吸血鬼と妖精

「皇子っ! Trick or Treat!」
「ああ。よくきたね、ティア。ほら、お菓子ならここにあるよ」
 執務室に乱入してきた妖精にまったく驚くことなく、ヴァルドは事務作業の手をとめると、こっちにおいでと手で招く。
「……」
 ティアは、一瞬だけ固まったものの、呼ばれたならばいかないわけにはいかず。ゆっくりとヴァルドに近づいた。予想と違う。
 王族の気品たっぷりに大きな椅子に腰掛けていたヴァルドが、無言になったティアの様子には気付かず、傍らにおいてあった包みを手に取った。
「はい」
 そうして、胸元に優しく差し出されたそれを、ティアは思わず受け取る。
 むむむ、と口を噤む。そしてさらに強く思った。
 こんなはずではなかったのに! と。
「ん、どうかしたのかい。ティア?」
 喜びの反応がないことに、ヴァルドは不思議そうに首をかしげた。何か間違っていたかな? といわんばかりの顔だった。
「……どうしてお菓子があるんですか?」
 衣装にあうように持ってきていた先端に星のついた短い杖を握り締め、ティアは喉の奥から搾り出すようにそう問うた。
「それなら、城の小間使いたちに用意してもらったんだ。きっと私のところにも、可愛い訪問者がやってくるだろうと思ってね」
 にこ、とヴァルドが悪意のかけらもない笑顔で言う。
「できるだけ、君の好きなそうものを選んだよ」
「ううっ」
 ティアは、その眩しさにそれ以上なにもいえなくなった。
 絶対、ヴァルドはハロウィンなんか知らないと思っていたのに! そうしたら、いたずらしようと思っていたのに!
 昨夜、あまりの楽しみさ加減にまともに眠れなかった時間が、あまりにももったいない。
 そして、純粋無垢にハロウィンという祭に参加しようとしているヴァルドに、ティアは申し訳なさを覚えた。
「いらなかったかい?」
「いいえ! ありがとうございます!」
 だが、その心はとても嬉しい。自分のためを思ってくれていたということが、なによりも嬉しい。想像していたものと大幅に違うけれど、これはこれで問題ない。
 ティアは微笑みながら、一歩後ろに下がる。くるりと、一度その場で回ってみせる。
「皇子、どうですか?」
「妖精だね? よく、似合っているよ」
 すんなりと言い当ててくれたことに、ティアは笑った。やはり、好きな人にわかってもらいたいのが、乙女心というものだ。
「えへへー。幼馴染と一緒に作ったんです」
 そういってティアは自分の体を見下ろす。
 たけの短い白いワンピースの上に、ほの青い薄衣を重ねて、髪にはフリルのリボンを結び、背には青く透明な氷の翼を装備した。我ながら、なかなかよくできたと思っている。
「可愛いよ。まるで、帝国に伝わる、冬の到来を告げる妖精のようだ」
 臆面もなく褒め称えてくれるのは、ヴァルドの美徳だ。彼に恋したティアにとっては何よりも嬉しい。だが、やはり恥ずかしさを覚える。ティアは、真っ赤に頬を染めて俯いた。
「そ、そこまでいわれると……照れちゃいます」
「いや、本当に可愛いよ。ティア」
 満足げに微笑んで、椅子から腰を上げたヴァルドがティアの傍らに寄り添う。
「噂には聞いていたけれど、ハロウィンとは楽しいお祭りだね」
「そ、そうですか……?」
 こくりと頷いたヴァルドの手が、ティアの腰に添えられる。
「ああ、とても」
 それが、仮装をしたティアをみることができているからだ、と暗に匂わせながらヴァルドは続ける。
「できることなら街のパレードに、参加してみたいところだけれど……。生憎とそういうわけにもいかないからね。こうして君が、ハロウィンを味わわせてくれるのは嬉しいよ」
 少し悲しげに眉を下げるヴァルドをすぐ近くで見上げ、ティアはむぅ、と唸った。
 ヴァルドがいっているのは、ローアンの街の住民たちが開催するハロウィンパレードのことだろう。知らないだろうと勝手に思い込んでいたが、よく考えてみれば真面目なヴァルドのことだ。きっと興味をもって、いろいろ調べたに違いない。
 そのパレードは、思い思いの姿に仮装して公園に集まり、街中心部をぐるりと一周するものだ。これは子供だけでなく、大人も参加できる。終わった後には、参加者全員に小さなお菓子が配られる。
 だがしかし、いまはもう戦争中ではないとはいえ、王族の身を脅かす危険というのは、常について回るもの。それを考えれば、護衛たちから許可がでるとは思えない。たとえお許しがあったとしても、いまからそれを願い出ていたら、開始時刻には間に合わないだろう。それに、ヴァルドがそんな我侭を言い出さないことも、ティアはわかっている。
 だが、どうにかしてあの雰囲気を知ってもらいたいと、ティアは思った。そして、ぴんと脳裏にある考えが導き出される。
 ああ、そっか。いちいち許可をとろうとするからだめなんだ。
 ティアは、ひとつ手を打った。
「抜け出しましょう、皇子」
 整ったヴァルドの顔が、固まった。不意をつかれたらしく、慣れぬ者には冷たささえ感じさせる顔が、やけに幼いものになる。にこーっと、ティアはそんなヴァルドに微笑んだ。
「悪戯好きな妖精に唆されてください」
「ティ、ティア!?」
 さすがに、ヴァルドがぎょっとしながら叫んだ。だが、ティアはもう止まらない。するり、ヴァルドの腕から抜け出すと、あたりをきょろきょろと見回す。
「ええっと、どんな仮装にしましょうか? 何か使えるものあります? あ……」
 そんな視線の先に、いいものがある。ティアは、すかさずそれを指差した。
「皇子、あれは?」
「あれは先日仕立てた礼服が今日仕上がってきて……って、ティアまさか」
 そのまさかだ。
「あのドレスシャツとズボンを身につけて、いつものマントを羽織れば吸血鬼っぽくなれますよ! あ、冠は置いていきましょう。皇子だってばれちゃいます」
 さあさあ、これで仮装は決まったとばかりに、ティアはヴァルドの背後に回ると、そちらに向かって押し出した。
「ま、待ってくれティア! 本気なのかい?」
「ええ!」
 もちろん、と大きく頷いたティアの笑顔に押されたのか、ヴァルドは言葉に詰まった。ね? と、もう一押しといわんばかりに、ティアが首を傾げて微笑むと、ヴァルドの肩から力が抜けた。
「まったく……君にはかなわない」
 くすくすと笑いながら鎧を外していくヴァルドの姿に、肩を跳ねさせたティアは慌てて回れ右をする。
 金属の触れ合う音と、衣擦れの音が静かになった部屋にしばし響いて。
「ティア、着替えたからもういいよ」
 そろり、ティアは振り向いた。そして、ぱあっと顔を輝かせる。
「皇子、いい感じです! ちゃんと吸血鬼に見えますよ!」
 白のドレスシャツに、黒のベストとズボン。光を弾くエナメルの靴。そして、身体に密着するようにマントを巻きつければ、物静かで品のよい吸血鬼の青年ができあがる。ちょっと迫力が足りないが、それは仕方ない。
「ありがとう」
「じゃあ、いきましょう!」
 いざ、と気合と入れてティアはヴァルドの手を引いて、バルコニーへと向かう。
 そよと吹く風は冷たい。深い藍色の夜空に星は瞬き、ほぼ満月に近いくらいの円を描いた月がぽっかりと浮かんでいた。
「ティア、どうやっていくというんだ?」
「大丈夫ですよ。預言書の力を使えば、あっという間です」
 それなりにミスティックポイントを消費するので、乱発は出来ないけれど。二人一緒に指定の場所にとんで、そしてまたここに戻ってくるくらいならば、大丈夫。
「きっと、楽しいですよ」
「ああ、そうだね。なんだか、わくわくしてきたよ」
 いつもより子供っぽいヴァルドの微笑は、月明かりの青さを帯びて少しだけ儚い。
「何があっても、私が皇子を守りますから。安心してくださいね」
 にっこりと笑ってそういえば、赤い瞳が大きくひとつ瞬いた。
「君は、私をいつも驚かせてくれる」
 ふ、とヴァルドがさらに笑みを深くする。
「だけど、君にしてやれてばかりでは、私の気がすまないよ」
「わわっ……!」
 ひょい、と腰をさらわれてティアは慌ててヴァルドの肩につかまった。
「妖精に連れ去られる吸血鬼というだけで、すこし情けないような気がするしね」
 う、とティアは言葉に詰まった。そこまで考えていなかった。
「いいんだよ、ティア。君が私のことを思ってくれての行為だと、わかっているよ」
「皇子……」
 マントの下に引きずり込まれるように抱きしめられて、ティアは身を硬くした。つ、と顎を持ち上げられ、視線をあわせられて頭に血が上る。魔眼に魅入られたら、こうなるのかな――そんなことをちらりと考えて、ティアは唇を震わせる。
「ただ……でかける前にひとつだけ。私を唆した悪い妖精に、おしおきをしておこう」
 男を謀る妖精が、夜明けには露となって消えてしまわぬように。そんな手ひどい仕打ちをせぬように。その心を、繋ぎ止めよう。
 くす、と悪戯っぽく微笑んで、ヴァルドが唇を寄せてくる。嫌ということは決してないけれど、有無を言わせず口付けられて、ティアはきつく目を閉じた。
 口内を翻弄する舌先が離れても、唇を覆っていた温もりが消えても、ティアは目を開けられない。ぎゅっとヴァルドのマントに縋り付く。足の力が抜けそうだった。
 くすくすと、闇の向こうから、吸血鬼の艶めいた声が響く。
「――君の血ならば、きっとどんなお菓子よりも甘いだろうね」
 戯れるように囁かれ、首筋に落とされた唇の熱に、妖精は細い身体を震わせた。

 そして、この後。
 ローアンの街、今年も盛大に執り行われたパレードでは、ヴァイゼン帝国の皇子によく似た吸血鬼の青年と、その傍らで愛くるしい笑顔を浮かべる妖精が、目撃されたという。