「ねえティア、一体何の準備をしているの?」
「え」
ミエリの不思議そうな問いかけに、ティアはきょとんと目を瞬かせた。
ああ、そうか。
「ええっとね、皆は知らないよね」
ティアは、かぼちゃを模した小物を作っていた手をとめて、わずかに視線をあげて思い出す。
「ハロウィン、だよ。この季節の夜に、あの世から亡くなった人の魂がかえってきたり、魔界から魔女や精霊がくるっていわれる日があって、それにあわせてお祭りをするの」
にこ、とティアは笑った。
「この世界にはいつもはいない、そういったものを追い払ったり、追い出したりするの。それで、秋の実りに悪戯されるのを防いだり、豊作に感謝するっていう行事なんだよ」
「へえ、とってもおもしろそう!」
ミエリが笑いながら頷く。レンポの次に賑やかなことの好きな彼女のことだ、お祭ときいただけで、心浮き立つものがあるのだろう。そんな二人の話につられたのか、ネアキとレンポも近寄ってきた。
ティアは三人の視線を受け止めながら続ける。
「そうはいっても、子供たちにしてみれば、単純にお菓子がもらえる日っていう認識だと思うよ」
「なんでだよ?」
レンポの言葉に、ティアはその日に街を元気に駆け巡る子供の姿を思い出しながらいう。
「皆、思い思いに仮装してね、いろんなお家を歩いてまわるの。で、『Trick or Treat!』……つまり、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ! っていって、その家の人からお菓子をもらうんだよ。これで家の人は、入ってこようとする悪いものも、一緒に家にはいらないようでにできるんだって」
「なんで、仮装……? 何の仮装を、するの?」
ネアキが首を傾げてティアに問う。ごもっともな質問だ。
「御伽噺の魔女とか魔物とか、そういうのに仮装しているとね、仲間だと思われるから、とりつかれるのを防げるんだって。あとは聖なるものに仮装して、寄り付くのを防いだりもするよ」
とくに小さな子供は、そうして悪運をもたらされることのないようにするのだという。
「ああ、それでティアはその準備をしてるのか」
ようやく合点がいったらしく、レンポがきゅうと吊り上った目を細めて笑った。お菓子もらいにいくのが楽しみだなんて、ガキだなあと笑われて、ティアは肩をすくめた。
「私もそろそろ卒業かな、って思うんだけど。ほら、ファナの体がよくなったでしょう? いつもは家の外にでられなかったけど、今回は一緒にいけるから。今作ってるこれも、ファナにあげようとおもってるの」
ティアが、手の中にある小さなかぼちゃの小物を示すと、なるほど、と三人の精霊が同時に頷いた。あるときを境に病におかされたファナが、そんな夜に行われる祭に参加できるわけがない。奇跡の花のおかげで、それがようやくかなうのだ。幼馴染としては一緒に喜ぶのが当然だ。
ティアの優しさと、ファナの回復ぶりに、ほのぼのとした空気が流れる。が。
「ティアは……私を追い出したいのですね……」
「「「はぁ?」」」
おどろおどろしげな沈み込んだ声に、精霊三人がいっせいに振り返った。ティアも息を飲んでそちらを振り向く。
はたしてそこには、秀麗な面を悲しげに伏せた雷の精霊――ウルがいた。あまりにも黒い影を背負ったその姿に、ティアは慌てた。
「な、なにいってるの?!」
さめざめと泣き出しそうな空気を振りまきながら、ウルが応える。
「さきほど、魔女と精霊を追い返したり、追い出すための祭りなのだと、ティアがおっしゃったのではありませんか……」
なにをいっている。
ウル以外の精霊たちの目が、呆れたものになる。しかし、それを気にすることができないほどに焦ったティアは、小さな手をぱたぱたと左右に振った。
「違うよ、違う!」
がたん、と椅子の音をたてて立ち上がり、ティアはウルのもとに駆け寄る。
「そういうのは、いわゆる悪さをするもので――畑を荒らしたりとか、物を隠したりとか……、そういう悪い精霊のことだよ、ウルのことじゃないよ!」
そして、高い位置にあるウルの瞳をひたと見据えて、必死にそう訴える。
「そう、そうですか!」
ぱあっとウルの顔が輝いた。ぎゅ、とティアの手を握り締めて、安心したように、赤と青の瞳を和ませる。
「まったく、浮き沈みの激しい野郎だぜ……」
「うん、ほんとだよねー。っていうかウルってあんな性格だったっけ?」
「……ばか……」
冷め切った、諦めきった、馬鹿にしきった精霊たちが思い思いに散っていく中、互いしか見えてない恋人たちは、にこにこと手を結んだまま笑いあう。
「うん! だから、安心してね」
「わかりました。小物作り、頑張ってくださいね」
「うん!」
ティアは気付かない。ウルが笑顔をみせてくれたことだけで、ほっとした純粋なティアは、気付いていない。
ウルの瞳の奥底が、己の企みに秘めやかに煌いていることに。
「あー、楽しかった!」
ほっぺたを赤くした修道女姿のティアは、うきうきと家の扉をあけると部屋の中へと駆け込んだ。その手にはファナたちとまわった各家でいただいたお菓子が入った大きな袋がひとつ。
クッキーやマドレーヌといった焼き菓子と、色とりどりのキャンディやマシュマロなどが、これでもかと詰め込まれている。甘い匂いが、ふわりと漏れ出している。久しぶりにハロウィンに参加できたファナも、とても楽しそうだった。本当によかった。よかった。
幼馴染の笑顔を思い出し、ティアは頬を緩ませながら仮装の衣装を脱いた。いつものブラウスとスカートを身につけたところで、乾いたノックの音が響いた。
こんな時間に誰だろうと首を捻りながら、ティアは扉へと近づいた。
「はーい、どちらさまですか……きゃっ」
返事をしながら、ゆっくりと扉をあけ。ティアはびっくりして飛び跳ねた。
そこには、顔の目元と鼻を覆う仮面を手にした人物が一人。闇夜になびく、金色の髪。陶器のような白い肌がほのかに輝くように、浮かび上がっている。よくよくみれば、その目元にあるのは、ハロウィンのために商店街で配られていたものだった。
「こんばんは、お嬢さん」
柔らかな声。するりと胸元に置かれる手の、上品な動き。そして、身に纏う雷を模した衣装。
「……ウ、ウル?」
に、と薄い唇が笑みを刻む。
「いえいえ、私は魔界からきた『悪い精霊』です」
しれっとした返答に、思わずティアは噴出しそうになった。
もしかして――なんだかんだいっていたけれど、ウルもハロウィンに参加したいのかな? ティアが、くすくすと口元に手を当てて声を小さく転がすと、ウルが高い背を折った。
「さあ、可愛い人。Trick or Treat ――どちらになさいますか」
あ、とティアは大きな瞳をさらに見開いた。零れ落ちそうな秋色の瞳で、ウルを凝視する。どちらかを選ぶことを迫るウルの雰囲気は静かだが、有無を言わせぬものを孕んでいる。
「ええっと……」
ティアは瞳を伏せる。困った。ティアはあくまでお菓子をもらう側だった。そのつもりしか、なかった。つまり、ティアの家では訪問者に渡すお菓子を用意していない。仮装の準備に勤しんでいたことを知っているのに、どうしてウルはこんなことをいうのだろう。
じっとりと足元から忍び寄る嫌な予感に、ティアの背に汗が伝う。
じり、とわずかに踏み出したウルに圧されるように、ティアはじりりと下がった。
「も、もらってきたお菓子じゃあ……だめだよね……やっぱり」
誤魔化されてくれないかなと、淡い期待をこめた言葉は、麗しい精霊が頭を振って却下した。
「ええ。それはもちろん。私は、あなたのお菓子をいただきたいのですから。そうでなければ……、」
艶めいた声が、外の夜闇と一緒にティアに圧し掛かる。ぞくぞくっと夜気の冷たさだけでなく、ティアは己の身を抱えて震えた。
その怯えも恐れも包み込むように、ウルがすう、と家に身を滑り込ませてくる。自称、魔界から来た悪い精霊は、たやすく小さな家への侵入を果たした。
いつの間にか、ティアは追い詰められていくように大きく後退していた。
ぱたん、とウルの向こうにある扉がしまる。
「いたずら、です」
絶対的な死の宣告を告げにきた、魔王の使いである闇を纏う精霊のように。楽しげな色を隠しもせずに、目の前の恋人はそういった。
「っ……!」
ぎゅうっと、ティアは胸元で重ねた手を握り締める。すっかり、儀式の生贄にでもされた気分だ。逃げられない。
「さあ、Trick or Treat?」
震えるティアの唇から、紡ぎだされる言葉なんて決まっている。
それをわかっているくせに、二度目の問いかけをするウルは意地悪だ。
そして、当たり前のように長い腕を伸ばしてくるその動作も、確信に満ちていてずるい。
甘く絡め取られて抱きしめられて、顎を持ち上げられて。はらりと仮面を床に落とした精霊が、その端整な顔を寄せてくる。
底知れぬほどに深い、赤と青の視線を紡ぐ瞳から、目が逸らせない。魅入られる。
ああ……、こういうのも――きっと、性質の「悪い」精霊だ。
かといって、追い払う術はなく。なにより、追い出すことなんて、この精霊に恋した自分には絶対に無理なこと。
そんなの、はじめからわかってた。
ティアは、喘ぐように息をつく。
そして、悪い精霊からのいたずらを甘んじて受け入れるように。
囚われた哀れで無力な女の子は――そっと、その小さな踵を持ち上げた。