我が女神に宣誓を

「皇子、準備はいいですか?」
「ああ、いつでも大丈夫だよ」
「じゃあ、いきましょう」
 声を極限まで小さくして、意思の疎通を図る。よし、と気合をひとつ入れたティアの髪が、さらりと揺れる。小柄な身体が、ヴァルドの執務室の扉にぴったりと寄り添う。
 そーっと扉をあけるティアに続いて、ヴァルドも廊下を覗き込んだ。いつもなら、着込んでいる鎧が邪魔をするが、今着ているのは庶民が着ていてもおかしくはない服だ。シャツにベスト、そして目深に被れる帽子。護身用の短剣は、みえないところにそっと忍ばせた。こういうのは、動きやすくていいものだと最近はつくづく思う。
 ヴァルドは、ティアの頭の上から視線を送る。
 古い伝統と格式を重んじるカレイラ王国にふさわしい、赤絨毯の廊下が続いている。きょろきょろと左右を交互にみて、二人で顔を見合わせて頷きあう。
 するり、と身体を部屋の外へと出した。そのまま、長い廊下を出来る限りの駆け足で移動する。なるべく音は立てぬよう。なるべく気配を押し殺し。こそこそ、こそこそと。
 一国の皇子がなにをしているのかとも思うが、正直楽しかったりする。
 と。
「っ!」
「きゃっ」
「おっと!」
 いくつかの角を曲がったところで、ばったりと出くわす長身の影。お互いに声を漏らして、一歩引く。ティアとヴァルド、そしてぶつかりかけた人物は、ぽかんと顔を見合わせあう。
 一瞬の後――ギッ、とその青灰色の眼が鋭くなった。
 これはまずい。
 反射的にそう思ったヴァルドは、ティアの細い手首に掴んだ。
「ティア、いこう!」
「わわっ」
 短くそういうと、ティアを強引に引き寄せながら目の前の男――ヒースの横を、風のように通り抜けた。それは、さきほどまでのものとは違い、全速力である。その勢いに飛びそうになる帽子を押さえながら、駆ける。駆ける。
「くっ……!」
 一方、出遅れてしまったものの、ヒースもまた走り出す。鎧を身につけているというのに、身軽なヴァルドやティアにも追いつこうとするその速さは、驚嘆するに値するものであると同時に、恐怖であった。さすが、戦場からたたき上げられた将軍である。
「どちらにいかれるのですか皇子っ!? というかティア、君もまた……! こら、待たないか!」
 どたどたと他国の城を駆け回る。何事かと顔を覗かせた小間使いが、びっくりしている。申し訳ないと思うが、どうか許して欲しかった。
「皇子っ、まさか城下にいくつもりですか!?」
 まったくもってその通りである。
 今日は、ローアンで開かれる春の女神祭の日である。恋人と一緒にでかけたいと思うのが、人として当然だと思うのだが、どうだろう。
 ヒースなら、即座に駄目だしをしてきそうなことを、ふと考える。
 まあ、自分の立場を考えれば、護衛や対外的なこともあって、いささか難しいのは道理。だからこそ、こうしてティアと抜け出そうとしているわけだ。
 こっそりいけば、わかるまい。ヒースにはみつかってしまったけれど。
「ヒースさん、ごめんなさぁーい! これ、受け取ってくださいっ」
 そういいながら、ティアが何かをぽいと後ろに放り投げた。つい目線で追うと、それは青い花で作られた小さなブーケであった。ティアにそのつもりはあったのかどうかわからないが、それはヒースの顔面にばさりと覆いかぶさった。
 ぶ、という声とともにそれを顔面で受け止めたヒースの足が、止まる。どうやらブーケの持ち手部分が見事にヒットしたようだ。
「いつもありがとうございますー!」
 そう叫ぶようにいいながら、それでもティアはヴァルドと一緒に走り続ける。青い花のブーケとそのお礼の言葉はどういう意味なのかよくわからないが、それはあとで訊けばいい。この絶好の機会を逃すわけにはいかない。
 ヴァルドはティアの手を離さぬまま、笑いかける。
「今のうちだよ、ティア!」
「はいっ」
 ばたばたと、足音高らかに城を駆け抜ける。
「お、皇子っ、ティアー!!」
 そうして、ヒースの怒声を振り切って、二人はフランネル城から飛び出した。

 

 

「は、はあっ、はあ……」
「っ……、まったく、ヒースも……がんばる、ね」
 噴水の見える公園の片隅、木々の陰になるベンチでヴァルドとティアは息を整えていた。
 職務に忠実なことはありがたいことだけれど、あまりお堅いのも困りものだ。そんなことを考えていると、ティアが頬を赤くしながら微笑んだ。
「ヒース将軍は、皇子のことをとっても大切に思っています、から……ふう……」
「そうだね、とても……嬉しいことだ……はぁ、ははは……」
 そのまましばらく、心臓がおさまるのを待つ。うららかな陽射しと、時折吹く少し冷たい風が、心地よい。視線をあげれば、どこまでも澄み渡る春の青空。ぷかぷかと浮かぶ雲は真っ白だ。
 青、という色に、ふとヴァルドは思い出した。
「そういえば、さきほどヒースに向かって投げたブーケは一体なんだったんだい」
「あれですか? ほんとは、ちゃんと手渡しをしたかったんですけど」
 そういう割には、綺麗に顔面に向かって飛んでいっていたと思うのだが……。しかし、そこはあえてきかないことにする。
「ええっと、お祭り用のもので……」
 そういって、ティアは腕に下げていた小さな籠に手を伸ばした。その蓋を開くと、ふわりと清々しい香りがあたりに広がる。
「皇子には、これです!」
「これは……」
 目を瞬かせるヴァルドへと、突きつけるようにして差し出されたもの。それは、小さな白い花をいくつも束ねてつくった、コサージュだった。
「私が作ったので、ちょっと不恰好で申し訳ないんですけど……受け取ってくれますか?」
 照れたように、申し訳なさそうにティアがいう。どきどきと高鳴る、ティアの心音が聞こえてくるようだった。
 そんな顔をしなくとも、ヴァルドがティアからのものを拒むことなどありえないのに。
 そっとそれを受け取りながら、ヴァルドは安心させるように微笑んだ。
「とても可愛いね。ありがとう、ティア。嬉しいよ」
「ありがとうございますっ」
 ついでにきゅっと手を握れば、ティアの頬が薔薇色に染まった。飛び上がらんばかりに喜ぶ様が、可愛らしい。
 つけてみてください、というティアの言葉をうけて、ヴァルドはそのコサージュを胸元に留めた。きちんと落ちてこないか確かめるように、ティアがそれに触れる。やがて納得したのか、ほっとした顔をみせる。
「よかった! 大丈夫みたいですね」
「君が作ったものだ。間違いなどないよ」
「ふふ、皇子ってば」
 ティアはやたらと上機嫌なその様子に、ヴァルドもますます嬉しくなる。だけど、これは駄目だ。
「ティア、私のことは皇子と呼んではいけないよ」
「あ、そっか、そうですね……」
 これではせっかく抜け出してきたのに意味がない。
「ほら、呼んでみて。練習だよ」
「ふぇっ!? い、いきなりそんなこといわれても……」
 ティアが頭の天辺から声をだす。あまり呼びなれていない名前を、口にするのは恥ずかしいらしい。
「ええっと、えっとー……その、」
 辛抱強く、待ち続ける。ティアが、下げていた視線をちらりとあげる。きゅっと小さな手が膝の上で握り締められる。
「ヴァルド……?」
「……うん、よくできました」
 嬉しくて嬉しくて。ご褒美と自分のその気持ちを伝えたくて、そっと額に口付ける。ティアが、ひどく幸せそうに微笑む。
「じゃ、そろそろお祭にいきましょう。こっちですよ!」
 ベンチから立ち上がったティアに促され、ヴァルドもゆっくりと立ち上がった。ティアに向かって手を差し出すと、一瞬わからないという顔をした後、ティアは「あ」と声を漏らした。
 そして、もじもじとした後。えいやっとばかりに手を握り返してくる。そんな反応がたまらなくて思わず笑うと、ほんの少しティアが唇を尖らせた。
 目を細めたヴァルドもまた、機嫌を急上昇させながら、ティアと一緒に手を繋いだまま歩き出す。
 そうして二人で繰り出したローアンの街は、春の女神に抱かれて、色とりどりの花が咲き乱れていた。花の好きなローアン住民たちの手によって、手入れされてきた花壇や庭木。それらは、その美しさを競うように風に揺れている。甘く香る花の匂いに、むせかえってしまいそうだ。
「これは、すごい」
 花だけでなく、繰り出している人たちの数にも圧倒される。老若男女が思い思いに花を愛で、そして祭りの雰囲気を味わっている。向こうには軒を連ねる屋台が見えた。
「はいっ。冬がおわってこの季節になるといっせいに咲くようにって、お花を選んで育てているんですよ」
 球根を中心とした植え付けに加えて、種からの花も家の窓辺などで育てているらしい。その情熱には頭が下がる思いだ。
 帝国ほどではないだろうが、それでもこのカレイラにだって冬は来る。白い世界に閉ざされる日々は、この日のためにあるのだと、そう思って国民たちは過ごしているのかもしれない。そしてそのために、花の手入れを欠かさないのかもしれない。春が来たと、大切な人たちと喜びあうために。
「素敵なお祭りだね」
 春を待ち望む住民たちの心が、いじらしい。そのために手間を惜しまないところが、可愛らしい。質実剛健を旨とする帝国の民たちはまた違う気質が愛おしいと思った。
「はい。私も、このお祭りが大好きで。だから、ずっと一緒にきたかったんです。喜んでいただけて……嬉しいです」
 ふふふ、とティアが頬を紅色に染めてはにかむ。そっと髪を撫でると、大きな瞳が幸せそうに和む。
「ね、あっちにもいってみませんか?」
「そうだね、いってみようか」
 そうして、二人は歩き出す。
 見事な花壇を覗いたり、普段は開放されない個人の庭をみせて貰ったり。あちこちに飾られた花々と、明るい笑顔のティアの姿は、ヴァルドをとても楽しませてくれた。
 街の中を一通りめぐり、休憩がてら喉を潤そうかと相談していたとき。
「こんにちは、ティア」
 おっとりとした声が響いた。振り返ると、にこりと微笑む少女が立っていた。
「ファナ!」
 ぱっと顔を輝かせ、ティアがその女の子に駆け寄っていく。その後を、ヴァルドはゆっくりと追いかけた。
 すると、ファナの目の前まで移動したティアが、ちょこんと会釈をした。
「春の女神のくちづけを。そしてあなたに祝福を!」
 そういいながら、ティアは腕に下げた小さな籠から、鮮やかな黄色の花弁をもつ可愛らしい花をとりだし、そっと差し出した。
「まあ、ありがとうティア」
 嬉しそうにそれを受け取ったファナもまた、同じように会釈をする。穏やかな仕草で、下げていた籠に手を伸ばす。取り出されたのは、今ティアが贈ったものと同じ花だった。
「ティア、あなたにも、春の女神のくちづけがありますよう。そして、大いなる祝福があらんことを」
 そして、ティアの髪にその花を挿してくれる。ティアの紅茶色の髪に、その花はとてもよく映える。
 そんなファナの髪には、青色の花が揺れている。ヒースに渡していたものと、同じ青。ティアも、ヴァルドと同じくそれに視線をとられている。
「それ、ヘレンさんからだよね」
「ええ。私もおばあちゃんに渡してきたところよ。そういえば、ティアはヒース将軍に渡せたの?」
「……ええっと、渡したっていうか、投げたっていうか……」
 城を抜け出す際の攻防を思い出したのか、ばつが悪そうな顔をみせるティアに、事情を知らぬファナが首を傾げる。その現場にいたヴァルドは、ヒースの姿を思い出し、ついつい笑ってしまった。
「……あら?」
 ティアの背後に立つそんなヴァルドに気づき、ファナが目を丸くした。
「えっと、この方……もしかして、その、」
 おろおろと視線を彷徨わせて、焦ったようにティアに問いかけようとするファナを制するように、ヴァルドは一歩近づいた。
 目深に被っていた帽子を少し持ち上げ、胸に手を当て微笑む。かあ、とファナの白い肌が染まった。
「はじめまして、ヴァルドと申します。お噂はかねがね伺っております。ティアの幼馴染のファナさん、ですね」
「……」
 決して慇懃無礼にならぬように、貴族に対するものと違い、努めて穏やかに挨拶をしたのだが、ファナがぴくりとも動かなくなる。
 ぽかーん、としたままのファナに不安が募る。自分は、何かおかしなことをしてしまっただろうか。ティアと親しくなってから、随分と民のこともわかるようになったはずなのに。
「あの、ファナさん?」
「あっ……申し訳ありません、ご、ごごご無礼をお許しください」
 顔を覗き込むと、さらにファナの顔が赤くなった。もじもじとしながら、後退していく。
「いいえ、無礼も何も……。同じ名前の『ヴァルド皇子』は、今頃はフランネル城で仕事をしておられるのではないでしょうか。ここにいるのは、ただの『ヴァルド』ですよ。何も問題はありません」
「……まあ!」
 城を抜け出してきているから気にしないで欲しいと暗に伝えると、ファナがきょとんと目を瞬かせた後、小さく噴出した。緊張はほぐれたらしい。
 二人のそんな様子に、ほっとした表情をみせたティアに、ヴァルドは寄り添う。
「今日は恋人と一緒に祭りを見物しているところなんです」
「えへへ」
 照れながらも、自分を見上げてくるティアの肩に手を回して引き寄せる。
「よかったわね、ティア。ずっと一緒にこられたら、って言っていたものね」
「うん!」
 にこにこと笑いあう三人の間に、春の陽だまりにいるかのような、ほのぼのさが満ちる。
 と。
 わあっと横手で一斉に声があがった。
 思わずそちらへ振り向くと、人垣ができていた。どうやら何か配っているようだが、ここからはよくみえない。目を細めたヴァルドの手から、するりとティアが抜け出した。
「私いってきます! ちょっと待っててくださいね!」
「ティア!?」
 満面の笑顔でそう告げて、背を向けて駆けていく。
「ファナの分もちゃんともらってくるからねー!」
 止める暇もなく、そう言ったティアが人ごみの中へと果敢に飛び込んでいってしまった。すぐに、その小さな後姿は見えなくなる。
「……もう、ティアったら」
「まったく、いつも驚かされるよ」
 残されたもの同士で、顔を見合わせて笑いあう。
「そういえば……その、花のことなのですが」
「花?」
 これですか? とファナが籠を持ち上げる。ヴァルドは頷いた。
「これはこの祭りに古くから伝わる慣わしで、祝福の言葉とともに贈る花なんです。色によって、願いや想いが違っていて……って、あら、ティアからはきいておられないのですか?」
「いや……」
 ファナの言葉に、ふむ、とヴァルドは顎に手を添えた。
 ティアがいわないということは、知られたくないのか。それとも単純に忘れているだけか。どちらにせよ、その意味を知っていて損はあるまい。
「あまり祭りのことに詳しくないもので……。恐縮ですが、教えていただけませんか?」
「ええ、かまいませんけど……」
 いいのかしら? と小さく首を傾げるファナに畳み掛ける。
「できれば、ティアに花を贈りたいので祭りのしきたりを知っておきたいのです」
 そう言うと、ファナが目を丸くして口に手をあてた。
「あら、そこもご存知ないのですね」
「?」
 ふふ、とファナが小さく笑う。
「この春の女神祭で花を贈ることができるのは女性からだけ、なんですよ」
 そういわれれば、街中でみた光景でも花を贈るのは女性だけだったと思い出す。
「それは、春の女神にちなんで、ということですか」
「ええ」
 ファナはころころと笑いながら、「でも」と続ける。ちらりと胸元のコサージュに送られる視線は、ひどくやわらかくてあたたかい。
「白い花をティアから貰えたのならば、大丈夫ですよ」
「それは、どういう……?」
 ますます謎が深まる。女性からだけ贈ることを許される花。そしてその花に込められた願いや想い。頭に疑問符を並べ立てていると、ファナが笑った。
「ふふ、やっぱりティアの口から直接聞かれたほうがいいと思います」
 だから、私からはいえません――そういって、しーと口に人差し指をあてた少女に、まいったなとヴァルドは眉を下げた。
「あ、もどってきたみたいですよ」
 ファナの言葉に視線をあげると、ぱたぱたとティアが駆け戻ってくるところだった。
「お待たせー! はいっ」
 そういって満面の笑みを浮かべて、ティアが手を差し出す。そこには三つの包みが乗っている。
「ありがとう、ティア」
「ありがとう」
 そういって受け取り、包みを開くファナに習ってヴァルドも指を伸ばす。
 ゆっくりひらいてみると、中には可愛らしい花がいくつかはいっていた。どうやらスミレの砂糖漬けのようだ。
「去年ね、あのお家にお嫁さんがきたから、その振る舞いなんだって」
「なるほど」
 どうやらそれで道行く人に、この包みを配っていたらしい。
 ひとつ食べてみると、甘さが舌の上にひろがっていく。同じように、ティアもファナも、にこにことそれを摘んでいた。
 いくつか味わったところで、ファナがそれを籠に仕舞う。
「ティア、私はそろそろ行くわ」
「え、もういっちゃうの?」
 ティアが残念そうに眉を下げる。
「ええ、ちょっと風に当たりすぎたみたい」
 ショールを肩に掛けなおすファナの言葉に、ティアは頷いた。ヴァルドも、きいたことがある。たしかファナは、身体が弱く病に侵されていたが、それをティアが救ったのだと。完治したけれど、まだ外には慣れきっていないのかもしれない。
「そっか。ゆっくり休んでね」
「ありがとう。では、失礼します。ティアのこと……よろしくお願いします」
 いわれずともそのつもりだ。静かに頷くと、ファナが嬉しそうに微笑んだ。
 そして礼儀正しく会釈をして去っていくファナを見送る。祭りの賑わいに、その儚い後姿はすぐに紛れていった。
 ぶんぶんと手を振り続けるティアを、ちらりと見遣る。
「ティア、ファナさんに花の色には意味があるときいたのだけれど。どういうことなのかな?」
「ふえ?」
 手を下ろし、きょとん、とした後。一瞬でティアは顔を真っ赤に染めた。
「あう、皇子、知らなかったんですか……?」
「ああ」
 あうあうと、ティアは頬に手を添えて俯く。
「皇子はいろんなことを知っているから、てっきりこの祭りのことも知っているんだろうなぁって、かってに思ってました……ごめんなさい」
 どうやら買い被られていたらしい。ぎゅとスカートを握り締めるティアの髪をそっと撫でる。
「謝らなくともいいんだよ。教えてくれるかい?」
「は、はい。あ、でもここじゃ……」
 こく、と頷いたティアだったが、雑踏の中であることを気にしたのか、ヴァルドの手を引っ張って歩き出す。いくつかの通りを抜けた先、二人は片隅においてある木箱をみつけ、その上に腰を下ろした。路地を吹き抜けていく風が、互いの髪を揺らす。
「ええと……お花のことなんですけど」

 黄は友人へ――いつまでも、友達でいよう
 青は家族や恩人へ――いつも感謝しています
 赤は恋しい人へ――あなたが好きです

 ティアの言葉をききながら、今日すれ違った人々や、花を渡しあう光景を脳裏に浮かべた。なるほど、納得だ。ヴァルドはひとつ頷いた。
「では、白い花には?」
 木箱の上に置かれたティアの手を包み込むようにして握り、ヴァルドは一番教えて欲しいことを訊く。ん、と小さな声を漏らしながら、ティアが俯いた。
「し、白いお花は、」

 白は愛しい人へ――私はあなただけのもの

「――そう伝える意味が、あるんです……」
 ぽひゅ、と音を立てるように赤面したティアを抱きしめたい衝動に駆られる。
 ああ、だからか。このコサージュを受け取ったとき、ティアがあんなにも喜んでくれたのは。
 ヴァルドは、ティアの頬に手を伸ばす。かかる髪をそっと払って、手のひらをやわらかな頬に当てる。
「とても残念だよ、ティア」
「え?」
 ぱっと顔を上げたティアの表情は、今にも泣き出しそうなものだった。勘違いしているようなので、そっと頭を振ってそうではないと示す。
「私も君に白い花をぜひとも贈りたい、そう思うのに――男では、贈れないらしいからね」
 まったくもって、残念だ。自分だって、ティアだけのものであると伝えたいのに。
 心からそう思う。
 ティアの顔が、安堵に緩む。ゆっくりと頭が振られる。さらさらと、その仕草にあわせて踊る、紅茶色の髪。
「いいえ。そう、思っていただけるだけで、そう言っていただけるだけで、私とっても幸せです」
 ティアが、蕩けるように笑う。どこかから香る花の甘さに包まれて、春風の中にいるその姿は、腕の良い宮廷絵師に任せたところで画にすることは難しいだろうと思うくらいに、可愛く美しい。
「私の春の女神」
「ひゃっ」
 ティアの手をそっと掴み、持ち上げて指先に口付ける。
「愚かにもあなたに恋する哀れな男から、永遠の誓いを捧げたいのですがお許しいただけないでしょうか」
「っ、」
 どうか、ティアの言葉と行動に応えることを、許して欲しかった。
「ご慈悲を」
 重ねてそう伝えれば、びくりと身体を震わせたティアが、こくこくと頷いた。了承をえられたことに、ヴァルドはにっこりと微笑む。
 上半身を傾けてティアに顔を寄せる。察したティアが、こちらに顔を向けてぎゅっと目を閉じた。
「私は、ずっと君だけを愛していくよ――ティア」
 この世界が終る日がこようとも、新しい世界へと旅立つ日が来ようとも。
 そう自分だけの女神に囁いて、ヴァルドは花びらのような唇へと己のそれを重ねた。
 訪れた春が、世界を巡らせる季節であると同時に、二人の間に永遠にあり続けるものであるように。
 スミレの香りがする口付けを交わしながら、ヴァルドは自分だけの女神のぬくもりに、そう祈った。

 夕方頃、祭りをこれでもかと満喫し、幸せ一杯にフランネル城へと戻った二人に待っていたのは――朗らかに笑いながらも、青筋をたてたヒースの容赦ないお説教であったという。