ずるい男

 ひらり、ひらり、淡い色の花びらが舞う。
 冬が終わり、陽射しはあたたかく、風は心地よく。凍てつく寒さは、季節の向こうに過ぎ去って、また会うときまでとしばしの別れを告げた、とある春の日。
 今日は、誰もが楽しみにしている、村をあげての花見の日だ。
 サトは、村民たちが持ち寄った料理がならべられた宴会場の隅っこで、せっせと箸を動かしていた。
「キリクさん、キリクさん! ソナさんのこのお漬物、すごく美味しいよ!」
 先ほど食べておいしかったものを小皿に取り分け、サトはキリクに差し出した。
「お、そうか? それはまだ食べてなかったな。ありがとな」
 隣に座っているキリクが、手を伸ばして小皿を受け取る。にか、とした笑顔に同じようにサトは笑い返す。
 好きな人といっしょに花見を楽しめるなんて、自分はなんて幸運なんだろう。うきうきとしながら、ほかの料理に視線を送る。
「あ、これもね、きっと美味しいよ」
 そういって、次はこれというようにサトはチヒロが作ったという胡麻和えに取り箸をのばした。料理仲間のチヒロの作ったものに、まず間違いはないのだから。
 次から次へと食べさせようとしてくるその様子に、キリクがさらに笑う。
「サト、おまえオレを太らせる気なんだろ?」
 心底楽しそうにそういわれ、サトはぎょっと目を見開いた。
「ち、ちがうよ!」
 ぱたぱたと慌てて手を振りつつ、否定する。そんなつもり、まったくない。というか、多少食べ過ぎたところで、キリクならなんなく消化してしまいそうだ。
「そうか? 昨日だって作りすぎたからっていって、のりカレー持って来てくれただろ」
 ぱく、とソナの漬物を口に放り込みながら、キリクが昨晩のことを言ってくる。
「あれは、ついたくさん作っちゃって、残らせるのももったいないから、キリクさんにおすそ分けに行っただけで……」
「その前の日だって、隣村のハワードさんに習ったとかいうオムレツ、持ってきてくれたじゃないか」
「そ、それは……せっかく綺麗にできたから、誰かに食べてもらえたらいいなって……」
 いたたまれなくなってきて、サトはつい視線を落とす。
 本当は違う。どっちも、キリクに食べてもらいたくて作ったものだ。
 とはいえ、素直にキリクのために作ったなんて、なんだか恥ずかしくていえない。
「じゃあ、その前々日くらいに、キムチチゲを持ってきてくれたのは?」
「う、ぐ……」
 その前もその前も、と。三日と間をおかずに食事をもってきてくれることを指摘され、何もいえなくなったサトをみて、ほらな、とキリクが笑う。
「やっぱりオレのこと太らせる気だな?」
 にやにやとキリクが言うから、サトは必死に違うと首を振った。
「だって、キリクさんが……!」
「オレ?」
 オレのせいなのか? と、首を捻るキリクを、サトはちらちらと窺う。
「お、おいしいって言ってくれる、から……その……ええっと……」
 そうして人好きのするあの笑顔を、なんの含みもなく自分だけに向けてくれるから。その瞬間が、好きだから。キリクに恋するサトにとっては、それはこの上ない至福の時間なのだ。
 それが太らせるためだと思われていたのは、ちょっとショックである。
「そ、それにお料理してると、新しいレシピとか思いついたりして、楽しいし……」
 ごにょごにょと、まさに後付けのいい訳を、ちょっと付け足す。
 ふぅん、とキリクが酒を飲みつつ、一息つく。
「そっか。まあ、美味いもの食べられて、オレは幸せだけどな」
「!」
 ぱあ、自分でも顔が輝くのがわかった。幸せといってくれるなら、少なくとも迷惑ではないということだろう。きっと。たぶん。確かめる勇気はないけど。いい方向にとっておこう。
「ほ、ほんと?!」
「ああ、ほんと」
 にこ、とキリクが笑ってくれて、サトは胸を撫で下ろして微笑んだ。
 そんな二人を柔らかな影が覆う。
「やあ、二人とも楽しんでいるかい?」
「村長」
 影と声の主を見上げ、サトは小さく会釈した。キリクも同様に頭を下げている。
 隣に失礼するよ、と一声かけたイルサがサトの横に座り込む。さきほどまで別のところにいたと思ったが、村長として村人たちと交流をもっておかなければいけないため、こちらにも足を運んでくれたのだろう。
「なんの話をしていたんだい?」
 テーブルの上にいくつか置いてある予備の箸に手を伸ばしながら、イルサがキリクに問いかける。
「美味い飯で、サトがオレを太らせようとしてるって話を」
「だから、違うっていってるのにー!」
 うわーん、とサトが声をあげると、キリクがはじかれたように笑った。その様子をみたイルサもまた、ころころと笑う。
「どれ。では私も、評判のいいサトの料理のご相伴に預かろうか」
「あ、はい! これです。どうぞ」
 花見には各自一品ずつ持ち寄ればいいということになっているが、今日は筍ご飯や春巻き、煮付けなど、いくつか持ってきている。サトは、とり皿に自分が作ってきた料理を分けると、イルサへと差し出した。
「ああ、ありがとう」
 笑顔で受け取ったイルサが、春巻きを一口食べる。ぱりっと、ほどよく揚げられた皮のいい音が響いた。
「これはいいね。美味しいよ。さすが料理大会で優勝しているだけはある」
「やった!」
 感心したように頷くイルサに、サトは手を叩いて喜んだ。
 いやはや、とイルサが笑みを深くする。
「サトを嫁にもらえる男は幸せだな」
「やだ、村長ってば」
 ここ最近、そんなことをよく言われるようになった。確かに結婚してもおかしくはない年頃なのだから、仕方ないと半ばサトは諦めている。
 当たり障りのない答えを返していると、背後から伸びてきた細い腕にぎゅうと抱きしめられて、サトは体を強張らせた。
「きゃあっ?!」
「ほんと、そうよね~」
 サトの悲鳴もなんのその。どこか呂律の回ってない艶やかな声が、サトの耳元で響く。
「ねえ、ねえ、うちのチヒロくんなんてどう~?」
「ア、アヤメ先生っ?!」
 ぎゅうぎゅうとサトを抱きしめているのは、アヤメだった。顔が赤い。息が酒臭い。どうやら、すっかりできあがっているようだ。
「料理上手な夫婦か。悪くないんじゃないか?」
「村長ってば、人事だと思って!」
 けたけたと笑っているアヤメをなんとか引き剥がし、座らせる。もう背骨が抜けているとしか思えない状態のアヤメが、サトの肩をばんばんと叩く。
「いいじゃない~。サトちゃんだってチヒロくんのこと嫌いじゃないでしょ~?」
「そ、それはそうですけど……でも、そういうのは……ああもう!」
 もう、どうしよう。彼女たちの言葉は冗談だとわかっているけど、どう対処したらいいのかわからない。
 と。
「ひゃっ?!」
 ぐいっと、突然かけられた力に上半身が傾く。慌てて見れば、隣いたキリクの手が、がっしりとサトの腕を掴んでいる。どうやらこれに、力任せに引き寄せられたらしい。
「おまえ、チヒロのとこに嫁にいくのか?」
 そんなこと思ったことなかった、と。どこか呆けたような顔できいてくるキリクの手を、サトは真っ赤になって叩いた。あまりにも力がこめられていて、痛いのだ。
「キリクさんまでなにいってるの! チヒロくんにだって選ぶ権利ってものがあるんだからっ」
 緩んだ一瞬を見逃さず、キリクの手を振りほどいて、チヒロの気持ちも考えるべきと訴える。
 そもそも、こっちの気持ちも考えるべきだ。自分は、キリクが好きなのに。好きな男にそんなことをいわれて、サトはちょっと泣きたい気分に陥る。
「ははは、いやいやそんなことはないぞ。サトなら誰もが喜んで嫁にしてくれるさ。むしろ、うちに来てもらいたいくらいだ」
「もう、村長……」
 男前なことをいうイルサに、サトはもっと恥ずかしくなって深く俯いた。当分、顔があげられそうにない。
 その様子に、イルサとアヤメが楽しげに声を転がす。からかわれるのに慣れていないサトは、ただ黙って台風が過ぎるのを待とうと決める。
「……」
 それを、キリクが黙ってみていたとも知らずに。

 

 

「はー、楽しかったなぁ」
 快晴で、花は綺麗で、ご飯は美味しくて、会話は楽しくて。やはり花見はいいものだ。
 ふんふん、と鼻歌でも歌いたいくらいのいい気分で、花見の後片付けを最後まで手伝っていたサトは、役場からでて大きく伸びをした。
「よ、おつかれさん」
「?」
 ふいにかけられた言葉に、そちらへと視線を送る。そこには、夕焼けの名残を浴びながら、手を上げている長身の影がひとつ。
「キリクさん?」
 サトは、瞳を瞬かせながらその側に駆け寄った。大きな荷物を村の男の人たちと運んでくれたあと、てっきり帰ったものだと思っていたのに。
 見上げたキリクが、にこと笑う。人懐っこいその笑顔に、きゅ、と胸の奥が絞られる。
「一緒に帰ろうぜ。家まで送る」
「え? う、うん」
 急な申し出にわずかに驚くものの、それを断る理由はサトにはない。それにどちらも帰る方向は同じだ。おかしいことでもないだろう。
 もしかして、キリクは自分を待っていてくれたのだろうか。
 まさか、と都合のいい解釈を打ち消そうとしかけたところで、さっさとキリクが歩き出す。
 出遅れたサトは、そのあとを慌てて追いかけた。そうして、背の高いキリクと並んで歩く。いつもなら歩幅が違うせいで、並ぶのも一苦労するのに、今日は違う。
 ゆっくりとキリクが歩いてくれているからだ、とサトは気づいた。どうやら気遣われているらしい。
 そんなことに気付いたせいか、なんだが不思議な甘い気分に陥りそうになって、サトはちらりとキリクを盗み見る。少し冷たい風を浴び、長い髪を揺らしながら歩く凛々しい横顔に、心臓が跳ねていく。
 ずっとみていたい。でも、みていたら心臓が壊れてしまいそうだ。かといって、視線は外れてくれない。困ったものだ。ほんとうに、恋って困ったものだ。
 なんとか正面を向いたサトが、ほう、と片想いのせつなさに息をつく。
「なあ、サト」
「うわっ! はいっ!」
「なにそんなに驚いてるんだ?」
「いえ、なんでもアリマセン……」
 恋の真っ只中で少しぼんやりしていたせいで、上擦った声をあげてしまったサトに、からからとキリクが笑う。
「あのな、今日の料理も、ほんとうまかった」
「う、うん。ありがとう」
 褒められるのは嬉しい。ほんのりと頬を染めて、サトは頷く。頑張ったかいがあった。次もこんな機会があれば、腕をふるおう。
 で、とキリクが続ける。
「明日も、持ってきてくれるんだろ?」
 確認というか、当然のことをきいているような、そんな何気ない一言に、サトはキリクをもう一度みあげた。
 な? と、念押しするようなキリクに、唇を尖らせる。
「でも、私に太らされるって思っているんでしょ?」
 花見にいわれたことを、もう忘れているとでも思っているのか。
 んー、とキリクが口元に指先を当てて、遠い目をする。
「オレ、そんなこと言ったっけか?」
 わざとらしい!
「調子いいんだからっ」
 もう、とサトは目を眇めた。はあ、と肩を落として息をつく。
「……キリクさんて、ずるい」
 そんなこといわれたら、明日は何をもっていこうって、今から思ってしまう。
 今が旬の野菜を使ったらどうだろう? そういえば、キリクはあれが好きだからあれを作ろうかな? って、そんなことばっかり考えてしまう。キリクのことで、もっと頭の中がいっぱいになる。
「でもなあ、自分の料理ばっかりじゃ、やっぱり飽きるからな」
「っ、」
 しれっとしたキリクの発言に、サトは横をむいた。楽しみにしてくれているのかも、とか。頼られてちょっと嬉しかった気分が、その一言で台無しだ。
「いーっだ! 私、キリクさんの家政婦じゃないもん!」
 ぷりぷりと怒った風にそういった瞬間、手が温かなものに包まれた。少し骨ばっていて、ごつごつしているそれ。
 慌てて視線を落とすと、ごくごく当たり前のようにキリクの手がサトの手を握り締めていた。ぼっ、とサトは顔を勢いよく赤らめた。
「っ、キ、キリ……!」
 驚いて引っ込めようとする前に、キリクがサトに視線をあわせてきた。その真剣な眼差しに、ひくっとサトは喉の奥を震わせる。
「そんなことわかってる。だから、サトの料理が、食べたいんだ」
 だから、が、やけに強調されている気がするのは、気のせいか。それとも、目の前の男に恋する自分の願望か。都合のいいように、とってしまいそうになる。
 手の温もりは心地よく、見つめられていることは恥ずかしく。サトは何もいえなくなって、しおしおと頭を下げた。のろのろとした歩みの、自分のつま先を見つめながら、言う。
「……やっぱり……キリクさん、ずるい」
 繋いだ手に力をこめて、精一杯、そんな抗議をする。
 この人、自分の気持ちをわかっていて、こんなことをしているんじゃないだろうか。きっとそう。そうに違いない!
「ああ。オレはずるい」
 キリクが、言う。熱っぽい声で、言う。
「だから、いつも待ってる、サトのこと。――オレ以外の、誰のとこにもいくなよ」
 ほんとうにずるい。
 肝心なことはいってくれないくせに、欲しい言葉はくれないくせに。
 そんなことをさらりといってのけて、自分をその側に縛り付ける。留めようとする。
 でも、それでも、ずるいって思うのに、それ以上に嬉しく思うことを止められない。その感情に、言葉が押される。胸のうちから、自然と溢れる。
「……はい」
 そして、サトは頷いた。
 明日も、明後日も、ずっとずーっと。
 美味しい料理を、ずるい男のもとへ持っていくだろう日々を想って、胸震わせながら。

 

 ひらひらと舞う桜の花びらの向こう側に、明るく瞬く一番星。黄昏に満ちた春の日に交わされた、約束というにはあまりに力なく、かといって女と男を恋で結ぶには充分すぎる言葉は、二人が夫婦として結ばれる日まで、密やかに続くのであった。