3.白き殯宮

 かつん、こつん、と硬質な音をわずかに響かせて、柊はゆっくりと広大な部屋を歩いていく。
 王宮の一角に設えられたこの建物の床は、磨き上げられた白い大理石。高い天井を支える柱も、同質の素材で精緻な細工が施されている。
 数代前の豊葦原王が、長戸国にて採掘をさせてこの橿原まで運ばせ、数多の職人たちに命じて作らせたという。彼らの心血を注ぎ長い年月をかけて作り上げられたこの宮は、静かな美の結晶だ。
 高い天井からは透かし彫りを通して夕暮れの赤い幾筋もの光が降り注ぎ、死者へと手向けられる花々と、死者を見送る神々の彫刻は、柔らかな光を浴びて、まるで生きているかのように影を躍らせている。
 さげられたいくつもの白い布は穢れを祓う呪いの銀刺繍が施され、ゆらゆらと揺れている。重なり合うように配置された布の向こうにあるはずの、壁面はまったく見えない。どこかで焚かれているのであろう香が、鼻腔を擽る。
 静謐な空気に満たされているこの空間は、滅多なことでは使われることはない。
 なぜならここは、代々、豊葦原の王族が死したときのみに使われる殯宮なのだから。現在の王族は、先代女王の遺児である二ノ姫のみ。
つまり豊葦原が女王である千尋ただ一人だけだ。しかし、彼女はまだ生きている。これからも生きていく。
 だが、今この宮には死の気配が満ちている。
 柊は、宮の中ほどで立ち止まった。結界があるわけでもないのに、ここから先は足を踏み入られそうにない。嘆きでできた、見えぬ壁だ。
 柊が視線を向ける先は、宮の最奥にある祭壇だ。
 それは、数段高く設えられた石造りの台座。その上にあるものは、遺体だ。王を護り、その想いゆえに死した将軍が、静かに横たえられている。
 長いこの国の歴史の中で初めて、その身に王族が死した際にかけられるものと同じ弔い布をかけることを許された者。
 王が、諌める臣下たちの言葉を聞くことなくここに遺体を運ばせ、御自らその布をかけた。震える手の動きが、まざまざと記憶に蘇る。
 幾重にも下げられた呪い布よりさらに精緻な刺繍が施されたその白い布が、清潔な色味で光を受け止め、ほのかに輝いている。
 その前で祈りを捧げるように、床に膝を着いている少女のあまりにも儚い後姿に、柊は息をすることさえ忘れそうになりながら、そっと喉を押さえた。
 大気を伝わってくる感情が苦しい。眉をひそめて、唇を引き結ぶ。
 ここからでもわかる。
 震える肩、漏れる嗚咽、枯れ果てた声。そのどれもが、色を失い命の輝きを欠いている。
 あの御方はいつも光り輝き太陽のような眩さで、自分たちを導いていたというのに。
 まるで空より堕ちた星が輝きを失ったがごとく、今にも消えてしまいそうだ。
 千尋がこうして忍人の死を確かめるように座してから、すでに三日が経過している。
 遠夜の術のおかげで腐敗は進まぬものの、もう時間はあまりない。忍人の遺体を弔い、埋葬せねばならない。
 それを告げにきたというのに、あまりにもその姿が悲痛で。その背に言葉をかけることを考えるだけで、まるでひどい罪を犯すような心地になる。
 偽りの言葉を述べてまで、この二人の間にきちんとした別れをしてほしかった。だから、誰も近づかぬようにと千尋の名を騙って命じた。
 だけれど、千尋は立ち上がることはなく、日に日に衰えていく。まだ、忍人の死を受け入れられないのか。別れがきたと認められないのか。
 だが、それもそろそろ終わらせなければ。
 これは定められていたこと。
 どれほど繰り返そうとも決して覆されぬ既定伝承のとおりに、満たされぬ想いを抱えて忍人は逝ってしまった。
 大切な少女を、置き去りにして。
 この結末を、自分はとうの昔に知っていたではないか――そう思っても、心がざわめいて仕方がない。
 愛する主の悲しい姿に、胸が張り裂けそうだ。
 ぎり、と知らずに握り締められた柊の拳は、わかっていても世の不条理に抗えぬ無力な己を責めるように、小さく震えた。