将軍と魔女

「と、とりっく、おあ、とりーと!」
 ばぁん、と扉をあけつつ部屋の中に、黒い影を引きずりながら駆け込んで、声高らかに叫ぶ。ちょっとだけどもったけれど、それは愛嬌の範疇だ。
 宣した本人と、それを受け取るべき相手の視線が、絡む。冬の海色をした男の瞳と、秋の実り色をたたえた少女の瞳が、真正面からかちあう。
「……」
「……」
 ひょう、と冷たく乾いた風が、二人の間に吹き抜けたような気がした。
 夕暮れの名残わずかな執務室。急に現れた黒服の魔女に、部屋の主である男――ヒースは、目を見開いたまま動かなくなった。
 そして、沈黙。
 今日は何かあったか? とか。どうした、その格好は? とか。
 そんなとぼけた言葉と、そのあとに続くだろう笑顔を期待していたティアは、急に恥ずかしくなって、しょぼしょぼと体を縮こまらせた。自分だけが浮かれていて、ヒースとの温度差がいたたまれない。
 ぎゅう、と持ってきた小さな箒の柄を、黒い手袋に包まれた指先で握り締める。俯いたティアが、その身に纏うのは艶やかな黒い生地で作られた服。頭には、つばの広い、これまた真っ黒な三角帽子。
 御伽噺の世界から魔女がそのまま飛び出してきたような格好で、ティアは頬を真っ赤に熟れさせ、もじもじと恋人の反応を待ち続けた。うんとかすんとかくらい、言ってくれてもいいのに。
 と。がたん、とヒースが執務机の椅子から立ち上がり、つかつかと部屋入り口近くのコート掛けに近づいていく。
 そのいきなりな動きにびっくりして、ティアはその様子を眺めた。
 ヒースは、そこにかかっていた軍服のコートを乱暴に引っつかむと、そのままティアに近づいてくる。
 そして。
「ヒ、ヒースさ……、きゃん!」
 ティアがその名前を呼ぶ前に、ばさりと頭からそのコートがかけられる。
 もがもがと大きなその中を泳ぐようにして、ティアはなんとか顔をだす。帽子がずり落ちるのを片手で防ぎつつ、ヒースを見上げる。
 むっとした顔つきと、じわじわと滲み出る不機嫌な空気に、ティアは思わず首をすくめた。
「ええっと……えっと……」
「その格好でここまできたのか」
 ようやくヒースがしゃべったと思えば、それはあまりにも脈絡のない言葉で。だが、余計なことは言うなと暗に秘めた声音の重さに、ティアはこくこくと頷くことしかできなかった。
 ティアの家がある下町から、ハロウィンの飾りが楽しげに溢れたローアンの街、仮装した子供たちがにぎやかに行きかう公園――そして、フランネル城。いつもどおりの通り道。
 そこで出会った街の人たちは皆、今日の祭を心から楽しんでいるらしく、ティアにも気さくに声をかけてくれた。
 顎の下に細い指先をあてて、そんなことを思い出していると、はあ、とヒースが息をつく。
「だ、だめでしたか……?」
 ティアはそろり、とコートを開いて自分を見下ろす。
 そこまで不機嫌になられるほど、この服は自分には似合っていないだろうか。せっかくファナとあれこれ相談しながら決めて、頑張って用意したというのに。
 むき出しの肩と大きく開いた胸元。腰からふわりと広がる短いスカートと、その下にはフリルのついた膨らんだドロワーズ。膝上まである縞模様の靴下と、足先が反り返ったショートブーツ。帽子には、ちゃんとジャックオーランタンの小さな飾りまでつけてきたというのに。
 ひどく悲しくなってきて、ため息を零すと。
「ため息をつきたいのはこっちのほうだ」
 がしがしと、ヒースが頭を掻いてそんなことをいう。さすがのティアも、これには思わずむっとした。
 駄目なら駄目とはっきりいってくれたほうが、まだましだ。ぐぐぐ、と込み上げてきた怒りに、ティアの目に涙が滲んだ。
「もういいです! せっかくのハロウィンだし、ヒースさんにみてもらおうって、頑張ったのに!」
 可愛いと、もしかしたらいってもらえるかもしれないという、隠していた乙女心が別な方向に爆発した。
 こんな朴念仁なんて、もう知らない!
 ぷい、と顔を背けて執務室の部屋へとティアは足音荒く向かった。
「まて、どこにいく」
 ヒースの横を通り過ぎて数歩、ぱしりと手首が掴まれてティアは後ろを振り返った。ヒースが、ひきとめる手に力をこめつつティアを覗きこんでくる。
「今日はハロウィンですから、これから皆と合流して一緒に街を回ります!」
「だめだ、いくな」
 そう短く命じると、ヒースがするりとティアの体に手を回した。
「ひゃっ!」
 ぎゅう、とコートごと抱すくめられてティアは小さく悲鳴をあげた。びっくりしたせいで取り落とした箒が、ころんと床に転がった。
「ヒ、ヒ、ヒ、ヒースさ……!」
 かあっと頬が熱くなる。さきほどまでの心に突き刺さっていた棘が、抱きしめられただけで、あっさりと抜けていくのがわかる。
 ぐい、と逞しい腕に持ち上げられる。ぷらり、足先が宙に浮いた。
 なんでこんなことになるのか、どうしていきなり抱きしめられたのかわからなくて、でもやっぱり嬉しくて。ティアは泣きそうな、笑い出しそうな、自分がみても不思議に思うような顔で、ヒースを見ようと試みる。
 が、それはかなわない。
 さらに腕に力をこめられて、身動きできなくなったからだ。
 右手はティアの腿を抱え、左手は小さな頭を押さえつけている。
 ぽろり、ティアの頭から帽子が落ちる。だが、それすら拾えそうにもない。
 苦しくて、はく、と息を肺の奥から押し出しながら、ティアはヒースに首にすがりつく。
 あ~……、と心底困ったような、ヒースの声に続く言葉。
「可愛すぎて、他のやつらになどみせられん」
「っ!」
 心臓が、壊れるかと思った。
 一度跳ねて、一瞬止まって。そして、走り出した鼓動を鼓膜に響かせながら、ティアはきつく目を閉じる。と、闇の向こうでヒースが笑う気配がした。
「で? なんだって?」
 すり、と頬が摺り寄せられる感覚。ひげの感触が、くすぐったくて……ちょっとだけ痛い。
「部屋にはいってきたとき、何か言っていただろう」
 あ、とティアは思い当たったことをもう一度頭の中で唱えてから、ゆっくりと花びらに似た小さな唇を震わせた。
「と、とりっく……おあ、とりーと、です」
 古来より、子供たちがこの日に口にしてきた言葉。
 ヒースが、ゆっくりと顔を離して、いつもとは逆に下からティアの瞳を覗き込みながら目を細めていく。
「もっと、わかりやすく」
 何気ない言葉のはずなのに、しっとりと艶を帯びて甘い。ヒースの声を、ティアが好きなこと、よく知っているといわんばかりの、言い方だ。ちょっとだけ悔しい。
「……お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ、です……」
 ティアが言い直すと、ヒースが笑った。それはそれは楽しそうに、満足そうに。
「あいにくと、オレは甘いものが苦手でな。小さな魔女殿なら、それは知っているものとばかり思っていたが」
「し、しって、知って……ます」
 すい、と顔を寄せられて、ティアはどもりながら応えてわずかに仰け反った。近い。顔が近い。かあっと頬が熱くなる。睫毛を震わせながらそっと視線を伏せると、ヒースが頷いた。
「そうか、知っていてくれて何よりだ。まあ、なんだ。つまり君に渡せるようなものは、ここにないわけだ」
 ちっとも申し訳ないと思っていない表情と声で、ヒースは「すまないな」と続けた。そして、うきうきとした様子で、ティアを抱えなおす。
「じゃあ、いたずら決定だな?」
「……」
 やっぱりこうなるよね、と思いながら、ティアはヒースの問いかけに応えて、小さく顎を引いた。
「で? どんないたずらをしてくれるんだ?」
 ちゅ、と震えるティアの唇に口付けを落としながら、ヒースが笑う。羽が触れるくらいの、わずかなその感触がもどかしい。もっと、欲しいのに。
 それがわかっているように、にやりと微笑むヒースに、ティアは耳まで真っ赤にした。ぷい、と横を向く。
「……今、そっちが悪戯したじゃないですか」
 ごにょごにょとそういってやると、くつくつと低い声が太い喉の奥底で震えたのが、絡めた腕越しに伝わった。
「いやいや、ここはひとつ魔女殿にしてもらわないと、なあ?」
 ぽんとティアの背をひとつ叩き、ヒースはゆっくりとした足取りで、執務室の隅にあるソファへと向かう。
「そちらのほうがよほど楽しそうだからな。ぜひとも頼もう」
 う~……と、ティアは唸った。わずかに不満そうに唇を尖らせてみるけれど、ティアだって本当はこうなるかもって思っていた。そうなってもいいと思って、ここに来た。そうでなければ、甘いものが嫌いな恋人のもとをこうして尋ねるわけがない。
 お菓子よりもなお甘い――ヒースと時間を過ごしたかったのだ。それが一番欲しかった。
 でも、やられっぱなしではいられない。
「ヒースさん」
「んあ?」
 きゅむ、とティアはヒースの鼻先を摘む。いきなりのことに、間の抜けた声をあげて、目をわずかに見開くヒースの、滅多にみることのできないない表情を網膜に焼き付けて、ティアは瞼を閉じる。
 そして、お返しとばかりに。
 その下にある薄く開いた唇に、がぶりと噛り付いたのだった。