今宵のポコリーヌキッチンは、たとえようのない騒がしさと熱気に包まれている。
テーブルに並べられた料理は流石の美味しさだし、マーガレットが今日のために作ってくれたという曲はやはり素晴らしかった。
今日の主役であるフレイのもとには、さきほどからいとまなく町の人たちが、祝いの言葉をかけにきてくれる。
そのひとつひとつに、心からの感謝と笑顔を返しながら、フレイは自分の幸せを噛み締める。
セルフィアにきてからはや数年。正確には空から落ちてきて、であるが。
己に関することは名前しか覚えていなかった自分が、誕生日がわからないと告げたとき、いちように驚いた顔をしながら、「それじゃあ普段からのお返しができないし、お祝いできないなんていやだから、皆で決めちゃおう!」と、明るくいってくれた友人たちの笑顔を忘れはしない。
なにももたず、この町に突如として現れた自分に、誕生日をつくってくれて、そうして祝ってくれる町の皆の優しさが嬉しい。何度迎えても、それにかわりはないだろう。
にこにこと笑いながら、フレイは隣をみる。
そこには、なかば無理やり座らせられて、妙に緊張しきっている恋人の――ディラスがいる。
「ん? どうした、なにか飲むか?」
挨拶にきがてら、二人の仲をからかわれることに疲れているだろうに、すぐに視線に気づいて、気遣ってくれる。
最初は、おまえに興味がないなんて、いっていたくせに。
ワインの酔いが回っているのか、なんてことのない言葉や仕草が、おかしくて可愛くて、そして愛おしい。
「ううん、そうじゃなくて。あのね、幸せだなって」
「?」
不思議そうな顔をするディラスに向き直り、テーブルの上にある大きな左手に、両の手を重ねてぎゅっと握る。
ここに生きるディラスに出会うためには、この世界にうまれてこなければならなかった。そう思ったら、するすると言葉がでてくる。
「私、生まれてこれてよかった。ディラスが、私に出会ってくれたから、そう思えるんだ」
む、とディラスが息を飲みながら口を真一文字に引き結ぶ。出会ったばかりの頃ならば、機嫌を損ねただろうかと思うところだが、今は違う。
ただ、恥しいだけなのだ。それを表に出すことができなくて、そんな表情になってしまう。
フレイの考えが正しいというように、ディラスの頬が、じんわりと紅に色づく。
ふいに、向こうにあったディラスの右手が、フレイの手を包み込み、痛いほどに握り締めてくれる。
「お、俺もフレイが、う、うまれてきてくれてよかったって、思ってる……」
口下手なディラスが、一生懸命に紡いでくれる言葉が、フレイの胸をあたたかくしてくれる。
「俺と、出会ってくれて、その……ありがとうな」
わざとらしくない、無理をしていない、ディラスの心をありのままに伝えてくれる笑顔に、フレイもまた同じように笑う。
「うん、私こそ、ありがとうディラス!」
「フレイ……」
手を重ねながらみつめあっているうちに、どうやら周りが見えなくなっていたようで――はっと気づけばいくつもの好奇の眼に取り囲まれていた。にやにやとした視線が、二人に絡む。
あ、とフレイが小さな声を漏らした瞬間。
「うおっ?!」
ぱっと、勢いよくディラスが手を引っ込める。重ねていた両手がはじかれる格好になったフレイは、目を瞬かせた。
あーあー、と至極残念そうな声が重なる。もっとやれということなのだろうか。だけれど、人一倍恥しがりやなディラスが、ここまできてさらになにかできるわけない。
「ん? なんだ、もう終わりか? ここはキスでもするところじゃないのか?」
「しねーよ!」
案の定、目を細めたレオンにからわれたディラスは、真っ赤な顔をしてテーブルを打ち叩いた。
いまにもかみつきそうな勢いも、もはや慣れきってしまった住民たちにとっては、子犬が吠えているのに等しい。
おやおや、とどこか芝居がかった仕草で、アーサーが首をふりながら肩をすくめる。さすが王子様。とても絵になっている。
「あれだけ薔薇色の空気振りまいておいて、いまさらそんなことをおっしゃられても、ねえ」
「そ、そんなこと、ない……」
うぐぐ、と言葉に詰まったディラスが、ぎゅっと拳を握り締める。だが、それ以上いえないところをみると、アーサーの言葉どおりだったという自覚はあるのだろう。
みるみるうちに首筋までもを赤く染め、俯くディラスが可愛い。ひゅーひゅーと囃し立ててくるダグをきつく睨みつけているディラスに、そんなことをいったなら、火に油を注ぐことになるのは明白なので、いわないけれど。
ディラスが皆に愛されている様子に、くすくすと小さく笑っていると、レオンがゆるりと羽扇を動かした。
「そうか、人目が気になるか。いっそ、送り狼にでもなるといい。それならば、誰にもみられずにすむ」
「っ?!」
目を見開き、言葉なく固まったディラスに、どっと皆が笑う。
純情をもてあそばれたディラスが、ぶるぶると拳と肩を震わせ席をたつ。
「だ、誰がなるかっ! 好き放題からかいやがって、くそ……!」
「おっと」
「にげロー!」
素早くテーブルを回り込み接近してくるディラスをみて、レオンが長い髪をなびかせながら蝶のように逃げていく。そのあとを追うように、指をさす勢いでうろたえるディラスを笑っていたダグもまた、逃げ出した。
まてこらー! と、店内ではじまったおいかけっこに、フレイはころころと笑う。
「あはははっ」
楽しさと、嬉しさと、そしてたくさんの感謝がいりまじって滲む涙を、指先で拭いながら。
「あ、雪……」
熱気に包まれたポコリーヌキッチンを一歩でれば、そこは一面真っ白な世界だった。いつの間にか降っていたらしい。
宴も終わり、後片付けを手伝おうとしたら、主役はそんなことしないでいいの、とマーガレットにいわれてしまった。確かに、自分が逆の立場だったなら、同じことをいうだろう。
毎年の儀式にも似たやりとりを経て、ひとりで先に店をあとにすることになったフレイは、静謐な夜気から少しでも逃れるように、マフラーを巻きなおす。
と。
「フレイ!」
大きく扉をひらいて、ディラスが飛び出してきた。
「……ディラス?」
きょとん、と目を瞬かせると、腕が痛いほどに掴まれた。まるで、いくなとでも引き止められるように。
その必死さが滲む仕草に、いつにない強引さをみつけて、フレイは頬を赤らめる。それが伝染したように、ぱっと頬に朱を散らしたディラスが、睫毛を伏せる。
「あ、悪い……ああ、えっと、その――送っていく」
「……うん」
慌てて力を緩めたディラスが、恥しそうに視線をそらしてそんなことをいう。フレイは、ただ頷くしかできなかった。
ゆっくりとしまっていく店の扉のむこう、がんばってと応援するいくつもの人影。
どうやら、後片付けをしていたディラスの背中を押してくれたのは、彼らのようだ。
ありがとうございます、と小さく頭をさげたのが、はたしてみえたかどうか。
扉がしまれば、街灯が静かにともる暗い夜の世界に二人きり。
いくぞ、という声もなく。沈黙のまま、ディラスの手がフレイの手をとる。まだ誰も歩いていない、純白の道をゆく。
ふわふわと、風のない空から落ちてくる雪が綺麗だ。さくさくと踏みしめる道を振りかえれば、二人だけの足跡が追いかけてきている。
なにかいいたいのに、なんだかしゃべることがもったいないような気がする。静寂が心地いいなんていったら、ディラスはどう思うだろう。でも、言葉がないからこその、穏やかさは確かにあるのだ。
だが、それも長くは続かない。歩きなれた道は、あっさりと二人をフレイの自室がある城まで導いた。
扉の前にフレイを進ませたディラスが、なにか言いたげに逡巡したあと。そっと繋いでいた手を離した。
「じゃ、じゃあ、おやすみ。あったかくして寝ろよ」
「うん……おやすみなさい」
見送ろうとするフレイを断って、ディラスが扉をひらいてくれる。
なにかいいたげな視線を絡ませあったものの、それは無情にしまる扉に遮られた。
ディラスがいなくなって、数秒後。
のろのろと、フレイは奥へを進みながらコートを脱ぎ、マフラーを外した。
帰ってきた我が家たる城の一部屋は、優秀なる執事が手回しをしてくれていたのか、暖炉にはやわらかな光を振りまく火がともされ、まろやかな空気に満ちている。
でも。
「寒いな……」
ぎゅ、とフレイは耐えるように手をまわし、自分の腕をつかんだ。
外のほうがずっとよかった。いや。ディラスがいてくれたから、温かかったのだ。彼がいないことが、こんなにも寒いと思わせる。ああ、寒い。とっても。
くるくると、今宵の記憶が万華鏡をのぞいたときのように、さまざまな色と感情をともなって蘇ってくる。
声も、瞳も、笑顔も、あたたかさも。フレイは、ひときわ強く、手のひらに力をこめた。
私――ディラスと、もっと一緒にいたい!
気付けば、身体は弾けるように扉へと向かっていた。壁にかけてあるコートを手に取る間も惜しい。大きく扉をひらき、フレイは雪舞う夜のセルフィアへと飛び出した。
転びそうになりながら広場を駆ける。辿るのは、すこし消えかかった城に来るまでにつけた二人の足跡と、その横に新しくつけられた大きな足跡。
広場を東に向かい、夜の闇に溶けてしまいそうなそれを、ひとつひとつ追いかける。
雪を踏みしめ、新たな足跡を刻みながらフレイは走る。
きっとまだ、ディラスはこの先にいる。そう遠くないところに、必ずいる。
そうして、雑貨屋の門を曲がろうとしたところで、向こうからやってきた人影に気づく。だが、勢いはとめられない。
あぶない! そう思ったときにはぶつかっていた――否。
「フレイ!」
「!」
きつく、抱きしめられていた。
「ディラ、ス……」
追いかけていたはずの恋しい人が、目の前にいる。
長い腕をまわし、その懐深くに抱いてくれている。
小さく息をもらしながら、フレイは感極まってその胸に顔を押し当てた。きっと精一杯に走ってきてくれたのだろう。浅く繰り返される呼吸が、伝わってくる。
私のところにこようとしてくれていたの? 私もディラスに会いにいこうとしていたんだよ?
そういいたいのに、かわりに零れたのは嗚咽だった。目頭が熱をもつ。涙が勝手にこぼれてしまわないように、フレイは懸命に堪えながら、世界でもっとも尊い名を呼ぶ。
「ディラス、ディラス……ディラスぅ……」
「フレイ……俺、俺……」
抱きしめられたまま、フレイはつま先に力をこめる。もっと近くにいきたいと、その行動で示せば、ディラスの手がフレイの頭をそっと支えてくれた。
今日の雪よりなお優しく落ちてきた唇が、火傷をしそうなくらいに熱い。身も心も解かしてしまうような口付けに、うっとりと目を閉じる。
じん、としびれるような甘い衝撃を残して、ディラスの唇が離れていく。顔がみたくて、目を開いたが、それは叶わなかった。
またもフレイをきつく抱きしめたディラスが、熱っぽくいう。
「――俺、フレイともっと、一緒にいたい……」
フレイはディラスに身を預けたまま目を見開いて、そしてとろけるように微笑む。
「うん。私もね、ディラスと一緒にいたい」
届けたかった言葉を、届けたかった人に伝え、フレイは甘えて頬を摺り寄せる。
うぐ、となぜか一瞬言葉につまったディラスが、そろそろと言葉を重ねてくる。
「お前の部屋、いってもいいか……?」
かすかに震える声が紡ぐ問いかけを、断るつもりなんてない。うん、と小さく了承の意をかえせば、ほっとしたようにディラスの肩から力が抜けた。
と。
「っていうかお前、なんでコート着てないんだ?!」
急にいつもの調子をとりもどしたディラスが、フレイを自分の胸から引きはがして、大声をあげた。
「あはは、慌ててたから……おいてきちゃった」
えへ、と笑ってみたが、ディラスの顔は怖いままだ。まあもう、それにも慣れてしまった。これは、怒っているのではなくて、心配してくれているのだと、知っているから。
「風邪ひくだろ!」
「心配かけちゃってごめんね――わぷ」
自分のコートを慌てて脱いだディラスが、フレイの鼻先に突きつけてくる。
「これ着てろ」
「すぐそこなのに」
「いいから!」
そこまでいわれて断るのはディラスの心遣いを無駄にするということだ。フレイは、いわれるがままに、コートの袖に腕を通した。
「ふふふ、おっきいね」
ほう、と感心したように息をはけば、ふわりとディラスの匂いがした。コートの内側に残っているぬくもりに、自然と目が細くなった。
地面にこすれてしまいそうなコートの裾を持ち上げるようにして抱え、ディラスを悪戯っぽくみあげる。
「ね、ディラス、このままだと送り狼になっちゃうね?」
「なっ……!」
レオンに言われたことを思い出したのか、一瞬絶句したディラスだったが、ぶんぶんと大きく頭を振って拳を握りしめる。
「い、一度はちゃんと家まで送ったんだから、もう送り狼じゃないだろ……たぶん」
最後の最後で自信なさそうにそんなことをいうものから、フレイは噴出した。
「あはは! うん、そうだね」
ああもう、とディラスが笑い転げるフレイをやや乱暴に抱えあげる。フレイの重さなどまるで感じないというようなその力強さに、身を任せる。
「ほらいくぞ、ちゃんとつかまってろ」
「――うん、はなさないでいてね」
ずっとずっと――何度、みんながくれた私の誕生日がきても。
そう、ディラス胸で囁いて、フレイは瞳を閉じる。
夜の闇に沈む冬の世界は、どうしようもなくあたたかかった。