このはな村とブルーベル村のトンネルが、再び開通した。
今までは山道をとおらなければならなかったが、このトンネルのおかげで随分と行き来しやすくなった。
隣村に工房をもつアイリンという職人がしたというが、その神がかった仕事ぶりには、誰もが驚いたものだ。
「ん?」
竹馬の友の定休日、さてたまには遠出してみるかと家を出たキリクは、トンネル入り口に立ち尽くす、見慣れた後姿をみつけた。
うろうろとしてみたり、じっとトンネルの入り口を睨みつけたり。なんとも妙な行動をとっている。
「サト? こんなとこで、なにやってんだ?」
「きゃあっ!」
背後から声をかけると、サトが可愛らしい声とともに飛び上がった。
過剰すぎるその反応に、キリクのほうも驚いてしまう。
「な、なんだよ? 声かけただけだろ?」
まるで自分が痴漢でもしたかのようではないか。
びっくりした表情を貼り付けたまま、サトがキリクを振り仰ぐ。
「あ、ご、ごめ……、ごめんなさい! キリクさんが悪いわけじゃなくて……!」
慌てて手を振り、愛想笑いを浮かべるサトの様子に、キリクは凛々しい眉をひそめた。どこか気分が沈んでいるように見えるのは、気のせいではないだろう。
「どうかしたのか? 困ってるなら力になるぜ?」
「あ……うん……」
さっ、とサトの表情が曇る。これは何か重大な問題や心配事でもあるのだろうと、とキリクは顔を引き締めた。
もじもじと、重ねた手の指を動かしながら俯いたサトが「あー」とか「うー」とか言っている。続きを根気よく待ち続けていると。
「こ、こわいの……」
「なにがだ?」
キリクは、わずかに顔を傾けた。端的にそういわれても、何に対して恐怖をいだいているのかがわからなければ、対処のしようがない。
ぐっ、とサトが息を飲んだのがわかる。それほどいいにくいことなのか、とも思った次の瞬間。
「ト、トンネルがね……怖くて……その……」
そう、か細い声がきこえた。俯いたサトが、身につけた巻きスカートをぎゅっとつかんだ。
「……」
ぼりぼりと、キリクは頭をかいた。なんといえばいいのか。
「えっと、暗いところが苦手とか、狭いところが苦手とか、そういう……?」
想定外の答えに、キリクはそんなことを再度尋ねてみる。
「ええっと暗いところはわりと平気。狭いところも全然平気。でも、その、暗がりにいる生き物っていうか……正直にいうとコウモリが……ちょっとだめなの」
「なるほどな」
キリクは小さく笑った。
そういえば、トンネル内にはコウモリが飛んでいることがある。
それにしても、野山を駆け回り、イノシシやクマにも平気な顔をするくせに、コウモリが苦手とは。
くつくつと喉の奥を鳴らすと、わずかに頬を膨らませたサトが、恨めしげにキリクを睨んだ。馬鹿にされたとでも思ったのかもしれないが、キリクにとっては可愛いらしいだけだ。
「だ、だっていつもコウモリがぶつかってくるから……! 痛いし、びっくりするし……!」
「あー、たまにあるよな、そういうの」
ブルーベルにいくときに、キリクもそういう目にあったことがある。しかし、いつも、というわけではない。サトは、よほどあたりがいいらしい。
「じゃあ、一緒にいくか? オレも、ブルーベルまでいってみるかと思っていたところだったんだ」
「ほ、ほんとっ?!」
ぱあ、とおもちゃやお菓子をもらった子供のように、サトが顔を輝かせた。その表情のあからさまな変化に噴出しそうになるが、機嫌をそこねてもらいたくはないキリクは、なんとか堪えた。
「よし、じゃあ、いこうぜ」
「うん!」
そういって、キリクが先頭にたってトンネルへと進めば、サトが親鳥の後を追う雛のように、ひょこひょことついてくる。
「しかしなあ、コウモリがだめとはな。動物ならなんでも好きなのかと思ってたぜ」
トンネル内のところどころに設置された照明の、青みを帯びた光を順番に追いかけながら、キリクは笑った。
「コウモリだけなら、そこまでじゃないんだけど……暗いところからいきなり飛び出したりされると……びっくりするんだもん」
「おばけかと思うってか?」
まさか、と思いながらからかうようにそういえば。
「っ?!!?!」
サトが声を引き攣らせて足を止めた。
え? と、驚きをもってキリクが振り返ると、サトが顔を強張らせていた。暗いからよくわからないが、肌が若干青褪めているように見える。
この反応は、キリクの問いかけが正しいことの証明だろう。でもまさか。夜にざわめく木々の梢さえ怖がるような子供でもあるまいし、と思っていると。
「わ、わ、わかってる! 子供っぽいって、わかってるけど……! 怖いものは怖いのっ」
恐怖を少しでも振り払うようなサトの様子に、キリクの中に、むくむくと悪戯心が湧きあがる。だめだと思いつつも、その誘惑に抗えない。
「ふーん、なあサト……知ってるか?」
心持ち声音を低くして、内緒話をするようにキリクは囁いた。
「な、なにを……?!」
哀れなくらいに、サトが肩を震わせる。その怯えた姿が、キリクをさらに調子付かせる。
「このトンネルな、大きな落盤が起きるよりも、ずっとずっと前に作られたらしいんだけどさ」
「……う、うん」
イルサさんからきいたことある、と消え入りそうな声でいいながら、サトが頷く。
「その工事の途中、作業員のひとりが、突然崩れてきた壁の土砂に巻き込まれて亡くなったらしいんだ……」
ひっ、と息を飲む音が静かなトンネルに響いた。
「その男には恋人がいて、トンネルが開通したら結婚しようと約束して、仕事に励んでいたんだと。胸のポケットには、そのときのためにと用意した青い羽根をいつもいれてたけど、」
「……ちょ、キリクさ……」
嫌な予感がひしひしとするのか、サトが震える手を伸ばしてくる。会話をとめようとでもいうのか。
「それが、事故のせいでどこかにいっちまったんだとさ」
するり、それを避けたキリクは、遠いところをみるように目を細めた。
「その男はその羽根を捜すために、死んじまった今でも、つるはし片手に――ふらりふらりと、トンネル内を彷徨っているって話だぜ……?」
「う、うそ、だよ……ね? それ……?」
眉を下げ、懇願するように言うサトの背後に、キリクはわざとらしく怪訝そうな表情をつくって視線を送る。
「おい、あれなんだ?」
「えっ!? な、なにっ?!」
飛び上がったサトが、キリクのほうへと飛び込むように数歩ふみ出し、振り返る。
「ほらっ! そこっ!」
大きく声をかけながら、サトの無防備に向けられた背を、ぽんとキリクはひとつ叩いた。
その瞬間を見計らっていたのか、それともキリクの声に驚いたのか、黒い影が天井の隅から飛び出してくる。
「ひゃぁぁぁぁぁ?!」
絶妙なコンビネーションに、恐怖の針が振り切れたらしいサトの盛大な悲鳴が、トンネル内に反響した。
「ひゃあ、やだっ、ごめんなさいー!? ごめっ、いっ、いやあぁぁぁー!」
一体、何に対して謝っているのか。ぶんぶんと手を振り、頭を振り、壁に向かって走り出そうとするサトを、キリクは慌てて引き止めた。
「馬鹿、どこに向かっていくんだよ?! あれコウモリだって! 落ち着け!」
「キ、キリクさんが変なこというから……! 幽霊がでたぁぁぁ!」
「だから、違うって!」
ぎゃんぎゃんとそんなやりとりを繰り返し、ひとしきり騒ぐ。その騒音に、コウモリがどこかへと飛んでいく。
しばらくして落ちつたらしいサトは、ようやくからかわれたということにも気付いたようで、涙に濡れた瞳でキリクを睨んだ。それは、かんしゃくを起こす寸前の子供によく似た顔だ。
「キリクさん、ひどい……」
「ふざけが過ぎた、ごめん……」
怖がるサトをみていて、調子に乗ってしまった。しかし面白くて、可愛かった。そんなことをいうと本格的に怒らせてしまいそうなので、口を噤む。
「さっきの話、嘘だよね……?」
「あ、ああ。亡くなった人がいたなんて嘘だ。悪い」
素直に謝ったのが功を奏したのか、ほっと安堵の息をついたサトが、涙を拭いキリクの服をひっぱった。
「じゃあ、悪いと思うなら、今から買いにいくニワトリの餌、うちの牧場まで運んでね」
それくらいならお安い御用である。了承を示すために、しっかりと頷く。
「わかった」
あと、と、サトが俯いて続ける。
「――……キリクさんの腕、かして……」
嘘だとわかったのに、どうやらまだ怖いらしい。ぐしぐしと鼻を啜りながらの、そんな申し出を断れるわけがない。
「ああ、いいぜ。オレが悪いんだしな」
く、と小さく笑ってこれもまた受け入れる。
「うん……」
頷いたサトが、腕に飛びついてくる。が。
むにゅ。
「……!」
やわらかーいものが、キリクの腕にばっちりと寄りそう。わざわざ確認するまでもなく、なんていうか、キリクにはないものがそこにある。
そこまで考えが及ばなかった。当然といえば当然の結果だ。認識したら、余計にその柔らかさに意識が集中する。やべえ、とキリクは思った。
「ちょ、ちょい離れてくれるか?」
キリクの言葉に、サトがぎょっとした顔をする。
「ど、どうしてっ?! いいっていってくれたじゃないっ」
どうしてもなにも、ばっちりあたっているんだけど、サトは気にしないのだろうか。羞恥よりも恐怖が勝っているのか。
「いや、ほらそっち利き手だからさ、転んだりしたときとか空いてないと不便って言うか……」
しどろもどろに、なんともいえないいい訳をする。あたってます、とは直に言いづらかった。なんとなく。
「あ、そっか……」
納得したらしいサトが、あっさりと離れてくれる。
開放されたのが惜しいような、ほっと安心したような、と思ったのもつかの間。
「じゃあこっちで……」
「っ!」
するりと反対側に回ったサトが、ぎゅっとさきほどよりもきつく抱きついてきた。
「ちょ、おま、おまえなっ……!」
再び包み込んでくる温かく心地よい感覚に、キリクは上擦った声をあげた。
「え、こっちならいいんじゃないの?!」
誰もそんなこといってない。
「……う」
しかし、そんなことをいえやしない。
捨てられる寸前の、子犬のような目でこちらを見ないでほしい。物凄く罪悪感に駆られる。というか、怖がらせたのは自分なのだ。これ以上強くはいえない。腕を貸すと頷いたのも自分だ。
役得といえば役得であるが、どきどきしておかしくなりそうだ。思考が茹って使い物にならなくなる。
なんでこんな無防備なんだ。他の男にでもこうなら、たまったものではない。
「トンネル抜けるまでだから……」
まだ少し震えの残る声。キリクは、諦めて息を深く吐き出した。
「……わかった。なんといってもオレの責任だしな。だけど、歩きづらいから、もうちょっとだけ緩めてくれ」
「ん、」
わずかに、サトの細い腕から力が抜けていく。
「あとさ、こういうことするの、オレだけにしろよ?」
「……? うん」
よくわかってないらしいが、それでも素直に顎を引いたサトの頭をそっと撫でる。
「ほんと、悪かった。じゃあ、いくぞ?」
そろそろとした歩みのサトの速度にあわせて、ゆっくりと出口に向かう。
惚れた女に密着されて嬉しいけれど、かといってこれ以上手出しはできないという、物凄く複雑な状況だ。
許されるなら、ぎゅっと抱きしめたい。抱きつかれるよりも抱きしめたい。真正面からサトを抱きしめて、それで……――。
思うとおりにやっちまえという誘惑が、鎌首をもたげてこちらを見ている。それに気付いたキリクは、ぶんぶんと頭を振った。そんなことをしたら、サトの怒りに火を注ぐうえ、嫌われるだろう。きっと。それは困る。
ああ、こんな甘い拷問を受けるくらいなら、からかったりしなけりゃよかった。
少し前の自分を、心の中で罵り続ける。馬鹿なことしやがって、と。不毛なことをしているのは重々承知しているが、そうしなければ、だめな方向に思考が転がっていきそうだった。
やがて、ブルーベル村へと続く明るい光がみえてくる。
「あ、もうちょっとだね!」
幾分か明るさを取り戻したサトの声を聞きながら、その光景に、キリクは妙に救われた気分になった。
もう二度と、サトをからかうのはよそう、と。
出口から差し込む光に照らされた場所に足を踏み入れながら、そんなことを考える。
だけど、この気持ちよさは惜しいよなー……、もうちょっとこのままだといいよなー……と、そんな小さくとも確かな心の嘆きがあるのも、また、事実。
しかし、それはひとまず無視することにして。
とりあえずは助かったと、キリクは大きく息をついた。
この後、ブルーベルからの帰り道、ニワトリの餌を抱えたまま、同じ目に遭うことになるのだが、今のキリクがそれを知る由もない。