人間見た目が九割。
どこかの誰かが、そんな世知辛いことをいっていたな、と思いつつ、佐隈は正面にいる男を眺めた。
さらさらとした金色の髪、物憂げに伏せらせた青の瞳、紅茶を口にする所作は優雅で、まさに王子様と評するにふさわしい。事実、周囲の女性たちからの好奇の視線が止むことはない。
まあ、実態は糞尿嗜む蠅の王子様なわけですが。
そんなことを心の中で思ったところで、彼女たちにはわかるわけもないし、口にしたところで信じてはもらえないだろう。
見た目がよいというのは、それだけで随分と得をするものだ。
だけれども、今はそのお得感も邪魔でしかない。
……これじゃあ、尾行するのも大変なんだけど……。
佐隈は、気取られぬように気をつけながら、そっとため息をついた。
心配性な親からの、娘の素行調査をしてほしいという依頼で、一人の女子大学生を追いかけている最中なのだが、悪目立ちしていて落ち着かない。もちろん佐隈ではない。主にベルゼブブが。
というか、なんでこんな女がこんないい男と? 的な同姓の視線が痛い。ちくちくと突き刺さる。
「どうしました、さくまさん」
ティーカップを下ろしたベルゼブブが、佐隈にとっては眠たげで、なにを考えているのかわからぬ瞳を向けてくる。世の女性にしてみたら、思慮深く控えめな眼差しにでもみるのだろう。
格好いい、素敵、美男子と評されるにあまりある顔立ちだが、佐隈の好みかといわれれば、実はそうでもない。貴族然とした澄ました顔は、冷たくて好きではない。これを告げると奇声をあげて罵倒されそうなので、心にしまっておく。
「どうしたもこうしたも……。もうちょっと地味になれないんですか、ベルゼブブさん」
こそこそと、周囲には聞こえないくらいの声で、なるべく目立たないで欲しいと要望してみる。が。
「おやおや、これは失敬。ですが、どのようにみすぼらしい格好に身をやつそうとも、庶民にまぎれていようとも、私の高貴な血と育ちのよさがもたらす気高さばかりは、隠しようがありません」
芝居がかったわざとらしい仕草で頭をふり、額に長い指先を押し当てながら、そんなことをいう。
きゃー、とさざめく女たちの小さな悲鳴。佐隈は頭が痛くなってきた。この悪魔、絶対わかっててやっている。ナルシストの気でもあるのだろうか。
「……そうですか」
これならいつものプリチーなペンギン姿で、普通の人には見えないままついてきてもらったほうが、気が楽だった。罵詈雑言をぶつけられようと、そちらのほうがマシだ。
もしかしたら男と待ち合わせ、いかがわしい場所に行く可能性も考慮して、人型のベルゼブブをつけてもらったのだが、失敗だったかもしれない。
ちらちらとターゲットの動向を探るのも忘れず、佐隈はそんなことを考える。
「それにしても、別にかわったところは見受けられませんな」
ベルゼブブもまた、通りを挟んだ向かいの店にいる女子大学生を視線で追っている。
ここ最近、自分に黙ってこそこそと一人で出かけるのが心配だという、とある会社の社長からの依頼なのだが、どうみても彼女は普通に買い物をしているようにしかみえない。あっちこっちと店をはしごしているところをみると、何か探しているのだろう。
「そうですねー……あ!」
店員にドアをあけてもらい、見送られながら、ターゲットが笑顔で何かを抱えて出てきた。
「もうでてきた?! いきますよ、ベルゼブブさん!」
「はい」
佐隈は、慌てて席を立つ。それにベルゼブブが続く。
予想以上にはやい。これまで何店舗か回っていたが、ゆうに数十分は品物を見て回っていたというのに。監視兼休憩時間としたのが、悪い方向へ作用してしまった。
「っと、支払いしなきゃ……!」
しまった。と佐隈は内心思った。先に会計を済ませておけば、店をでるのも容易だったろうに。焦って鞄を漁っていると、そっとその手をベルゼブブが押さえた。
「私がしておきますので、さくまさんはお先に。すぐに合流します」
「すみません!」
会計票をベルゼブブに託し、佐隈は店の扉に向かう。ベルゼブブは契約という繋がりがあるため、ほうっておいても必ず佐隈のもとへ辿り着く。目に見えない絆というのは、こういうとき便利だ。
道路に飛び出し、きょろきょろとあたりを見回す。
人ごみの向こう、ターゲットの頭が見え隠れしているのが見えた。
ここで見失ってしまっては、報酬激減、すなわち佐隈の給料に直接かつ痛い影響がでる。
借金返済のため、自分のため!
ハンターになった気分で目をギラギラさせながら、佐隈は女子大学生のあとを追いかけた。
「っと、ごめんなさい……!」
人にぶつかりそうになりながら、距離を縮めていく。あまり近づきすぎても尾行は意味をなさなくなるので、あくまで自然な位置を探す。
と、十数メートルほど先で、ターゲットが誰かにぶつかったのがみえた。
まずい、と反射的に思う。
彼女がぶつかったのは、ピアスだらけの耳、本人は格好いいと思っているのだろう着崩したような出で立ちの、たちの悪そうな――とくに何も考えず日々を過ごし、「今が楽しければそれでいい、あと女いたらサイコー!」、的な思考を持っているだろうことが、すぐにわかるような顔つきをした、二人組みの男だった。
案の定、ターゲットが絡まれはじめた。
彼女は頭まで下げているというのに、強引に手をとりどこかへ連れて行こうとしている。にやにやとした下卑た笑顔は、アザゼルのそれよりも腹が立つ。
歩行速度をゆるめることなく近づいた佐隈は、女子大学生を引き寄せて、背後にかばった。
しまったな、とぼんやり思うものの、放っておくこともできない。
これで怪我でもしたりしたら、あの過保護の社長に「黙ってみていたのか?!」と逆上されて、慰謝料を請求されかねないような気がする。
それ以上に、彼女のことが心配なのもあるのだが――軽率だったかもしれない。
歪む男たちの顔をみながら、火中の栗を拾う、というのはこういうときに使うべきなんだろうな、と。どこか冷静に考えた。
「ああ? なんだテメェ」
突然、間に割って入ってきた佐隈に、男の一人が視線を険しくする。へらりとしていたアホ面が、剣呑さを帯びる。
「肩がぶつかったくらいで、そんなにいうことないでしょう? あなた、大丈夫?」
「あ……、は、はい」
こくこくと、震えながら女子大学生が頷いた。青い顔をしたまま、ぎゅ、と佐隈の上着を握り締めてくる。よほど怖かったに違いない。
「とにかく、彼女、ちゃんと謝ってたじゃないですか」
ひとまず自分たちの行いが非難されているということは理解したのだろう。
「うるせーな……てめぇにゃ関係ねぇだろうが」
すごむ男を気丈に睨み返すと、もう一人がじろじろと佐隈を上から下まで視線で舐めた。正直言って気持ち悪い。
「……まあ、別に悪くはねえなあ。あんたもそっちの女と一緒にくるか? お相手が増えたっつーなら、こっちは大歓迎だぜぇ?」
間合いを詰めた男は、ありきたりなことを言ってくる。
だが、こちらは日々口の悪い悪魔たちとすごし、そんな悪魔たちさえ恐れひれ伏す芥辺とともに仕事をしているのだ。これくらいで震え上がるような、やわな精神はしていない。……一般女子としては、それでいいのかという気がしないでもないが。
「お断りします。さ、いきましょ」
相手にするのも馬鹿らしい、意味は無いというように、佐隈は女子大学生を肩をかばうようにして、その場を移動しようとする。
しかしながら、当然、見逃されるわけがない。
「!」
ぎち、と音がしたと思うくらいの強さで、佐隈の手首が捕まれた。大きな骨ばった手に触れられて、肌が拒絶反応をおこしたようにざわめいた。ニヤニヤとした笑みがまた、嫌悪感を煽る。
「はなしてください!」
「いって……!」
思いっきりよく身を捩ると、男の手が解けた。が、考えなしに動いたせいで、佐隈の爪が男の皮膚をひっかく。
血は出ていないし、わずかに痕がついたくらいで、たいしたことなどないはずなのに、傷を付けられたことに激昂したのか、男の手が引き戻される。
「調子に乗りやがって、このアマ!」
「っ……!」
そうして振り上げられた男の手が、鋭く重く、顔をかばうためにとっさにあげた佐隈の手を容赦なく打ち付けた。
痺れと熱を伴う衝撃に、佐隈の体はバランスを崩して傾く。反射的に、ぎゅうと目を閉じる。
転ぶ……!
そう、思ったのに。
夏の日差しを浴びた硬いアスファルトの上に、情けなく転がると思ったのに。
予想していたような痛みは、訪れなかった。
「何してやがる、このクソども」
すぐそばで聞こえた声に、恐る恐る目を開ける。最初に見えたのは、自分の体を抱きとめ支える腕。ゆっくりと視線をあげれば、冷たい横顔があった。ただ、その瞳には、怒りが見え隠れしている。燃え上がる炎を封じた、青い鋼玉のようだ。みるものに恐怖をあたえるけれど、同時に魅了をもするそれを、美しいと、素直に思った。
――王子さまあらわる
少々緊迫感に欠けるけれど、今まさに佐隈を窮地から救ったベルゼブブには、そんな言葉が相応しい。
「何してんだってきいてんだよ!? ああ?! その趣味の悪い安物をぶら下げたキッタネェ耳は飾りか?! 殺すぞ!」
突然現れた見目麗しい外国人に、流暢な日本語で罵倒され、男どもは一瞬、ぎょっとした顔をしたものの、ベルゼブブがほっそりとした体系の優男とみてとって、態度を一変させた。
「いきなりしゃしゃりでてきてなんなんだよ、てめぇこそ殺すぞ!」
「女の前だと思って格好つけてんじゃねぇよ!」
先ほどよりも威勢よく男たちは叫ぶものの、今はなんだか、野生の狼に身の程知らずに勝負を挑む、小型の愛玩犬のようにみえる。威勢はいいが、実力は遠く及ばない。そういうほかない光景。
それもこれも、佐隈の体を支え立たせ、さりげなく背後にかばう、ベルゼブブがいるからだろう。
「はっ! あいにくと私はいつも優雅でして――あなたたちのような、下品で二目とみれないような不細工な面構えの輩と違うんですよ! ゆえに、格好をつける必要など皆無!」
堂々と、相手を貶めつつそんなことをいう神経は、さすがベルゼブブである。やはりナルシストの気があるに違いない。
「はあ?! てめーアタマおかしいんじゃねえのか!」
確かにおかしいかもしれないが、悪魔なので仕方ない。
こそこそと、女子大学生とともに数歩下がって距離をとりつつ、佐隈は内心突っ込みをいれていた。
「素直にそっちの女どもを寄越せばいいんだよ、マジで殺すぞ……!」
男たちの台詞に、やれやれ息をつきつつ、馬鹿にしたように笑いながら、ベルゼブブが肩をすくめる。なんというか、やられたら非常に腹が立つ仕草だ。
「できもしないことをいうところなど、本当に愚か極まりない。敵う相手かどうか判断できぬくらい知識も経験も乏しいとは、その年まで何をしていたのです? 素晴らしく惨めですね。さすがの私も同情いたしますよ、あなたのその恥辱に塗れた最低の人生には。私だったら生きていけません。
さて、このようにしている時間も惜しいですし、親切な私が教えて差し上げましょう。地べたに這い蹲る勢いで感謝なさい。
あなたがたごときでは、私の相手になれません。百回生まれ変わって出直してらっしゃい。まあ、それでも勝てる見込みなどありはしませんがね」
つらつらと止める暇もなく、ベルゼブブが台本を読み上げるように言う。
ふ、と一呼吸したと思ったら。
「わかったら、恥じいりながら消え失せろ。むしろ死ね」
まさに嘲笑。ベルゼブブは、最後にそんなことを言って嗤った。
男二人の顔が引きつりもせず強張った。目が血走る。口元が、戦慄く。泡でも噴くのではないかというくらい、顔がゆっくりと醜悪に歪んだ。
「な……な、なめやがってぇぇ!」
完全に頭に血が上っている男が、拳を引いた。そのまま、迷うことなくベルゼブブに向かって繰り出す。
「ベルゼ……!」
かばうことも助けることもできないが、佐隈がその名を呼びかけた瞬間、男の拳はベルゼブブの顔を殴打し――否、それは容易く片手で止められていた。
受け止められたとわかった男が、信じられないものをみるように、目を丸くする。細い見た目に反して、まるでその場に置かれた彫像のように、ベルゼブブが微動だにしないからだろう。
ベルゼブブの見た目にだまされた男たちは、こうすれば驚いて退くとでも思っていたのだろうが、なんにせよ、相手が悪かった。
「なに……?!」
「ありきたりな反応、どうも」
ぶん、とベルゼブブが男の手を止めた手を振るう。
「うわっ!」
「いってぇ!」
ベルゼブブによって投げられた男と、その先にいた投げつけられた男がぶつかり、もんどりうって重なる。
じゃり、と靴底を鳴らして、ベルゼブブがそんな男たちに一歩近づく。
「このベルゼブブに歯向かうとは、いい度胸です。その点だけは評価してさしあげますよ」
ニタァ、と嫌な笑顔を浮かべながら、ベルゼブブがひどく楽しげに呟く。
悪魔使いである佐隈には、その体から噴出す魔力が、禍々しい呪いに変化していくのがみえた。やばい。
「ちょ、ちょっとベルゼブブさん、あまりやりすぎちゃ――!」
だめ、という間もなく。
「体中の水分と、胃の腑のものまで急転直下にひりだして死ねやァァ!」
「「!」」
その手の上で練り上げられた呪いが、哀れな二人の男たちに向かい、炸裂した。
もちろんそんなものがみえるはずのない男たちは、一瞬何が起きたかわからないようであったが、あっという間に青ざめ、腹を押さえてその場に蹲る。ぷるぷると小刻みに震え、みるみるうちに顔が苦痛に歪んでいく。
「あーあー……」
佐隈は、やってしまったと、眩暈に倒れそうになる。だが、ここで倒れるわけにはいかなかった。
「ハッ、この私に逆らうからですよ! ざまあ――っ?!」
高らかに哄笑するベルゼブブを掴む。驚いた顔で振り向いたベルゼブブを、睨みつける。
「いきますよ! ほら、あなたも!」
「は、はい!」
呆然と、ことの成り行きを見守っていた女子大学生に声をかける。
「待ちなさい! これだけで済ませることなどできません!」
「もうじゅうぶんです! いいから、はやく!」
美青年らしからぬ怪鳥のような叫び声をあげるベルゼブブを、急かす。
左手で女子大学生の手をとり、右手でベルゼブブの洋服を掴み、佐隈は一目散に駆け出した。
男たちの重い悲鳴と、ほのかに漂う臭いと、あたりのざわめきについては考えないことにする。
こんな繁華街でもらしたら―― 一生もののトラウマだろう。
知らなかったとはいえ、高位悪魔に挑んだ彼らには、命があっただけましだと思い、甘んじて現実を受け入れてもらうほかはない。
だが、彼らにまったくもって申し訳ないという気持ちは沸き起こらない。
ただ思うことは、あんなものに巻き込まれて面倒事になりたくないということだけだ。
本格的に悪魔使いに染まってきているなあ、と。
佐隈は、苦々しく思った。
「じゃあ、気をつけてね」
「はい! ありがとうございました!」
あんな目にあっても、決して手放さなかったプレゼントの包みを抱え、女子大学生は一礼して去っていく。
逃げてきた公園で交わした話で、今回の依頼はほぼ終了となった。
なんのことはない。父親に黙って遊び歩いていたわけではなく、父の誕生日プレゼントを探していただけだったのだ。
助けてくれた恩人に対し、経緯を涙交じりに話し、何度も何度も頭を下げてくる彼女は、とてもいい子だった。
このことを知ったら、依頼主の顔に涙が滂沱するに違いない。心配性で過保護な親をもつのも大変だ。
ひらひらと手を振り、彼女を見送ったものの、隣からちくちくとした空気が流れてきていて、振り向く気がそがれていく。
だが、助けてもらったのは紛れも無い事実なのだ。
えいや、と思い切って、佐隈はベルゼブブに向き直った。
「あの、ありが、「馬鹿ですかあなたは!」
「っ!」
最後まで礼をのべる前に、今まで沈黙を保っていたベルゼブブの怒声が響き渡った。あたりにいたハトが一斉に飛び立つ。
美しい顔が、怒りによって鬼の形相になっている。なまじ整っているだけあって、かなり怖い。
「なぜ私を待たなかったのです! 無鉄砲にもほどがあんだろうがよォ! ああ?!」
「ご、ごめんなさい」
ひぃぃ、と佐隈は顔を青ざめさせて、あとずさる。だが、ベルゼブブがそのぶん近寄ってくるので、距離はひらくことはなかった。
「あっ、いた……!」
ぐい、と手を引き寄せられて、佐隈は顔をしかめる。いまさらになって、男に打たれた手の甲が痛んできた。それを強く握られているのだ、痛い以外に出る言葉はなかった。
「あんな屑どもにこんな怪我までさせられて、なにしてんだ! このクソがっ!」
「そ、そんなに言わなくても……っ、」
ゆっくりと、手が包み込まれて、佐隈は驚いて目を見開く。ぎり、と奥歯をかみ締めた厳しい表情のまま、ベルゼブブが赤く腫れた場所を指先でなぞる。
「……」
「ほんとうに、どうしようもねぇ女だな、てめぇはよ……」
優しい労わりの仕草とは裏腹に、馬鹿だの阿呆だの、ビチグソだの――常日頃から聞いている言葉が並べ立てられる。
そうしているベルゼブブが、なんだか泣きそうに見えて、佐隈は心から申し訳ないと思った。あの男どもには、かけらも抱かなかった感情が、悪魔相手には沸くとは不思議なものだ。
そっと、もう一方の空いた手を、佐隈はベルゼブブの手に重ねた。
「ベルゼブブさん、心配してくれたんですね。すみません」
「は?」
きょと、と「何を言われたのか分からない」という顔をしたあと、ベルゼブブがその秀麗な顔を崩した。
「ばっ……!」
馬鹿、とでもいいたいんだろうなと察しながら、面白いくらいに表情をころころと変えるベルゼブブを、佐隈はみつめ続ける。
喫茶店では、いつもの姿のほうがいいと思っていたけれど、こんな一面をみられるなら、これもいい。済ました顔より、ずっといい。こちらのほうが、佐隈には好ましかった。
ようやく動揺が鎮まったのか、ベルゼブブが鼻を鳴らした。
「はっ、随分とふざけたことおっしゃいますね?! この、私が、ベルゼブブ様が! テメェみてぇなビチグソ女の心配なんかするわけねえだろうが! 気色のわりぃこと言ってんじゃねぇよ! 頭沸いたか?!」
「……」
うーん、と佐隈は小さく首を捻って、笑った。
「色白っていうのも、たいへんですね。ベルゼブブさん」
「ハァ?!」
「いいえ、なんでもありません」
眉間に深く皺を刻み、瞳は見下す色を帯び、口汚く罵ってきているが――頬を赤くしながらでは、怖さも苛立たしさも半減してしまう。
自分が今、そんな状態だと、ベルゼブブは気づいていないのだろうか。
気づいていないんだろうなあ。
ベルゼブブが赤面したところなど、そうそうみることはできないに違いない。まじまじと、見入る。
「わけのわからない女ですね……! マジで頭悪ィな……! ですが、その……あなたね、あまりじろじろと、人の顔を不躾にみるんじゃありません……えー、」
ものめずらしげに眺めていると、ベルゼブブの語気が、段々と弱くなっていく。根負けしたのか、ふい、とベルゼブブが視線を逸らした。
その姿に、佐隈の胸がむず痒くなる。なんだろう、ちょっと、可愛いと思ってしまった。
「と、とにかく。何かあったら、私をよびなさい。その身に危険が及ぶ前に。あなたは私の、その……だいじな……、いえ、あー……そう、契約主なのですから!」
これで上手くごまかしたつもりだろうベルゼブブに、佐隈は頷いて返す。
苛立ちに歪む顔に、かすかに滲むのはやはり自分を想ってくれている感情だと思う。
こんな顔されて、心配されて、怒られたら、嫌なことも何もかも、綺麗さっぱりなくなってしまう。
たとえそうする理由が、佐隈がいなくなることで、契約を芥辺に引き継がれることを恐れてのものであっても。
もしかしたら、違うのかもしれないけれど――素直じゃないベルゼブブから聞き出すのは至難の業だろうから、黙っておこう。
にこ、と顔が自然と緩むままにまかせ、佐隈は言う。
「はい。わかりました。今度から、すぐお呼びします。だから、ちゃんときてください。すぐですよ?」
頼りにしていると、言外に伝えると、ベルゼブブの目元がふいに緩んだ。嬉しそうな、安心したような。それは、ほんのちょっとの変化だけれど、佐隈はそれにちゃんと気づいた。
「――ええ、マイマスター」
普段は言われないような言葉が、くすぐったい。
ふふ、と笑うと、同じように小さく微笑んだベルゼブブの表情から、刺々しさと堅さが抜け落ちていく。
「じゃあ、仕事も終りましたし、帰りましょうか。ベルゼブブさん」
ベルゼブブにとられたままの手を動かす。そっと長い指に自分の指を絡める。痛みは随分とましになっていた。
「!」
声もなく驚くベルゼブブの手を引いて、佐隈は駅に向かって歩き出す。
すぐに振り払われるかと思ったが、逆にそっと握り返されて、くすぐったい。
「今日はベルゼブブさんときてよかったです、ほんと。もしかしたら、娘さん助けたことでボーナスつくかもしれませんしね!」
「つくづく金に汚い女ですね、あなたって人は」
「そうですか?」
「自覚なしとは救いがたい」
ねえ、とベルゼブブが言う。
「さくまさん、私は役に立つでしょう?」
「はい、とっても」
「私がいて、よかったでしょう?」
「ええ、もちろん」
「ではずっと、私をそばに置いておきなさい」
「……はい」
「そして明日は、今日より美味しいカレーを作りなさい。このベルゼブブを唸らせるようなものをね」
「いつも『おいしい』って叫んでるじゃないですか~……。うーん、できる限り頑張ります。ベルゼブブさんってば、日に日に舌が肥えていくっていうか、難しくなるんですよね……やりがいはありますけど」
「せいぜい精進なさい」
「はい」
打てば響くように、返し返される会話が小気味いい。こんなに、落ち着く。
ちら、と肩を並べて歩く男を、見上げる。
陽に透ける金の髪。透き通るような白い肌。長い睫に縁取られた青い瞳。薄い唇。それらが形作る表情。
人間見た目が九割。
本当にそうかも、と、まだ赤い顔したまま満足そうに笑うベルゼブブを、自分の『王子さま』を見上げながら、佐隈は微笑む。
ただ佐隈が考えるのは、顔の造作、身だしなみとかそういうものではなくて――心を素直に相手へ伝える表情こそが大事なものだと、そう思う。
まあ、いま手を繋いでいるのは、正真正銘の悪魔だけれど、感情があるのは同じ。こうして見えるのも、表にだすものも、人間とさして変わらない。
怒りとか、悲しみとか、喜びとか、感謝とか。そういうものが目に見えたり、ちゃんと言葉にしてもらえるのは、やはり嬉しい――あ。
はた、と佐隈は思い出した。
「あはは、言い忘れるところでした」
「?」
不思議そうに見下ろしてくる者の視線を受け止め、笑う。言葉だけでなく、ほんとうにそう思っていると伝わるような笑顔で言う。
「助けてくれて、ありがとうございました。ベルゼブブさん」
そうありったけの気持ちで感謝を伝えると、ベルゼブブの頬へ、おちつきかけていた赤みが勢いよくもどってくる。
小さく舌打ちをして、不機嫌そうに気持ち悪そうに顔をゆがめるベルゼブブに、佐隈は大きく笑ってしまった。