それは誰が為

 少し前のこと。
 出会ってから数ヶ月がたち、すっかり仲良くなったキリクに誘われ、村内にある木の下でデートをしていたとき。
 ふと、キリクが言ったのだ。

 ――この前、リコリスがチャイナドレスを着て、ナナの家から飛び出して行ったぞ

 ――すげえ色っぽかったから誰かわからなかったよ

 と。
 そのときの、思い出しつつ語るキリクの、いいものをみたといわんばかりの嬉しそうな顔が、脳裏にこびりついて離れず。胸にはいつまでたっても消えない、もやもやとした気持ちが宿り。ずっとサトを悩ませていた。
 だから。

 思いきって頼んでみました、チャイナドレス。

「……」
 ひき、とサトは顔を引き攣らせた。
 勢いのまま、ナナに泣きつき用意してもらった服は、身体の線がそのまま出るぴったりとした形。日頃から農作業に勤しんでいるので、お腹が出てたりはしないけど、胸の質量とかは不満だし、腕や足は決して細いわけじゃない。
「う、うわあ……リコリス、よく着られたなぁ……」
 姿見はないけれど、なんとなくチャイナドレス姿の自分を想像して、サトは赤くなったり青くなったりを繰り返す。いつもズボン姿なので、足元が心もとない。落ち着かなくてそわそわしてしまう。
「どう? 着られたかしら?」
「あ! う、うん!」
 控え目にかけられた声に、サトは応えた。
 す、と音もなく開かれる襖。その向こうには、艶やかな黒髪をもつ美しい女性が一人。
「まあ!」
 サトを見た瞬間、輝く瞳。ぽんと可愛らしく胸元で重ねられる手。
「う、うう……どう? ナナ」
「リコリスも素敵だったけれど、サトもすごくよく似合ってるわ」
 にこにこと、チャイナドレス製作者であるナナが笑う。
「そう、かな……?」
 足に沿うようにしてはいっているスリットが心もとなくて、妙な動きをしてしまいながらサトは不安げにもう一度聞いてみる。
「ええ、ええ。これだけ着こなしてもらえるなら、作ったかいがあったわ!」
 村随一の裁縫の腕を誇るナナにとっては、とても満足いくものらしい。
 ひどく嬉しそうにしているナナに「恥ずかしい」とは言い難く。
「と、とにかくありがとう」
「いいえ、気にしないで。さ、あとは髪ね」
 にこにこと優しく、でも強引に鏡台の前に座らされたサトの髪を、ナナが器用に結い上げていく。
 ナナって何でもできるんだなぁと羨ましく思いつつ、サトはその心地よさに目を細めた。  これが終わったら。
 いよいよ本番である。

 

 重ね重ね礼を言い、ナナとゴンベの家を後にすると、あたりはすっかり宵闇に満たされていた。
「うう……」
 ぴゅう、と吹いた風に弄ばれる服の裾をひたすら気にしながら、サトはいつもの服が入った風呂敷包みを抱きしめ、恐る恐る歩いていく。
 襟足もなんだか心もとない。すかすかする。とはいえ、頭の左右で綺麗にお団子状にまとめられたものを、ほどくわけにはいかない。
 役場の前を、誰かに会いやしないかとびくつきながら歩き、なんとかアヤメの医院がみえるところまでやってきたものの。
「ああああ、もおおおお……」
 そこから先にすすむ勇気が、あっけなく底をついた。がっくりと膝をついて倒れこむことくらいならできそうだ。いや、せっかく作ってもらったものを汚すのは、ナナに悪いのでしないけれども。
「やっぱり無理……!」
 もどって、ナナに部屋を貸してもらってそれで着替えよう。いつもの格好で帰ろう。
 このままじゃ、会うどころかキリクの家の前すら通れない。会うことを考えたら、頭が爆発しそうになる。
 大体、リコリスと同じ格好をしたからといって、キリクが喜んでくれるとは限らない。ナナは、ああいってくれたけど、キリクからみて似合ってなかったら、笑われるだろう。笑われなくても、きょとんとした顔で「どうしたんだ? そんな格好して」とか、言われる。
 どうしてそのことに気付かなかったのか。
 ただ、「似合っている」「色っぽい」といわせたい一心で、現実がちょっとみえていなかった。
 やっぱり、やめよう。そうしよう。
 そう結論付けて、行こうとしていた道にサトが背を向けたとき。
「――サト?」
「ひっ?!」
 ぽつん、と夕暮れの合間に落とされた自分の名前に、びくっとサトは背中から肩までを大きく震わせた。
 馬の早駆けに似た音をたてる心臓を抑えつつ、おそるおそる振り返る。
「キ、キリクさん……」
 この格好で会いに行こうとしていた男が、そこにいた。
「あ、やっぱりサトか」
 ソナのところで食事をした帰りなのか、西から姿を現した背の高い男に、サトは頬を引き攣らせた。
 なんでここにいるのー!
 違う違う。予定では、ここじゃなくて、キリクはキリクの家の竹馬の友にいるはずで、そこにいくはずで、そこで会って、と、とにかく……! あああああ~……。
 大混乱をきたし、全く動けぬサトに、キリクが近寄ってくる。
「へえ……」
 じろじろと無遠慮に上から下から眺められ、サトはぎゅうっと荷物を抱きしめながら、後ずさった。
「ちょ……、あんまりみないで……!」
「どうしてだ?」
 じりじりと下がれば下がった分だけ、不思議そうな顔をしたキリクが追いかけてくる。
 もう既に、サトの顔は熱く火照っている。きっと真っ赤だろう。今が薄暗い時間帯でよかった。でも、できるなら見られたくなくて、荷物に顔を押し付ける。
「に、似合ってないから……!」
 悲鳴のように上擦った声で訴える。
 ああ、もう! こんなはずじゃなかったのに!
「今、ナナのところで着替えようと思ってたところで、あのっ」
 しどろもどろに、言葉を重ねる。
「なんで? もったいないだろ」
 と、いつのまに距離を詰められたのか。キリクの声が間近に聞こえて、サトが顔をあげた瞬間。空が、近くなった。
「へ?」
 ふわ、と身体が浮き上がる、妙な感覚。そして、ぐるりと視界が半回転した。
「きゃああああっ!」
 地面が、ぐんと近づく。強張らせた体の、お腹あたりにごつごつとしたものが当る。
「おい、そんな悲痛な声あげなくてもいいだろ」
 軽々とサトを米俵のように担ぎ上げたキリクが、爽やかな笑い声をあげる。
「やだっ! おろしてー!」
 じたばたと足を動かし、手のひらでキリクの背をはたくものの。
「暴れると足が丸見えになりそうだけどいいのか」
「っ?!」
「オレはそれでもいいけどな」
「うう~……」
 そんな言葉に、ぴたっとサトは動きを止めた。ぎゅっと足に力を入れる。
 サトがおとなしくなったことを確認して、キリクが歩き出す。
 ゆらゆらと波のような緩やかな動きに、サトは身を任せるしかない。
 これで知人にでも出くわしたら、赤面して溶け出さないといけないだろう。恥ずかしすぎる。
 だが、いつまでもそんな状態は続かなかった。キリクの長い足なら、竹馬の友まであっという間だからだ。
 見慣れた店の扉が開く音は、サトの耳に馴染んでいる。どれだけここにきているか、それでわかろうというものだ。
 薄暗い店内の真ん中あたりで、ひょいとサトは下ろされた。つま先が踏みしめる固い床の感触に、どことなくほっとする。
「なんつーか、びっくりしたよ」
 店内の明かりとをもしながら言うキリクに、サトは唇をほんの少し尖らせた。
「こっちの台詞だよそれ……」
「悪い悪い。いや、なんかほうっといたらサトが兎みたいに逃げ出しそうな気がしちまって」
「……」
 図星。
 黙りこくったサトに、キリクが近づいてくる。
「それにしても……うん……」
 上から下までじっくりとまた視線を這わせられて、サトは横を向いた。
 たまらなく恥ずかしい。泣きそう。
「あんまりにも似合わないから、だから、びっくりしたの……?」
 ちらちらと視線を送りつつ、恐る恐る、「びっくりした」という意味を尋ねる。
「まさか」
 ふる、と左右に顔が振られると、くくられた髪がさらりと揺れる。
「最初は、誰だろうって確かに思った。でも、それは似合ってたからだぜ? それがサトだってわかって、よけいにびっくりしちまって」
「そ、そうなの……?」
 ああ、とひとつ頷いたキリクが、「あ」と声をあげ、次いで楽しそうに笑う。
「ナナに作ってもらったんだろ? もし今度服を作ってもらうなら、もっと色っぽいのでもいいかもなー」
「い、いろっぽ……?!」
 これ以上の色っぽさってどんなの?!
 つい、あれこれ想像してしまう。なにいってるの、と言いかけたサトを黙らせるように、キリクが照れたように笑う。
「まあ、オレが単純にみたいだけなんだけどな!」
「っ、」
 それはつまり、その、自分のそういう姿をみてみたいといってくれているわけで。
 かー、とサトは首まで赤くなっていくのを自覚した。それを、にこにこと眺めていたキリクが、首を少しだけ傾ける。
「で?」
「え?」
 言っている意味がわからなくて、同じようにサトも首を傾ける。言葉が足りないと気付いたのか、キリクが口を開く。
「なんのためにそんな格好したんだ?」
「……っ!」
 びく、とサトは震えた。
「そ、それは、その……」
 もじもじと指先を重ね、すり合わせる。
「ええっと……だから……」
 ん? と何も知らない、何もわからないような顔をして続きを促すキリクに、サトの中の戸惑いや迷いが吹き飛ぶ。
「だって! キリクさんがっ」
 ままよ、と半ばやけっぱちな気持ちで叫ぶ。
「リコリス、のこと、色っぽかったって、いう、から……! だからっ」
 サトの前で、そのことを思い出して笑うから。
 キリクに恋する女の前で、そんな無神経なこというから。
 だから、頑張った。
「ああ! そういえば、そんなこと言ったっけ。すっかり忘れてた」
「……」
 しかし、当の本人はこんなものである。自分ばっかり空回りしているようで、サトはなんだかむなしくなってきた。
 かくん、と項垂れたところで、
「そっか。ありがとな、つまりはオレのために着てくれたんだよな」
 ぼふ、とサトは顔を赤らめた。頭の天辺から蒸気を噴出したような心地である。
「え、そ、そういうわけじゃ……!」
「違うのか?」
 あれ? とキリクが頭を掻きながら目を瞬かせる。
 否定するのは簡単だ。でもそうしたら、自分の努力とかキリクが言ってくれた言葉とかも、全部否定することになる。
 それは、いやだった。
「違わない……」
 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそう言った瞬間、ほっと空気を和らげるキリクがなんだか子どもみたいで可愛いかった。
 くやしいくやしい。
 ほんとは、もっと、驚かせてやりたかったのに! それで、それで……!
 内心、ぎりぎりと歯噛みしていると。
「サトさ、」
 ほろ、と甘い声が互いの間に落ちた。その響きがあんまりにも心地よいから、ぽかんとした顔で、サトはキリクを見上げた。
 西の端に沈んだ太陽よりも明るく笑う笑顔が、そこにある。
「すごく綺麗だぜ。ほんと、よく似合ってる」
 改めてそう言われたサトは息を飲み込み、唇を閉ざした。
 ずるいずるい。
 欲しい言葉を、そんな簡単にぽんぽんと寄越すなんて。
「あり……がと……」
 嬉しいのか恥ずかしいのか。ただ、心地よい恋の波にもまれながら、唇をわななかせたサトは、ようやくそれだけを搾り出した。
 うんうん、と満足そうにキリクが頷く。
「あ、そうだ!」
 急に何か思いついたらしく、キリクがある一点を指さす。
「なあ、サト、そこ立ってみてくれよ」
 そこには棚の高いところなどを利用する際に使っているのだろう踏み台がひとつ。
 それほど高さはなく、天板もわりと広い。
「え? こ、こう?」
 言われたとおり、サトはその上に昇った。キリクより視線がやや上になる。
 立たせた後、やや離れた距離を保ちつつ、ぐるりとその周囲を回ったキリクが、頬を緩ませる。
「やっぱり、いいな!」
 素直な飾らない賛辞に、サトの頬もまた緩む。
「え、えへへ」
 好いた男に、頑張った姿を褒められれば、悪い気はしない。
 だが幸せに浸るサトに、す、と伸びる魔の手がひとつ。
「なんていってもさ、このスリットがいいんだよなー」
 にこにこと、そんな不穏なことをいうべきではない爽やかな笑顔とともに、ぴら、と服の裾が摘み上げられる。晒されたサトの足を、部屋の空気とキリクの視線が撫でた。
 自分の晒された足と。
 晒したキリクの手と。
 それを交互に見遣ったサトの中で、何かが弾ける。
 一拍の後。
「きゃあああっ!?!!」
 ぱしーん。
「ぶっ!?!!」
 恥ずかしさの針が振り切れたサトの平手が、炸裂した。
 だが、あんなことをされた女が、そんなことをしてきた男を叩いたところで、責められる人間など誰も居ないだろう。
「キリクさんのばかー!」
 サトは半泣きになって、竹馬の友を飛び出した。

 もうチャイナドレスは絶対着ない!

 そう、心に誓って。

 

 翌日、朝から必死になって謝りつつ、サトの機嫌をとろうとしているキリクの姿を、近所の郵便配達の青年がみかけたが、いつもの痴話喧嘩としてまったくもって気に留めることもなかったという。