がたがたと窓枠が鳴いている。
冬の前触れともいわれる強い風に、霧の森全体が揺れているようだ。
夜の帳と分厚い雲に覆われて、すでに真っ暗になった窓の外は、何も見通せない。ただ、冷たい雨が硝子を濡らし続けていることだけが、わかる。
「嵐ってほどじゃないけど、天気よくないね」
振り返れば、黒髪の男がちょうど酒をあおっているところであった。
いつものように、ジャーキーをたかりにきた男――ユカは、天候の急変で帰るに帰れなくなってしまった。
朝からあまり天気がよくなかったのだから、わざわざ今日こなくてもいいと思ったが、ジャーキーがきれたことは彼の死活問題であり、そこはどうしても譲れなかったようだ。
そうそうに頑張って町まで帰ることを諦めたユカは、注文を受けて作ったのはいいものの、代金が間に合わず在庫となっていたケラリ酒に目をつけた。
メロウとケケを丸め込み、ノーラがちょっと森の様子を見に行っている間に、酒宴は始まってしまっていた。
怒ってはみたものの、すでに酒がはいったユカには暖簾に腕押し、ぬかに釘。そうそうにお説教も切り上げざるをえなかった。これまでも、飲んだくれたユカが工房に泊まることもあったし。
「ぷはー……ま、明日にはおさまってんじゃね?」
おじさんくさい仕草で酒を飲み干し、ユカがへらへらと笑う。
「だといいんだけど」
室内のテーブルを陣取り、ケラリ酒と特製のチーズ、ジャーキーに舌鼓をうつユカの言葉に、ノーラは眉を下げた。
明日が納品期限の品がいくつかあるのだ。こんな天気がまだ続くようであれば、持ち運ぶのも難しい。
そんなノーラの悩みなど知らぬユカが、ふるびた工房の天上をみあげて眉を潜めた。
「なんだ、ここの屋根でもぶっ飛んだりすんのか?」
「そんなわけないでしょ! ……たぶん」
からかわれていると思ったノーラは反射的に反論するものの、強い風に不安を隠せない。なにせ、祖母の頃から使われている工房なのだ。手入れはしているが、もしかしたらということもある。
その様子がおかしいらしく、酒がはいっていることもあってか、ユカが声をあげれ笑った。
「むぅ。あんまりそういうことばっかりいってると、お酒とジャーキーの料金とるよ」
「おお、いいぜ。とりあえずつけといてくれよな」
「もう!」
一枚上手なユカに勝つには、ノーラはまだまだ経験が浅い。
ノーラは窓際から離れると、テーブルの向かい側に腰掛ける。
なんだか、ユカの秘密を教えてもらったときのようだ。そんなに前のことじゃないはずなのに、随分と懐かしく思う。それはきっと、そのときからよりもっと二人の絆や想いが深くなったからだろう。
「飲むか?」
「ううん、あたしはいいよ」
芝居ががった仕草で、ユカが肩をすくめて頭を振る。人生損してるぜ、とその行動が物語っている。
「お子様味覚め」
「はいはい」
そうはいわれても、ノーラは自分で飲むよりも、美味しそうに酒を飲むユカをみているほうがいい。本人は気づいていないだろうけれど、杯を開けて満足そうに目を細め、舌先で唇をわずかに舐める仕草が、とても色っぽい。どきどきする。
「それにしても、なんか寒い感じがするよね」
「まあ、もう冬だしなぁ。今年はなんかあったかかったけどよ」
なんとなく薄ら寒く感じたノーラが肩のあたりを押さえると、ユカが同意してくれた。
「そうそう。だから急に寒くなられても困るよね」
「心の準備ができてねーよな」
「わかるわかる」
笑いながら、ノーラは指をのばす。ユカのおつまみが並ぶ皿から、熟成させたチーズをスライスしたものをつまみ、口に放り込む。酒はいらないが、チーズは別である。
うん、我ながらいい味にできている、と自画自賛しながら味わう。
ユカがお酒を飲み、ノーラが話しかけ、おつまみを食べながら、笑いあう――そんなことをゆっくりと時間をかけてくりかえす。
まるで、ノーラがケラリ酒を熟成させる工程にそれは似ている気がした。
少しだけ風がおさまった頃、ノーラは席を立った。
ん? と、眉を動かすユカに告げる。
「あたし、そろそろ寝るね」
「おう」
そっけないその返事に、ユカはまだひとりで飲み続けるのだろう、とノーラはそう判断し、就寝の準備をする。
しかし。
「……?」
自分のベッドへと向かうと、ユカがその後ろをついてくる。顔を顰め、ノーラはユカに振り返って問う。
「ちょっと、なんでついてくるのよ」
「つれねぇなあ~、さっき寒いっていってたろ? あっためてやってもいいぜ~」
「……」
つまり一緒に寝ようといっているのか、この男は。
へらへらとした酒臭い笑顔を近づけられたノーラは無言で指をのばし、ユカの鼻を力いっぱい摘みあげた。
「いででで!」
「馬鹿じゃないの」
酔っ払いの相手をしていては、時間がどれだけあっても足りはしない。
ノーラはそっけなくユカをあしらい、ユカが泊まるときにはいつも使っている毛布をひっぱりだす。
「はいこれ使って。屋根裏に昨日あげたばっかりの干し草積んであるからそこで――って、わ、わわっ」
いつもどおりに毛布を手渡そうとした腕が力強く引かれる。あっという間に抱きしめられたノーラは思わず声を荒げた。
「ちょ、ちょっと、ケケもメロウもいるんだよ?!」
「お前がうるさくしなきゃ起きてこねーって」
それはそうだろうが、だからといって好き勝手にされるのも嫌である。
しかし二人の睡眠を妨害するのも嫌である。
わずかに考えたのち、ノーラは抵抗をやめた。ぎゅーっと抱きしめられたまま、ノーラは眉を潜める。
小さな鼻の奥をくすぐるのは、術で深い時間を与えられた酒の芳醇なかおり。だが、まだまだ酒の魅力を理解できていないノーラにとっては、そこまで陶酔できるものではない。
「うえー……お酒臭い……」
健気な抵抗で身をよじる。するとさらに抱き寄せられた。
「どうだー、こうしてるとちっとはあったけえだろー?」
「だから、お酒臭いんだってば!」
上機嫌にうりうりと頬を寄せられる。普段なら決してしないような行動だが、お酒の力って怖い。子供のようだ。なぜだか、自然と頬が緩む。
「……でも、まあ、あったかいかな」
ふふふ、と声を漏らせば、我が意を得たりとばかりにユカが言う。
「なー、一緒に寝ようぜ~」
「ベッド狭くなるからやだ」
「お前小さいから問題ねーよ」
「ユカはおっきいでしょ?」
抱きしめあったまま、争っているのか、じゃれあっているのかわからないような言葉を交わしつつ――最後に折れたのはノーラであった。
「もー、明日もやらなきゃいけないことあるんだからね」
「なにもしねーよ。オレ様ちょー眠いしー」
「あっそ」
一緒に寝てもいいよと了承すると、あっさりとユカは離れていく。現金なものだ。
ふらふらとしながら、上着を脱ぎ、靴を脱ぎ、ユカはさっさとノーラのベッドに潜り込んで掛け布をひっかけると丸くなってしまった。
その自由さは、まるで猫のよう。
我侭で自由気ままで、人を翻弄して。でも憎めない。寄り添ってほしいときには、そのぬくもりをわけてくれる。
まあ、こんな大酒飲みのうえに、大きい猫なんて持て余しちゃうけどね――
ユカがこちらをみていないことを確認し、寝間着に着替えたノーラはぶるりと身体を震わせた。
やはり今宵はいままでと違って寒い。はやくベッドに、と小走りに近寄る。掛け布を無理やりにひっぺがし、ユカの横へと身を横たえる。
ベッドの端にいたユカが、すりよってくる。ほんとうに、猫みたいだ。
「あったけえ~」
「あ、ちょ、こら……!」
長い腕がノーラを囲う。長い足がノーラの足に絡む。ゆたんぽがわりにしないでと抗議をしようとするものの、すぐそこにあるユカの顔は穏やかで安らかな表情を浮かべていて、気がそがれてしまった。
額にかかった黒髪を、そうっと払う。今度は自分のほうからユカの身体にすりよって、ノーラは微笑んだ。
まあ、たまにこういうのも悪くないよね。
「おやすみなさい、ユカ」
「お~……、ぅ……」
どうやら一足先に夢の世界に引き込まれてしまったらしいユカからは、むにゃむにゃとして不明瞭な答えしか返ってこない。
外は冬の到来を告げるような嵐。でもここは安心できる温かな場所。
ノーラの耳には、もう風の音はきこえなかった。