知らぬところでやかれたもち

「……」
 なぜこんなに怒られているのでしょう。
 だらだらと背中に汗を流しながら、サトはそんなことを考える。
 竹馬の友のカウンター越しに立っている青年は、ただただ不機嫌そうに不愉快そうに凛々しい眉を潜めて、サトのことを冷たい視線で眺めている。
 言葉で責められるなら、反論の余地もある。そうではないと、否定したり、説明したりすることだってできる。
 だけれど、目の前の青年――キリクは黙ったまま、その切れ長の瞳で攻め立ててくるのでどうしようもない。
 原因がわからなければ対処のしようがないではないか。
「ええっと、えっとー」
 それでも、どうしたものかと考える。
 だって、キリクに嫌われるなんていやだ。そんなの悲しいし、泣きたくなる。
 せめて会話の糸口を、と一歩近づいた瞬間、すっとキリクが目をそらした。
「……今は話したくないんだ」
 怒っている。口調は静かだけれど、声が震えている。
 なにか堪えるような態度が、全力でこちらを拒否している。
 ひぃ、とサトは口内で、あがりかかった悲鳴を押し殺した。
「えっと、ちょ、っとー……。う、ん~……?」
 眉根を寄せる。必死になって考える。
 でも、キリクにいわなければならないこと、すなわち謝らなければいけないことって、なにかあったっけ?
 うんうんと唸ってみるものの、疑問符が思考回路を連なって行進していくだけで、該当しそうなことはまったくでてこない。
 はあ、とキリクがため息をつく。
 ちらりと向けられた瞳が、軽蔑するような冷たさで、サトはぶるりと身震いした。
 だが。
 これには、さすがのサトも、かちんときた。
 だって、どんなに考えても、キリクにこんな仕打ちをうけるいわれがないのだ。気合を奮い立たせるように、ぐっと拳を握り締める。
「もう! さっきからどうしたの?! なんなの一体?!」
 ぎ、と目を吊り上げ、サトは高い位置にあるキリクの顔をにらみつけた。
「それはこっちの台詞だ! オレは、おまえのなんなんだよ!?」
 サトに負けず劣らず、キリクの表情が険しいものになり、大きく口を開いたと思ったら、そんなことをいう。
「なにって……! と、友達、じゃ……?」
 そこまでいって、あれ? とサトは首を傾げた。顔色を変えて視線を下げる。
 まさか、自分だけがそう思っていたのだろうか。キリクは、そう思ってくれていなかったのだろうか。
 このはな村に引っ越してきて、牧場のことウマのこと。いろいろ相談にのってくれたのはキリクなのに。
 村の中を案内するように散歩にも誘ってくれて、ときおり遊ぶようになって、仲良くなれたんだと思っていたのに。
 さきほどの言葉から考えると、キリクはそうではなかったということかもしれない。
 ぐるぐるとそんなことを考えて、つい助けを求めるように再び視線をあげると。
 キリクが、一瞬、泣きそうに瞳を揺らした。かと思ったら、ぷいとそっぽを向いて歩き出した。
「そうかよ、わかったよ」
 店をでていこうとしているのか、サトの横を通り過ぎるキリクに、慌てて手を伸ばす。
「待って! 何をそんなに怒って……?!」
 逞しいその腕をとる。しかし、男と女なのだから、力の差は考えるまでもない。ずるずるとキリクに引きずられながら、それでもサトはさらに問う。
「キリクさんってば! どうしちゃったの?!」
 ほんとうにわからないのだと訴える。
 サトの哀願にも似たその言葉に、ぴたりと歩くのをとめたキリクが、サトを見下ろす。
「……あいつらだよ」
「あいつら?」
 いつものキリクらしからぬ言葉たちは、断片的すぎて、なにをいいたいのかさっぱり伝わらない。
「隣村の……。おまえが仲良くしてるみたいだって、ディルカから、きいちまって……その、」
 段々と、声の調子も低くなっていく。やっぱりキリクらしくない。微かにその身体が震えているような気がして、サトは怒りよりも心配になってきた。
「ラズベリーたちのこと?」
 できるだけ、優しくたずねる。
 山一つこえた向こうの村にも、サトの友達はいる。歳の頃も近い彼女たちのことかと思ったのだが、キリクは頭を振って否定した。
「そっちじゃねえ」
 ならば、あとは。
「……じゃあ、アーシュくんとカミルくん?」
 名前を出したとたん、ぴくりとキリクの眉が跳ねた。じわじわと滲み出てくる不機嫌さに、サトは焦る。
 だが、その二人がどうしたのだろう。
「ええっと、今日会ったとき、ふたりとも元気そうだったけど……?」
 カミルとは散歩にも一緒にいったが、とくに変わった様子もなかった。
 思い出しながら、なんとなくそういってみる。
「だから……!」
「きゃっ」
 サトの手を乱暴に振り払い、キリクが腕を伸ばした。急に肩をつかまれて思わずあげた悲鳴に、わずかにキリクが瞳をゆらす。
「オレ……!」
「っ、い、た……」
 痛いほどに肩がつかまれている。ぎりぎりと弱まるどころか強くなる力に、サトが顔をしかめてつい身を捩ると、キリクが悲しそうな顔をした。
「サト、オレのこと――嫌か?」
 キリクが嫌とかそういうことじゃない。ただ、痛いだけだ。
「ちが……! だって、痛い……!」
 さらに身を捩ったとき。
 ぱ、と肩が解放された。
「――え、」
 ほっと息をつく間もなく、今度は身体全体が締め付けられる。
 きつく、キリクに抱きしめられたサトは、目を見開いた。
 え? え? え?
 そんな、意味もない言葉しか浮かばない。
 腰と、首に当てられた大きな手と、目の前の厚い胸から伝わるキリクの体温に、ぶわりと羞恥が押し寄せた。頬が熱くなっていく。
「あ……、ちょ、キリ、キリクさん……?!」
 さきほどとは違う意味をもってして、サトは身を捩る。肩を痛いくらいにつかまれたり、抱きしめられたり、わけがわからない。
「オレ、オレ……」
 さきほどよりも強くなる腕の力に、キリクの胸へとサトは頬をおしつけざるをえなくなる。
 つい吸い込んだ空気の中に、男の人の匂いが混じっている。身体は逞しくて、しっかりしてて。男と女の差を、まざまざとみせつけられる。
 だが、まともに動かなくなった思考でも、抱きしめてくる腕の震えに、サトはなんとか気付くことができていた。
 それは、どうしたらいいのかわからないと。そういっているようで。
 昔、迷子の子供をみつけたとき、全力で抱きつかれて泣かれたときによく似てると、ふと思った。
 こういうときは。
 恥ずかしさを堪え、ぎゅ、とサトはキリクを抱きしめ返した。
 まずは、落ち着かせることが大切。
 やがて。
 とくとくと早鐘を打ち合っていた互いの心臓の鼓動が、ひとつになっていく。
 キリクの身体から、余計な力が落ちていく。戒めのきつさが、嘘のように消え去る。
 サトは、ゆっくりと息をついた。
 びっくりしたけど、あせったけど、はずかしいけど。いつしかその向こうに、サト自身も、心地よさと安堵を見出していた。抱きしめられて、ふわふわと意識が浮き立つ。
 そっとキリクの頬が、サトの頬にすりよせられる。
 やわらかな感触に、サトは目尻を赤くする。吐息が混じるほどの近くに、キリクがいるのだから、仕方がない。
「落ち着いた?」
「……ごめん。オレ、どうかしてるよな」
 頃合を見計らって声をかけると、今にも泣き出しそうな情けない声が返ってきた。
 ゆっくりと視線をあわせる。そこに赤らんだ顔のキリクがいる。
 恥ずかしそうに視線をそらす仕草が、なんだか可愛く思えた。身体の大きいだけの、子供のよう。
「――ごめんなさい」
 母親のような気持ちで、サトは首を傾げてそういった。
「……サトは、悪くないだろ」
 オレが勝手に……と、ごにょごにょとキリクは何かしら続けて呟くが、よくわからない。
 ふわ、とサトは微笑む。
「でも……。キリクさんがこうなっちゃったの、私のせいなんでしょ?」
 不機嫌極まりない態度でサトを出迎えたり、いきなり怒ったり。
 身に覚えがないのにそんなことをされるのは理不尽だとは思うけれど、それよりもそんな迷子のような顔をして欲しくない。キリクには、似合わないと思うから。
「だから、ごめんなさい」
 にこ、と笑う。謝ってないだろ、といわれても仕方ない態度だが、キリクは苦味交じりに笑って返してくれた。
「――ああ、そうだ。サトが悪いんだぜ?」
「うん」
 そういうことで、今はいい。
 すり、とまた頬が摺り寄せられた。
「いつか、責任とってもらうからな」
「えー、責任問題にまでいっちゃうの? ふふふ、しかたないなあ」
 サトはおどけたように言いながら笑う。キリクも、ようやくいつものように明るく笑ってくれた。
「とりあえず、今はもう少しこのままでいさせてくれたら、許してやる」
 我侭な子供のような言葉に、サトは笑みを深くする。
「うん」
 サトはしっかりしたキリクの鎖骨あたりに頬を寄せながら、あやすようにその広い背に小さな手をのせ、ぽんぽんと叩く。そうしながら、そっと口を開いた。
「――ね、私たち、友達だよね?」
 ここで違うといわれたら、悲しいけれど。でも確認したかった。
 びく、とキリクが身体を震わせる。ぎゅっと抱きしめている腕に、力がこもる。
「……ん、まあ、なんていうか……。そうだけど、」
 ごにょごにょと歯切れ悪く、キリクが言葉を紡ぐ。
「それよりも、もっと仲良くできたら、オレとしてはいいんだけど……」
 どうやら、友達であることは認めてくれているようだ。だが、それよりももっと仲良くしたいらしい。現状よりも、もっと仲良く。
「ん~……? えっと、じゃあ、今度のお休みに一緒に遊ぶ?」
 竹馬の友は、金曜日と土曜日がお休みだ。そのときに顔をだせば、もっと親しくなれるだろうという、単純な考え。
 サトの申し出に、キリクの顔が輝いた。
「ああ! できれば、毎週きてくれよ!」
「そうなの? じゃあ、これからは牧場の仕事がひと段落ついたら、顔だすようにするね?」
 にこにこと笑うキリクを見上げながら、サトは目を細めた。よくわからないけど、そんなことで機嫌よく笑ってくれるなら簡単なことだ。
「約束だぞ?」
「うん」
 頷いて返すと、念押しするように、ぎゅっと抱きしめられた。
 会うたびにこんなことされたら、身がもたないかもなぁと思いつつ。
 サトは、静かに瞳を閉じる。

 これが、キリクの積もり積もったやきもちの発露であったことを、鈍感なサトが理解するのは、まだまだ先のことである――。