とある秋の日。
嫁が、もっふもふのふっかふかなものを連れて帰ってきました。
「なんだ、こいつ?」
ウマを世話してきたキリクは、サトと結婚してからウシやヒツジ、ニワトリといった動物たちとも過ごすようになっていたが、これは初めてみた。
牧場のすみっこで、ぷるぷると、寒いのか怯えているのかなんなのかよくわからないが、ひたすら小刻みに震えている様子に、可哀相な気持ちにさえなってくる。おどおどとした姿に、大丈夫かと聞いてみたくなる。言葉は通じないだろうけど。
一方、この動物を連れてきたサトは、やたらとキラキラした顔で、胸の前で手を組んでいる。まるで、女神に祈りが通じた修道女のようである。
「アルパカさんだよ!」
なぜに「さん」をつけるのかとも思いつつ、サトの言葉にキリクは頷いた。
「ああ、きいたことがある。実物は初めてみたぜ。こいつが、そのアルパカなのか……」
このはな村では、そこまで牧畜はさかんではない。荷馬車を牽くウマや、農作業を手伝うウシなどは欠かせないものだが、隣村のようにそれを主流にしている家はほとんどない。
だが父親から、きいたことだけはある。アルパカはヒツジなどとおなじく、毛を刈取り、糸などに加工するための家畜だと。
これがそうなのか、ともう少し間近で見るためにキリクが一歩近づくと、ぴょんと跳ねて逃げようとする。まだ人に慣れていないらしい。
「かわいいでしょー! かわいいでしょー!」
とはいえ、サトはそんなことお構いなし。
たーっと駆け寄って、逃げようとするアルパカの長い首に抱きついた。すりすりと頬を寄せている。
「子供の頃からの夢だったの! アルパカさんと一緒に暮らすことが!」
その姿と感極まったような声は、今サトが幸せであると全力で語っている。しかしアルパカは震えている。
サトのあまりの情熱に、キリクは苦笑した。そんなにも憧れていたのか、と思う。
まあ、キリクだってウマにこれでもかと情熱を注いでいるので、人のことはいえやしない。
サトからなんとか逃げようとしているアルパカは、あいかわらずぷるぷるしている。めぇ、めぇ、とか細い鳴き声があがっている。
「おい、そのくらいにしておいてやれよ」
「うん。そろそろブラシがけしてあげないといけないもんね!」
「いや、そうじゃなくて……」
いきなり変わった環境に慣れるまで、そっとしておくのも大切だといいたかったのだが、サトにはまったく通じていない。
サトは、さっとかばんからブラシを取り出すと、丁寧にアルパカをブラッシングしだした。最初、まだ逃げようとしていたアルパカだったが、心地いいのか、少しずつおとなしくなっていく。
その様子に、キリクは息をついた。ぼりぼりと頭をかく。
まあ、これまでウシやヒツジを大切に育ててきているサトならば、アルパカを育てることにもそこまで苦労はしないだろう。
「まあなんにせよ、よかったな。サト」
「うん!」
夢が叶ったことを一緒に喜ぶように言葉をかけると、サトが手を動かしながらも満面の笑顔で頷いてくれた。
そんなサトの軽やかな声に、アルパカの鳴き声が重なった。
それからしばらくの間、畜舎や放牧場でサトから逃げ回っていたアルパカだったが、当然のように、サトに懐いた。
毎日かかさずのブラッシングの後、優しくなでられて声をかけられ、おやつをもらう。
そんなことを愛情たっぷりに受ければ、そうなるのは時間の問題というものだろう。ちなみにキリクには、まだそこまで慣れてくれていない。側に立つくらいなら、大丈夫になったが。
次第に、アルパカはサトに甘えるようにもなってきた。サトも、そんなアルパカが可愛いくて仕方がないらしく、放牧場にいる時間がこれまでより増えた。もちろん、畑の世話はすべてきちんとこなしたうえでのことだ。
「みんなおはよー!」
今日も、そんなサトの元気な声が響く。
畑仕事を終えたサトが放牧場に近づくと、ペットたちによって放牧されていた動物たちが一斉に反応する。
「わっ、っと、と……! な、なんのこれしきー!」
放牧場所にいくと、あっという間にペットやら動物やらに囲まれて、サトは身動きできなくなった。だが、それでもなんとか転ばぬように足に力をこめつつ、世話道具一式のはいったカバンを漁る。
放牧場の片隅で、我が家のウマのブラッシングをしながら、キリクはその光景についつい笑った。
囲まれながらもブラシを取り出し、懸命に世話をしようする姿が可愛い。
頭をこすりつけられて、くすぐったそうに笑う姿も可愛い。
ペットを抱き上げたり、動物たちを撫でたり、アルパカのダンスのような仕草に喜ぶ姿も可愛い。
キリクが丁寧にブラッシングしている白いウマも、そわそわとサトの様子を伺っている。
「なんだ、おまえもか?」
そういって、ブラッシングを終えたキリクがそっと首をひとつ撫でると、ひと鳴きしたウマは、とことことサトに向かって歩き出した。そして、そのままサト包囲網に加わっていく。
たてがみを撫でられて、機嫌よさそうに鼻先をサトに押し付けるウマをみて、自分の妻が、人間だけでなく動物にも好まれる性質であるようだと確信する。
まあ、好かれるのはよいことだ。
だがしかし。
「いいな……」
サトが動物にもてることが、ではなく。
遠慮なしにサトに甘えていく動物たちが、ちょっとだけ羨ましかったりする。
自分の性格上、まっすぐにサトへは思いを届けているつもりだが、やはりそこはそこ、男として甘えきることもできない部分もあるわけで。
人間が動物に嫉妬するとか、末期症状だ。
そういえば、サトに出会って恋を自覚するまでは、自分はハヤテのことばかり話していたような気がするが、サトはとくになにもいわず、楽しそうに聞いてくれていた。
うーん、と口元に手を当てて考える。
もしかしたら、サトもこんな気分を味わっていたのだろうか?
「どうしたの?」
ひとしきり世話が終わったらしく、悩むキリクのもとへとサトがやってきた。
「んー、いや……」
動物たちをとても羨ましく思っていたとは言いづらく。
思わず口ごもりつつ、放牧場の柵へと背を預ける。キリクの隣に立ち、同じように背を預けたサトが、ちらり、と視線を向けてくる。
「……やきもち?」
「ぶ!」
ずばり言い当てられて、キリクは噴出した。慌てきって横を向くと、キリクのそんな様子に、サトが弾けるように笑い出した。
「やだ、ほんとにそうなの?」
「……っ!」
けらけらころころ。鈴がどこまでも転がるように、軽やかに笑うサトに対し、キリクは頬を染めた。
動物相手に嫉妬するのはみっともないと思っていたところなのに!
「ふふーんだ、キリクのこと、ちゃんとわかってきたんだからね!」
小さく胸を張り、自慢げにいうサトに対して。むす、と口を真一文字に結んだキリクは、仕返しをすることにした。
サトの前に回りこむと、ひょいとサトを抱き上げる。
「わぁ!?」
寄りかかっていた柵のうえに、驚いた顔をしたサトをひょいと下ろす。そのまま逃げられないようにサトの両側に手をついて、近いところにある顔をじっとりと睨む。
「あ、ちょ、キリク……! 笑ったことは謝るから、っ……!」
そのまま、謝罪しかけた淡い紅色の唇へ、その柔らかさを味わうように噛り付く。
「ん……!」
結婚するまで男とつきあったことはなかったというサトは、まだキスにすら慣れてはいない。つまり、キリクのほうに主導権があるというわけだ。
困ったようにくぐもった声を漏らすサトが、まるで制止するように肩に手を置いてくるが、お構いなしに口付けていく。
深く浅く貪ったあと、ゆっくりと離れると、サトが真っ赤な顔になっていた。酸欠になったのか、頭をふらふらとさせている。
ぎゅっと縋るようにサトの指が、キリクの服をさらに強くつかんだ。
と。
「うわっ?!」
「……え、あっ」
どすん、とキリクに勢いよく何かがぶつかってきた。
急なことに少々よろついたものの、倒れるほどではない。慌てて振り向くと、そこには白くもふっとした塊がひとつ。
ぐいぐいと頭や長い首を駆使して、キリクを押しのけサトとの間に割ってはいろうとする。
「お、おい、こら……!」
結局、引き剥がされるようにして、キリクはサトから離れざるをえなくなった。
「……あ! だ、大丈夫! いじめられてるわけじゃないから、ね?」
そういってサトがそっと頭を撫でると、ようやくキリクへの攻撃の手を休めたアルパカは、どこか不満げな顔をしつつ二人の側に座り込んだ。
その様子は、サトを守るかのようで。
「こ、こいつ、監視でもしてるつもりなのか?」
「ふふっ、そうかも?」
別にサトにひどいことをしたわけでもないのに、この扱いはちょっとひどいんじゃなかろうか。自分はどれだけ、危険人物認定されたのだろう。
まあるい純真なアルパカの瞳が、キリクを映し出す。その真っ直ぐな視線と真っ向からにらみ合いながら、キリクは不満げに目を細めた。
「まあまあ、そんな顔しないで、ね? そろそろお昼にしようよ?」
アルパカのおかげで解放されたサトが、ぴょんと柵から飛び降りる。宥めるような笑顔と言葉に、キリクはもうそんな時間かと思った。
「……そうだな、そうするか」
顎に手を当てひとつ頷く。
「いい子にしててね~」
ぎゅっと抱きついて、サトが甘い声で言う。それでもう大丈夫と判断したらしいアルパカは、キリクとサトが並んで家へと戻っていくのを、おとなしく見送ってくれた。
そろそろ増改築しようかと相談している我が家に、連れ立ってはいる。
「ね、ほんとに動物たちにやきもちやいたの?」
ぱたん、と扉をしめたサトが、台所に向かいながらそんなことをいう。
「悪いか」
むす、と腕を組んでキリクは答える。もうここまできたら、ばれているのだから誤魔化したって意味がない。開き直りである。
「ううん」
ふふっ、と振り返ったサトが笑う。嬉しそうな、楽しそうな、愛くるしいとしか思えないその表情に、キリクは小さく息をつめた。己の嫁の可愛さに、眩暈がしてくる。
「キリクってば、かーわいい!」
とんでもないことをさらりと言って、サトが昼食の準備に取り掛かる。
可愛いのはサトのほうなのに。
「かわいくない」
ぎゅっと、抗議するようにそんなサトを後ろから抱きしめると、きゃあと声が上がった。ぎゅうぎゅうと力を込めると、サトが身を捩る。
「まったくしょうがないなぁ、もう」
くすくすと、サトが眉を下げて笑う。
「どうしたらこの子は機嫌をなおしてくれるのかな~?」
まるでウマの鬣をなでるように、頭を、頬を、撫でてくるサトに頬を寄せる。さらにきつく抱きしめる。
「じゃあ、今日の晩飯、辛口カレー作ってくれ。もちろん大盛りな」
「いいよ~」
そんなことならお安い御用だと笑うサトの耳に、キリクは唇を触れされる。
「あと――、今日つきあってくれたらいい」
なにをとは、はっきり言わず。そんなことを、そっと小さな耳に吹き込むと、一瞬だけ動きを止めたサトが、長い睫を震わせて俯いた。
「……うん。いいよ」
わかってくれたらしいサトが、ふんわりと頬染めて、了承の言葉を小さく返してくる。滲み出る艶に、キリクは満足げに目を細めた。
「約束な」
こくりと、もう一度頷くのを確認したキリクは、ちゅ、と柔らかな頬に口付けをひとつ落として。機嫌よく、サトを解放した。
「よし、じゃあ昼飯つくるか。オレ、なにしたらいい?」
「じゃあ、サラダ作ってくれる? 倉庫にトマトはいってるから」
「わかった」
そして、サトと笑いあいながら準備していく。
美味しい昼食に、ありつくために。
翌日。
動物たちが、足音に反応して顔をあげる。しかし、そこに主人はいない。
表情が人間ほどにかわるわけではないが、その空気が微妙なものになったことくらい、ウマや犬たちと長年過ごしたキリクならばわかる。
「ごめんな。今日はオレが世話をするからな」
苦笑いしながら、手近にいたウシにそっと触れる。ブラシをかけはじめれば、心地よさそうにおとなしくなる。キリクは、せっせと世話をしていく。
「みんなブラシかけて、ウシの乳搾りして、ニワトリの卵をあつめて……ん?」
やらなければならないことをぶつぶつと確認していると。めぇ、というか細い鳴き声がすぐ近くであがった。振り返れば、そこにアルパカがいた。
あいかわらず、まん丸な瞳は純粋そのものだ。そして、それは「どうしてサトじゃないの? サトはどうしたの?」と問いかけてきているように、キリクには見えた。
「あー……、悪い。今日はオレで我慢してくれ」
よしよしと頭を撫でると、納得したのか、嫌だったのか、ぴょんとアルパカはひとつ飛び跳ね去っていった。畜舎の片隅で、こちらをじっと伺っている。その様子に、ふうと息をひとつつく。アルパカのブラシがけは苦労しそうだ。
そう思いつつ、キリクはウシのブラシがけ作業を再開する。
今日一日、ベッドの中でゆっくりせざるをえない状態のサトへ、心の中でひたすら詫びながら。