とばっちり

 季節は秋。平日の、今の時刻は11時と30分を少しばかりすぎたくらい。
 郵便物が濡れる心配をせずにすんでいるディルカは、鼻歌混じりに歩いていた。
 こういう天気がよい日は、仕事がしやすくて助かるため、自然と足取りも軽くなる。いつもの歩調で村役場の西側の道をあがっていく。竹馬の友が見えてきたころ、東方面の道からよく見知った人影が歩いてくるのがみえた。
「よー、サト」
「あ、ディルカさん!」
 ばったりと道端ででくわした二人は、お互いに手をあげて挨拶しあう。
「配達中?」
 大きなバスケットを手にしたサトが、笑顔で近づいてくる。
「まあな」
「おつかれさまー」
 ぽかぽかとした今日の陽気につられるように、互いにのんきな口調で会話を交わす。
「そういうおまえは?」
「えっとー……、えへへ」
 おつかいの途中かとも思ったが、頬を染めて嬉しそうに微笑んだことから、すぐにぴんときた。
「あー……、キリクんとこか?」
 予想してそういえば、サトが大きな目をもっと大きくした。
「え、うん。すごい、まだ何も言ってなかったのに。なんでわかっちゃったの?」
「なんでって、そりゃまあ……」
 そんなに緩みきった空気を撒き散らして、幸せそうに笑うから。
 とは、いいづらい。
 きらきらと輝く瞳で、小さく首を傾げながら答えを待つサトに、そっとため息をつく。
 恋する女は魅力的で可愛いものだとは、古今東西よくいわれていることだ。ディルカは、まったくもってそのとおりだと思いつつ、近くにある建物を指差した。
「だってここ、竹馬の友のまん前だろ。それにおまえら新婚だし」
「あ、そっか」
 簡単に誤魔化されてくれるサトに、ある意味感謝である。
「あー、オレも、キリクにいくつか配達あるんだよな……」
 どうしたものかと、つい愚痴のように零す。届けるのが嫌というわけではない。仕事に嫌もなにもない。問題は、ディルカの正面でにこやかに笑っているサトである。
「じゃあ、一緒にいこうよ」
 そう言ったサトが、さっさと竹馬の友へと向かう。
「ちょ、待った!」
 ディルカの予想通りの行動を起こしたサトに対し、待ったをかける。
「え? キリクに配達あるんでしょ?」
 まったくもってそのとおりなわけだが。
「いやー、なんつーか、おまえと一緒にいくのはちょっと……」
 しどろもどろになりつつ、ふっと視線を逸らすと、サトが首を傾げた。
「どうして?」
 きょとん、とした顔をしたままサトが戻ってくる。再び自分の近くに立ったサトに、ちらりと一瞥をくれて。
「いや、だってさ、キリクって……あれだろ?」
 遠まわしにいってみるが、サトには思い当たるところは全くないらしく、ますます不思議そうな顔をするばかりだ。
「あー……なんていうか……。おまえが男といると、怒るだろ」
 意を決してそう伝えると、ディルカの言葉を吹き飛ばすように、サトが笑った。
「そんなことないよ。やきもちやかれたのなんて、片手で数えられるくらいだし、キリクってば怒ってもそんなに怖くないもの」
 その様子に、ディルカはちょっとだけキリクに同情したい気分になった。
 だが、結婚する前にサトと話をしているだけでも、かなり苛烈な視線を向けられていたことを、ディルカは忘れてはいない。
 あれだけ熱烈に想われていて、当の本人がこれだもんなぁ。
 サトにはどれくらいキリクの想いが伝わっているのか、他人ごとながら心配になってきた。
 ぼんやりとそんなことを考えていたら。
「とにかく大丈夫だよ。いこ」
「うわっ、ちょっ、サトっ!」
 がっしりと手を捕まれた。勢いよくそのままひかれ、ディルカは前につんのめりそうになる。慌てて体勢を整え対抗しようとしてみるものの、牧場経営で随分鍛えられているのか、なかなかうまくいかない。
 そうしてすぐにたどり着いた店の扉を、サトは体全体を押しつけるようにして開けた。
「配達でーす!」
 ディルカの真似しているつもりなのか、元気よくそういったサトが、店の中へと足を踏み入れる。当然のように、ディルカもなかへと引きずり込まれた。
「サト? ディルカ? なにやってんだ、おまえら」
 カウンターの向こう側で、なにやら帳簿を整理していたらしいキリクが顔をあげる。突然の訪問者にぽかんとしていた顔が、すぐに引き締まる。すう、と温かみの消える空気。
 痛い、痛い。
 キリクの視線が、繋がれた手に注がれているのがわかる。痛い。
「キリク!」
 そんなディルカの内心もなんのその。するりと手を離したサトは嬉しそうに夫の名を呼んで、てくてくとカウンターへと近づいていく。
 カウンターを回り込み、そんなサトを出迎えたキリクが、ほんの少し背をかがめた。
「サト……なんでディルカと一緒にいるんだ?」
 にこり、とキリクが笑う。
 そこにちらちらと見え隠れする不機嫌な気配に、ディルカはわずかに喉を引き攣らせた。
 キリクは言葉にこそしていないが、「なんで手を繋いでいたんだ、ん?」と、迫っているからだ。サトへと問いかけているというのに、自分がまるでそう責められているようで、ディルカは身震いした。
 だがしかし、サトは大物だった。
「さっきね、店の前で会ったの! キリクにお手紙きてるんだって。お父さんからかな?」
 キリクの変化に気付いていないらしく、にこにこと笑いながらこたえている。
「そうか。親父には前に結婚報告の手紙だしたからな」
「うん!」
 大きな手に頬を撫でられて、サトがくすぐったそうに笑い声を転がす。
 その様子だけみれば、まさに幸せいっぱいの新婚夫婦の図である。
 だがしかし。
 サトの頭越しに投げかけられた視線が、ディルカに突き刺さる。サトにはみせないだろう、酷薄な切れ長の目。
「オレ、てっきりディルカとデートでもしてきたのかと思っちまったぜ」
「んなわけねーし!」
 冷え冷えとしたキリクの言葉を、精一杯に叫んで遮る。
 ここは一刻もはやく仕事を終えて立ち去るべきだ。ディルカの本能が、そう叫んでいる。
 キリクのいまだ緩まぬきつい視線に耐えながら、ディルカは鞄を探った。
 まったく、この男の嫉妬深さときたらたまったものではない。やはり自分の思い違いなどではなかった。
 どうやら、さきほどの言葉などから推測するに、それはサト本人ではなく、サトの周囲にいる男たちへと直接向けられるたぐいのものらしい。
 きっと、ぼけーっとしたサトには通じない部分があるせいで、周りを排除しようとする方向に働いているに違いない。
 ただの友人であるこちらにしてみれば、実にいい迷惑である。
 焦っているせいか、なかなかお目当ての手紙を出せないでいると。
「じゃーん、今日のおひるごはんはね、サラダ……と……あれ?」
 元気一杯に、カウンターの上にバスケットを降ろし、かぱりと蓋をあけたサトが固まった。ひょい、とその中をキリクが覗きこむ。そしてなんともいえない顔をする。
「?」
 二人してどうしたのだろうかと興味をひかれ、ディルカもついつい中を覗くと。
 そこには、真っ白で綺麗な丸いものがいくつも入っていた。
「卵……だよな、これ」
 ディルカの言葉が、止まっていたサトの時間が再び流す合図となったらしい。みるみるうちに、サトの顔が赤く染まっていく。
「ああっ! これ、これは違うの! これは、おつかい用で……!」
 もってくるバスケット間違えた~! という悲痛なサトの叫びが響く。
「待ってて! 今すぐとってくるから!」
 取り違えたことによる恥ずかしさで真っ赤になり、薄っすらと涙を滲ませたサトが、高らかに言う。
 そうして、止める隙すら見出せぬ素早さで、ぴゅう、と店を飛び出していった。
 その騒がしさは、木枯らしの如し。
「……あいつ、しっかりしてるみたいで、こういうとこ、そそっかしいよな」
 開け放たれた扉が揺れるのをみつめながら、ディルカは呆然と呟く。
「まあな。でもそういうとこも可愛いんだよな」
「……」
 至極真面目な顔をして、さも当然というようにキリクが惚気た。ディルカは、げんなりと肩を下げるしかない。
「……あー、これな、配達の手紙な」
 そして、キリクに近づくと、ようやく探しだした封筒の束を突きつける。
「お、やっぱり親父からか。あとは……町のほうからか」
 ざっと差出人を確認したキリクが言う。
「じゃあ、オレはこれで」
 そそくさと、ディルカは背を向けて歩き出す。さきほどまで、キリクからあんな視線を受けていたのだ、それも当然。しかも今はサトがいないのだから、余計に何を言われるかわかったものではない。
「そんなに急がなくてもいいだろ。なあディルカ、きいてくれよ、あのな、」
「いや、遠慮しておく。オレ仕事あるし」
 なんだかキリクの長い話に巻き込まれそうな予感がして、言葉を遮りきっぱりとお断りしてみるものの。
 がっしりと手をつかまれて、ディルカは動けなくなった。
 あからさまに嫌そうな顔をして振り返ると、笑顔のキリクがいる。
 怖い笑顔って珍しいよな、とディルカはわりとどうでもいいことを考えた。
「いまからな、サトがお手製の昼飯もって来てくれるんだぜ」
 そんなこと、さきほどの会話をきいていれば理解できることだ。わざわざなぜ言う。
「そうかー、よかったなー」
 我ながら、じつにおざなりかついい加減で、心の篭ってない棒読みの返しをしたと思ったが、キリクには通じない。わかっていて無視しているのかもしれないが。
「そうだろ? いいよなあ、可愛い嫁さんが、昼飯作って持ってきてくれるってのはさ」
「そうだなー、よかったなー」
 ぎりぎりとディルカは力をこめながら、キリクをにらみつけた。
「わかったから、は・な・せ」
 そういってディルカは、懸命に力をこめる。しかし、その努力などものともしていない様子でキリクが笑う。
「つめてえなあ、そんなこといわずに、サトがかえって来るまで世間話に付き合ってくれよ。いろいろとほかに聞きたいこともあるし」
「なんでおまえらの惚気話を聞かなきゃいけないんだよ! だいたいさっきのは、サトがオレを店に引き摺ってきただけのことだろ! デートなんかじゃないっつーの! 嫉妬もたいがいにしろよな!」
 ぎゃー! とそんなことを叫びながら身を捩るが、キリクの腕はまったく動かない。どんな筋力をしているのだか。
 ディルカの様子に嘘はないと判断したのか、ふむとキリクが頷いた。
「まあいいけど。じゃあ、せっかくだからサトの飯のうまさを教えてやるよ」
 だから、なんでそんなこと聞かなきゃいけないんだ。
「あいつの飯がうまいことくらい知ってるっつーの!」
 そう、苛立ち紛れに叫んだ瞬間、キリクの表情が固まった。
 あ、地雷踏んだ。
 そう察したディルカは、ひくっと頬を引つらせた。
 今日の自分はついていないらしい。いや、うかつといえばいいのだろうか。
「へえ、サトから飯もらったことあるのか……? ディルカ」
 店の空気が、キリクを中心にして急激に下がったような気がした。ひぃ、と喉に悲鳴がはりつく。
 怖い怖い。キリクが怖い。
「で、なにをもらってたんだ?」
「カ、カレーとか……、たまに、オレの好きなクリーム、コロッケ、と、か……」
 そこまで言って、「あ」とディルカは気付いた。
 馬鹿正直に答えてしまったが、料理大会でいつも優勝してるだろという無難な回答があるではないか。しかし、ときすでに遅し。
「へえ、カレー。カレーか。オレも大好物だぞ? カレー」
 ひくり、と。今度は逆にキリクの頬が引き攣った。
 やばいやばい。
 だらだらと、ディルカの背中に汗が滴る。
 思わず、誰か助けてと叫びそうになったとき。
 救いの天使が現れた。いや、この事態を引き起こした原因でもあるわけだが。
「おまたせー! こういうときって家が近いと便利だよね……って、あれ……? どうかしたの?」
 店内の空気をぶち壊し、サトが場違いなほどの明るさで帰ってきた。
「サト! おまえの旦那なんとかしてくれ、次の配達にいけねえよ!」
 ディルカの悲痛な叫びに応えるように、それまでびくともしていなかったキリクの手が、ぱっと離れた。
「悪かったな、ディルカ。サトがくるまでの時間つぶしにつきあってくれてありがとな」
 にっこりと爽やかな笑顔でキリクがいう。
 このやろう。
 あまりの変わり身のはやさに、ディルカは頬を引き攣らせながら数歩後退した。
「なにかあったの? キリク」
「いや、なんでもない」
「そう?」
 今度こそちゃんとお昼ご飯をもってきたらしく、いい匂いがサトのほうからふわりと漂ってくる。店内に歩いてくるそんなサトとすれ違う瞬間。
「悪い、サト。あとは頑張ってくれ」
 ぼそりとそう伝え、ディルカは出口に向かって一直線。
「え? ディルカさんも、よかったら一緒にお昼たべようよ」
「しっ、余計なこというな!」
 しかし、いまいち空気が読めていないサトのお誘いに、ディルカは肩を跳ねさせた。
 なんでそんな地獄に自分から進んで陥らなければいけないのか。
 想像して顔を青ざめさせたディルカをよそに、ちょいちょいとキリクがサトを手招きする。
「そうそうサト、ちょっといいか? 話があるんだが」
「どうしたの?」
 なんの疑問も不安も見せずに近寄ってきたサトの腰に、するりとキリクの手がかかったことを視界の端に映しながら。
「じゃ、じゃあまたなっ」
 ぴゅう、と空を駆ける風になったつもりで、ディルカは竹馬の友を飛び出した。
 しめかけた扉の向こう、かすかにサトの「またねー」というのんきな声がきこえた。
 扉をきっちりと閉めて、ディルカは足早に歩き出す。
 シェン・ローの家方面へ向かいながら、ディルカはどっと押し寄せた疲労感に苛まれる。
 あー、疲れた。
 キリクに渡すためのカレーの実験台をつとめていたと、正直にいえばよかったかもしれないが、いう隙がなかったのだから仕方がない。
 サトに、若干申し訳ない気がするが、男の嫉妬は怖いものなのだ。これ以上、とばっちりなどくいたくない。
 だが、これでちょっとはサトが懲りてくれればいいとも思う。
 今頃どんな風に問い詰められているかはわからないが、自分の言動がいかに夫に嫉妬というストレスを与えているか。悔い改めればいい。
 それにしても。
 ふと、足をとめてディルカは竹馬の友を振り返る。
「まあ、お似合いのふたりだよなー……」
 嫉妬深い夫と、その嫉妬に気づかぬ妻。
 一見、うまく噛み合っているように見える夫婦だが、微妙なところで噛み合っていない。だからこそ、ある意味うまくいっているのだ。そんな気がした。
 だって、あんな嫉妬を軽々と受け流せる女は、サトぐらいだろう。普通はびびる。ひく。
 ディルカはそんなことを考えつつ、気持ちを切り替えるために背伸びする。
 このあとブルーベル村にもいかねばならないのだから。
 見上げた空が、高く青かった。