悪食の徒

ああ、きれいだ。
暗い部屋に光をあふれさせるテレビの前で、そう思う。
大画面に映し出されているのは、一人のヒーローの姿だ。
ただ人々を救うためにその力を振るい、前を見据えるその瞳。
強大な敵に対し、怯むことなく諦めることなく立ち向かう、強い意思に輝く緑の眼。
ああ、うつくしい。
そして、腹の立つほど憎らしい。
相反する気持ちが胸のうちで、ひどく渦巻く。
自分でもどうにもできない感情を、落ち着かせるように喉を鳴らし、目を細める。
細く息をはきだして、どろりとした感情の熱を逃がした。

 

 

「敵名『コレクター』……」
 警視庁にある一室、知り合いの刑事経由で呼び出された爆豪勝己は、手元にある資料に目を落としつつ、確認するように呟く幼馴染の声に苛立ちを募らせた。
 んなモン、みりゃわかるだろ、と言いたいところであるが、警察が主体となっての会議のため、騒がしくしても睨まれるだけだと口をつぐむ。
 隣に座っている腐れ縁の男は、緑谷出久といい、勝己とランキングのトップ争いを繰り広げるプロヒーローである。
 そう、プロのヒーロー。雄英高校を卒業し、デビューしてからはや数年。
 ベテランというにはまだ若く、かといって新人というにはそれなりの経験を積んでしまった頃合いである。中堅、といったほうがしっくりくるだろうか。
 かつては、そのときに抱いた気持ちのまま、出久に突っかかっていた勝己も、場を読むことをするようになった。
 しかしながら、とりあえず今は黙っておくもの、あとから文句はいってやろうとは思う。
 隣でナード根性丸出しで、脳内の情報を無意識のうちにブツブツと垂れ流されては、いい気はしないものだ。
 勝己は、なるべく出久の声から意識を遠ざけ、資料を読み進める。
 コレクターは、世界的に有名な敵だ。もちろん日本でも知られている。
 神出鬼没で、怪盗じみた行いを繰り返している。その行いのせいか、一部に熱狂的なファンがいるという。
 この敵は、主に宝飾品を盗んでいくが、短期間のうちに犯行を繰り返すこともあれば、数年単位でなりを潜めることもある。
 正体は不明。年齢も国籍もなにもかもが謎である。男性であるということは確かであるが、盗まれた宝飾品は表の世界に決して戻ることはなく、裏の世界に流通することもない。この世界の舞台から、すとんと落ちてしまったかのように消え失せる。
 おそらくどこかに貯め込んでいるのだろう。これは、狂った収集家の仕業に違いない――そんな言葉から、コレクターと名付けられたという。
 真っ当な収集家が聞いたら、一緒にするなと怒りだしそうである。
「本日はお忙しいところをお集まりいただき、ありがとうございます。さて、来月から国立博物館の一館を貸し切っての、ハイクラスジュエリーの展覧会が開かれることは、プロヒーローの方々であるならば、ご存知のことかと思いますが――」
 会議室の上座で、一人の刑事が資料を手に説明をはじめる。
 一瞬、出久の肩が震えたのがわかった。おそらく、ジュエリーになど興味がなく、展示がされることを知らなかったといったところだろう。
 敵情報やヒーローニュースは欠かさずチェックするわりに、そういうところは雑なところがあるのだ、この幼馴染は。
 しょーもねぇクソナード、と心の中でため息をついているうちにも、刑事の話は進んでいく。
「――ということで、今回、プロヒーローの皆さんにお願いしたいことは、開催期間中約二ヵ月の間、我々警察及び博物館の警備担当と協力し、コレクターによる被害を防ぐことです」
「来るかどうかもわからないコレクターとかいう敵のために、二ヵ月間も拘束されるのか? 馬鹿らしい」
 刑事の言葉を遮るように、すかさずベテランヒーローの声が響く。
 そのことは承知しているというように、刑事がひとつ頷いた。
「ええ、おっしゃるとおりです。襲撃があるかどうかはわかりません。しかしながら、コレクターは世界中で知られた敵です。この日本で検挙できれば、一気に名を知らしめることができる。あなたがたプロヒーローや、事務所にとっても悪い話ではないのでは? それに、被害にあった会社、個人、国を問わず、コレクターには懸賞金がかけられています。その総額ともなれば莫大なものになるでしょう。これからの事業に、役立てることのできるかと」
 その言葉に、捕まえたあとの利益の大きさを感じ取ったのか、ヒーローは腕を組んで黙り込んだ。
 なるほど、と勝己は得心した。
 これから独立しようと秘めた野心を表にだしてくる、中堅どころの自分たちのようなものにも声がかかったのは、そういうことなのだ。
 参加するヒーローがいれば警備はが助かる。そのうえで、コレクターを検挙できたならば、日本の警察にとっては名誉になる。
 ヒーローは、ランキング上位へのポイント稼ぎになり、世界に名をはせることができ、そのうえ懸賞金が与えられる。誰にも迷惑をかけず、誰にも仮を作らない資金源は魅力的である。
 参加するヒーローたちで、警備の担当日程が作られるだろうし、通常のヒーロー業のうち何日かをコレクターのために割り振るのも悪くはないだろう。
 参加した場合に経費は出るのか、参加人数は何人を予定しているのか、サイドキックを手配してもよいのか――そんな質問が交わされる中、ちらりと隣の出久を見遣る。
 ヒーローとしての横顔は、凛としていて隙がない。子供の頃のような、オールマイトの活躍に顔を綻ばせていたあどけなさは微塵もない。
 ただ、男にしては大きな緑の瞳だけは、変わらない。
 諦めることを知らぬその色から、勝己は静かに視線を離した。

 

 

 そうして、コレクターに対する臨時組織が立ち上げられ、ハイクラスジュエリー展覧会にあわせてプロヒーローが警備にあたるようになってから、明日で二ヶ月が経過しようとしている。
 二ヶ月――つまり、展覧会の終了日、である。
「クッソが!」
 勝己の罵りの声が、静かな館内に木霊する。
 建設からおよそ百年という洋風建築にはふさわしくない内容であるが、幸いにもそれを聞き咎める者は誰もいない。
「ちょ、ちょっとかっちゃん、静かに!」
「うっせ! 俺に命令すんな! つーか、誰もおらんだろが!」
 おろおろと視線を彷徨わせる出久に吠えれば、「そうだけどさ……」という、諦めが滲む恨みがましい反応が返ってくる。
 それを、ふんと鼻を鳴らして受け流し、勝己はあたりをぐるりと見回した。
 控えめな照明がともる館内で、宝飾品だけが煌々とした明かりを浴び、その存在価値を主張している。
 カラフルな色使い、洗練されたデザイン。そこに、あしらわれた宝石の一粒一粒が、どれほど貴重なものか。
 視界に入るものの総額を軽くつみあげただけでも、億はくだらないだろう。
 三十分ほど前までは、今昔不変の美しさに魅入られた人間たちが大勢いたのだが、退館時間を過ぎ、職員たちに促されて全員出て行ってしまっている。
「でもさ、貸し切りみたいでいいよね! 何回みても、ほら、やっぱり綺麗だし!」
 出久に宝石の良し悪しがわかるとも思えないが、素人目にみても綺麗だというのなら、知識をこえる力がそこにはあるのだろう。
「いいモンだっつーのは認めるが、それをなんでデクと一緒にみなきゃいけねえんだよ」
「しょうがないだろ……、今日かっちゃんとのペア予定だった人、どうしようもない用事でこれなくなっちゃたんだから」
 さっきも話したじゃないかと、僅かに唇を尖らせるような幼い仕草をする出久に溜息しかでない。
「どーでもいいわ」
「そのわりにはしつこい……」
「あ?!」
 ボソボソと聞こえてきた不愉快な言葉に眦を吊り上げると、出久は悪事がばれた子供のように、大きく頭を振った。
「な、なんでもないよ! はやく確認して報告いこうよ!」
「チッ……さっさと済ますぞ」
 これ以上、不毛なやりとりをしていても時間が無駄になるだけだ。
 踵を返し会場の中を進み始めた勝己のあとを、出久が慌てて追いかけてくる。
「それにしても、展覧会も明日で終わりだね。長いようで短かったなあ」
「結局空振りで終わりそうだしやってらんねえわ。あの刑事、でけぇホラ吹きやがって、クソが」
 しみじみと語る出久に構うことなく、悪態をつきつつ会場内に視線を走らせる。
 異常がないこと、人影がないこと、気配もないこと――それを確かめつつ歩を進める。
「なにいってるんだよ。敵がこなかったなら、それでいいじゃないか」
「よくねーわ! 俺の計画が台無しだわ!」
「まあ、確かにコレクターを捕まえられたら世界的に有名人になれるよね……――こっちには不審物なし」
「こっちも異常ねえ」
 プロジェクターが設置された一角に並べられた腰掛けの下をチェックして、出久が立ちあがる。
 映像が映し出されるスクリーンの裏側あたりも確認し、二人はそこを後にする。
 丸い部屋の両側の壁面にそって二階まで続く階段を、左右に別れてあがっていく。
 手すりなどに何かが仕掛けられていないかを確認し、踊り場で合流。そのまま二階の展示室へと、勝己を先頭に進んでいく。
 煌びやかで美しい宝飾品がひしめく二階部分も、特に異常なし。
 さきほどと同じつくりの階段を下り、再び一階に降り立つ。
 どうせここにもなにもないだろう――と若干たかをくくっていた勝己は、階段半ばあたりで低く呼びかける。
「デク」
「うん」
 この先に誰かいる。
 そう言葉にせずとも、伝わったらしい。目配せをして、階段を下りた先の壁にはりつくように身を潜める。気配を殺し、音をたてぬように気を付けながら、室内を覗き込む。
 すぐそこの展示室には、とくに怪しい人物はいない。
 となれば、さらに先の展覧会最後の部屋ということだろう。
 視線をあわせ、素早く移動する。柱の影に身を寄せて、先を伺う。
 部屋の中央には展示ケースが置かれており、サファイアがあしらわれた宝飾品が静かに鎮座している。深く吸い込まれるような、とろりとした青は、人を惹きつけてやまず、常時の時間であるならばひとだかりができている場所だ。
 その傍ら、人影がひとつ。
 勝己と出久は、十分に気を付けながら、静かに距離をつめる。
 せっせと展示ケースのガラス面を拭いているその人物が、満足したようにケースから少し離れて、くるりと何気なく振り返る。
 そして、二度三度と瞬きをして、にこりと笑顔を浮かべた。 
「おや、お疲れ様です」
 それは、この博物館の職員だった。
 勝己も知っている人物である。たしか、四年ほど前に博物館に採用されたという男だ。
 今回の展示会企画を立ち上げた主要職員ではないが、手伝いとしてしょっちゅう会場に姿をみせており、ヒーローたちとも顔見知りになっている。
「こんばんは! 今日もお掃除ですか?」
「ええ、まあ。専門の方がおられるのですが、どうしても気になってしまって」
「そういえば、他のヒーローの人たちも、閉館後にこっそり掃除にくる職員さんがいるっていってましたよ」
「そんなに来てましたかね、私」
「はい、僕もいつもお見かけしてる気がします」
 ナード根性がお互い備わっていて気が合うのか、この二ヶ月ほどの間ですっかり親しくなったようだ。あははは~、と呑気に笑いあう姿に、勝己の精神は疲弊していく。
「……アホくせぇ」
 コレクターでもなければ、不審者でもない。ようやく暴れられるのかと思った矢先に、この気の抜ける光景である。
 勝己は面倒くさそうに吐き捨てて、念のためにあたりを見回す。異常なし。
 細かいところもチェックしている間も、ナード二人はきゃっきゃと会話に華を咲かせている。
 このクソが。こっちは無視か。クソが。
 イライラ最高潮の胸糞の悪さを凶悪な顔つきで表しつつ、勝己は出久を睨みつける。
「おいこらクソデク! 俺一人にやらせるなんざいい度胸――、っ!」
 怒鳴りつけようとした瞬間、出久が膝から崩れ落ちた。
 支えを失った人形のようにあっけなく、絨毯の敷かれた床に力なく倒れ伏す姿に、全身に緊張が走る。
「デクさん?!」
 床に倒れた出久に、職員が慌てたような声をあげる。しゃがみこみ、揺さぶって、それでも出久が起き上がらないことに恐怖したような顔で、勝己にたすけを求めてくる。
「ど、どうしましょう! あ、きゅ、救急車……! その前に通報……? ええっと……!」
 スーツの上着に手を入れて、あちこち探っている職員と、倒れた出久の周囲には特に何かがいるようには見えない。
 素早くあたりを見回すが、不審な気配もない。狙撃するようなところもない。そういう音もなかった。
 何があったか判断がつかない。もしかしたら、かつての同級生のように、隠密行動に長けた敵がいるのかもしれない。
 だがひとつ確かなことは、民間人である職員がこの場にいるのは邪魔であるということだ。
 この後、何者かとこの狭い空間で戦闘になった際に、どうあっても足手まといである。
 退路を確保し、先にここから離脱させてから敵をあぶり出す。
 そんなことを考えながら、あたりに最新の注意を払いつつ二人に近づく。ようやく取り出したスマホを操作する職員に、手を伸ばせば触れられる位置まできたとき、出久が顔だけをわずかにもちあげた。
「かっちゃ、きちゃ、だめだっ……! そのひと……!」
「!」
 か細く震える出久の言葉を遮るように、ひどく嫌な気配とともにかすかな銀色の光が空間を切り裂いた。
 身を翻してその軌跡を避けるが、皮膚がひきつれたような、わずかな痛みを訴える。皮一枚ぶん、避けきれなかったらしい。だが、致命傷ではない。
 床に手をつき身をひねり、素早く距離をとり、突然攻撃してきた人物――博物館の職員を、並の敵ならば動けなくできるほどの目で睨みつける。
「少し浅かったですかね。完璧にとらえたと思ったのですが、さすがです」
 さきほどまで狼狽しきりだった様子はなく、男は穏やかに勝己の動きを賞賛する。そして、指先に摘まんでいた針のようなものを、ひらりと手を振っただけで、手品のようにどこかに隠してしまった。
 間違いない。この男が、攻撃をしたのだ。出久が倒れたのも、こいつの仕業で間違いないだろう。
 だが、どうしてだ。
「何モンだ」
 勝己の誰何に、職員は恭しく旨に手を当て、微笑む。
「あなたがたは、私を探してここまでこられたはずですよ?」
 その仕草が。その言葉が。言い方が。馬鹿にされているようにしかみえなくて、腹が立つ。だが、その発言でじゅうぶん。つまりこいつは、展覧会終了前日に、ようやく姿をみせたのだ。

「コレクター……!」

 勝己が言葉にしなかった名を、悔しそうに出久が呟く。
「自分で名乗ったことはないので、そう呼ばれるのは不思議な感じがしますね。あらためまして、こんばんは」
 まさかこんな身近に敵がいて、人畜無害そうな顔をして、展覧会の成功のために尽力しているなどとは思ってもいなかった。
 警察の事前の身元調査で問題がなかったから、ここにいるはずだというのに。
 適当な調査に怒りを燃えあがらせながら、敵と向き直ろうとした勝己であったが、身体が思ったように動かないことに気付く。個性も、手のひらの上で火花がくすぶるだけで、いつものようにいかない。
「てめェ、なにしやがった……!」
 頬に走った痛みが原因としか考えられない。
「効いているようでなにより。デクよりも強めの薬だったので、本来ならもう気を失っている予定だったのですが、まあ、動けなくなっているだけでも重畳。だってほら、あなたの個性、この場にはふさわしくないでしょう? 会場や展示品を爆破されては困ります」
 やはり、あの針には何か仕込まれていたらしい。
 じわじわとした痺れのような、ふわふわと感覚が消えていく麻酔のような。精神的な気合だけではどうにもならない神経の混乱に、勝己は立つだけで精一杯だ。
「どう、して……、あなたは、ずっと……ここで働いていて……、この展覧会が、大好きだって……!」
「ええ、そうですね。あなたに伝えたことは、どれも真実ですとも」
 きっと、出久に語ったことに嘘はない。だが、全てを話したわけでもないのだろう。
「四年前から、ずっとこの機会を狙ってたのかよ。ずいぶんと気の長ェこった」
「待つのは嫌いではないので」
 にこり、と男は笑う。
 この二カ月近く、ときおりみてきた人の良い笑顔だ。だがその裏にこんなことをしでかす凶暴性を隠していたとは。
「狙いは、ここの宝石か……! させない……!」
 目の前の男が、世界に名をとどろかせる敵だと認識した出久の声と口調が、厳しいものになる。ワンフォーオールの光が、その身体に走るが、やはりうまく発動できていないようだ。
「まあ、ときにはそういうときもあります」
「今回は違うってのか」
 プロヒーロー二人が隙を突かれて自由を奪われるなど、話にならない。動け動けと、身体に命じながら、勝己はコレクターのから決して目を離すことなく問いかける。
「ええ」
「嘘ついてんじゃねえよ。どうせ女にもで貢ぐつもりだろうが」
 大抵の女は、着飾った自分を見せびらかしたくなるものだ。そうすれば、目撃情報のひとつもでてくるはずだが、盗まれたものは裏の世界にさえ流通しないという。ならば、そんなことが実際に行われているとは思えない。
 勝己の言葉は、単なる時間稼ぎだ。
「そうですね。素晴らしい宝石を身に付け、着飾った女性もまた美しいですから、それもよいのですが……あれはいささか胃にもたれる。たまに食指を伸ばす程度がちょうどいい。それに、最近はやせ細ったものばかりがもてはやされる風潮でまったく嘆かわしいばかり。女性の美しさとは曲線を描くふくよかさとしなやかなさで、そこに秘められた――いや、失礼。いまはそのようなお話ではありませんでしたね」
 滔々と自分の私見を述べていたコレクターは、ふと我に返ったらしく照れくさげに微笑んだ
 そうしているとほんとうに、ただの一般人にしかみえない。
 コレクターは、サファイアのソートワールがおさめられた展示ケースに顔を近づけて覗き込み、次いで勝己に視線を送ってくる。
「残念ですが、あなたにはこの美しさと素晴らしさがご理解いただけないようです」
「ハッ、一生理解できんでもいいわ」
「そうですね。何が綺麗と思うかは、本人次第ですから」
 うんうん、とそれもまた理解できることだと頷いたコレクターが、ゆっくりと頭を巡らせる。
「しかし、私はもっと美しいものをみつけたのです。それがあれば、しばらく宝石いただかなくともよくなるでしょう」
 ぴたり、と視線がある一点を見つめる。三日月のように細くなる瞳に、喜色が滲む。
「だから――ねえ、ヒーローデク」
 声色が、変わった。それまでは、自分の好きなものを語る無邪気ささえ感じられた声に、ねっとりとした欲望が絡みつく。
「っ?!」
 名指しされた出久が、わずかに身を震わせる。
「どうか私を救けてください」
 哀れっぽくそんなこというが、この期に及んで誰が話を聞くというのか。
「どういう、こと、ですか」
「おい、相手にするんじゃねえ!」
 救けを求める人間に、手を伸ばさずにはいられない出久の性質に、勝己は舌打ちする。相手の事情をきくまでもなく、敵ならばぶっ飛ばせばいいだけなのに。
 コレクターは勝己を無視し、気を良くしたのか出久の近くまで踊るような足取りで歩み寄る。
「私、お腹が減って減ってたまらないのです。このままでは私は餓死してしまう。そうなる前に食事をせねば」
「しょくじ……?」
 この場でどうしてそういった話になるのか、まったく理解が追い付かない。出久が、戸惑ったような声を出している。
「あなたがたも、食べねば生きてはいけないでしょう?」
 コレクターが己の身体に手を当てる。喉からするすると降りていく形のよい手が、胃のあたりを優しくおさえる。
「なら、私が生きるために必要なものを摂取することを咎められるいわれはないはずです」
 それはそうかもしれないが、コレクターの言葉には、なにか恐ろしい意味合いが含まれている気がして、賛同などできるはずもない。とはいえ、あちらも勝己と出久から肯定される言葉など、求めていないだろう。
 こちらの様子など気にとめた様子もなく、コレクターは滑らかな仕草で内ポケットからなにかを取り出す。それはちいさな皮袋だった。
「ヒーローデク。残念なことに、私は私が美しいと思ったものでしか腹を満たせられないのです」
 そういって、皮袋の口を緩め、手のひらの上に落とされたのは、色とりどりの宝石だった。
 淡い光を浴びて、きらきらと輝くそれらは、遠目からみても質のよいものだとわかる。おそらく、今回展示されている装飾品に使われているものにも引けをとらないだろう。どこかで奪ってきたものかもしれない。
 じゃらり、と手の平の上でそれを確かめたあと、男が一粒を選んで摘まみ、それを口元にもっていく。
 色からみるに、ルビーだろうか。
 まさか、口づけでもするのだろうかと思った瞬間、男の白い歯にはさまれた石が、ぱりん、と砕けた。モース硬度8を誇る石が、である。
 それを目を細めて男が食べていく。かりかり、こりこりと、まるで、飴玉を齧り食べる子供のように。
 それはまったく現実味のない奇妙な、それでいて美しい、食事風景だった。
 ひとしきり宝石を食べた後、コレクターは至極残念そうに息を吐いた。
「この程度では、やはりだめですね。きっとこれを食べても、そうでしょう。一時は満たされるが、すぐにお腹が空いてしまう。もっと美しいと思うものを、私はもうみつけてしまったから」
 眉をさげ、悲しげに周囲の宝飾品をみつめる男の姿に、背筋に嫌なものが駆け抜けていく。
 違う、と。勝己は感じた。きっと、出久もだろう。
 こいつにつけられた「コレクター」という名は、まったくふさわしくない。
 こいつは、収集家などではない。美食家気取りの、悪食であり暴食の徒。
 ぞっとする。さきほどの言葉が、警鐘とともに脳裏に響く。
 こいつは「美しい」と思ったものを「食べる」のだ。それはきっと、「人」も。
 コレクターの真の目的が、薄らと脳裏に浮かぶが、まさかそんなことがあってたまるかと否定する。だが、いやな予感ばかりが募る。焦る。身体はまだ、動かない。
「はっ、これまで奪っていった宝石も、全部くっちまったってのか、あ?! どこぞの王家秘蔵のダイヤモンドもあっただろうが! 殺されるぞ!」
 もっと情報をしゃべらせて、時間を稼がなければ。なんの薬かわからないが、微量なものであるならば、時間経過とともに動けるようになるはずだ。
「ああ、あのダイヤモンドは実に美味でした! おかげさまでしばらくなにもしなくてよかったので、たすかりましたよ。あの王家の方々には感謝しなければ」
 先祖代々受け継がれてきた宝石が盗まれたと嘆いていたら、それがもうこの世にはないと知った持ち主の絶望たるや、はかりしれない。
 一国を敵に回しているという自覚はあるのに、それにまったく罪悪も恐怖も感じていない。狂っている。
「私はね、きれいなものが、好きなだけ。それがないと生きていけない。たったそれだけの、哀れな生き物。これまでに私を満たしてくれたものが、宝石が多かっただけのこと」
 芝居がかった口調で自身のことを語っていたコレクターは、ゆらりと影を引きずってケースから離れる。
「でも、もっと美しいものがほら、ここにある」
 そういって向けた視線の先には、いまだ床の上にうずくまる出久がいる。その目つきはまさに獲物をみつけた肉食獣のそれだ。
 確かな悪寒が、勝己の背筋を嘲るように這いまわる。
「ンな野郎が宝石よりいいってか?! ハッ! クソな冗談いってんじゃねえ!」
 お前の審美眼はどうなっているのかと挑発するが、コレクターは恍惚とした表情を浮かべ、大きく両腕をひろげた。
「すばらしいよ!」
己の価値観、己の行動、いずれにも悔いも恥も感じたことがないと、全身全霊で叫んでいる。

「自分の身を省みない高潔さ!」

「敵を前にしたときの苛烈さ!」

「そして彼は必ず誰かを救う!」

「どれをとってもヒーローデクはすばらしい!」

 朗々と響くコレクターの言葉は、狂信者のごとき熱に溢れ、さしもの勝己もたじろぐ。
「こンの、ストーカー野郎がっ……!」
せめてもの罵倒もコレクターには、まったく届く気配はない。勝己のことは警戒はするが、どうでもよいのだろう。だって目当ては出久なのだ。
「とくにその瞳! 大地に育まれたエメラルドのような瞳だ。いくつもの傷を抱えながら、それを感じさせない命溢れるこの色彩……」
うっとりとした眼差しで出久を見下ろし、ほう、と感嘆の息をつく。
「これまで私が魅かれたものたちの中で、最も美しい!」
 ひとしきり己の胸のうちを吐露して、気持ちが落ち着いたのか、コレクターが恭しく膝をつく。
「っ!」
 前髪を掴み上げ、力の入らぬ出久の顔をあげさせて、笑う。
「だから、くださいね」
 長い指先が、滑らかに空間を泳いで、出久の右目に添えられた。
「おい、まて何するつもりだクソが!」
 嫌な予感とは、得てして的中するものだ。
「っ、づああっ?!」
 出久の絶叫が室内に木霊する。それは、大きく長く響いて、やがて身の一部が奪われたと同時に、小さくなっていく。
「――は、」
 ずるり、出久の顔から抉り出されたものが何か理解しているが、信じられない。
「ああ! ああ、本当にすばらしい!」
 宝石の鑑定をするように、コレクターがあらゆる角度から手にした獲物を眺めていく。
恐ろしい光景であるはずなのに、鮮やかな緑の光彩、乳白色の強膜、まとわりつく赤い血液、そのすべてが美しくみえた。
「返せっ、ボケェ!」
喉から迸った勝己の声など、もはや聞こえていないのだろう。
「ひ、ひひひっ」
コレクターは歓喜に震えながら、顔を歪め、ただただ笑っている。
「ああ、デク、ヒーローデク! 綺麗だねきれいだねキレイだね! ずっとずーっと欲しかったんだ! ああ、ああ! ……とっても、」

「おいしそう!」

「――!」
 自分が、何と叫んだのか、勝己にもわからない。
 ただ、意識が怒りのあまり真っ赤に染まるような感覚が、時間の流れを遅くする。かといって、何ができるわけでもない。
 抉り取られた右の目が、赤い舌の上におかれ、するりと口に飲み込まれていく。ごくりと動く喉。満足げに腹に当てられる手。ほう、と吐き出される息。
「ああ、やはり美味しい」
落ち着き払った静かな声と仕草に、勝己は絶望をみた。美しいものが、消えてしまった。
「ごちそうさま。僕はこれでしばらく生き永らえる。デク、君はまさしくヒーローだよ、僕を救ってくれたのだから」
取り出したハンカチで口元を拭い、コレクターが一礼する。
「君のその左目も、さぞかし美味しいのでしょうね。でもそれは、またの機会に。では、さようなら。お腹が減ったころに、ふたたびお会いしましょう。それまでどうぞお元気で」
顔をあげ、あの人の良さそうな笑顔を浮かべ、コレクターは何事もなかったかのように、踵を返して去っていく。
「待てこのっ……!」
まだ身体は動かない。しかし、ようやっと足を前にだしたときには、敵の姿はもはやなく、追いかけることもできなかった。
「こらデク!」
 八つ当たり気味に名を呼べば、そちらも少しずつ方らが動くようになったのか、口元がわずかに歪んだ。
「あは、ははは、僕の、目……たべられちゃった……」
腹が立つ。何もかもが腹が立つ。
床のうえに無様に転がったまま、そんなことをいう出久にも。なにもできなかった自分にも。
「笑いごとじゃねえよクソカス……」
地獄の底に繋がっているのではないかと思うほど煮えくりかえる腹から低い声をだせば、弱々しい謝罪が返ってきて、また腹が立った。

 

 

 午後の病棟は、思っているよりずっと静かだ。
 射しこむ光を蹴散らすように歩き、綺麗に清掃された廊下を進んでいた勝己は、とある病室の前で立ち止まった。
 躊躇うことなく取っ手に手をかけ、声をかけることなく扉をひらく。
 穏やかな色彩で統一された病室のベッドに腰掛ける人物に、自然を眉根が寄っていく。
 突然の訪問者に驚いた様子もなく、淡いブルーの病衣を着た出久が顔をあげる。
「あ、かっちゃん」
「……」
 ずかずかと前まで歩いていき、じっと見下ろす。
 出久は、ちゃんと顔を向けてくる。視線も合う。
 だが、左目はどこかぼんやりとしている。
 チッ、と舌打ちすれば困ったように微笑まれた。
 コレクターにより奪われた右目のかわりに、高性能の義眼となったらしいと切島が言っていた。
 この病院の医者の個性により、視神経と接続され、物の輪郭を把握する程度は出来るらしい。
 その他、身体的には問題がないのは確認済みである。
 勝己は、くい、と顎を動かした。
「ツラかせや」
「言い方もうちょっと考えよう? それじゃあ、カツアゲされるみたいだよ。お見舞いじゃないの?」
 誰がそんなことするか、と目を吊り上げながらスリッパに包まれた足を軽く蹴る。
「うっせーわ、さっさとしろ」
「もう、わかったよ」
 仕方ないなあといわんばかりの出久を追い立てるようにしながら、移動する。
 途中の自販機でコーヒーとお茶を買い、病院内の空中庭園へと出る。時間帯の問題なのか、たまたま人影はなかった。
 手入れの行き届いた花壇のほど近くに設置されたベンチに、やや距離をおいて二人並んで腰掛けた。
 柔らかな風、青い空。手にしたコーヒーを一口飲んで、勝己は唇を開いた。
「あのクソ敵な」
「うん」
 ちゅう、と紙パックのお茶にさしたストローから口を離し、出久が頷く。
「今日わかったことだが、実在の人間の経歴も戸籍もなにもかも乗っ取って、あの博物館に就職してたんだとよ」
「……やっぱり、そうだよね」
 優秀だけれども、すこしばかり人づきあいが苦手で、親類縁者との繋がりが薄い相手のすべてを奪い、その人物に成りすました。
 顔はどうやら整形していたらしく、コレクターの本当の姿はようとして知れない。
 もしかしたらもう、顔かたちも素性も変え、どこかの平穏なくらしに紛れ込んでいるかもしれない。
「本物の、その、……」
 口ごもる出久の言葉の先を読み取って、勝己は答える。
「行方不明だ。おそらく殺されてる」
「……そっか」
 成りすましの被害にあった人物の消息は不明で、目下、警察が捜査にあたっている。しかしながら、みつけることは難しいだろう。なぜならば、コレクターにとって、その人物を生かしておく理由がない。
 そんな凶悪さをもつコレクターに遭遇したにもかかわらず、捕まえることができず、本来ならば批判に晒されてもおかしくはない自分たちだが、報道が「世界的に価値ある宝飾品を身を挺して守りきったヒーロー」と書きたてたおかげで、いまのところそういった事態にはなっていない。
 老若男女に人気にあるヒーローのデクが、片目を失いながらも宝飾品を守ったという話のほうが、人々の感心を強くひくのだ。
 くそったれなことだと、勝己は思う。
「目は」
 端的な勝己の言葉の意味を察し、出久が言う。
「うん。発目さん主導で開発されたこれ、すごくいいよ」
「そうかよ」
 出久は、義眼の高性能さを語りだすが、右から左に聞き流す。
 このぶんだと、そのうちレーザーでも発射できる機能をつけられそうだなと思ったが、黙っておいた。
「もちろん、前みたいにはいかないけど……――僕は、大丈夫」
 へらり、といつものような気の抜けた笑顔を浮かべられて、胸に苦いものが満ちる。
「クソが」
「僕が甘かったんだから、仕方ないよ」
 それは勝己もだ。最初の頃は警戒心がなかったわけでもないが、二ヶ月の間にどこかで信用してしまっていた。
「ふざけんな、あんな野郎にとられやがって」
「かっちゃんの目がとられなかったんだからいいじゃないか」
「よくねーわ!」
 苛立ちのまま声を荒げれば、出久が困ったように笑った。そっと傷だらけの手が、右目を庇う。
「僕の右目、そんなに大事だった?」
 からかうような言葉に、勝己は目を細める。
「ちげぇ」
 そうだけど、そうじゃない。そんなことをあっさり認められるような単純な感情を、勝己は出久に抱いてなどいない。
 奥歯を一度かみしめる。だがそれでおさまるようなものではなかった。
「あんなクソの腹におさまるくらいなら、」
 
「俺が、食いたかった」

 風が、二人の間を通り抜けていく。秋晴れの美しい空の下、静寂が横たわる。
「――かっちゃんに、そういう趣味があったなんて意外だよ」
 出久の言葉に、自分が何を告げてしまったのかを改めて実感した。アホか、俺は。
「俺も驚きだわ」
 むすっと下唇を突き出して、これ以上の失態をしでかさないようにと、自戒をこめて口を閉じる。
 そんな勝己を、出久がおそるおそる覗き込んでくる。
「えっと、左目なら、あげられるけど……?」
「……は?」
 そんなことをいってどうする。勝己は目を丸くして思わず心の中で突っ込んだ。
 あげられるってなんだ、あげられるって。くれっていったら寄こすのかよアホが。
 おそらく、想定外すぎる勝己の言葉に、出久の思考回路は正常な動きを止めてしまったに違いない。
 だが、くれるというのならと、距離を縮め、手を伸ばしてみる。
「……」
 無言で、出久のもっさりとした前髪をかきあげる。
 怯えた様子もなく、無心にじっとみつめてくる瞳は、やはり、腹が立つほどに――美しい。
 ほしいほしいほしいほしいほしいほしい。そんな衝動に身をまかせ、顔を寄せる。
 それでも逃げない出久の目を、勝己はべろりと舐め上げた。
「いっ、たいっ!」
「――は、ざまあ」
 歯を立てなかっただけ、ありがいと思え。
 顔をくしゃくしゃにして痛がる出久の頭に、軽く頭突きをお見舞いする。
「俺はな、生きてる目がいいんだよ。あのイカレ野郎と一緒にすんな」
「たいして変わらないじゃん……あいたたた……」
 目も痛ければ、頭も痛い。両の手をあててそう訴えてくる出久を突き放す。
「地べたに這いつくばって、俺だけみて、俺だけ追いかけてりゃいいのによ。でも、できねえだろうがこの目は」
 ぴくり、と肩を揺らした出久が、撫でる手を止めて言う。
「……そりゃまあ」
 静かな声だ。
「だって僕、ヒーローだし」
 そうだろうよ。と、勝己は顔を顰める。
「立って、走って、前をみて、誰かを救けるよ」
 きっと走れなくなる、そのときまで。
 顔をあげ、はっきりとそういってのける出久に、ますます苦いものを感じる。
「クソが」
 何度目かになる言葉で吐き捨てるように罵れば、出久が「ひどいなぁ」と笑った。
「じゃあ、君だけみていられるように、夢中にさせてよ。絶対勝つヒーローさん」
 自分を挑発するなど生意気な、と勝己は思う。
「その言葉、忘れんじゃねーぞ」
 不敵に笑って受けて立つ。あとでそんなつもりじゃなかったといっても、絶対に許してなどやるものか。
「ひとまずあのストーカー野郎は見つけ出してぶっ殺す」
 どこかでのうのうと生きている、あの男の息の音を必ず止めねば。
 そんな物騒な決意をあらたにする勝己に、出久は頬を引きつらせる。
「捕獲、って言おうね。かっちゃん、いちおうヒーローなんだからね。まあ、そこもかっちゃんの持ち味といえば持ち味なんだけどさ、周りに人がいたらびっくりするだろ」
 きょろりとあたりを見回して、人がいないことに胸を撫で下ろす出久を鼻で笑う。
 人の言動よりも、自分の身の安全を心配したほうがいいというのに、呑気なものだ。
「とりあえず、こっちよこせや。どうせ初物だろ」
「へ? ……あ、ちょっ、ひゃぁっ」
 まさかこんなところで、そんな行動に出られるとは思っていなかったのだろう。
 視界にひろがる間抜け面と、耳をくすぐったひっくり返った声が、あまりにも愉しかったので。
 勝己は、ざまあと心の底からわらってやりながら、出久の唇を奪う。
 貪りつくして顔を離せば、青い空と対照的なほど真っ赤に熟れた出久の顔がみえた。
 あまりのことに潤んだ大きな片目から、ぼろりと涙がひとつ溢れる。
 その様子に、勝己は口の端をもちあげるようにして笑う。
 あの敵も馬鹿なことをしたものだ。
 この顔に埋め込まれたこの瞳が、いっとう美しいというのに。
 そう思うと同時に、気付く。

 ああ、俺もコレクターに負けず劣らずの、悪食野郎だ。
 こんなクソナードのすべてが、食べちまいたいくらい、欲しいのだから。