回り迷って一本道

 ああ、神様。
 ほんとうにこの世界に、全知全能のあなたがいるのなら。

 ――かっちゃん、あのね、

 ――あ?

 ――僕、君のことが、

 あの日あの時あの場所で、己の心を告げた僕を、どうか、殺してください。

 

 

「うわぁ……」
 思わず、感嘆の声をあげてしまう。
 見上げるのは、真新しい立派なマンション。夜を突き抜けんばかりに天へ向かってそびえたっている。
 壁面に連なるいくつもの窓からは、やわらかな光が透けて見える。あのひとつひとつに、人がいて、家族がいて、あたたかな空間がある。
 つ、と視線を下げる。マンションの入り口にある車寄せは優雅な曲線を描き、内部へ入るための扉もなんだか高級そう。周囲の緑もよく手が入れられていて、まだ明るいうちには花の咲き誇るさまが綺麗に違いない。
 高級ホテルのような外観に対し、チェックのネルシャツに、ジーンズとスニーカー、そしてリュックというラフすぎる出で立ちの自分が、場違いな気がしてきた。
 僕、間違えてないよね、と携帯端末の画面をちらりと見遣る。まさかこんなにも立派なところとは思ってなかったのだ。
 画面に浮かぶのは、日時と住所とマンション名が書かれた、簡素なメール。それが示しているのは、やはりここで間違いない。
 ふう、と息をついて端末をポケットにしまうと、背負った荷物を担ぎなおし、一歩踏み出す。
 風除室をすぎ、マンションのホールにはいれば、コンシェルジュの姿がみえた。彼の職業柄、セキュリティがしっかりしたところを選んだのだろう。
 近寄って名を名乗り、用件を伝えると、にこやかな顔で頷かれた。
「ようこそ。来客があるとご連絡を承っております。少々お待ちくださいませ」
「よろしくお願いします」
 電話をかけるコンシェルジュの姿をみていると、なんだか緊張してきた。
 不審がられない程度に、あたりを見回す。壁にかけられた風景画を眺めて、呼吸を整えることにした。すう、はあ、と何度も深呼吸を繰り返す。
 久しぶりだ。ほんとうに、久しぶりだ。彼に、会うのは。
 ぐるぐるといろんなことが思い出されて、思考が複雑な渦を描いている。混ざり合うようで混ざらない気持ちを、なんと表現すればいいのか、わからない。汗ばんだ手を、きつく握り締めた。

 いや、僕の気持ちは決まっている――今日で、終わりにするんだ。

 考えぬいた末の結果を確認するように、己に言い聞かせるように、心のうちで何度も繰り返す。そのために、帰ってきたのだ。
「お待たせいたしました、緑谷様。爆豪様と連絡がとれました。こちらへどうぞ」
「は、はい!」
 いつの間にか連絡は終わっていたようで、数年ぶりに日本に帰国したプロ・ヒーロー、緑谷出久は、ぎくしゃくと案内されるがままについていった。

 

 コンシェルジュに導かれたエレベーターに乗って着いた先は、マンションの上層フロア。そこにある、とある一室の前にたつ。
 さて、ここからどうやって扉を開けてもらおうか――と、考える間もなく、それは内側から開け放たれた。
 連絡があったのだから、どのくらいで玄関までにくるか予想がついていたのだろう。とはいえ、ここの住人が出迎えてくれるとは思っていなかった。
 姿を現したのは、この部屋の住人である爆豪勝己。
 金の髪に、赤い瞳。家にいるためか、白いシャツにジーンズという、くつろいだ格好だ。
 思い出の中の彼よりも、もっと逞しくなった、だろうか。精悍さが増して、格好いいと素直に思った。
「よお」
「……ひさし、ぶり」
 再会は、あっさりとしたものだった。いくつも予想していたものとはまったく違った。
 最悪の場合、いきなり殴りかかられるか、問答無用で爆破されると思っていたのに、拍子抜けである。
 ただ、心のうちを無理やり覗き込むような、ぎらぎらとした視線を向けられて、自然と鼓動がはやくなる。その真っ直ぐさと力強さに、見蕩れてしまいそうになる。
 ああ、だめだ。これは、いけない――脳が痺れてしまったように、ぼうっとして動かない出久に対して、勝己は「さっさとはいれ」と短く告げる。
「……あ、うん」
 はっとして、頷く。横柄な態度は変わっていないようだ。そこに、少しだけ安堵した。
「お邪魔します」
 そう一言添えて、出久は決戦の地へと踏み込む。
 唯一、外へ通じる扉が閉められる気配を、背後に感じる。もう、逃げることはできない。
 いくつか扉が並ぶ廊下を通り抜けると、必要なものだけがおかれている、シンプルなリビングにたどりついた。掃除も行き届いていて、まるでどこかのモデルルームのようである。
 いろんなものに溢れる自分の部屋とは大違いだな、と出久は思う。言動は粗野にみえるが几帳面な勝己らしい住まいだった。
 大きな窓からは夜景が見える。夜でなくとも、朝でも夕方でも、時間の経過ごとに移り変わる町並みは、みていて飽きることはないだろう。
「おい。メシはどうした?」
「えっ、く、くるまえに、軽く食べてきたけど……」
 急に声をかけられて、びくりと肩を跳ねさせる。しどろもどろになりつつ応える出久を一瞥した勝己は、背を向けた。
「そうか。まあ、つまみくらいならへいきだろ」
 大きな冷蔵庫から、なにかを取り出すその姿をぼんやりとみつめていると、いってはいけない想いが、口からあふれ出しそうだった。まるで、あの日のように。
 出久はそれを振り切るように、ぱっと顔を逸らして、大きな窓に駆け寄った。
「すごい、夜景がとっても綺麗だね!」
 応えはない。背後で食器が触れ合う硬質な音だけが響いている。
 二十台も半ばになった男がするべきではないはしゃぎっぷりを、懸命に装う。
「女の子が、すごく喜びそう!」
「……おい」
 声に混じる不機嫌さを感じとりながら、出久は口元になんとか笑みを浮かべて振り返る。
「こんなところに住んでるなんて、やっぱりかっちゃんはすごいや! これなら、いつお嫁さんきても大丈夫だね!」
 懐かしい凶悪な表情で、勝己がたっている。眉に深い皺を刻み、目を吊り上げ、舌打ちをしている。それにすら胸震わせる自分は、きっとおかしいのだろうと、出久は自嘲した。
 勝己は、それ以上なにをいうでもなく、テーブルの上にグラス、ボトル、つまみがのった皿を並べていく。
「酒は飲めんだろ?」
「うーん、そんなに強くないんだけど……」
 飲めないわけではないが、すすんで飲むようなこともない。荷物を降ろしつつ、曖昧な返事をすれば、ぎらりと睨みつけられた。
「あ? てめぇ、俺の酒が飲めねぇってのか?」
「新入社員にうざ絡みしてくる上司みたいなこといわないでよ……」
 ソファに座り込んだ勝己が、さっさとボトルに手をかける。
 なんとなく、勝己はビール派かと思っていた。が、どうやらそうでもないようだ。
 用意されているのはすらりとした優美なグラス。どうみても、ビールを飲むようなものではない。
 勝手ながらソファに腰掛けて、手馴れた様子であけていく勝己の手元を眺める。
 ワインかな、と深い色をしたボトルをみやり、ラベルを読んだ出久は、息を飲み込んだ。お酒にあまり興味がない自分でも知っている銘が記されている。
「え、待って、かっちゃんそれ……!」
 出久の制止の声よりも早く――ポン、という軽い音とともに、超高級に分類されるシャンパンのコルクは抜けた。
 ふわっと部屋を満たす、芳醇で果実に似た香りに、眩暈がした。
「おら、飲め」
「……」
 勝己が景気よく、グラスへとシャンパンを注ぐ。
 淡いピンクを帯びた金色の液体は美しく、きめ細かな泡が無尽蔵に湧き出しているようにみえる。これだけで、ひとつの芸術品のようだ。
「あり、がとう……」
 出久は、ごくりと喉を鳴らし、おそるおそるグラスの繊細な脚を持つ。
 あけられてしまったものは仕方が無い。こんなお酒、出久が自ら買うことなんてない。ありがたくいただこうと、思い切って口をつける。そして、目を見開いた。
「うわ……おいしい……!」
 鼻腔をぬけていく香りはふくよかで、酸味もあるがまろやかさもある。舌の上ではじける泡も心地よい。今まで飲んできたのはなんだったのだろう。
「そうか? こんなもんだろ」
 対する勝己の感想は平坦なものである。
「かっちゃんって、いつもこんなの飲んでるんだね」
 さすがというかなんというか、感心したように呟くと、勝己が「んなわけねーだろ」と返してきた。
「こりゃもらいもんだ。いつもはビール」
「……ふふ、そっか」
 もしかして、自分と飲むためにとっておいてくれたのだろうか。まさかね。
 淡い期待を捨て去って、出久は笑う。
「こうして二人でお酒を飲む日がくるなんて、高校生くらいのころは想像したこともなかったなあ」
「まあな。どっかの居酒屋とかでもよかったけどよ、みつかるとうるせぇからな」
 嫌な思い出でもあるのか、勝己の眉間の皺が深くなる。大衆が集う場所に、プロヒーローがいるとなれば、ほうっておかれるわけがない。しかも、勝己はいるだけで目立つ。隠れてこっそりお酒を楽しむというのは難しいだろう。
「あはは、かっちゃんは人気者だからね」
「てめぇにそういわれるとクソ腹立つわ。……『デク』の名前、こっちでも皆知ってっぞ」
「そっか……僕も、よくきいてるよ、かっちゃんのこと」
 海外に拠点を置いて活動している出久にも、日本のヒーローの名は聞こえてくる。その中に、もちろん勝己の名もあった。
 自他共に認める、実力も人気も、トップといってもさしつかえないだろう、ヒーロー。
 日本国内で日々起こる事件を解決し、その名は世界的にも有名になりつつある。出久は聞くたびに嬉しく感じていた。
「まあ、素直に褒め言葉として受け取っておいてよ。そういえばさ、高校のころ――」
 美味しいお酒とつまみは、人の舌を滑らかにする魔法でもかかっているのだろうか。
 懐かしい過去のこと。現在のこと。ふわふわと身体を巡るアルコールに躍らされて、出久はたくさん話をする。
 昔と違って、勝己はそれを怒鳴って遮ることはなかった。だから、出久は、話し続ける。
 この夢のような穏やかな時間が、終わらないでほしいという願いを隠して。

 

 気づけばもう、終電がなくなる時刻になっていた。今から最寄りの駅に走ったところで、さすがの出久でも間に合わない。
 とはいえ、出久の宿泊先は都内のホテルで、ここからほど近い。タクシーを呼んで移動すれば、戻るのにさほど時間もかからないだろう。
 そして、明日には、出久はこの国を後にする。会話のなかでそのことにも触れたが、勝己の反応は薄いものだった。興味がないのだろう。
 テーブルの上にあったつまみもなくなり、お酒も尽きた。会話もじゅうぶんできた。もう、頃合いだ。
 あとは、勝己に伝えるだけ。
 ちょうど、話の谷間に落ちた沈黙に、二人で浸っていたところだった。今いわなきゃ、と出久は唇を震わせた。
「かっちゃん――」
「そろそろ、いいだろ」
 コツ、と小さな音をたて、勝己が飲み干したグラスがテーブルに置かれる。
 出鼻をくじかれた形になってしまって、戸惑う。だがすぐに気を取り直して、出久は小さく首を傾げた。
「なにが?」
「いいたいことがあるから、俺に連絡とってきたんだろうが。はよ言え」
 ああ、お見通しだなぁ、と苦笑する。絶対的な上位者の風格を滲ませて、勝己は当然のように命じてくる。
 そのとおりだ。でも、いざ言おうとしたら、いろんな思いが足を引っ張る。言葉は喉にはりついたまま、出てこられずにいる。
「……」
 何度か口を開け閉めして、声にしようと努力をした後、出久は指を組んで項垂れた。
 苛々した顔を隠しもせず、痺れを切らした勝己が、出久の隣に腰掛けてくる。
「てめぇは、まだ俺から逃げんのか。こんだけ逃げ続けて、まだたりねーのか」
 耳を塞ぎたくなる言葉を容赦なく綴って、勝己が手を伸ばしてくる。
「いっつも怯えたような顔しやがってよ」
 顎が掴まれ、無理やり勝己のほうを向かされる。
 泣きだしたい気持ちで顔を歪めた出久は、その手をそっとはずした。
 どうしたらいいのかわからなくて、心底困ったまま、眉と視線を下げる。
「怯えてなんかない。かっちゃんが、こわいわけじゃない」
 皮の厚い手を優しく、細心の注意をもってして、押し戻す。すぐに手をはなそうそうとしたが、強く握り締められて動かせなくなった。
 勝己の手の中に、自分の指先がおさまっていることが、不思議で、なんだかおかしかった。
「僕はもう、大人だよ。子供じゃないんだ」
「だったら、」
「だからこそだよ」
 距離を詰めるように身を乗り出してくる勝己を制して、出久は彼から距離をろうとする。それが気に食わなかったらしく、ぴくり、と不機嫌そうに勝己の眉がはねた。
 出久は悲しげに笑った。
 再会した瞬間にわかっていた。自分たちに、変わらぬ想いがまとわりついていること。
 勝己がどうでもいいと思ってくれているようにと願っていたけれど、そうじゃなかった。あの赤い瞳は、恋する瞳。
 だから、自分が断ち切らねばならないのだ。間違ったはじまりの、自分が。
 火がつきそうなほどの熱をはらんだ視線が、こちらをじっとみつめているのを感じながら、唇を震わせる。
 だめだ。そんな瞳を、君が僕に向けちゃ、だめなんだよ。
「僕のこの気持ちも……、かっちゃん――君の、その気持ちも」
 茨の道を踏みしめ血を吐くような思いで、一言、また一言と、重ねていく。
「その熱だけで後先考えずに突っ走れるほど、お互いが背負ってるものは軽くないって、わかってるだろ」
 お互いプロのヒーローとなり活動をはじめて数年。自分たちを取り巻く環境は大きく変わった。
 最初は、敵との戦いにおける純粋な戦力として。そしてやがては、次代へ繋がる活動が視野にはいってくる。
 出久が受け継いだワン・フォー・オールは特殊なものだ。託す相手を、自ら選ぶことが出来る。
 だが、本来個性とは、遺伝していくもの。つまり、強い個性ほど後世へ残されることを望まれる。子に託すことを、願われる。勝己の性格上、個性婚をすることはないだろうが――つまり、そういうことなのだ。
「だから、目ェ逸らすってのか」
「そうだよ」
 勝己は賢い男である。出久のいいたいことをすぐさま理解したのだろう。
「そうやって! あのときも俺から逃げたんか! 面倒なもん押し付けて! 自分勝手なんだよ! てめぇは!」
「そうだよ!」
「俺の気持ちも見てねえフリしやがって! 知らないとでも思ってんのか?! ああ?! ――俺が、どんだけ……! クソが!」
「そうだよ、しってるよ! 僕は自分勝手で最低の人間なんだ!」
 逃がさないとばかりに握られていた己の手を、力任せに取り戻す。胸の上で、両の手を握った。痛い。熱い。でもこれは、自分への罰だ。
「メールをくれて、すごく嬉しかった。でも、それと同じくらい悲しかった、辛かった……!」
 一瞬、勝己が愕然とした顔をする。こんなふうにいわれるなんて、思っていなかったのだろう。だがすぐに、勝己は顔を紅潮させて激昂した。
「なんだよそれ……どーいう意味だよ……じゃあ、なんで……、あんとき、あんなこといったんだ! てめぇは!」
「――かっちゃんなら、きっと! 僕が諦められる言葉をくれるって、思ったんだ!」
 自分の恋を殺すために、勝己を利用したのだと、そんな酷い告白を喉から搾り出し、出久は両手で顔を覆った。
 暗い世界の中、思い出すのは、数年前の自分の愚かさだった。

 

 卒業式の帰り道、どうしてもと懇願して、勝己につきあってもらった公園。子供の頃に、よく遊んだ場所。
 そこで、夕暮れの中で忍び寄る闇に紛れるように、もうどうしようもなくなっていた恋心を、告げた。告げてしまった。
「かっちゃん、あのね、」
「あ?」
 勝己は振り返らない。出久の言葉など、聞く価値もないとその背中がいっている気がした。
 それでよかった。振り返ってほしいと思いながらも、こちらを見ないでほしかった。苦しくてみっともない自分を、みられたくなかった。
 夕日が眩しくて視線を下げれば、震える自分の足がみえた。
 ヒーロー科では、いろんな経験をした。死ぬかもしれないと感じたことも、一度ではない。その度ごとに、諦めることなく地面を踏みしめた足は、今、こんなにも弱弱しい。
 それでも、口は自然に動いていた。吐き出さなければ、身体が内側から破裂してしまいそうだった。
 この恋から、逃げたかった。

「僕、君のことが――好きだよ」

 出久は、信じていた。
 勝己なら、きっと、この気持ちを殺してくれる。気持ちが悪いと、金輪際近寄るなと、希望のひとかけらすら抱くことがないくらい、切り捨ててくれると。
 でも、そうはならかった。
 ジャリ、と地面となにかがこすれる音がした。出久は、はじかれたように顔をあげる。
 背を向けていたはずの人は、こちらを向いていた。ひどく驚いた顔をしている。しかし、それだけだ。そこに、嫌悪など一欠けらもなかった。
 赤い瞳に、ゆらりと灯っていくなにか。いや、違う。それは、幾重ものヴェールで隠されていたものが、ゆっくりと暴かれていっているようにみえて――ぞわ、と背筋があわ立った。
 薄い唇がわずかに動いた瞬間、出久は逃げた。ワン・フォー・オールを使って全速力で。
 だってあれは、鏡に映った自分と同じ目だった。あれは恋する者がもつものだ。
 どうして、かっちゃんがあんな目をする? 
 まさかの可能性が頭を過ぎったとき、逃げるしかなかった。

 そのあと、出久は勝己に連絡をとらなかった。勝己も、出久に連絡をくれなかった。
 だから、これで終わったと思ったのだ。ほっとした。拒絶はされなかったが、これでよかった。あのときみた勝己の瞳も、自分の愚かな願いがみせた幻だったのだと納得できた。
 そうして、出久は日本をでた。
 卒業後、海外にでることは、あらかじめ決めていたことだった。
 オールマイトの伝手を辿って、知らない世界で自分の力を試し、磨きたかった。広い世界で、たくさんの人を救いたかった。偉大なる恩師に恥じない、ヒーローになりたかった。
 旅立ちは誰にも告げなかった。
 苦楽をともにした大切な友人たちは、ひどく驚いていた。けれど、それと同時にたくさんの励ましをくれた。
 出久は、がむしゃらに、ヒーローとしての仕事に励んだ。
 そんなとき、日本とは違う空の下、震える端末が届けてくれたメール。
 今思い出すだけでも、恋しさで胸が一杯になる。

 俺も おまえが好きだ

 十文字に満たない言葉が、どれだけ出久の心をかき乱したことか。
 あの勝己がこの言葉をつづるまでに、どんな葛藤があったことか。
 少し考えただけでも、すぐさま日本に飛んで帰りたくなった。逢いたくて会いたくてたまらなかった。
 だけど、怖くなった。もしもこれが本当だとしたら、とんでもないことだ。血の気が引いた。
 勝己の人生は、彼の生き様どおりでなければいけない。
 強く、派手で、格好いい、誰しもが憧れるヒーローでなければいけないのだ。素敵な人と結ばれて、あの稀有な個性を時代へと繋いでいかねばならないのだ。
 この言葉に応えることは、その輝かしくあるべき勝己の人生に、泥を塗るようなものだ。
 だから、すぐさま端末をかえた。これ以上の連絡がとれないようにした。
 敵との戦いで端末が壊れて、全部消えたことにした。だから、このメールは自分のもとへと届かなかったことにした。見る前に、なくなってしまったのだ、と。今考えても、ひどい言い訳だ。
 家族や、かけがえのない友人たちには、こっそりと連絡をいれた。でも、勝己にだけ、伝えなかった。
 皆にも、勝己には伝えないでほしいと我儘をいった。高校時代の自分達を知っているからか、誰しもが了承してくれた。
 さらには、はやく仲直りしてね、と優しい言葉を添えてくれた。喧嘩をしたとでも、思ったのだろう。実際はそれよりも悪い事態になっているとは、とてもじゃないが言えなかった。
 そうして、もう連絡がとれなくなった端末は、出久にとって宝物になった。同時に、戒めとなった。
 見知らぬ土地で挫けそうなときには、それをそっとみつめた。そして、ときおり泣いた。
 そうしていれば、いつの日にか、きっと忘れられると思っていた。時間が解決してくれると、根拠もなく信じた。
 でも、そんなことはなかった。
 しんしんと降り積もる雪のように、それはいつのまにか出久を埋め尽くして、気付いた時にはもう、動けなくなっていた。
 この想いが消えることは、終ぞないのだと理解するのに、何年もかかった。
 だから、久方ぶりに故郷に帰ると決めた。勝己に、会うためだ。
 連絡をとったときのことは、正直よく覚えていない。
 勝己の所属するヒーロー事務所に電話をいれて、帰国するから会いたい、よければ都合がいい日を教えて欲しいと伝言を託した。
 連絡手段のひとつとして伝えたメールアドレスに、今日の日付と時間、そして住所だけが届いたのは、数日してからだった。
 出久は、覚悟を決めた。この恋を終わらせる。だから、ここにいる。

 

 きつく閉じていた目を、ゆっくりと開く。
 手を離して顔をあげ、怒りを露にする勝己に、笑いかける。
「……かっちゃん、君はほんとうに凄い人だよ」
 涙が零れて、己の手や胸や膝を濡らしていくが、かまわなかった。
「僕が、ずっと憧れていた君は、輝かしい未来を手に入れた。覚えてる? 中学校の頃、進学先を決めるときにいってたこと」
 いまでも鮮やかに思い出せる。
 自信満々に腕を広げ、大きな声で自分が進む未来を疑うことなく語る勝己、それを後ろからみていることしかできなかった無個性のころの自分。
「長者番付にのる日だってそう遠くないね。自分の言葉を実現できる君は、すごく格好いいよ。だから、かっちゃんはそのまま――格好いい、君でいて」
 出久だけではない。誰しもが憧れるような存在でいてほしい。
 ヒーローは、敵から人を救うだけが仕事ではない。誰かの標となることもまた、ヒーローの勤めだ。オールマイトが、そうであったように。
 ぎり、と奥歯を一度鳴らした勝己が、鋭く出久を睨み付けたまま、低く唸るように声を漏らした。
「……てめぇだってそうだろうが。俺がなんべんいっても、諦めなかっただろうが。今のお前はなんだ? ヒーローだろうが! 俺とおなじように、望んだところにたってんじゃねえのかよ!」
 出久は、目を見開いた。全身が、かっと熱くなる。それを少しでも逃がすように、くしゃりと笑った。
「……ありがとう。かっちゃんにヒーローって言ってもらえて、すごく嬉しいよ……」
 ぐ、と出久は唇をかみしめる。目から、とめどなく涙が溢れる。ひっく、としゃくりあげるたび、それは頬をつたって流れていく。
「僕は、ずっと……ずっとかっちゃんに、認めてもらいたかった」
 嗚咽の合間をぬって、出久はいう。
「君にとって、僕はなんにもできない『木偶の坊』だったろうけど……、ずっと、ずっと……」
 視線をあわせる。赤い瞳は、自分ほどではないが、薄い水の膜に包まれている。ゆらゆらと揺れていて、とても綺麗だ。
「かっちゃんの隣に立っていてもおかしくない『人』に、僕はなりたかった」
 デクではなく、出久――いつかまた、そう呼んでくれる日を夢見ていた。
 クソが、と小さく呟いた勝己が、片手で目元を覆った。
「……俺は、お前がずっと、俺の影にいればいいって思ってた。なんにもできないなら、『デク』のまま、後ろにいりゃあいいって」
 ゆるり、と頭が左右に揺れる。金の髪が照明の光をはじいた。
「でも、てめぇはそんなとこにおさまるようなやつじゃなかった」
 勝己が、深く息を吐いた。力強い肩が、わずかに落ちる。
「わかってたんだよ。俺が川に落っこちたとき、誰も動かなかった中で、デクだけが迷うことなく俺を救けにきたときに」
 指の隙間から、出久をねめつけながら勝己が続ける。
「どんな相手だろうが、自分に力がなかろうが、てめぇは躊躇わずに手を伸ばすんだって――それが、怖かった。俺相手にさえ、そんなことしやがるてめぇが、いかれてると思った!」
 ふいに伸びてきた手が、出久の胸倉を掴んだ。ソファの座面に膝をついた勝己に、ぐいと引き上げられて、苦しさに顔がゆがんだ。
「なんにもできねぇはずなのに、俺にはできないことを、お前は当然のようにやりやがる! ハッ、追っかけてると思ってるほうはわかんねぇだろ? 追っかけられる奴の気持ちなんてよ!」
 叫び声が肌を刺す。鼓膜が痛くなるほどの激情を、出久はただ受け止める。
「だから俺はナンバーワンヒーローにならなきゃいけなかった! 一番にならなけりゃいけなかった! てめぇが追い続ける俺でなきゃいけなかった!」
 勝己が顔を伏せる。泣いているのだろうかと、自分の状況を一瞬忘れて、出久はそんなことを思う。
「追い越されて、置いていかれて、手をのばせなくなるのがたまらなく嫌だった。デクのまんまでいりゃあ、そんなこと関係なかったのに勝手ばっかしやがって……俺の後ろが嫌なら、俺のそばにいりゃよかったんだよ、てめぇは」
 はじめて知った。勝己がこんなふうに思っていたなんて。もっとはやく、胸をひらいて話をすればよかったと、出久は苦笑した。
 ここまでくるのにどうして、こんなに時間がかかっちゃったんだろう。
 でも、長い時間がなければ、こんなふうに話をすることもなかっただろう。すべては、必然だったのだ。
「ごめんね、かっちゃん……ごめん……ありがとう……ごめん……」
 だからこそ、ここで決別しなければいけないと強く思う。
 勝己の人生に、その隣にたつべきなのは、自分じゃない。もっとふさわしい別の誰かだ。
 出久は涙を拭いて、勝己をみつめた。胸倉を掴むその手に、自分の手を添える。
「僕は、君にこれだけ伝えたくて、今日ここにきたんだ」
 胸が熱い。溢れてくる涙をおさえたいのに、次から次へと湧き上がってくる。
 ごめんなさいオールマイト。泣き虫はなおしたつもりだったけど、やっぱり駄目みたいだ。
 恋しい相手を前にして、泣かないなんて、無理なことだった。
 出久は、震える喉を叱咤する。そうしなければ、ひたすら、嗚咽だけがでてきそうだった。彼に縋って、ただただ泣いてしまいそうだった。
 ぐっと、一度唇を結び、息を吐き出す。瞳に、精一杯に力をこめた。

「僕の想いを、なかったことにしてほしい」

 勝己の動きがとまる。まるで、彫像になってしまったかのよう。
 瞬きさえも忘れてこちらを凝視する赤い目を、真正面から見返して、出久は重ねて告げる。
「あの日、君が好きだといった僕を、どうか、忘れて。そして、かっちゃんは、しあわせに――」
 最後まで言い切る前に、左頬に衝撃が走った。
 避けられない攻撃じゃなかった。しっかりと見えていた。だけれど、出久はそれを甘んじて受けることを選んだ。
「ふ……ざ、け……」
 一瞬遠ざかった聴覚だったが、勝己の声はなんとかひろってくれた。感覚がすべて戻ってきたときには、勝己の怒りという爆発に晒されていた。
「ふざけてんじゃねぇぞ、デク! このクソが! ンなことをいうために! わざわざ帰ってきたんかてめぇは! どこまでも俺をバカにしやがって!」
 出久は小さく笑って目を閉じる。狭まる視界に、再び振り下ろされる拳がみえる。何度殴られてもいいと、そう思って力を抜いた。
 だけど訪れたのは痛みではなかった。
 引き寄せられ、口がふさがれる。目を見開けば、これ以上ないくらいに近くに、勝己の顔がある。意味が分からず、頭が真っ白になった。
 唇に触れる温かかく柔らかな感触。生暖かい空気が、頬を何度も撫でる。
 キスをされているのだと気づいたのは、口内に侵入してきた熱い舌先が、すべてをよこせといわんばかりに、暴れはじめてからだった。
「は、かっちゃ……やめ、……なにっ……ん、んぅ……!」
 応えはない。ただ、口づけが激しくなっていく。引っ込めようとしても、舌は吸い上げられるし、奥歯から前歯まで確かめるように辿られれば、腰が震えた。絡み合う唾液の音に、聴覚までが犯されていく。
 逃げようと身を引いたのがよくなかった。そのままソファに押し倒されて、座面が二人分の重みで柔らかく沈む。
「ん、んんっ……んぁ……ふ……!」
「デク、デク……くっそ、クソが……! ……デク……!」
 争う獣のようにとっくみあっているのに、その乱暴さとは相反して、交尾をする軟体動物のように舌がねっとりと絡み合う。
 出久は何度も勝己の唾液を飲み込み、勝己は何度も出久の唾液を啜りあげる。これはもうもう、性交をしているに等しい。そんな興奮を覚える、口づけだった。
 だが、そんな力任せな行為が、長くは続くはずもない。唐突に勝己が顔を離した。
 はー、はー、と二人とも全身を使って息をする。空気が、圧倒的に足りなかった。
「かっちゃ、ん……はっ……!」
「勝手なことばっかいってんじゃねえ! 俺に命令すんじゃねえよ!」
「命令、なんかじゃ……」
 そんなつもりはないのだと訴えようとしても、頭に血が上った勝己には届かない。 
「なかったことにしろ?! 忘れろだ?! いうようになったじゃねーかよ! あ?! だったら忘れられなくしてやるよ!」
「!」
 そう声を張り上げた勝己の手が、出久のネルシャツを左右に無理やり開いた。ボタンが、ばつりという糸が切れる音をたてて弾け飛ぶ。
 下に着ていたTシャツの裾から無遠慮に手が突っ込まれて、出久は目を見開いた。ひっ、と息を飲む。まさか。まさか!
 懇願するように勝己の目をみあげ――だめだ、とすぐに理解した。
 飢えた獣よりたちが悪い目がそこにあった。隠しきれない、否、隠すつもりのない情欲まみれの赤さに、戦慄を覚える。
「……かっちゃん、やめよう、だめだよ……!」
「だめじゃねぇ!」
「……だめ……!」
 だめだと何度もいうのに、勝己はとまらない。覆いかぶさられ、手や唇で肌をたどられる。そのたびに、出久の口からは、応えるように甘ったるい声があがる。
 触れられたところから痺れて、ぐずぐずと融けていくような感覚に喘ぐ。出久は今、勝己の熱に、とかされている。
 それでも、力の抜けていく手を懸命に伸ばして、勝己を抑えようとする。そのあえかな抵抗を、勝己は容易く捕らえた。
「あ……ぅ……かっちゃ、ん……!」
 口付けられて肌があわ立つ。熱い舌先が、まるで出久の深いところを嬲るように、手のひらを下から上へと舐め上げた。出久の手をはなさぬまま、勝己が、言う。
「だめかもしれねぇけど、」
 赤い瞳が、出久の動きを縫いとめる。
「嫌じゃ、ねぇんだろ」
「……」
 するり、と出久の手が、ソファに落ちた。
 はく、と吐息だけを食み続ける出久にとどめをさすように、勝己が下りてくる。
 ひくりと震える喉に、やんわりと歯がたてられた。そのまま、また肌に触れられ、身体のかたちを辿られる。たまらなく、心地いい。
 出久は、ぼろぼろと泣いた。
 こんなのひどい。ほんとうに忘れられなくなる。だが、勝己の怒りはもっともだ。これしか感情を収める術がないのなら、受け入れよう。
 これは、愚かな行いに対する報い。神を鎮めるために、怒りをかったものが生贄になるのは至極当然のことだろう。
 でも――たった一度だけでも、繋がりあった思い出があれば、きっとひとりでも大丈夫だと、出久は思った。
 ふと彼を思い出したとき、ふと隣をみて寂しくなったとき、ふと夕焼けに泣きたくなったとき、ふと想いを叫びたくなったとき。
 この思い出をよすがに、生きていけるだろう。
 叶うべきでない恋の悲しい結末を抱いて、僕は歩いていけるだろう。

 ああ、最後まで、僕はずるくて、最低で、最悪だ――

 こうしてまた、勝己を利用する自分に、反吐が出る。
 ごめんねと呟くこともできぬまま、出久は勝己の背へと手を回し、そのまま流されていった。

[newpage]

「……なに、これ……」
 散々に啼かされた結果の掠れきった声で、出久はそうつぶやいた。
 身を横たえているのは、キングサイズのベッド。シルクの寝具が素肌に心地よい。体を休め、一日をはじめるには最高の場所であろう。普通の状態ならば。
 だが、昨晩、ソファでことに及んだ後、ここに放り出されてからもどえらい目に遭ったことを思い出せば、あまりよい目覚めとはいえない。身体がだるくてしかたがない。
 ベッドにぐったりと身を任せたまま、自分の左手をもう一度眺める。薬指の、見慣れないなにか。
 それは、レースのカーテン越しに差し込む太陽の光をあび、指の付け根で輝いている。銀に一筋はいった金が、誰かの髪を思い起こさせた。
「……なにこれ」
 さきほどよりは、いくぶんかしっかりした声で、再度、出久はいった。というか、ほんとうにわからない。
 頭の上で、ゆっくりと疑問符を行進させていると、寝室の扉がひらいた。のろり、と視線を向ければ、出久をこんな状態にした獣が立っていた。
「目ェ覚めたかクソナード」
 ぎくしゃくするかと思ったが、勝己は変わらぬ態度である。あれだけのことをしたとは思えないくらい、いつもどおり。
 肌を重ねあった朝は、さすがにいろいろと恥ずかしいと思うのだが、勝己は堂々としたものである。なれているのかなと考えると、ちくりと胸が痛んだ。そんなこと、思う資格もないというのに。
「……お、おはよう……かっちゃん……」
 ここで自分だけが態度をかえしまうと、意識しているようでいたたまれない。できるだけ平静を装い、シーツにくるまりながら挨拶をする。
「ねえ、これ……なに」
 ふいに湧き上がった寂しさはなかったことにして、出久は左手を持ち上げる。
 勝己が眉を寄せる。馬鹿か? といわんばかりの顔をしている。気持ちはわかるが、確認したかった出久の気持ちを察してほしい。
「みりゃわかんだろ、指輪だ。いっとくが、造ったヤツの個性で、俺の許可がないとはずせねぇからな」
「そうだね、やっぱり指輪だよね……そっか……で、はずせないんだ……へえ……すごい個性……」
 まだどこかぼんやりとしたまま出久は応え――さすがに、完全覚醒した。
「!?」
 がばり、と身を起こす。身体の筋肉や骨が悲鳴をあげるが、労わる余裕すらない。ぱくぱくと口をあけしめしながら、指輪と勝己の顔を交互に見遣る。
「つーか、いつまで寝てやがる。そろそろ起きて支度しろ。でかけんぞ。ぼうっとしてんじゃねぇ、ノロマ」
「え、でかけるの?! と、いうかそもそもこの指輪……! って、痛っ! あいたたたた……」
 大股で近寄ってくる勝己に事情の説明を求めるべく、ひとまずベッドを降りようとした出久は、腰をおさえてくずれおちた。痛みもあるが、違和感がすごい。よく頑張ったなあ、自分……と、出久は一瞬だけ遠い目をした。
「ちっ、ヤワな身体しやがって」
「えっ……かっちゃんがそれいう? あんだけしておいて……無理言うなよ……いたたた……」
 実際、ハードすぎる夜だったと思う。勝己のタフネスは健在だった。こんなことで知りたくなかった。
「飲め」
「あ、ありがとう」
 持ってきていたらしいミネラルウォーターのペットボトルが放り投げられる。
 綺麗な放物線を描いて向かってくるそれを空中で掴みとる。ちょうど喉が乾いていた出久は、緩慢な仕草で蓋をあけ、口をつける。するりと喉をとおり、胃へと落ちていく冷たさが、すこし冷静にしてくれた。
 ゆっくりと水を飲んでいると、ベッドに腰掛けた勝己が腰をさすってくれた。
 ありえないその優しさに、出久は水を喉に詰まらせそうになるという稀有な体験をしかける。
「……で、どこにいくの?」
 なんとか飲み干した後、出久は問いかける。
 そうしながらも、頭の中で飛行機の時間を思い出す。今日の夕方の便でたつ予定だから、まだ余裕はあるはず。それまでは、勝己のしたいことに付き合おう。そう考えた矢先。
「あ? んなもん役所に決まってんだろ」
 さすがに予想外すぎて、出久は目を点にした。なにそれ。
「……なんで?」
 ベッドのサイドテーブルにおかれていたものを、勝己がとる。
 ぴらりと目の前に差し出されたそれを受け取り、ざっと斜め読みした出久は、飲み込んだばかりの水を胃から噴きだしそうになった。
 それはいわゆる同性の婚姻届提出に近い――パートナーシップに関する手続きの説明書だった。
「全部やっとこうかと思ったが、そろってねぇと受け付けない手続きもあるんだとよ。日数もかかるが、まあ、仕方ねえな」
 なにを当たり前のようにいっているのだこの男は。よく知っているはずの幼馴染が、まったく知らない未知の生命体に思えた。
「え、まって、ちょっと、まって」
「あ?」
「ど……どういう、こと?」
 これは夢なのか。それとも勝己の渾身のギャグなのか。もしくはドッキリか。ひっかかったふりをしてあげるべきなのか。
 そんなことを考える出久をみて、勝己はひどく困惑したような顔をする。
「マジでわかんねーのか……」
「いやいや、わかるよ。わかるけど……」
 憐みの目を向けられると辛いのでやめていただきたい。
 出久は、情報を繋ぎ合わせて、しどろもどろに言葉を綴る。
「あの……それって……つまり、僕が、かっちゃんの、パートナーになるってこと……、じゃないか」
 おう、と勝己が頷いた。そのとおりだと簡潔に肯定されて、さらに混乱する。
「え、ええ……?」
 言われたことを理解しようと試みる。何度も何度も、勝己の言葉を脳内で繰り返す。
 ふと見下ろせば、手には指輪が光っていて、「ああ、なるほど、これはつまりそういうものか」と、納得したところで、出久は顔を真っ赤にした。
「いやいやまってまって! 僕の話きいてた?! 忘れてっていったよね?!」
 君は素敵な人と結婚して、子供をもうけて、その個性を次代へとつないでいくべき人なのに!
 そんな出久の訴えを、勝己が一笑に付す。
「忘れさせねぇっていっただろうが。つーか、俺がどうするかの決定権はデクにねぇし、まわりのクソモブどもにもねぇ」
 もう口をあけるしかない。
「その俺が決めたんだ。相手はてめぇだ。心から喜べ、オラ」
 そんなことをいわれてはいそうですかと頷ける人間が、この世界にどれだけいるだろう。
 出久は頭を抱えた。なんでこうなった。こうなるはずじゃなかった。
 勝己の気持ちと、彼の大切な時間を無碍にした罰は、昨晩受けたはずだ。それで終わったんじゃなかったのか。足りなかったというのか。
「どうして……?」
 さっきから同じようなことしかいってないと思いつつも、出久は問いかける。
 んなもん決まってるだろうが、と勝己が当然のように言う。
「俺が、おまえに惚れてるからだ」
 んぐ、と出久は息を飲み込み、目を見開いて、勝己へと顔を向ける。そんな言葉、夜の間に一度もいわなかったくせに。
 勝己の指先が、とん、と己の胸をさす。そこは、鼓動を刻む、心臓の真上。その長い指先が、今度は出久の胸をたたいた。
「そんでもって、おまえは俺に惚れてる」
 ニヤリ、と勝己が笑う。悪役じみた笑みなのに、これ以上なく格好よくみえる。ファンのように黄色い悲鳴をあげたくなった。
「これ以上の理由がいるのかよ」
 震えながら、シーツを引き寄せる。ベッドの上でじりじりと後退しながら、出久は真っ赤な顔を俯かせた。心臓が胸を突き破りそうなほど、高鳴っていて苦しい。
「でも、だって……僕は、男、だし……」
「知ってるっつーの。昨日さんざんみたし触ったわ」
「あー! あー! そういうこといわないでよ! と、とにかく、だから、君は……僕じゃなくて……もっと……!」
「だー! めんどくせぇなあ! この俺が好きだっつってんだろうが! なにが不満なんだ! まさかてめぇまた逃げるってのか?! あ?! 監禁すっぞ、コラ!」
「ええっ?! ヒーローが監禁とかだめだよ?!」
 埒が明かないと思ったのか、短気な勝己が叫んだ内容に、出久は悲鳴じみた声をあげた。
「そもそも僕、今日むこうに戻る予定なんだって! 昨日話しただろ!? それにほら、こういうことはもっとちゃんと考えよう? 一時の感情じゃすまないんだから――」
「ああ、心配すんな。飛行機ならキャンセルしといた。てめぇの事務所にも休暇延長の連絡しておいたわ。感謝しろ」
 なんとか説得をして、お互い冷静になる時間と距離をとろうと思ったのに、勝己のほうが何枚も上手で行動的だった。
「なにしてくれてるんだよ?!」
 出久は蹲ってベッドを両の拳で叩いた。感謝などとても出来そうにない、心配だらけな自分の現状を嘆く。
 あれ、これって僕、本当にまずいんじゃないのか――はっとそう思った瞬間。黒い影がさし、身動きがとれなくなった。
 恐る恐ると視線を動かせば、嗤っている勝己が圧し掛かっていた。笑顔に滲む怒りに、反射的に身体が縮こまる。
「このクソナードはよォ、まっっったく自分の立場っつーものわかってねぇみたいだなァ……? ――予定変更だ。今日は足腰たたねぇくらいに、抱き殺してやるわ」
「ちょ……! うわああああ?!」
 身を守るシーツがはがされて、出久はとうとう悲鳴をあげた。後ろから抱きすくめられ、無防備にさらされた項に柔らかな感触が落ちてくる。小さな音とともに、肌に走る痛み。
 痕をつけられていると理解した出久は、手足をばたつかせた。勝己はそれをなんなく押さえ込み、真っ赤に熟れた出久の耳に唇を寄せて囁く。
「そのあと一日だけ、時間をくれてやる。よーく考えろ。俺のモンになるのか。俺のモンにされるのか」
「一日って短くない?! っていうか、結果はどっちも一緒だよね、それ?!」
 意味のない選択肢にさすがに突っ込まざるを得ない。だが、勝己は揺るがない。
「人を散々待たせやがって、これ以上待つわけねーだろ」
「それでもまってよ! さすがにもう無理だって……! かっちゃんってば!」
 首を後ろに捻って思いとどまるようにと、出久は声を荒げる。
 それを、そよ風が吹いた程度に受け流し、勝己が出久の左手をとる。その手――勝己の左手薬指には指輪が光っていた。出久と同じデザインの、それ。
 んっぐ、とわけのわからない音が、出久の喉で鳴った。
 真っ赤になって身を硬くする出久をひどく楽しそうに眺め、勝己が瞳を細くする。
「かんねんしろや、いーずーく」
「――!」
 そうして唇を熱烈な口付けで塞いでくる勝己へと、心の中で「ずるい!」と叫んだ出久は、あっさりとシーツに沈められたのだった。
 

 

 人気ヒーロー同士の電撃的なニュースが世界を席捲するのは、これより少し、あとのことである――