蒐集本能

 かつて、地下深くに住み、いくつもの美しい装飾品を作っていたドワーフたちは、彼らが作った首飾りを欲する美しい女神の願いを聞き届けるかわりに、女神と一夜をともにしたという。
 はたして、彼らは女神に恋をして、そんな条件をだしたのか。
 それともドワーフに身をゆだねる女神などいないと、無理難題をふっかけたのか。
「どっちも、かなァ……」
 北側に設けた天窓から、ゆらゆらと降ってくるような光の中、壁一面に浮かび上がる大小様々な石たちの囁きに耳を傾けながら、独り言を零したバドは、わずかにみじろぎした。
 大きな体を受け止める古びた椅子が、悲鳴のような音を発する。
 手ずから生み出した世界でもっとも素晴らしい装飾品を惜しむ気持ちもわかる。
 そして同時に、本来なら決して手の届かぬ存在である女神を一度でいいから、この腕に抱きたいと願う気持ちも。
 ゆるり、と銀の視線をめぐらせれば、これまでにバドが集めた石たちが静かに煌いている。
 遠い北の国、天を貫く銀嶺で採れる水晶。
 遥か南の国、海岸で引き潮のときのみあらわれる瑪瑙。
 未知の樹海の川底で、煌いているという金剛石。
 青、緑、紫、黄色――鮮やかな色彩で魅せる蛍石。
 まるで誰かの手によって切り出されたような、黄鉄鉱。
 神秘の泉をそのまま閉じ込めたような、美々しい立ち姿の緑柱石。
 自然がうみだす造形の妙は素晴らしい。おなじものでできているはずなのに、色も姿も、まるで違う。その表情はその石だけが持っている唯一のものだ。世界にただひとつのものを、愛でない理由はない。
 世界各地から、これぞ、と心に響くものだけ集めたものたちに囲まれて、バドはゆるりと息をつく。
 きっと、神話のドワーフたちも同じだったはずだ。自分たちが吟味した宝石たちを、一番美しく輝かせるために、その腕をふるっていたはずだ。
 だけれども、それと引き換えにしてもいいと考えるくらいに、彼らは女神を欲した。
 女神が断れば、首飾りは手元に残る。女神が承諾すれば、生涯忘れえぬ思い出を得る。
 こう考えてみると、ドワーフたちにとっては、どちらに転んだとしても損のない取引内容だ。
 商売とはかくあらねばならないと、バドはひとりで頷く。
 ご先祖さまに恥じないように、あれこれとお金儲けのために策を練るために沈思黙考することしばし――。

 ――こんにちはー! バドさーん! いないのかな……バドさーん――

 静寂を打ち破るような、朗らかな少女の声に、遠い眠りの世界にまで行きかけていた意識が、現実に引き戻される。
 自分が今いる空間にまで通るその音は、瑞々しい命のきらめきが宿っているような気がする。
 ンー、とバドは小さく首を傾けた。
 このまま返事をしなかったら帰るかナー、という期待。
 ほうっておいても見つけ出してくれるかナー、という願望。
 そんな相反する気持ちが、バドの胸を二分する。
 ぱたぱたと微かに響いてくる軽い足音。どうやら店だけでなく、勝手に居住空間にまで踏み込んでいるようだ。
 人の個人的な空間をなんだと思っているのだろうか。
 いや、そうしてもなんら疑問に思わないほどに、いつのまにか距離は縮まっていたのだろう。
 自然と苦笑いが浮かぶ。手助けをするつもりはあっても、深く踏み込むつもりも、踏み込ませる予定も、なかったはずなのに。
 春に吹く風のように、彼女はいつの間にか、そこにいた。

 ――あれ? なんだろ、ここ……

 どうやら、みつかったようだ。
 まあ、どうせ誰もこないだろうと、床板をもちあげた先にある入り口もそのままにしてきたのだから、みつかるのも時間の問題だった。
 苦笑いが、どうしようもなく緩んだものになる。
 躊躇いがちな、でも好奇心を抑えられずに前に進む足音が、ひとつひとつ、近づいてくる。
 バドは椅子から立ち上がると、唯一の出入り口である扉をみつめた。
 そうっと、扉がひらかれる。
 この季節は太陽の位置加減によって、いつもはほのかな光にしか満たされていないこの地下室も、階段を通じて眩い光が差し込む。
 その中から、小柄少女が顔を覗かせた。
「バドさん?」
「みつかっちゃったネー」
 いらっしゃいとばかりに軽く笑いつつ、こっちおいデ、と手招けば、フレイが警戒する猫のようなしぐさで、そろそろと地下室へとはいってくる。
 ぱたり、と後ろでに扉を閉めたフレイが、きょろきょろと辺りを見回す。
 まだここの暗さに目が慣れていないのだろう。だが、すこしずつその瞳が見開かれていく。
「わ、あ……綺麗……!」
 さして広くはない空間の壁一面にしつらえられた棚。そこにおさめられた鉱物たち。さきほどとは違う意味で、ものめずらしそうに視線をめぐらせている。
 そして、興奮気味にバドのもとへとかけよってきた。
「すごい、すごい! これ、全部バドさんのですか?!」
「そうだヨ」
 うん、と素直に頷く。隠す必要なんてないからだ。
「磨かれた宝石もいいけどネ、こういうのも綺麗だロ?」
「はい! ね、バドさん、あれはなんていう石なんですか?」
 そういってフレイが指差したのは、異国の王家が所有する鉱山から算出される鉱物だった。本来なら世間にでまわることのないはずのものだが、それはそれ、蛇の道は蛇である。
 このあたりではあまり採れない石に興味を示すあたり、やはりフレイも物作りをする人種だなァ、とバドは笑った。
「それハ、アレキサンドライト。おもしろい鉱物だかラ、こっちでみてみるといいヨ」
 子供の拳ほどあるそれを、棚から手にとると、バドはフレイをつれて天窓の下へと向かう。
 裏庭の一角に繋がるそこからは、明るすぎない太陽の光が降り注いでいる。
 そこに石をかざすと、下から覗き込んでいるフレイが、小さな歓声をあげた。
「わ、不思議な緑色ですね。青みがかってる」
「研磨すればもっと綺麗なんだろうけどネ」
 ゆるりとバドの手の内でまわせば、角度によって色は深くも鮮やかにもなる。
 次はこっち、と石を持ったまま、部屋の隅へと移動する。
 そこにある蝋燭に手早く火をつけ、石をフレイへと渡す。
 不思議そうに石と蝋燭を見比べるフレイに、バドは笑った。
「さっきみたいしてみテ」
「???」
 はっきりとした意図を伝えていないものの、素直なフレイはバドの指示に従って、石を蝋燭の明かりにかざした。
「え」
 ぱち、とフレイが大きな瞳を困惑気に瞬かせた。バドはその反応に気をよくして、フレイの手元を覗き込むように顔を近づける。
「何色にみえル?」
「紫がかった赤、です……。さっきは青緑だったのに」
 どうして? と繰り返しながら、石の角度を変えていたフレイだったが、やがて疑いの眼差しでバドをみあげた。
「バドさん、もしかして……」
「すりかえてないからネ? 蝋燭も普通のものだヨ。これは、光によって色が変わる石なんダ。信じられないなら、そのままもう一度あっちの光の下にもっていってみてみるといイ」
「そうなんですか!? こんな石、はじめてみました!」
 ぱあっと表情を輝かせて、また天窓の下に向かったフレイが光の下でさきほどよりも大きな歓声をあげている。
 いままで誰もいれたことのないこの地下室に、こんな楽しい声が満ちるのは初めてだ。ここでの静寂が好きだったはずなのに、こんな賑やかさも悪くないと思う。それは、フレイだからだ。
 引くべき一線が、崩れていく。身を委ねたくなるまどろみに似た空気に、ぐずぐずと形をなくしていく。だけれどそれを微塵も表にださないまま、はしゃぐフレイをみつめ続ける。
「ありがとうございました。これ、お返ししますね」
「どうモ」
 しばらく天窓と蝋燭の間をいったりきたりしていたフレイは、満足したのか丁寧にアレキサンドライトをバドへと返してきた。
 棚の所定の位置に動かないようおさめて振り返ると、わくわくとした様子でフレイが指差す。どうやら、興味が尽きたわけではないらしい。
「バドさん、バドさん、あれは?」
「ンー、あれはネ……」
 そうして、フレイから請われるままに、バドは自分の蒐集したものを見せては語った。
 フレイを後ろから抱えるようにして、光にかざした石を同時にみつめる。それはなんとも、心地よい時間だった。
 だけれど、同時にむくりと鎌首をもたげてきた感情に、バドは少々焦りを覚えた。
 これは、まずい。
 確実にとっておかねばならない距離感を見失うのまではまだいい。
 でも、気に入ったものをここに留めおきたいという、蒐集本能に屈服するのは危険だ。
 そうわかっているのに、とまらない。
 天窓から降り注ぐ光の中、白い肌に覆われた華奢な丸い肩を、掴みたくなる。
 さらさらとした絹糸のような髪に指を潜り込ませたくなる。
 飽きることのないその瞳の揺らぎを、ずっと間近でみつめたい。

 ああ、この「美しいもの」を独り占めにできたなら、どれほど心が満たされるだろう。

 バドは、自分の愚かな思考に、ついつい小さく笑った。
 ドワーフの血に潜む蒐集対象としてみられているなど思いもしないだろうフレイが、不思議そうな顔をする。
 急に笑い出されれば、誰だってそんな怪訝な表情をするだろう。
「……そういえバ、フレイは何か用があってきたんじゃないのカ? もしかして忘れちゃっタ?」
「あ、そうでした!」
 自分がバドに用件があって訪ねてきたことを思いだしたらしく、フレイが声をあげる。すっかり、鉱物に夢中になっていたことを恥ずかしむように、わずかに目を伏せて瞬きした。
 そんなフレイの背を、ぽん、とひとつ叩いて離れる。
「じゃア、そろそろ上にあがろウ。お茶の一杯でもだすヨ」
「わぁ、ありがとうございます!」
 やったぁ、と嬉しそうに笑ったフレイが、身を翻す。萌ゆる緑の髪が、バドの目の前で踊る。春風に揺れて、木々の新芽が喜ぶように。
 出口に向かって流れていくそれを、思わずおいかける。
 フレイがドアノブに手をかけて、ひらいたそこから溢れる光。時間の経過で、もっと光が差し込む角度になったようだ。
 まぶしい。
 バドは、フレイの背後から手を伸ばすと、そのドアを強引に閉じた。
 開こうとしていたフレイが、はっとしてバドを振り仰ぐ。
 きらきらと輝く瞳は、バドが持つ大粒の橄欖石よりずっと魅力的だ。もっとみつめていたくなる。この手のうちにおさめて、どんな表情を隠しているのかすべて暴いてみたくなる。
 誰にも見せず、ただ自分だけのものとして、この心を愉しませてほしい。
 そんな想いがいつのまにか伸ばしていたバドの指先に頬を撫でられ、フレイが困ったような顔をする。
 憂いに沈むその色もまた、美しい。
「えっと、あの、バドさん……?」
「ン……」
 光の中に消えるフレイが、手の届かないものになってしまいそうで、惜しくなったなどと、いえるわけもない。
 バドはフレイを腕と体で囲い込んだまま、いつものように、へらりと笑った。ばつの悪さを誤魔化す。
 そして、ふに、とフレイの頬をつまむ。
「鉱物には、強い光にあたると色あせてしまうものもあるんだヨ。だから、まだあけないで欲しいんダ」
「あ、そうなんですか、ごめんなさい……」
 ぱっと、慌てたようにフレイがドアから手を離す。己の無知を恥じるように顔を伏せるフレイの耳が、ほんのりと色づいているような気がした。
 その誘惑をふりきって、バドは大きな体をゆっくりと離し、棚の一角に向かった。
「片づけるからちょっと待ってテ」
 はい、と消え入るような応えが、バドの広い背中にそっと寄り添う。
 別に嘘をついたわけじゃないのに、なぜか心の隅に針が刺さったような傷みを覚えた。
 目の前に意識を戻せば、上等なブランデーを注いで染め上げたような黄玉がひとつ。しっとりと落ち着いた色味のこの石は、金剛石に次ぐ傷のつかない硬度を誇るが、光を浴び続けていると、やがて無色透明になってしまう。
 場所によって色を変えるのならまだしも、自分の色さえ忘れてしまうなんて。
 覆い隠すよう厚手の布をかぶせて振り返る。
 バドをじっと待っているフレイの姿に、目を細める。光があまり届かない場所なのに、やけにまぶしくみえる。

 このまま、ここに閉じ込めておければいいのニ。
 ずーっとずっと、ここで自分のためだけに輝いていてくれたら、いいのになァ――

 でもその輝きを手にしたら、自分の色はきっと変わってしまうのだろう。そうしたら、どんな色になるのだろう。なにもなくなってしまうのか。それともまったく違う色になるのか。
 しかし、バドがそうなるには、まだ躊躇いが多すぎる。欲しい。けれど、そんな勇気はない。
「おまたセー」
 湧き上がるなんともいえない衝動に無理やりに蓋をして、バドはフレイに声をかける。
 近づいて見下ろしたフレイが、なんだか熱に浮かされたような視線を向けてくる。安心させるように、にこりと笑う。
 これは、こんな場所よりも、もっと存在するにふさわしい場所がある。
「じゃあ、いこうカ」
 なんでもないことだったのだと伝わるよう、明るく声をかけると、フレイがほっとしたように笑った。
「はい!」
 そうしていつものように花開く笑顔。
 今度こそ開け放たれた扉から差し込む光に包まれて、フレイはなお美しく輝いた
 やはり、フレイは太陽の下が一番綺麗だ。
 バドは光溢れる階段のまばゆさから逃れるように、青い睫毛を静かに伏せた。