「よし、こんなもんだろ」
石材で畜舎の基礎を少し直して、はずれかけていた壁部分を剥がし新しい板を打ち付ければ、隙間風はまったく入ってこなくなった。
「うわあ、すごい……」
その様子を後ろから見ていたサトが、感心した声を漏らした。
キリクはちょっとだけ照れくささを覚えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「なにいってんだ。牧場主としてこれぐらいできないと、ちゃんと動物たち飼っていくなんて無理だぜ?」
くるり、と使っていたトンカチを手元で一度まわし、握り部分をサトへと差し出す。
「うん、そうだよね……。よし、ちゃんと次は一人で頑張る!」
それを受け取りながら、サトが拳を握り締めて可愛らしく気合をいれる。
「まあ、なにかあればまた声をかけてくれ。その意気にめんじて、やりかたをはじめから教えてやる」
挑戦するのは結構だが、的外れなことをして動物たちが可哀相なことになっても困るし、なによりサトが怪我などしないか心配になったキリクのそんな申し出に、サトが顔を綻ばせた。
「やった! ありがとう、キリクさん!」
心から嬉しそうにそういうものだから、ぽりぽりとキリクは頭をかいた。頼りにされて、悪い気がしないのが男というものだ。
それが、可愛いと想っている相手ならなおのこと。
ちょっとだけ幸せを感じながら二人連れ立って畜舎をでたところで、サトがとんと一歩前にでて、キリクを振り仰いだ。
「ね、キリクさん、よかったら家に寄っていって?」
「なんでだ?」
小首を傾げるサトに問い返すと、笑みが深くなった。
「昨日ね、ブルーベル村で紅茶缶をもらったの。カフェをしている人からもらったから、きっとおいしいと思うし、それに喉渇いてない?」
緑茶などはよく飲むが、紅茶はあまりない。単純に興味をもったし、なによりサトのお誘いを断ることなどできない。
「そうだな……。じゃあ、お邪魔するかな」
一瞬のうちにいろいろと考えて。キリクは笑って頷いた。
「うん!」
サトが家に向かうのについていくように、キリクは足を進めた。家へと続く道の左右に広がる畑で、作物が揺れている。いい牧場だとつくづく思う。サトが世話をしているのだから、当然か。
「お邪魔します」
扉をくぐる際、そんな風に挨拶してみると、くすくすとサトが笑った。
「はい、どうぞお邪魔してください」
こうしてサトの家に入るのは、二度目だ。
最初はサトのウマを山でみつけ、荷馬車を直しここまで連れてきたとき、挨拶がてら寄って以来である。
あの時は、サトに対しては「新しくやってきた村の住人」というくらいの意識しかなくて、家の中の記憶はあまりない。まあ、引越ししてきたばかりで、まだまだサトの家というには程遠い状態であっただろうし、目を引くものがなかっただけかもしれない。
「今から淹れるから、ちょっとだけ待っててね」
「わかった」
サトに促され、家の中に設えられているテーブルの椅子をひき、腰掛ける。なんとなく、やることがなくて、視線を動かす。
今やすっかり家主の趣味が反映された家は、掃除が行き届いていて綺麗だし、きちんと整理整頓されている。性格によるものだろう。
サトがお湯を沸かしに向かったキッチンには、調理道具が数々並び、調味料関係も一通りどころか食事処にも負けぬ種類が揃っているようだ。
窓辺には自分の畑で育てたものか、美しい花束がいけられている。こまごまとおかれたものも、女の子らしい趣味のものばかりだ。
あまり人の家をじろじろみるのもいけないような気がして、巡らせていた頭をもとにもどす。
と。
「……」
その視線真っ直ぐのところに、意識が釘付けになった。
どーん、と置かれているのはベッド。カバーも綺麗に整えられている。いつもサトはそこで、すやすやと眠っているのだろう。
いや、それがどうしたといわれればどうということはない。ベッドだ。
サトが寝起きしているところなのだから、この家にあって当然のものだ。
だがその大きさが問題だった。
一人用にしては大きい。ゆうに二人が寝転がれる大きさである。
つまり――ダブルベッド。
一人暮らしなのに?
思わずサトの後ろ姿に目を移す。
もう一度ベッドを見る。やはりダブル。
再度サトへと視線を流すと、ぱちりとサトと目が合った。びくっと、キリクの肩が勝手に跳ねた。
一体いつの間にこっちを向いたのか。
「どうかした?」
「ああ、いや……」
なんといったらいいのかわからず、思わず口ごもる。
サトが、すごく不思議そうな顔をしている。
「……なあ……。あー、なんていうか、あのベッドってさ……使ってるのか?」
顎でダブルベッドを示すと、サトが小さく首を傾げたあと、頷いた。
「それは、まあ。だって、そこしか寝る所がないし」
「……そっか」
それしかいえない。
まさかそこからさらに突っ込んで、誰かと使っているのかなんて聞けやしない。聞いてみたいけど。
もし肯定する要素をちらとでもサトがみせれば、立ち直れない。恋人はいないと思っていたのに。
もんもんと、腕を組んでそんなことを考えていると、とサトが訝しげに眉を潜めた。
「へんなキリクさん」
くるりとキッチンに向き直り、湯が沸いた頃合を見計らって茶葉をティーポットにいれる音が、さらさらと響いた。
それが、突如として止まった。がちゃん、と何かが落ちる音。
「っ!」
勢いよく、サトが振り返る。その動きについていけなかった髪が、一拍遅れてなびいた。
白い肌が、みるみるうちに真っ赤になっていく。くしゃりと顔が歪んだ。
「ち、ちがっ……! べ、べつに誰かと一緒に使ってるとか、そ、そ、そう、そういうことはまったくなくて……! あのっ、」
おろおろわたわたと、いっそこちらが申し訳なくなるくらいのうろたえっぷりに、キリクはぽかんと口を開けた。
何の反応も返さないキリクに不安が過ぎったのか、「これはアイリンさんが、作らないかっていったから……!」だの。「牧場の増築の一環であって、やましいことなんて……!」、だの。
真っ赤な顔して聞いてもいないことを、滝のごとく喋るサトに、むずむずと腹の奥が痒くなる。それと同時に、胸に安堵が湧き上がった。どうやら、恋人がいるというわけではないらしい。
「そっか」
ほ、と息をつく。
「う、うう……、キリクさんってば、勘違いしたでしょ……?」
ぎゅうう、と身につけた巻きスカートを小さな手で握りしめるサトに、キリクは手を振った。
「いいや、そんなことないって」
大嘘だ。
「ほんとに……?」
でも、涙の滲む瞳で、上目遣いにそんなことをいうサトがみられたのだから、この場合嘘も方便である。結果よければすべてよし。
うんうんと頷くと、ようやく納得したのかサトがため息を零した。
「大体、アイリンさんも、なんでこんなのすすめたのかなぁ、もう……」
「なんだ、サトは別にいらなかったのか?」
ちらりとベッドを見遣るサトに、キリクは素直に問うてみる。
当たり前でしょ、というくらいの回答を期待してのことである。だが。
「そ、そういうわけじゃないけ、ど……」
少しだけ引いた赤みを、頬に勢いよく戻したサトが、せわしなく瞬きを繰り返し、目を伏せてそういった。
「は?!」
思わず腰が浮かびかけるのを、キリクはなんとか堪えた。だが、身体は大きく跳ねた。
「な、そんなに驚かなくたって……!」
それを見咎めたサトが、ぎゅっと目を閉じて叫ぶ。
「だって、いつか私だって……こう、素敵な旦那様と一緒に……暮らしたいなぁ、とか思う、し! そのときには使う、もん!」
ひっくりかえったサトの声を聞きながら、キリクは顎に手をあてた。
「旦那様、か」
確かめるように口にすると、サトが大きく頷いた。
「キリクさんだって、可愛いお嫁さんがほしいとか思うでしょ?! それと一緒なの!」
「……」
きー! と噴火するような勢いで言われた言葉に、キリクは黙った。
それはまあ、確かにそうである。
可愛い嫁さんは欲しい。そして末永く、一緒に仲良く楽しく暮らしたい。
それは、できれば今、自分の目の前で真っ赤になっている女の子がいいのだけれど。
そう考えて内心頷くと同時に、キリクはサトの瞳をひたと見据えた。
「で……その旦那って、誰がいいとか希望あるのか?」
そこまでいうくらいなら、お相手を想像したことくらいあるのだろう。
自分だったら嬉しいけれど、違う男であるならばそれ相応にさらなる努力を重ねなければ、サトは手にはいらない。
少しでも情報が欲しがゆえの、問いだった。
「っ?!」
かーっとサトが耳まで赤くなっていく。そろそろ全身の血管が全開になったのではなかろうか。
ぷるぷると小動物のように震える姿に、胸がきゅうと鳴いた。思わず抱きしめたくなるその姿を堪能していると。
「ひ、ひみつ!」
くるり、と背を向けて、サトは再びお茶の準備に戻った。
「なんだよ、別にいいだろ?」
「しらないっ」
かちゃかちゃと、陶器の触れあう音が響く。ときおり、失敗しているのか、大きな音が立つ。
どうやら話はここで切り上げらしい。もっと聞いてみたいところではあったけれど、機嫌を損ねるのは躊躇われた。
く、とキリクは声を抑えながら笑った。初めてみることのできたサトの表情が、まったくもって可愛いことこのうえない。
ひみつ、といったくらいだ。やはり、想う相手がいるのかもしれない。
ああ、できるなら。
ちらり、と家の隅に置かれたベッドを見る。
自分が、サトと一緒に使える日がくるといいのに、と――ふと、そんなことを考える。
もし、「キリクさんこそどうなんですか?」と。もし、聞かれていたならば。
自分はなんと、答えただろう。即答しただろうか、遠まわしにいっただろうか。
だが、結果としては同じになったはずだ。サトが、それに応えくれるかは別問題だが、いうべきことはひとつだけだから。
湯を注がれた紅茶の香りがひときわ芳しく、あたりに漂っていく。
それを胸いっぱいに吸い込みながら、キリクはゆるりと一度、目を閉じる。
ちらちらと、昨日手に入れて、大切にしまったものの青さが、瞼の裏を過ぎった。
どこかの誰かに負けたくはなかった。
まだサトが一人でいるなら、自分にもチャンスはあるはずだ。
でも、ちょっとだけ焦りを覚える。はやく言ってしまいたいけれど、なんと言葉を重ねればいいのか。キリクは、考えあぐねる。
「どうすっかなあ……」
「なにが?」
茶器をお盆にのせて、まだ赤い顔をしたままのサトが、食卓に近づいてくる。
それになんでもないと答えながら、キリクは小さく笑った。
あの羽根を渡すための勇気が、サトへの愛しさとともに、キリクの胸の奥から零れ落ちるまで、あと少し。