんなことはいえるわけもなく。ヒースは眉を下げて笑うしかなかった。
「本当に、ありがとうございました。さ、いきましょう。お父さんも待ってるわ」
「はーい」
 すっと差し出されたその手に、ヒースは面食らった。が、にこにこと見上げられて観念する。
 きゅ、と細い手首を握り、ふわりと浮かせるように木箱から少女を降ろしてやる。
 その浮遊感にきゃらきゃらと笑いながら少女が言う。
「がんばってね、おにいちゃん!」
 向けられたとびっきりの笑顔と言葉が、ヒースの心に焼け付いた。
 それは、試合にでるヒースの健闘を祈る言葉ではないのだろうが、純粋な想いを真正面から向けられて、なんだかくすぐったい。
 そして大地に降り立った少女から差し出された仮面を、ゆっくりと受け取る。
「――ああ、ありがとう」
 そうヒースが答えると、少女は大きく頷いて母親の足元に寄り添った。
 そして母親と手を繋ぎ、ひらひらと手を振りながら去っていく。
 また転んだりしなければいいんだがな。
 そう思いながら、ヒースは少女とその母親を見送る。幾度も振り返り頭をさげる母と子供の後姿が完全に見えなくなった頃。店主がぽん、とヒースの肩を叩いた。
「おつかれさん」
「いや、ありがとう。助かった」
「いやいや、俺は場所を貸しただけだしね。あんた、大会にでるんだろう? 正義の味方に対して言ったんだろうけどさ、あんなかわいい応援もらっちまったからには、がんばらないといけないね」
「ああ、負けないさ」
 そんな言葉を交わして、世話になった店主に改めて礼を言ったヒースは、ローアンの街へと歩き出す。
 もともと負けるつもりなど微塵もなかったが、あんな風に言われたらはりきらざるをえないだろう。
 くつくつと笑い、ヒースは顔をあげる。
 空は高く青く、それを貫くようなフランネル城の塔が、輝く太陽をうけて煌いている。それにかぶせるようにして、仮面をかざす。
 迷子の世話はいろいろと大変だったが、明日の試合前にいい気合がはいった。
 少女が自分に重ねた正義の味方として、試合にでるのも悪くないかもしれない。そんな風に、思えるほどに。
「さて、いくとするか!」
 仮面を手に、ヒースは下見でもしようと会場を目指した。

 

 これより十年の後。
 彼が師となり、少女は弟子となるのだが、今はまだそんな未来を誰も知る由はなく。
 小さな音を立てながら、運命の歯車は静かに回っていくのであった。