14.白龍顕現

 爆発するように、光が唐突に溢れた。
「なに……?」
 大神は幾分か驚いたように、千尋に向けていた剣を降ろした。がくり、と千尋が膝をつく。力なく崩れ落ちた千尋の顔は青ざめ、呼吸は激しく乱れている
 それを見やることなく大神は両の瞳を細める。朽ちた身を蝕む蛆が、零れ落ちる。爛れた死肉が晒される。
 だが、そんなことよりもなお、目の前で起きる奇跡を確かめるほうが重要だった。
 黄金の光とともに死者の棺が砕かれる。そんなことは今までなかった。
 それをやってのけたのは、目の前にいるただの死人に過ぎないはずの男。だが今は、その身に零れ落ちるほどの生気を帯び、苛烈にこちらを睨み付けている。
 その力は、儀式で得たものだけではない。現世より男に降ろされるものも含まれている。それは、人の想いを核とした、獣の姿をした神々のものだとすぐに知れた。
 しかし、玄武をはじめとした四神は力ある神ではあるが、黄泉に干渉するほどではない。もっと、上位に位置するものでなければ、この根の国にその力を及ぼすことはできない。
 ならばどの神が――? 思い当たる節はあれども、そこまでするとは思えない。
 そう思案する大神に怯むことなく、厳しい視線を向け続ける忍人が右手をかざす。いつのまにか、左の手には千尋とここまでともにあった生太刀が握られていた。
「生太刀よ、主たる我が元へ――」
 死者にあり得ぬ澄んだ目に、決意を宿して忍人が呼ぶ。
 その声にこたえるように、澄んだ音が幾重にも広がる波紋のごとく、共鳴して空間を満たす。
「こい」
 光の粒が、黄泉の地へと降り注ぐ。
 主の手の中、呼びかけに応えて光は再びひとつとなり一振りの太刀となる。その刀身が金色の光を撒く。
 忍人が、力強く柄を手にした瞬間――両手に揃いし生太刀が、歓喜したように一際大きく鳴いた。
 ほう、と大神は吐息とも感嘆ともとれる声をもらした。
 まだ少し、注ぐ命も魂も足りなかったはずだが、それをこの男は覆した。もはや、彼は死人ではない。生太刀の力か、はたまたその身に注がれる神気のせいか――否、それらの向こうに隠れて落とされ続ける複数の人の力の賜物か。
「おし、ひと……さん……」
 浅く激しい呼吸を繰り返し、咳き込む千尋を背に庇い、忍人は生太刀を構える。
 生命をもたらす神器に選ばれた男。ほんの数瞬前まで死人であったとは思えぬほどの輝きを放ち立つ姿は、まさに威風堂々。
「これ以上の儀式はやめてもらおう。千尋を死なせるわけにはいかん」
 その言葉に。ゆるり、と大神はその口の端を持ち上げた。眩く闇を照らし出し、すべてを暴こうとする光に、黄泉の住人たちは小さく悲鳴をあげて逃げ出していく。それを手助けするように闇を寄せつつ、大神は光を通さぬ闇を一枚の布のように変じさせ、その身を覆った。
「だが、それはこの娘の願いだった。おぬしを黄泉還らせるための、な」
「わかっている。だが、彼女を守り抜くと誓った以上、俺はその誓いを破るわけにいかん」
 今にも斬りかからんとする忍人の耳に、地に手をつき息を整える千尋の耳に、鈴に似た音が聞こえた。
「やはり――おぬしか。いかなる理由でこの地に参った」
 警戒し、二人が振り仰ぐよりはやく、黄泉津大神が視線を流して問いかける。
「答えよ、龍の神よ」
 神を恐れる本能を押さえ込み、忍人と千尋は顔を上げる。その先、闇の中に白い太陽があった。それは、千尋をここまで導いたもの。
 それはゆっくりと解け、眩く輝く白き龍の姿をなしていく。
「っ……! 龍神?!」
 驚く忍人とは対照的に、大神はゆったりと龍へと向き直る。

 ――すべては、我が神子の願いを叶えるため

「ほう――世界と伝承を繰り返させ、高みより人を見定めようとするおぬしがのう」
 大神の言葉に、ぴくりと千尋が反応する。ぐるぐると酸欠になったような脳内で、「また」と考え泣き続けた自分のことを思い出す。
「世界と、伝承……繰り返すとは、どういう……」
「千尋!」
 問いかけながら、よろよろ立ち上がった千尋を忍人が抱きとめる。
 たくさんの気持ちがない混ぜになり、泣きそうに顔を歪めた千尋へ、忍人はしっかりと頷いた。それに小さく笑って返し、忍人の腕にかけた指先に力をこめて、千尋は凛と龍神を見上げた。
 だが、それに応えたのは龍神ではなかった。
「やはり知らぬのか。哀れなものよな」
 くつくつとどこか楽しげな大神に、戸惑う。
「どういう、意味、ですか」
「世界はその神の手によって、永劫回帰の中にあるということだ。人は知らず、同じ結末を辿る世界を巡っている。その先に未来などない。この地で眠る魂も、また世界が始まるときにかの地へと戻っていくように、盟約のもとで我が管理しておる」
「そんな! じゃあ、私たちのしてきたことは……!」
「すべて定められたことを、ただなぞっているだけに等しいということだ。今回のことも終には既定に従うもの、と思うておったのだが」
 黄泉の支配主は、淡々とそういった。それはつまり、忍人の死は絶対のものであり、その黄泉還りは成らないということか。もしくは、成ったとしてもまたすぐに別れが訪れるということか。
「……そんなことを、龍神はどれだけしてきたというの……?」
 震える千尋の声に対し、重々しい声が降ってくる。その音は魂に恐れを覚えさせる。

 ――長い、永い時だ

 初めて知った事実に、千尋は身を震わせた。
「っ、なぜそんなことを? 懸命に生きるものたちの未来を摘み取るようなことを、どうしてするのですか!」
 目の前が、暗くなっていく錯覚を抑えながら、千尋は訴える。
 それを見下ろしながら、龍の神は穏やかに目を瞬かせた。

 ――神子よ
  汝一人がどのように尽力しても、国はやがて乱れ、また争いが起こる
  汝は、人の世の贄にされる
  幾度も伝承を繰り返してもそれは変わらぬ

 哀れな愛し子に言い聞かせるような、優しい声。憂える心が伝わってきて、千尋は息を詰まらせた。

 ――神子よ、人は汝を忘れゆく
  踏みにじって生きていく
  その美しい志も、尊い願いも、なにもかも食らいつくして生きてゆく

 ゆるり、と純白の長い身をくゆらせて、龍神が千尋を覗き込む。

 ――未来を与えたところで、次に人は世界を食らい自らを滅ぼすのだろう

 それが、繰り替えした世界の中で、龍神が見出した人の本性。

 ――人は世界にあるべきではない
  ゆえに、すべてを無に帰すがふさわしいと我は判じる

「そんなことはありません」
 深く呼吸を繰り返した千尋は、気迫をもって龍神の言葉を否定した。
 確かに、人は愚かでやがては龍神のいうとおり、争い滅びの道を歩むかもしれない。
 だけれど、さだまらぬ未来を嘆き悲しみ、すべてを無に帰すなんてそんなことはだめだ。そうしたならば、すべて失われる。たくさんの人々の笑顔、希望、喜びも、なにもかもすべて消えてしまう。
「人は決して諦めない。平和を望む心がある限り、たとえ私が死んだとしても誰かが必ず成し遂げる。人はそうして伝えてゆく、託してゆく。私はその果てを信じています!」
 千尋は懸命に訴える。自分が見てきたもの、感じてきたもの、それは決して間違いなどではないのだから。
「世界を滅ぼすなんて、そんなこと……! 絶対にだめ!」
 気力を振り絞ってそう叫ぶ千尋に、龍神は静かに問いかける。

 ――ならば、それをいかに証明する

 千尋は凛とした眼差しで揺らぐことなく龍神を見返した。
「我が心が真のものであるか問うならば――神よ」
 忍人が抱く腕に力をこめる。それを感じながら、千尋は言う。
「私に誓約の機会を、与えたまえ」

 ――よかろう

 その言葉をかみ締めて、千尋は忍人をみる。忍人が、千尋をみる。
 もう二度と会うことはないと嘆いた心を振り切って、二人は視線を絡ませ頷きあう。

 今、世界の命運は、黄泉の底にて決しようとしていた。