突然であるが、フレイの恋人は奥手だ。
また、これまでの境遇がそうさせたのか、もともと人を避けるようなところがあり、さらにいうならば、人一倍恥しがりやの照れ屋である。
奥手だから、恥しがりやの照れ屋なのか。
恥しがりやの照れ屋だから、奥手なのか。
まるで、卵か先か鶏が先かというような、いくら考えても容易く答えがでない命題である。
それにしても、フレイの記憶に間違いがないのなら、城前の広場の片隅で告白の返事をきいたときには、それなりに熱烈なことをいってくれたというのに。
もしかして、あれはフレイの恋心が書き換えた都合のいい記憶だったりするのだろうか。
うーん、と可愛らしく眉根を寄せつつ、フレイは鍬を振りかぶる。燦燦と降り注ぐ朝の光の中で、神経を研ぎ澄ませていく。広範囲を耕すために、力を溜めていく。
それでも頭の中は、大好きな彼のことでいっぱいだ。
奥手であることに不満があるわけじゃない。フレイだって恋愛初心者なのだ。一足飛びに関係を深められようとしても、ちょっと困る。こっちだって恥しい。
だけれども。
手を繋いだだけで真っ赤になられると、さすがに……――
ぎくしゃくと隣を歩く、恋人とのデートを思い出す。初々しくて、それはそれでいいのだけれど、ずっとそうでいられても困る。
ここは私がリードするしかないのかなぁ……――
城裏の畑で勢いよく鍬を振り下ろし、またたく間に周囲を播種に相応しい状態へと変えながら、フレイは頭を悩ませ続けるのであった。
いろいろと恋人との関係に思いをはせつつ畑仕事を終えたフレイは、足取り軽やかにメロディストリートを北上していく。
ときおり出会う住民にきさくに声をかけつつ、かけられつつ――
辿り着いた大きな館の右側の扉をノックすると返事をまたずに開く。
失礼だとは思うが、この部屋の主が仕事に熱中している場合、まったくもって気づいてくれないのだ。いつまでも返事を待ち続けて、立ち尽くしていた頃もあった。
「アーサーさん、予報をみせてください……って、あれ、いない」
きょろり、とあたりを見回すが、綺麗な金の髪をもつ上品な青年の姿はどこにもなかった。
いつも忙しいアーサーのことだ、こういったことはよくあるので気にしないことにする。
おおかた、貿易品が飛行船で届く知らせでもはいったのだろう。
「お邪魔しまーす」
好きにみていってもいいですよ、と許可をもらっているフレイは、勝手知ったるなんとやらで、執務室隅においてある資料に向かった。
「なるほど、今週の豊作はサクラカブ、と……」
ポッコォォォ! などと悲鳴なのか気合なのかよくわからない雄たけびを聞きながら、メモをとる。そろそろ収穫時期のものが春の畑にある。ちょうどよかった。
凶作のほうも一緒にメモをとっておく。情報によるとキャベツらしいが、それは先週すべて出荷しているので、気にしなくていいだろう。
そうして黙々とメモをとりつつ作付計画を練っている間も、声は響いてくる。気になってしようがない。
腰のポシェットにメモをしまったフレイは、廊下を見遣って小さく笑う。
きっと、隣にある食堂の主であるポコリーヌが、おいしい料理をつくるための下ごしらえに余念がないのだろう。
あの情熱が、熱心なファンを獲得するゆえんだと思う。フレイだって、ポコリーヌの作る食事は大好きだ。まあ、作ったとたんに食べようとさえしなければ、なおいいのだけれど。
「さて、と……ちょっとお昼には早いな……どうしよう?」
執務室にある時計に目にしたフレイは腕を組む。ううーん、と首を捻ってしばし考えたのち、食堂へと足をむけることにした。
フレイの恋人であるディラスは、そこで働いている。彼の働く姿をみながら、早い昼食をとるのもいいし、まだ開店していないのなら少しだけ話をして帰ってもいい。
ちょっとでも接点をもちたいと思うのは、彼に恋をしているのならば当然のこと。
うんうん、とフレイは一人頷きながら、廊下を歩く。
ランチタイムの準備を終えたらしいポコリーヌが、カウンター越しにわずかに見える。彼の前には、今日のデザートにでも添えられるのか、それとも試作品なのか、綺麗な琥珀色の飴細工がいくつかある。繊細で美しい。
カウンター付近にディラスの姿はない。店内の掃除でもしているのだろうと、フレイが食堂に入ろうとしたとき。
「そういえば、ディラスくん」
「はい」
まるでフレイの足止めをするかのように、ポコリーヌが問うた。
「フレイさんとはうまくいっているのデスか?」
息と、動きが、一瞬止まった。まるでその場に縫い付けられてしまったように、フレイは前に進めなくなる。それは、ちょうど壁の陰あたりだった。
「は、はあ?! なに、あにを……!」
てっきり、今日の仕事についてなにか言いつけられると思っていたのか、ディラスの狼狽しきった声が食堂に響いた。
ガターン、と大きな音がしたのは手にした箒でも取り落としたのだろうか。やたらと、ガタガタとうるさい。動揺のあまり、テーブルや椅子にぶつかってなどいやしないだろうか。
そうっと壁の陰から食堂内の様子を伺いながら、はらはらとフレイはその心を乱す。
なんというか、授業参観でもしている親の気分ってこういうものかもしれない。内容はそんなに可愛いく微笑ましいものなどではないけれど。
それにしても、なんてことを言いだすのだろう。
ディラスの心配ばかりしてしまったけれど、内容をよくよく考えたらフレイのほうも恥ずかしくなってきた。自分たちの恋路の進行具合なんて尋ねられたら、誰だってそうなるはずだ。
フレイがいることに気づいていないようで、んちゅ~っと、唇を突き出しながらポコリーヌが悩ましげに体をくねらせる。
「まあまあ、そう照れなくてもいいのデス! あっつぅ~いキッスや抱擁などしているのでショウ? キャッ、幸せな恋人たちっていいデスね~!」
「な、ななななな、なん、なん……」
会話になってないよ、ディラス……――まったくもって意味のない言葉ばかり漏らす恋人に、フレイは心の中でツッコミをいれた。
「し、してないっ! ……です」
それは確かにそうだけど、そこまで力いっぱい否定されると、恋人としていささか虚しいというか寂しくなる。
フレイが、がっくりと肩を落とした瞬間、ポコリーヌの悲鳴じみた嘆きが食堂にとどろいた。
「オオウ~! それはいけマセ~ン!」
大仰に頭やら手を振りながら、キッチンからポコリーヌが姿を現す。
「それではフレイさんが不安になりマス!」
「……!」
びしっと一本だけ立てた指を前へと突き付けながら声高らかにいうポコリーヌの姿に、フレイは思わず拳を握りしめていた。
そう、そうです! もっといってくださいポコさん!
いつのまにやら、フレイの心を代弁してくれているポコリーヌを、なんだか応援してたくなってきてしまった。
ディラスの想いを疑ったことはないけれど、もしかして自分には魅力が足りないのだろうかとか、自分ばかりがこんなことを考えていておかしんじゃないかとか、いろいろ考えてしまうのだ。
そんなもの、ディラスの言葉ひとつ、行動ひとつで、すべて儚い泡のように消えてしまうのに。
こつ、と靴音が響く。背の高いディラスが、フレイの視界にはいる。ポコリーヌとの会話に意識をもっていかれているのか、ディラスがこちらに気付く様子はない。
項垂れて流れる長い青い髪の合間から、か細い声が聞こえてくる。
「……でも、」
なんだか途方に暮れた迷子のように、これから為すべきことがわからぬように、弱々しく紡がれる言葉を、ひとつも聴き漏らさぬよう、フレイは神経を集中させた。
「俺、怖いんです……」
「怖い? どうしてデスか?」
ポコリーヌが首を傾げて微笑む。慈愛の滲む優しい笑顔と穏やかな声は、誰だって悩みを打ち明けてみたくなる、そんな不思議な力がある。
ポコリーヌのことを多く知っているわけではないけれど、きっと、彼にも苦しい恋があったのだろうと思う。
続きを促すような、緩やかな沈黙が続いて後――
「……あいつ、俺よりも小さいんです」
持ち上げた自分の右手を見下ろして、ディラスがいう。
「手だって、俺よりずっと細くて、華奢で」
零れ落ちる吐息が、深くて熱い。そこに秘められた想いが、垣間見える。フレイは白い肌を粟立たせた。
「まるで、触るとすぐ壊れる飴細工、みたいで」
カウンターで、きらきらと輝いていた繊細な飴細工。それに自分が例えられようとは、思ってもみなかった。そんな風にディラスが思っているなんて、知らなかった。
力いっぱい畑作業をして泥だらけになって、冒険にも行って傷だらけになって返ってくる日々。そんな自分を繊細な女の子として扱ってくれるのは、きっと世界中でディラスだけ。フレイが世界で一番大好きな、ディラスだけ。
「俺、いつかあいつのこと壊しちまうんじゃないかって……」
きゅう、と胸の奥が熱く鳴く。とくとくと、心臓から送られる血潮が、体全体で響いて心地いい。まるで度数の高い酒に酔ってしまったかのように、フレイはせつない吐息を零した。
青少年の告白を黙って聴いていたポコリーヌが、感心したように頷いた。
「ディラスくんは、フレイさんのことが、とーっても大事なのデスね」
「……はい」
ぎゅっと手を握りしめたディラスの腕を、ポコリーヌが優しく叩いた。まるで、こっちが正しい道だよと気づかせてくれるような、そんな仕草だ。
「よくわかりマシタ。でも、そのままでいると、やはりフレイさんは悲しくなると思いマス」
「……」
「ディラスくんの考えを、伝えてあげてくだサイ。全部じゃなくてもいいのデス。うまく言えなくてもいいのデス。ありったけの想いをこめて言葉にしたなら、フレイさんはちゃーんと受け取ってくれマス」
行動することも大事。でも、言葉だって大事。どちらか出来る限りでいい、精一杯の誠実さは、人の心に響くだろう。
俯いていたディラスが、ふわり、と顔をあげる。
「ありがとうございます。俺、がんばってみます」
そう、礼を述べるディラスの横顔は、どこか吹っ切れているようにみえた。だがやはり照れくさいのか、「そ、そろそろ開店しますね」と言いながら、そそくさと掃除道具を片づけにいった。
一連のやりとりをこっそりと見守っていたフレイは、ほーっと胸の奥にたまっていた緊張をおしだすように、息を吐いた。
と。
「!」
ふと気づけば、ポコリーヌがこちらをみていた。どうやら、フレイの存在には初めから気づいていたようだ。
ぱちんと、器用にウインクをしたポコリーヌは、踊るような足取りでカウンターの向こうにあるキッチンへと消えていく。
その後ろ姿に、フレイは頭を下げた。
ありがとうございます――ディラスと同じ言葉を唇に乗せ、音にはせずにポコリーヌへと届けて微笑む。ディラスだけでなく、フレイにとってもポコリーヌは恩人だ。きっといつか、この優しさに報いたい。
こんにちはー、と来店を告げる客の声と複数の足音に背中を押されるように、フレイは静かにその場をあとにした。
街の水路に向かい、釣り糸を垂らす後姿に、フレイは忍び足で近づく。
はらはらと、背に落ちる長い髪が、夕暮れの光に煌めいている。その広い背中に飛びつきたくなる恋しさをなんとか堪えて、フレイは笑顔でディラスの側面に回り込んだ。
「ディラス!」
「うおっ!」
釣りの最中にも関わらず、めずらしくぼんやりとしていたらしいディラスが、はっと視線を降ろす。
真正面からみつめあうこととなった琥珀色の双眸に、フレイは改めて笑いかける。
「となり、いい?」
「……ああ」
ふい、と外された視線を惜しく思いながら足元を見る。大きなバケツには、数匹の魚が窮屈そうに泳いでいた。
「大きい魚だね、さすがディラス」
「そ、そんなことねーよ」
「ふふふ」
褒めても素直に受け取ってくれはしない。だけれど、まんざらでもないその表情と、ほんのりと色づいた頬に、フレイは満足して一歩近づいた。
ねぇ、とディラスと肩を並べて流れゆく水路を眺め、フレイは呼びかける。
「ディラスって、私のこと大事にしてくれてるよね」
「……そう、か?」
「そうだよ! いつもありがとう、ディラス」
心からの感謝を伝えて、さらに寄り添う。先に告げたこの想いが、ディラスの想いの、呼び水になりますように。
わずかにくっついたところから、ほんのりと伝わってくるぬくもりに、フレイが目を細めたとき、ディラスの腕がひらめいた。
水面に咲いていた赤い浮きと釣り針が引き戻される。なにも釣れてないのにどうしたのかな、と思うフレイの目の前でディラスは釣竿から手を離した。
あのな、という掠れた声に導かれるように、お互いに向き合う。そうして、震える手でフレイの両手を包み込むように握りしめたディラスが、目を泳がせた。
自分でここまでしておいて、狼狽えるディラスが面白くて、かわいい。
昼間にみた食堂での光景を思い出して、思わずこぼれそうになる笑みを、フレイは必死にこらえた。
きっと、ディラスは今、一生懸命に心の声を、言葉にする方法を探している。
くすぐったくなるような沈黙の中、ぴちょん、と水路で小魚が跳ねた音がした。
「――俺、フレイのこと、す、好きだ」
捧げられた言葉に、もう、取り繕うことはできない。どうしようもなく頬を緩ませながらフレイは頷いた。知ってるけれど、いわれて嬉しくないわけがない。
「なかなか、恋人らしいことはできないかもしれないが、嫌いになったりは絶対にしない」
考えて考えて、ゆっくりと一言一言噛みしめるようにディラスを、フレイは熱っぽくみあげる。
「だからその、なにも、心配しなくていいというか……なんて、いうか……」
ごにょごにょと尻すぼみになっていくディラスの発言に、フレイは小さく笑う。そして、わかってるよ、とディラスの胸に顔を押し付ける。
びくり、と大きく身体を震わせながらも、逃げないでいてくれることが、嬉しい。照れ屋なディラスの、精一杯の勇気。それを褒めてあげたい、慈しんであげたい。
「あのね、ディラス。私、繊細なお菓子じゃないよ」
「……!」
するり、とディラスの手にフレイは自分の指を絡め返す。
「手を繋いだって壊れないし、抱きしめられても折れないよ? もちろん、キスされたって溶けたりしないし!」
一息に言い切って、ディラスを見上げて笑う。
か、と高い位置にある端正な顔が、真っ赤に染まった。トマトかリンゴのような見事さだ。琥珀色の瞳が、泣きそうに揺らぐ。
「お、おま、おまえ……! きいてたのか?!」
「えへへ」
ごめんね、とフレイは言葉では謝りながら、まったく悪びれることなく笑った。だって、盗み聞きだったとはいえ、あんなに幸せにしてくれたのが、とても嬉しいから。
「アーサーさんのところに用があったんだ。顔をみていこうかなって思ったら、そんな話してて、出るに出られなくなって……」
「……」
しおしおと項垂れ耳を垂れさせるディラスは、きっと恥ずかしくてたまらないに違いない。フレイが逆の立場なら――まあ、本当のことだからと開き直るかもしれない。だって、ディラスはとっても格好いいわけだし。うん。
いっそ穴があったらはいりたいと、そう書いてあるようなディラスの顔をじっとみつめる。
「だからもっとね、近くにきてくれると嬉しいな。ディラスが、すごく大事にしてくれてるのはわかってる。でもね、もっとディラスを感じたいのも、ほんとうなの」
「わ、わかった」
「すこしずつでいいから、ね?」
「……情けなくて、わりぃ……」
真っ赤な顔できつく瞳を閉じ、恥しさから少しでも逃れようと唸っているディラスへ、ころころとフレイは笑い声を転がした。ゆっくりと頭を振る。
「いいの。とりあえず、今は私からするから」
「――はっ?!」
ぱち、と切れ長の瞳を限界まで見開いたディラスの胸へ、フレイは飛び込んだ。ディラスの返答をきくつもりは、これっぽっちもない。
「……う、わ……! ちょ、お、おい……!」
ぎゅううと、抱きしめればディラスが慌てふためく。
ディラスの胸に耳をぴったりとあててみる。そこで奏でられる音は、フレイのものと同じ速さ。一緒であることが嬉しくて、甘えるように頬を摺り寄せると、ディラスの体温が高まっていく。
そんなディラスが可愛くて可愛くて。しばらくはこのままの初心なディラスでいいかも、なんて、ちょっぴり考えてしまったことは、ひとまず内緒にしておこうと、フレイは思う。
重なりあう心音が、愛おしい。ディラスのにおいを胸いっぱいに吸い込んで、フレイは陶然としながら、もう一度頬を摺り寄せる。
と。
むに、と両頬が包み込まれる。
「!」
半ば無理やりに上向かせられたフレイの顔に、覆いかぶさる影。唇にふれる、あたたかなもの。それはすぐに離れていった。
ぱちぱち、と不意うちのキスを贈られたフレイは、大きな目を瞬かせる。
驚いた。まさかこの状況で、ディラスのほうからこんなことをしてくれるなんて!
じわじわと足元からこみあげる喜びに、フレイの体の力が抜けていく。思わず寄りかかってしまうと、ディラスがきつく抱きしめてくれた。
肩に顔をうずめられて、フレイの視界には広く高い秋の空と規則正しい鱗雲、そして風にもてあそばれる青い髪しか映らなくなってしまった。
「くっそ、すっげぇあまい、な……」
「……」
無言のままディラスの背に手を置いて、フレイは瞳を閉じる。
「あまいの、いや?」
「……これは、いやじゃない」
どこかむくれたような、子供じみたディラスの言い方に、フレイは笑う。そっと、すぐそこにある、柔らかな毛に覆われたディラスの耳へと、囁く。
「じゃあ、もっとあまいの、たべてね?」
「~~~っ、ば、ばっかやろう! そんな恥しいこというなー!」
「あははははっ」
恥しいことを先にしたのはそっちなのに、と。
怒鳴りながらも離してくれないディラスに、フレイは眉を下げて笑う。
もう離れようと暴れるディラスを逃がさないよと抱きしめながら、フレイはやっぱり自分がもう少しリードしていこうと思うのだった。