どんな君でも愛してる

 とぼとぼ歩くノーラの頭上には明るく輝く太陽と、澄み渡った青い空。丁寧に泡立てられたクリームのような雲が、ほわほわと漂っている。
 思わず足をとめて、しばしその美しい光景に目をやって――
「はあぁぁぁぁ~……」
 曇天のごとく濁った深く重い息をついて、ノーラまた、のろのろと歩み始める。
 向かう先は小さな我が家兼工房のある霧の森。
 まるで囚人の鎖でもつけられたような鈍足で、ノーラは我が家へと帰っていく。

 

 

「ノーラ、どうしちゃったのかしら~」
「依頼が重なりすぎて、お得意様のものが間に合わなかったんだってさ」
「あらまあ~」
 ひそひそこそこそ。
 工房の隅で言葉を交し合うメロウとケケの会話をききながら、ノーラは自己嫌悪に陥ってた。
 ケケの端的な言葉どおりである。
 これくらいなら大丈夫だろうと思って引き受けたのが甘かった。
 必要な材料を採集にいったらなかなかみつからず、ようやく工房に戻ってこれたと思ったら、その前に引き受けたいくつもの依頼の納期日が迫っていた。
 それらの対応に追われ、気づいたら、いくら導刻術を使ったところでどうにもならない日になっていたのである。
 紹介してくれたダビーにも申し訳ないし、ノーラなら任せられると指名してくれた依頼人にも申し訳ない。
 ついさきほど、依頼を断ってきたのだが、そこに力を使い果たしてしまった。
 二人の会話を否定する空元気さえでてこない。ノーラを気遣っているのか、ひっそりと息を潜めて気持ちが落ちつくのを待ってくれている二人にも申し訳ない。
 さして大きくないベッドの片隅で、ノーラがさらに縮こまっていると。
 一度だけのおざなりなノックの音が響き、それが消えるかいなかという素早さで、玄関のドアが開かれた。
「よー、邪魔するぜー」
 まるで最初から、その場の空気なぞしったことかといわんばかりの態度で現れたのは、ユカであった。大きな身体で当然のように工房へとはいってくる。
「あらぁ、ユカくん。いらっしゃい~」
「なんだ? ジャーキーかい?」
「うんにゃ、そこの芋虫にちょっと用があってな」
 いつものように穏やかに出迎えるメロウ、ここに用があるときはこれしかないと思い込んでいるケケ、そして腹の立つひとことをさらりといってのけたユカ。
 誰が芋虫よ、誰が。
 しかしこれにも突っ込みすらいれられず、ノーラは毛布に潜り込んだ。
 すると。
「おーい、ノーラ。そこまで落ち込むこたーねぇだろ」
 床板を踏み鳴らしながら近づいてきたユカの声が、毛布越しにきこえる。それでも頑なに動こうとしないでいると、寝台の端に重みがかかったのがわかった。
 きっとユカが腰を下ろしたのだろう。やがて、ゆるゆると頭が撫でられる。
 なんでこういうときに限ってそんなに優しいのよ。
 普段のユカからは考えられないようないたわりに、目頭が熱を帯びる。
「ノーラ……、ノーラって、おい」
「……ほっといてよ」
 根負けしたノーラが隙間から顔をのぞかせると、工房内にはユカしかいなかった。メロウとケケが二人きりにしようとしてくれたのだろうか。それともユカが二人に席を外してもらったのだろうか。
 だがそんな疑問は、ユカが無造作に毛布をひっぺがしてきたことによって、霧散した。あ、と声を漏らして指先でおいかけるが、掴むことは出来なかった。
 そのぬくもりのかわりに、ユカの大きな手がノーラに触れる。髪から額、頬までをやや乱暴に撫でられる。
「まあ、別にほうっておいてもいいけどよ」
「なによ……じゃあ、どこかいけばいいじゃない」
 そういって、ぐっと奥歯を噛み締める。どうしてだか視界が歪んできた。喉の奥に声が張り付いてしまったようで、嗚咽が漏れる。
 ふう、と溜息をつきつつ、頭をかきつつ。ユカが苦笑した。
「いやいや、さすがに泣いてる女を置いてくっつーのはなしだろ」
「な、泣いてないもん……!」
 何を言っているの、とばかりに精一杯に睨みつける。その拍子に、ほたほたと熱いものが自分の頬に落ちる感覚がした。
「ほー、じゃあこれはなんだよ」
「痛い……」
 ぐい、と乱暴に頬を拭われて肌がひりつく。何度拭われても、熱い雫は頬に落ちて流れていく。痛みを訴えれば、次はひどく優しくユカの長い指が涙をさらう。
 もう、意地をはることはできそうになかった。ノーラは、涙が自然に流れるままにまかせて、ユカに訴える。
「だって、だって……せっかく、あたしを頼ってきてくれたのに……!」
「だから、そんなに泣くほどのことじゃねーって。おまえ、もちっと気楽にいけよ」
 しょうがねぇなぁ、と呆れたように囁いて。でも、身を任せたくなる力強さでユカが引き寄せ、抱きしめてくれる。
「だって、だって……」
 目の前にあるユカの服を、ノーラは反射的に掴んだ。お酒やジャーキーや、古びた書物が複雑に入り混じったにおいがする。ユカの、においだ。
 決してかぐわしいとはいえないけれど、すっかり馴染んだせいもあってか、ノーラはそのにおいが嫌いではない。むしろユカらしいとさえ思う。ユカが近くにいるのだと実感できる。
 震えるノーラの背を、なんども行き来する手に、身体の力が抜けていく。
「おまえさ、誰かの役に立たなきゃいけねえって、妙な強迫観念もってるだろ」
「!」
 ぴく、と肩が勝手に震えた。勢いよく、ユカの胸から離れ、弾かれたように顔をあげる。ユカは、いつものへらへらとした笑みではなく、どことなく真剣な瞳をして微笑んでいた。
「ンなもんいいんだって。おまえのこと、もうみんな信じてる。そんな必死になんなよ。たまにの失敗くらい、誰でもするもんだ」
 見透かされていたのが恥しくて、ノーラはゆるゆると俯く。
 言われたとおりだった。セイナケロからこの霧の森に来て、魔女呼ばわりされたときから、みんなの信頼を得たくて、ようやく手に入れたそれを失いたくなくて必死だった。
 そんな生活がすっかりと骨の髄まで染み込んでいて、なかなか、ユカがいうようには思えそうもない。
「でも、信じてくれているなら応えたいじゃない……」
「そらまあ、客商売だしそうかもしんねぇけどよ。でも、一度くらいがなんだってんだよ。次ちゃんとやれば、誰も失望したりなんかしねぇよ」
「……ほんと?」
 許しを得るようにユカをみあげる。
「おう。んなこといいだしたら、オレなんて信用これっぽっちもなくなるだろうが」
「それはなんていうか……ユカだから、みんな許してくれてるっていうか、諦めてるっていうか……」
「おまえ、さりげにひどいこといってねぇ?」
 そんなことないよ、と目をそらす。ユカは納得いってないようだが、「とにかく、だ」と、話をもとにもどしてくる。
「たとえノーラがなにもできなくなったとしても、誰も責めたりしねえし、離れたりしねえ」
 これまでに関わった人たちの笑顔が、次から次へと浮かんでくる。皆、とても優しい笑顔を向けてくれている。ふわり、と彼らのあたたかさを思い出して、胸が光に満ちていく。
 最後に心の中で笑いかけてくれたユカの表情を、目の前にいるユカに重ねながら、ノーラは悪戯っぽく笑う。
「……ジャーキーが作れなくなっても?」
 大好物がなくなるたび、ユカはノーラのもとへとたかりにくる。
 導刻術のことを知ってからは、熟成にかける時間を減らせるためか、なくなるギリギリになってから訪れるようになった。
 そのことを暗に指摘してやれば、くっとユカが喉をふるわせた。
「そうなったら、一緒にのんびり作ろうぜ。時間は勝手に流れてくもんだ。それよりも、ほれ」
「?」
 ユカの長い腕が左右に大きく開かれる。なんの体操をはじめたのかと、ノーラが首を捻ると、ユカが言う。
「もっとなぐさめてやっから、オレ様の胸にとびこんでこいこーい」
「ぶっ、なにそれ!」
 あまりにも軽い調子でいうものだから、ノーラは思わず噴出して、ころころと笑った。もうじゅうぶんに慰めてもらったのに。
「いいからこいって」
「きゃっ」
 引き寄せられるままに、再びユカの胸へと身を預ける。
「ノーラは、いつも頑張ってると思うぜ。オレにしてみたらそりゃもう、びっくりするぐらいにな」
「ユカからみたら、誰だって頑張ってる人になると思う」
 自分でも可愛げのないことだとわかっていながらも、そういいつつ、ノーラはユカの服をぎゅっと握った。
「そんだけの口がきけりゃあ、そこそこ元気でてきたってことか?」
「んー……ふふふふっ」
 頭を撫でてくれる大きな手が心地よい。
 そういえば、小さな頃は導刻術がうまくできなくて、そのたびごとにおばあちゃんの膝で泣いていたっけ。それに、似ている。
 故郷を離れてからずっと、こうして誰かに甘えて得られる心の穏やかさなんて、すっかり忘れていた。その方法すらも、忘れてしまっていた。
 ただ寄り添い、抱きしめてもらって、頭を撫でてもらう。
 まるで子供のようだけれど、大好きな人にそうしてもらうと、心の隅々にまで栄養が行き渡っていくような気がする。
「ありがとう、ユカ」
 ちゅ、と伸び上がってユカの頬にキスをする。不意打ちだったのか、ユカの瞳が丸くなる。
 そういう顔はなんだか幼げで、可愛いと思った。ノーラは、にぱ、と満面の笑みを花開かせる。
「あたし、ここにきてよかった。優しい皆がいて、ユカがいる。恵まれてるよね……って、どうしたの?」
「なんでもねー……」
 同意を求めているにも関わらず、ずるずると頭を下げたユカは、ノーラの肩に顔をうずめてしまった。その大きな体が、なんだか熱い。でもそれが心地いい。
 ユカが離れていく様子はない。きゅ、と改めてユカに腕を回して抱きついて。

 もうちょっとだけ、甘えさせてね――

 ノーラは心の中で呟くと、ゆっくりと目蓋をとじた