数日前の花見の席以来、サトはキリクをまともに見られない日々が続いていた。
村内でみかければ引き返し、近くを通れば木の陰に隠れ、出かけていくのを植え込みにまぎれるようにしゃがみこみやり過ごす。
私、なにやってるんだろ……。
とほほ、と。むなしさを覚えるくらいに、サトはそんなことを懸命に繰り返している。
やめればいいことくらいわかるけど。なんだか……顔をあわせたくないのだ。
ちらとでもキリクのことを考えると、顔が熱くなる。胸が心臓に叩かれすぎて痛くなる。そんな自分は、きっと物凄く間の抜けた顔をしているに違いない。だから、会いたくない。もう少し、その理由を考える時間が欲しかった。
が。
さすがに、いつまでもそうはいかないらしい。
「っ?!」
どーん、と道の真ん中にたちはだかっている大きな影に、サトは頬を引き攣らせた。
場所は竹馬の友から少し北にあがった路地。つまり、サトの農場と、隣村に続くトンネルにも続く道の上だ。
慌てて周囲に視線を送るが、迂回できそうなところはない。そもそも、ここは見通しのよいところだ。身を隠すことが出来る場所も、当然見当たらない。
ひぃ、と喉の奥で悲鳴をあげつつ、ゆっくりと踵をかえす。
これから牧場に戻って、午後の水遣りをするつもりだったが、いたしかたない。
ちょうど山での採取から帰ってきたところだから、ここから引き帰してお邪魔できるところといえば――シェン・ローの家だ。
ディルカの家もあるけれど、路地に近すぎるし、なにより配達中で留守だろう。だから、シェン・ローに採ってきたばかりの笹をあげつつ、世間話でもしよう。そうして、やり過ごそう。さすがのキリクも、何時間もいるわけがない。とにかく、いまは逃げよう。
一瞬のうちにそこまで考え、キリクがちょうど別な方向を向いていたことをこれ幸いと、サトは歩き出した。なるべくみつからないように、みつからないように。そろり、そろりと。
あともう少し離れたら、走る。
そう心の中で機会を伺っていると。
「――あ! サト!? おい、こらまて!」
怒声にも似たキリクの叫びがあたりに響いた。サトは、半泣きで文字通り跳び上がった。
「いっ……いやあぁぁぁー?!」
振り返ることなく走り出す。みるまでもなく、キリクが追いかけてきていることくらいわかる。砂利を踏みしめる荒々しい足音が、凄い勢いで迫ってくるのだ。それは、恐怖でしかなかった。
「待てって!」
「っ、……いたっ」
いくらかもいかぬうちに、二の腕へ重くかかる力。
引き摺られるように、サトは小さな悲鳴をあげながら、足を止めた。
痛みと怖さと、悔しさと、そんなもののせいで険しくなった目を、頬にかかる髪ごしに、己を捕まえた男へ向ける。
案の定、あっという間に距離をつめてきて、サトの腕を掴んで離さないのは、キリクだった。いつもの朗らかさはまったくない。厳しく、サトに負けず劣らずの鋭い視線で、サトを見下ろしている。
ざわざわと、皮膚の表面が表現しづらい感覚で波打つ。どっと、血の巡りの量が増した。
会いたく、なかったのに。
つん、と鼻の奥が痛む。泣いてしまいそうで、サトが唇を噛み締め俯くと、それが余計に癇に障ったらしいキリクが、引き寄せてくる。
サトは、数歩たたらを踏んだ。
「サト! なんでオレのことみないんだ!?」
「……や、だ……!」
「――なんだよ、そんなに嫌なのかよ……」
弱弱しく頭を振るしかできないサトに、苛々としてきたのか、キリクが吐き捨てる。
「きゃっ?!」
ぐいと、走ってきた方向に、強引に体が向けられる。
「ちょっとこっちこい」
抵抗しようにも、足に力が入らない。
ずるずると引き摺られるようにして、トンネル前のベンチに連れてこられたサトは、そこに無理やり座らされた。
目の前にはキリク。左右どちらにも、逃げられそうにそうには、なかった。
追い詰められた。そんな言葉が、脳裏を過ぎった。
「――サト。なんで、オレのこと避けてるんだ?」
二人の間の空気とは違い、さわやかな春の風が吹き抜けてく。髪を弄ばれながら、サトは頭を振った。
「ち、ちが……」
「違わないだろ?!」
キリクに言い切られ、サトは腿の上に置いた手を握り締めた。
やっぱり、キリクはわかっていた。当然といえば当然だ。あんなに、あらさまだったのだから。
でも、なんていったらいいのかわからない。
会いたくなかったのは本当だけれど、それはキリクのせいじゃない。自分なりの理由はあるが、彼には納得できる類のものではないだろう。そう思う理由の「理由」も、言葉にできる自信がない。
「いいから、まず顔あげろ!」
「いたっ! いたいいたい!」
がし、と頭を両側から大きな手で押さえ込まれて、「ぎゃー!」と色気のない涙声で叫びながら、サトはじたばたと手足を動かした。
だが、こめられた力は強い。逆らえない。
「や、やだやだぁ!」
無理やり上げさせられた顔に、日の光が降り注ぐ感覚。ふわりと、山から降りる風が、サトの髪を流す。閉じた瞼越しにもわかる、白い光。
頬が、凄く熱い。日に当ったからじゃない。そうじゃない。
震えながら、薄っすらと視界をあける。久しぶりに真正面から視線をあわせたキリクの顔は、なんだか懐かしかった。
栗色の髪に縁取られた輪郭、凛々しい眉、意志の強そうな瞳。青空を背景にした、鮮やかな光景。
それを、全て、全て。
すごく格好いいと――思った。ただ、純粋に。
ああもう!
ぼふ、と音がたつような勢いで、サトは頬をさらに染め上げた。
「え?」
その様子をみたキリクの顔から、怒気が消える。その丸くなった瞳に、居た堪れなくなる。
ぐいぐいと、なけなしの力で、キリクの手を外そうと試みる。もちろん、離れてくれるわけなどない。
「やだっ、もう! 絶対こうなると思ったから、やだったのにっ」
もう何もかも真っ赤だ。顔だって体だって、心だって、何もかも。きっとキリクにも伝染するくらい。
「サト、おまえ……」
その証拠に、キリクの顔もまた赤らんでいく。
「だ、だって、だって……なんか、私、普通じゃないんだもん……」
顔を覆うことも出来なくて、サトはとうとう泣き出した。
並々と水を注がれたコップに、小さな何かを落としたときのように、ぶわりと感情が零れていく。
ふええ、と子供のような声をあげながら、ぽろぽろべそべそ、涙を零して訴える。
「こんなの、こんなの……苦しいよ……だから、やだったのに……!」
ほんとうに苦しい。
キリクが近くにいるせいか、息さえしづらい。このまま死んだらどうしよう。
夢も希望もある、うら若き農場主の将来を奪って楽しいのか。
「なんで、なんで……」
うえー、と本格的にサトが泣き出して、キリクの大きな手をその雫が濡らしきった頃。
「……なんでか、わかんないのか?」
こく、とキリクの喉が動いた。呆けていた顔に、少しずつ生気が戻ってくる。
でも、さきほどよりも、いつもみているよりも、ずっと輝かしくなっていくのは何故。
しゃくりあげながら、その変化を見守っていると。
「それはおまえが、オレに惚れてるからだろ」
囁くような声は、内緒話をするには明るすぎて。サトは、大きく瞳を瞬かせた。
「ぅ?」
凛々しくもあり、どこかくすぐったそうでもあり。つまり、にやける寸前の顔をしたキリクがのたまった言葉を、心の中で繰り返す。
一瞬、何を言われたのか、本当に理解できなかったのだ。
しかし、反芻すれば簡単にわかることだった。
自分の気持ちを――指摘されただけ。
男として、キリクをみていると教えられただけ。
「~~~っ?!?!」
声にならない声をあげながら、サトは真っ赤な顔を左右に振る。いや、そうしたいけどキリクの手が邪魔で、出来るわけなんてないのだが。心意気の問題だった。
「ほら、いってみろって。オレのことが、好きだって」
にや、と余裕のある笑みを浮かべながら、キリクがそんなことを言う。
「ち、ちが……ちがうもん!」
ひっくり返った声で叫ぶ、そんなわけない。だって、キリクと自分は友達だ。そうだったはずだ。
「じゃあなんでそんなに赤くなるんだ? ほかに理由、あるのか?」
「う、うう……!!」
顔をわざとらしいくらいに近づけて、そう続けるキリクは、子供の頃に嫌いなものを押し付けてきた男の子のようだ。
「ほら!」
「いや~!」
いやいや、ほらほらと、くだらない押し問答を繰り返すうちに、ぷつん、とサトの中で何かが切れた。
「――ば、ば、ばかああああっ! キリクさんのいじわるっ! だいっきらい!!」
人生で初めてと言っていいだろう、絶叫だった。
そんな耳をつんざくようなサトの声に驚いたのか、キリクが表情を固め、手を緩めた。
「ばかばかっ!」
その隙を見逃さず、サトは手を振り払い、するりとキリクの横を通り過ぎる。
そして、ぽろぽろと悔しさと恥ずかしさで溢れる涙を拭いながら、自分の家へと駆け出した。
荒々しく扉を閉めて、駆け込んだ家の中。
うすぐらい室内を横切って、一直線にベッドに向かう。
ぼふ、と音をたてて身を投げ出す。枕を抱きしめて、サトは涙を零し続けた。
心の中の大切な部分を、土足で踏み荒らされた気分だった。台風の後の畑をみたって、こんな気持ちを抱いたことなんてない。
もう、あんな人、友達でもなんでもない!
ぐるぐると渦巻く色とりどりの感情を、無理やり体の奥底へと押し込んで、サトは心のうちで精一杯に叫んだ。