ことのすべてのはじまりは、花見の席でいい感じに酔いの回った、女医の一言だった。
「そういえば、あなたたちって付き合ってるんでしょ? いつからなの?」
アヤメの近くに腰をおろし、村民が持ち寄った手料理に舌鼓をうってきたサトは、同じくとなりに座って食事を楽しんでいるキリクと顔を見合わせた。
衝撃に、口に含んだものを噴出さなかったのがせめてもの救いだろう。あと少し咀嚼するべきものを強引に嚥下し、ぱちぱちと、互いに目を瞬かせたサトとキリクは――同時に、頬を朱に染めた。
「な、ち、ちがいますよ! なにいってるんですかアヤメ先生!」
「アヤメさんなに言ってるんですか! ちがいますよ!」
そう言いながら、二人一緒に勢いよくアヤメのほうを向く。まったく、同じ動作、同じ瞬間に、だ。
「あら息ぴったりねえ!」
二人の示しあわせたかのような否定の言葉とその動作に、けたけたと心底楽しそうにアヤメが笑う。どうやら笑い上戸でもあるらしく、ワライダケを食べた患者のように、おさまる気配がない。
「あらあらまあまあ、ふたりはお付き合いしているのね~」
おひたしをそれぞれの皿に取り分けながら、おっとりとした口調でソナが笑う。いやいや、何をそう「微笑ましいわ~」というように笑っているのか。
サトはきりり、と眦を吊り上げた。
「もう、違いますってば!」
ぎゅうう、と箸を握り締めながら、むきになって否定してみるものの、けらけらころころと笑い転げられるだけで、まったくもって効果がない。
なんてたちの悪い酔っ払いと、天然おっとり老女なのだろう。
大体、サトの好みはもっとこう……すらっとしていて、笑顔が素敵で、優しい言葉遣いと自分を気遣ってくれる人なのだ。
――あ、いや、キリクも背が高くて、笑顔は爽やかだし、豪快かと思ったらたまに繊細な気遣いもみせてくれるけど――いやいや。
自分の好みにキリクが思った以上に合致して、慌てたサトがぷるぷるとその思考を振り払っていると。
「そうなのか。いやいや、羨ましい限りだ……。オレも、なあ。はあ~」
楽しそうに笑うアヤメを、ちらっと見遣り、しょんぼりとザウリが肩を落とす。
いつもならここで、おもしろ半分に「頑張って!」と応援かつけしかけるところであるが、今回ばかりはそんな余裕がない。
「ザウリさんまで! 違うっていってるじゃないですか! もう!」
キリクさんもなんとか言って! と、きつい視線で隣に座った男に訴える。
むっつりと黙り込んだキリクが、サトとはまた違う目つきで見返してくる。
てっきり、困ったり呆れたりしていると思っていたのに、そんな目を向けられて、サトはわずかに背筋を震わせた。
だって、なんだか――怒っているような、そんな風に見えたのだ。
「オレたち友達なんで。そういうんじゃないです」
きっぱりと、はっきりと、どこか苦々しさの篭った声で、キリクは言った。
なによ。
サトは、わずかに唇を尖らせた。
そんなに不機嫌そうにいわなくたっていいのに。そんなに、自分が恋人であると間違われたことが嫌なのだろうか。
確かに、力いっぱい否定したのは自分だけれど、なにもそんな顔しなくてもいいじゃない。
もや、としたよくないものが、サトの胸の内で膨らむ。
「へえ~……、まあ、そういうことにしてあげておいてもいいけどぉ~」
笑いすぎて酸欠になったためか、さらに酔いが回ったアヤメが、赤ら顔のまま目を妖しげに細める。
含むところがある笑みは、艶やかで色っぽい。ザウリが、頬を染めている。いや、それは今どうでもいい。
「だから、そうじゃないんです!」
「んふふふ~」
サトの言葉もなんのその、ぱかっと勢いよく酒をあおるアヤメの傍らで、ソナが菩薩のような柔和な笑みを浮かべている。
「あらあらまあまあ、そうねえ、そうなのねえ」
「そうなんです」
キリクがわかってくれたのかと、それに頷く。ソナもまた、頷く。
「まあまあ、お互い素直になるのが一番よぉ~。仲良くしなきゃねえ~」
わかってない。
あやうく、サトは宴会の料理に上に突っ伏しそうになった。もしかしたら、自分が見ていなかっただけで、ソナも酒を飲んでいたのだろうか。
「「……」」
サトは、キリクをちらりと窺う
ちょうどキリクもサトの様子を確かめようとしていたらしく、ぱちりと目があう。
む、とキリクの凛々しい眉が寄せられる。眉間に皺が刻まれる。
それをみて、サトは腹を立てた。
なんで。
なんで、キリクの恋人と間違われたあげく、そんな嫌そうな顔でみられなければならないのか!
ぷい、とサトは横を向いた。
もう知るもんか、といわんばかりに、目の前にある料理に手を伸ばす。
結局、その後もどんな手を使って否定しても、周囲はそれを肴に余計に盛り上がるだけだったので、サトもキリクも、最後にはただ黙りこんで嵐が過ぎ去るのを待った。
そして数時間後。
花見の席の後片付けも済み、同じ方向に帰る二人は、肩を並べて歩いていた。夜空には明るい光を零す月。照らし出された道は、ほのかに青白い。
なんでこんなことに……と、サトは思う。
でも、いつもこんな風に帰っていたじゃないの、とも思う。
ただ、一年前やその前も、帰り道も楽しかった。花の感想を言い合って、お互いが持ち寄った料理を褒めあって、そうしてほろ酔いのいい気分で、行事の余韻に浸りながら、笑いあってこの道を辿っていた。
だからいつものこと、のはずなのだ。
しかし、そんな空気は欠片もなくて、いつもとあまりに違っているから、落ち着かない。
その原因はわかっている。アヤメの一言――いや、そのあとの自分たちそれぞれの対応に問題があった。
わかっているけれど、それをどうにかする術は、サトは持ち合わせていなかった。
まんじりとしない沈黙だけを抱えていると、自分の家へと続く路地が見えてきた。気付けばもう、竹馬の友の前だった。
このまま去るのは気がひけるが、時間がある程度解決してくれる問題だと、自分を納得させる。
そうして、足を止めたサトは、風になびいた髪を耳にかけながら、ちらりとキリクに視線を送った。真っ直ぐに前を向いていると思ったのに、キリクもまた立ち止まってこちらを向いていた。
花見のときのように、ぱちりと視線が合う。
ただ、あのときと違ってるのは、キリクの瞳がひどく穏やかで、その視線がどこか甘さを帯びていることだった。
予想外のことに、びく、とサトは肩を跳ねさせ、引き攣った笑顔を浮かべた。だって、てっきりまだ不機嫌だとばかり思っていたのだ。
と、同時に、キリクもまた顔を引き攣らせた。
「えっと、ええと……! な、なんかあれだよね! アヤメさんも、なんていうか、そ、その……ねえ?!」
乾いた笑い声を絡ませて、早口にそんなことをいうと、大きく肩を揺らしたキリクも、ぎくしゃくと頷いた。
「あ、ああ。そうだよな、なんで、あんな……オレたちが付き合ってる、と、とか、なあ?!」
「ね、そうだよねー!」
あははは、と互いに顔を見合わせて笑うものの。
ふいにそれが途切れると、なんだかとてつもなく恥ずかしくなってきて、サトは家路に向き直る。
「えっと、じゃ、私これで……」
「あ、」
「っ!?」
そそくさと自分の農場方面に向かおうとしたところに、ぐいと引き止める力が加わった。
それは、とても温かくて力強い。でも「何か」ということまでは気が回らない。
思わずそれが何かを確かめるために、サトは視線を落とした。
「ふぁ?!」
我ながらどこから出たんだという声が、頭の天辺あたりから飛び出した。
だって、だって。
ぎゅ、とキリクの大きな手が、サトの手をつかんでいるから。
「な、そんな変な声あげるなよ!」
飛び上がるほどびっくりしているサトに対し、キリクが抗議した。
「だ、だって、手、手……」
しどろもどろに現状を伝えようとする。もしかしたら、キリクは自分がやっていることをわかっていないのではないかと、そう思ったのだ。
「なんだよ、手ぐらい。いいだろ」
どこか、むすっとした様子でキリクが言う。
いやいやいや、よくない。よくない。
だって、心臓がおかしい。壊れてしまいそうなくらい、大きな音をたてている。口から飛び出しそう。そうしたら、自分は死ぬ。顔が、すごく熱い。
「送る。家まで。もう遅いしな」
ぐい、とキリクが前にでる。それに抗うように、サトは足を突っ張らせた。
「い、いいよ!」
「いいから!」
そういった言葉を繰り返していると、業を煮やしたらしいキリクが、ことさら強引にサトの手を引いた。その強さに抗えず、体勢を崩しながら、サトはキリクについて歩き出す。
お、男の人の手って、大きいなぁ……。
おずおずと、キリクの手を握り返しながら、そんなことを思う。
ぎゅ、と握り返してくれるキリクの手が、ひどく熱い。とくん、と深く心臓が響く。
繋いだ場所で互いの鼓動が、交じり合っているような、そんな錯覚を起こしそうだ。重なる旋律が心地いい。
ああ、いやだ。
もっと女の子らしい、白くて柔らかい手だったらよかったのに。
きっと握るキリクも、少しは見直してくれたかもしれないのに。
農作業ばかりしている自分の手は、そんなに綺麗じゃないのに。
でも、こうして繋いでくれるということは、それでもいいといってくれているような気もして、サトは一人で赤くなったり蒼くなったりを繰り返す。
キリクが何を思って、こんな行動に出たのかはわからない。わかるのは自分の感情だけだ。この状態が、決していやじゃないという、ただそれだけ。
家が、もっと遠ければよかったのに――
自分の牧場の敷地内に入ったところで、ふとにそんなことを思う。そうしたら、もっと長くこの時間は続いてくれて、キリクの心もわかるかもしれないのに。
やがて、小さな放牧場の横を通り過ぎ、二人はサトの家へと到着した。
ぱ、と離される手。それまで重なっていたことが、嘘のよう。
「じゃあ、おやすみ」
「う、うん……おやすみなさい」
なんだかそっけなくキリクがそんなことをいって、さっさと来た道を引き返していく。のろのろと振り返り、遠ざかる姿を見送りながらサトはなんとかそれだけを伝えた。
そうして、キリクがみえなくなってから、ようやく動き出す。触れられた手の皮膚を押さえるようにして、家に入ったサトは、ぺたんと床に座り込んだ。
本当に、心臓が壊れてしまいそうだ。くしゃり、と顔が歪む。いや、緩む。
「なんで、こんなことになってるの……?」
答えは、ぐちゃぐちゃの気持ちの向こうで、かすんで見えない。
真っ赤な頬を隠すように、サトは両手をあてて愚痴を零すように、そんなことを言った。
主の帰宅を出迎えた犬や猫が、それを不思議そうに見ていることにも気付かずに。