年下のおとこのこ

「あなたが、好きです」
 曲がるところ、折れるところを知らぬその青い視線が眩しくて、パスカルは大きな瞳を細め、繊細な睫の紗を下ろした。自然と、目線は落ちていく。
「え……、ええっとぉ~……」
 急な光にあてられてしまったように、頭の中が白んでいく。
 言われた言葉は、確かにパスカルの心に届いたし、頭でちゃんと理解もできている。しかし、光暈を纏っているかのようで、直視することができない。
 いままでしていた作業を中断し、ぎゅ、と手を握り締める。
 ゆらりと勝手に視界が揺らぐ。助けを求めるようにあたりを見回すが、そこにあるのはパスカルが思うままに置いた工具や図面などしかなく、救いの手を差し伸べてくれるような人などいない。
 そもそも、数日前から部屋に篭りっぱなしであるパスカルのもとを訪れたのは、目の前にいるヒューバートただ一人だけ。つまり、今は部屋に二人っきりの状態なのだから当然だ。
 先日、二十歳の誕生日を迎えたヒューバートが、仕事の折をみては尋ねてきてくれるのは珍しいことではない。
 ただ、部屋の扉をあけたときの、はりつめたような思いつめたような面持ちだった理由が、なんとなく、わかった気がした。
 きっと、決めていたんだ。
 そんなことを、その真っ直ぐさのなかに、パスカルは見出していた。
 しかしそんなことがわかったからとて、いい答えが返せるわけでもない。
 からからに乾いた口を持て余し、何が言いたいのかもわからず、パスカルはただ沈黙した。
 投げられたのは直球すぎる言葉。
 なんとか受け取ってはみたものの、パスカルは熱いそれを手の内で持て余していた。
 そんな煮え切らない態度をみかねてか、青い影が動く。す、とガラクタを避けてヒューバートが一歩前にでる。
「前にも同じようなことをいいました」
 フォドラの星の核に向かう前に、と――そんな補足に、あざやかにテロスアステュでの記憶が蘇ってくる。
 次の日に、決戦を控えた夜。滅びた都市の片隅。
 確かヒューバートは。

 あなたのことが、気になるからです――

 そう。そう言ってくれた。
 かっと全身が火照る。あれはそういう意味だったのかと、いまさらながらに気付いた。
 遅い、遅すぎる。でもでも。
「あ、あれはヒューくんの結婚式に、あたしみたいなのがいると、き、気になるっていう意味で……」
 いつもはよく動く舌先が、もつれる。もどかしい。
 もしかしたら今、自分は都合のいい勘違いしそうなのでは? というパスカルの考えを、「違います」と、ヒューバートが否定する。きっぱりと。
「あれは、そういう意味ではありません」
 うう、とパスカルは言葉に詰まった。
 ということは、意味はひとつだけだ。取り違えていたけれど、ひとつしかなかったんだ。
 なんだこれ、なんだこれ?
 パスカルは、胸を抑えたくなるのをなんとか堪えた。
 胸の奥がおかしい。どきどきしてる。ふわふわしてる。この感覚は知っている。
 研究が成功したとき。美味しいものを食べたとき。面白いものをみつけたとき。そういったときに感じるものに、近い。
 あたし、もしかして嬉しい?
 ヒューバートが告白してくれたことが嬉しいってことは、つまり――そういうことだ。
 答えが、ちらちらと脳裏を過ぎる。振り払うように頭を動かす。
「でもあのとき、ヒューくん、大統領の娘さんと結婚するって……!」
「結婚の話はお断りしたと、かなり昔に報告したはずですが?」
「う~……そうだけどさ~……」
 ハト型通信機で、戦いが終わって少し経った頃、簡素に一言だけ伝えられた。
 婚約話は白紙になったと。軍への報告書のような堅苦しい文字の羅列の中、ぽつんと平原に咲いた花のように、記されていた。
 それをみたとき、なぜか微笑んでいた自分を、パスカルは思い出す。
 うーうー、と唸っていると、「ですから」とヒューバートが少しだけ苛立ちを声に交えて言う。
「あなたが、好きなんです」
「……」
 はく、とパスカルは口を大きく開け閉めして、ぐっと唇を噛み締めた。
 つまり、あのときからずっと、いや、もしかしたらそれよりも前から、ヒューバートの想いは、こちらに向いていたのかもしれない。
 なんだか、泣いてしまいそうだ。
 パスカルはそんな顔をさらしたくなくて、床を見つめた。薄汚れたそこと睨めっこしたまま、手を前に突き出し左右に振りながら、一歩下がる。
「で、でも……ほら、ヒューくんってば年下だし~!」
 自分でもびっくりするようなでまかせが、口から飛び出す。
「ねえ?!」
 あはは、と明るく笑い声を交えつつ同意を求めてみる。
 数拍の後。すう、と空気が冷めていくのがなんとなくわかった。
「年下だから、だめなんですか」
 淡々と確認してくるヒューバートの声は、普段どおりの冷静さ。
「……だ、だめっていうか……。あたしとしては、ほら、おんなじくらいか、年上がいいかな~って……」
 もごもごと、いい訳を重ねる。こつん、と落ちていたボルトをつま先で蹴る。
「――そうですか」
 すとん、とヒューバートの答えから生気が消えた。
 あまりの色の落ちように、え、と小さく声を漏らしながら、パスカルは思わず顔をあげる。そして、自分がいかにヒューバートに対して甘えていたかを思い知った。
 何をいっても、何をしても。しょうがないですね、と言って困ったように笑ってくれると、心のどこかで思っていた。
 だが、いまそこにあるのは冷たく凛としていて感情のない――いや、懸命に感情を抑え込んでいる、ヒューバートの顔だ。
 あなたが恋しいと、蒼い瞳が訴えかけてくる。それは今にも泣きだしそうに揺らめいていて、その切なさにパスカルの息が詰まる。
「性格や外見なら、いくらでもどうにかできたと思います。あなたが望むように、あなたの好みのように」
 臓腑を絞ってようやくだしたような声音に滲むのは、悔しさと悲しさ。
 涼やかな青年の声のはずなのに、人生を終える間際の老人がしゃべっているかのような錯覚を覚えるほどの。
「ですが……」
 ほんの少し、下げられる長い睫。硝子の向こうで、揺らぐ水面。
「歳の差ばかりは、どうにもならない」
「……ぁ、」
 傷ついた表情を浮かべるヒューバートをみて、パスカルは自分がとてもひどい言葉を口にしたと気付いた。
 だってそれは、希望をすべて打ち砕くようなものだ。
 ヒューバートのいうように、いまから変わっていけるものならば、諦めずに努力すれば叶ったかもしれない。まだ望みはあっただろう。
 だけど、人はどうしたって時間は操れない。ヒューバートがどんなに努力家であろうとも、世の理を進める針は戻せない。
 どんなに、どんなに強く望もうとも。
「どれだけ時間を過ごしたって、ぼくはあなたに追いつけない」
 おろしていた手をぎゅっと握り締め。
「どんなに努力をしたところで、ぼくはあなたの隣にたてない」
 形のよい眉をきつく寄せて。
「だからあなたは、ぼくを男としてはみてくれない――絶対に」
 ふ、とヒューバートが息とともに力を抜く。
「そういうことですね?」
 そうして、そっと持ち上げられたヒューバートの顔には、ほんのりと微笑が浮かんでいる。さやかな雨を降らせる直前の、曇り空のよう。
「……っ、」
 パスカルは、痛いほどに手を握りしめた。違う、違う。そんな顔をしてほしかったわけじゃない。傷つけたかったわけじゃない。
 触れれば崩れ落ちてしまいそうな儚さで、ヒューバートが笑う。
「どうしてあなたは、ぼくより先に生まれてしまったんですか? ……いえ、この場合は、どうしてぼくは、あなたより先に生まれなかったのか、でしょうか」
 自虐じみた言葉は、ヒューバートには似合わないのに。
「あ……」
 と、とパスカルは一歩前に出る。
 違うんだよ、そう伝える前にヒューバートが頭を下げた。
「すみません、変なことをいってしまいました」
 そうして、パスカルに向けられる背。ふわり、と軍服の裾が翻る。柔らかな布の、その先端が落ちたとき。
「ですが、忘れてほしいとはいいません。いえません」
 ヒューバートは言う。
「せめて、覚えていてください。ぼくが、あなたを好きだということを」
 それは絶対の真実だからと。
「では、失礼します」
 パスカルをみることもなく、ヒューバートは歩き出した。迷いなく。
 遠ざかっていくその姿に、パスカルの中で何かが弾けた。
「ヒューくん!」
 ぎゅ、と細いのに広く感じるヒューバートの背中に縋りつく。扉をくぐらせたくない、行って欲しくない一心で。
「待って! あ、あたし……あたし、」
 頬を押し付け、叫ぶ。
「ヒューバートのこと好きだよ!」
 それは、パスカルの本心だった。
 するりと、こうして出てくるくせに、なぜさっきは言えなかったのだろう。
「……いいんです。無理してそんなことをいわなくても。ぼくは、大丈夫ですから」
 そっと、ヒューバートの体に回した腕に、冷たいヒューバートの指先が触れる。放してくれと言われているようで、きりりとパスカルの胸が軋む。
「ほんとだってば~!」
 ちらとも見てくれないこと、話を聞いてくれないことが、心に棘を差してくる。
 ヒューバートの言葉は、ただ、嬉しかった。そんな風に感じる自分が、不思議で不思議で、ちょっと混乱しただけだ。わからないなら向き合って考えればよかったのに、考える前に感情が先行して、どうしようもなくなっただけだ。
 つまり、自分が悪い。
 でも、わかってほしい。
 ヒューバートに、わかってほしい。
 だが、ひどいことを言ってしまったから、それは難しいのだろうか。
 パスカルが、「待って、違うからっ」と、一人で身悶えていると。
 ふいに、く、と声を漏らしたヒューバートが肩を揺らした。
「ヒューくん?!」
 泣いているのかと思って、慌てて前に回りこむと、口元を押さえたヒューバートは――笑っていた。
「ありゃ……?」
 パスカルは、間の抜けた声を零しながら、ぽかんとそれを見つめた。泣かせてしまったのかと、焦ったのに。
「す、すみません……!」
 くく、ふ、と声をなんとか抑えようとしているヒューバートの顔は、ひどく幸せそうに、緩んで、いや、歪んで――?
 つまりは、端的に表現するならば、にやけていた。
 複雑にこみ上げてくる感情が、なにがなにやらわからぬまま、パスカルは手を振りあげた。
「ひ、ひどい~!」
 からかわれていたのか、反応を楽しまれていたのか。どちらにしろ、パスカルの行動をお見通しだったかのようなその様子に、ぎゃーっす、と声を上げると。
 とうとうヒューバートが弾けた。普段からは考えられないような明るい笑い声が、部屋に響く。パスカルは、ますます頬が熱くなるのを感じた。
 すみません、とヒューバートが目じりの涙を拭いながら、小さく謝罪する。でも笑い声交じりでは、パスカルをなだめる効果もほとんどない。
「年上ぶって、らしくもないことをいうからですよ」
 しかもそんなことまでいう。
「だって、あたし年上じゃん!」
 顔をくしゃくしゃにして、パスカルは事実を叫んだ。
「そうですね。でも、あなたのことをあなたよりも好きなのはぼくというのも、事実です」
 あう、とパスカルは飛び出しかけていた言葉を飲み込んだ。あげていた拳が、ぱたりと落ちる。
「そしてこの世界で、一番あなたを好きなのは、ぼくだという自信がある」
 パスカルさんと同じ年、それより上の誰よりも。
 そんなことをいいながら、ヒューバートが顔を覗き込んでくる。
 ああ、前から凛々しいなって思ってたけど、こんなに、こんなに――ぼんやりとそんなことを思いながら、パスカルはほんの少し目を細めた。
「この気持ちは、5年という差を埋めるに、足りるはずです。もし足りないなら、もっともっとパスカルさんへの『好き』を重ねます」
 それは確かに、ヒューバートとパスカルの間にある時間の隔たりを、ゼロにするだろう。
「だから」
 薄い唇が、滑らかに動いていく。
「ぼくを、あなたのそばにいかせてください」
 時間の階段の、数段上にいる自分のところまで、ヒューバートはあと一歩のところにいる。想いだけで、そこまできてくれている。
「もっとパスカルさんのことを知って、もっとパスカルさんのことを見つめて、もっとパスカルさんのことを好きになりたいんです」
 ただひとつ頷けば、ぽんとヒューバートはその隣に並んでくれる。そんな気がする。
「年下とか、年上とか、友達とかではなく。男としてパスカルさんのそばにいたい」
 その願いに対して、「はい」と言う以外の答えを、パスカルは用意できそうにない。
 歪む視界にいるヒューバートに、他に返せるものなんてない。
 うん、うん、と何度も頷けば、透明なものが床に幾粒も落ちて弾けていく。
「――ヒューくんってさ」
 ぽろぽろといつの間にか泣いていたパスカルの頬を、そっとヒューバートが拭ってくれる。その優しい仕草に、もっと涙は溢れた。
「はい」
 なんですか、と愛しそうに見下ろしてくるヒューバートに、パスカルはひたすら視線を注いだ。そっと、頬に添えられたままの指先をパスカルは握る。
「なんでそんなに格好いいの?」
 格好いい。格好良すぎる。おかげで胸の中にある心臓が、壊れてしまった。ばくばくと、のたうつ鼓動に鼓膜が震える。きっともうすぐ、止まってしまうに違いない。
 一瞬、目を見開いたヒューバートが、ひどく嬉しそうに、くしゃりと顔を崩した。
「それは、パスカルさんがぼくに好意をもってくださっているから、じゃないですか?」
 余裕だ。
「……く~! 悔しい~~!」
 パスカルはヒューバートに飛びかかった。かなりの勢いをつけたつもりだが、出会った頃よりも、ずっと逞しくなった身体は、まったくもって揺らがなかった。
 余計に悔しい!
「もー! 悔しいから絶対に離れてやんない!」
 ぎゅうぎゅうとあらん限りの力をこめているのに、ヒューバートは痛がるどころか、肩を揺らして笑い出す。
「望むところです」
 そのひどく甘さを含んだ声が、さわりとパスカルの鼓膜を優しく撫でる。
 いつの間に、本当にいつの間に。
 ヒューバートは面白い「年下の男の子」から、格好良い「男」になっていたのだろう。
 そうしていつの間に、自分は彼を好きな「女」になっていたのだろう。
 初めての口付けをかわすべく、顔を傾け寄せ合いながら、パスカルはそんな経緯をほんのちょっとだけ考えようと試みるものの――直後に触れた温かな感触に、それはすぐに打ち払われたのだった。