「「……あつい」」
心底うんざりとした男と少女の声が重なり、むっとした空気のこもる工房内に響いた。
工房内にいる人間は二人だけ。お互いに顔を見合わせる。そして、同時に溜息をついた。
季節は春の終わり。すでに初夏といわれる時期にさしかかっている。この季節の変わり目は、まるで冬に逆戻りしたかのように急に寒くなる日もあれば、夏を先取りしたかのように暑くなる日もある。
今日は、とにかく暑い日であった。霧の森の中にあるといっても、ある程度切り開いて家を作っている以上、陽の光は降り注ぎ、当然家の中は暑くなる。
昨日から今朝にかけて気温が下がったため、真冬並みとはいわないが、それなりに着込んでしまった。
ノーラはすでにケープをとりはずし、ブラウスの袖をまくっている。窓も全開にしているが、こういうときに限って森から吹く風は頼りない。
ユカも上着を脱いでいるが、きっと暑いのだろう。イライラとしているのが、ジャーキーを取り出す仕草にもあらわれていた。
「だー! 暑すぎんだろ! まだ夏じゃねえくせに!」
工房の片隅を我が物顔で陣取って、先日の遺跡からの戦利品を鑑定していたユカが、とうとう叫んだ。それに、我慢に我慢を重ねていたノーラも、まけじと叫ぶ。
「もう! 暑い暑い言わないでよ!」
「あちぃもんはあちぃんだから仕方ねーだろ!」
「よけいに暑くなるっていってんの!」
「夏でもねーくせに、こんなに暑いなんて耐えられるか!」
どうやら、季節に対する心構えがまで出来ていないらしい。夏ならば暑いものは我慢できるが、春なのにこんなに暑いということは納得できないようだ。
ぎゃんぎゃんと顔を突きあわせるようにして言い合うが、それで気温が下がるわけでもない。
「「……」」
ぜぇはぁ、と肩で息をきらせた二人は、疲れきって視線を逸らした。こんな言い争い、不毛すぎる。
「あ~……やめようぜ、わざわざ疲れる必要もねぇだろ」
「うん……。あ、そうだ!」
がしがしと頭を掻くユカの長い黒髪が無造作に暴れまわるのをみて、ノーラはぽんと手を叩いた。
訝しそうな顔をするユカを置き去りにして、工房の片隅にかけてある自分の鞄に駆け寄る。
「えっと、確か昨日買ったやつが~……あ、あった!」
すでに出来上がって届けるだけとなっている依頼の品や、ハンカチなどをよけながら中を探り、目当てのものを見つけ出したノーラは声をあげた。
そうしてとりだしたのは、ロッタの店で売っていた、ピンやリボン、結い紐といった、髪を飾るためのものが、可愛らしい意匠の箱にいれられた雑貨である。なんでも、箱ごとに中身が違うらしく、イサルミィで流行りだしたものなのだとか。
アイラやエルシーとおそろいで買ったものを手に、ノーラはユカへと振り返る。
「ユカ、髪結んであげる!」
髪がまとわりつくのもよくないのだ。首周りがすっきりすれば、きっと涼しくなるだろう。
そんなノーラの思い付きからの提案に、きょとん、と幼子のように瞬かせた目を、ユカは疑わしげに眇めた。
「できんのか?」
あからさまに信用されてない。ノーラは思わずたじろいだ。たしかに、自分で自分の髪を結わえるのと、他人の髪を結わえるのは勝手が違うだろう。
「うっ、で、できるわよ! ……たぶん」
「ほ~、そんじゃまあ、お手並み拝見させてもらおうかねぇ」
言い出した手前、あとには退けないノーラに対し、ユカはニヤニヤと笑って手近なところにあった丸椅子を引っ張り寄せる。
どかりと腰掛けたユカがみせる広い背に、ノーラは意を決して近寄った。
無防備ともいえるユカの背後にたって、手にした櫛で長い髪を梳く。ゆるく波打つ黒髪は、思っていたより柔らかい。
なんというか……、こういってはユカは気分を悪くしてしまいそうだが、長毛な大型犬のブラッシングをしてやっている気分である。
「ユカは、なんで髪を伸ばしてるの?」
「あ? 別に意味なんてねーよ」
それもそうか、とノーラは頷く。あえて理由をつけるとすれば、面倒くさいと思っているうちに伸びていた、とかそういうところだろう。だが、手入れもまともにしていなさそうなのに、手触りはいいとかずるい。
そんなことを内心思いつつ、ユカの髪をするすると撫でながら、まとめていく。
「昔は短かったの?」
「いきがってた頃は短かったぜ」
なんとなく、駆け出しトレジャーハンターをやっていた頃のユカの姿を想像してみたら、ルッツのようなやんちゃで無謀盛りの少年が浮かび上がってきた。くすくすと、思わず笑ってしまう。
「なに、ノーラちゃんはオレ様の短髪姿がみたいわけ? いい男すぎて惚れ直すぞ、お前。まあ、いまでもじゅうぶんいい男だけどな」
「……はいはい」
ノーラは苦笑いしながら、おざなりな返事をする。
でも、ユカはいい男だと思う。知識に富み、冒険者としての腕もたつ。採集で遠出したときに助けてくれたことは何度もある。その後ろ姿の格好良さを知っている。そのくせ、過去の遺物を鑑定しているときは、子供のように目を輝かせていて可愛いのだから、なんとも面白い。
恥しくて、本人にはなかなかいえやしないけど、ノーラはそんなユカがとても好きだ。こういう何気ない時間も、どうしようもなく愛しいと思えるくらいに、大好きだ。
出会ったときも、恋人という関係になったときも、こんなに穏やかな空気に包まれ、優しい気持ちになるなんて思わなかった。まあ、正直にユカに伝えてしまうと、図に乗るから秘密だ。
そうして、ノーラは頬を緩ませながら、他愛のない会話を続けつつ、ユカの髪を高い位置で結った。
うん、とノーラは目の前にあるユカの後頭部を眺めて、ひとつ頷く。
たらりと肩から背にかかる髪が、まるでやる気のない犬の尻尾のようにみえる。
「よし、できた!」
零れ落ちる髪もなし。きつすぎずゆるすぎず。なかなかうまくいったと、ノーラはユカへと手鏡を差し出した。
まじまじと、右に左に自分の頭を眺めたユカが言う。
「まあ、ノーラならこんなもんだよな~」
「ちゃんと結べてるでしょ?! 文句いわないの」
いつも一言多いユカに、ノーラはそう言いながら、がっしりとしたその肩をぺちぺちと叩く。
それに反応し、振り返ったユカが、目元を和ませ口元に弧を描く。
「おう、あんがとな」
「……」
ひどく優しい声と眼差しに、うっとノーラは息を詰まらせた。そう素直に礼をいわれると、それはそれでおもばゆい。
視線をさげ、もじもじとしていると、ユカの長い指先がノーラの頬にかかった髪を優しく払った。
「ほれ、次はオレがしてやるよ。座ってあっち向け」
「えー、ユカこそできるの?」
骨董品や発掘品を鑑定しているときの繊細な手つきは知っているが、それとこれとは話が違うだろう。疑わしい、と視線を向ければ、ユカがやたらとにっこりと笑った。つられてにっこりと笑ってしまったノーラの額に影がかかり――小気味いい音が炸裂した。
「いたっ!?」
「おまえ、あとでぎゃふんといわせてやるからな」
ぱちん、と額を中指で勢いよく弾かれて、ノーラはきゅっと目を閉じた。その間に、肩をつかまれ無理やり座らされ、ユカが後ろに回る。
「痛いじゃない!」
熱を帯び、痛みを訴える額を撫でさするノーラの髪に、奪い取られた櫛がすべっていく。するする、するする、と。
その心地よさに、頬を膨らませていたノーラは、しだいにうっとりと目を細めた。
人に髪を触ってもらうのが、こんなに気持ちいいなんて。もしかしたら、ユカだから、余計に心地よく思えるのかもしれなかった。
「……どうしたの?」
いつまでも、離れがたいというように梳られ、撫でられて、ノーラはゆっくりと瞬きしながら問いかける。
「綺麗な髪してると思ってよ」
「そ、そんなことないと思う、けど……。あ、ありがと」
ノーラは自慢したことはなかったけれど、己の髪にはちょっとだけ自信があった。それを素直に褒められて、恥しくて照れくさい。そう思ってくれたことが、ひどく嬉しい。
ゆっくりと髪の間に潜り込んだユカの大きな手が、少し硬い指先が、ノーラの頭をなぞる。くつくつと、ユカが笑っている。
「やだ、くすぐったい」
「ちっちぇー頭」
「もう」
堪えられなくて、小さな笑い声を転がすと、ようやくユカはノーラの髪を結い始めた。なんとなく名残惜しいけれど、髪をいじられるのもまた楽しい。見えないがゆえの、どうなるのかなという期待に、わくわくと胸を弾ませていると、時間はあっという間に過ぎていった。
ほどなくして、ユカの手が離れる。
「よし、こんなもんだろ。ほれ、みてみろ」
「うん」
さきほどとは逆に手渡された手鏡を、ノーラはそーっと覗き込む。
「って……うそー! なにこれ!」
そして、工房全体に響き渡るくらいの大きな声をあげた。
ふふん、と勝ち誇ったように、ユカが笑っている。ノーラは、驚きに間の抜けた顔をしている鏡の中の自分と、にやにやと笑っているユカを交互に見遣る。
なんど見ても変わらない。ということは事実である。小さな鏡面には、金の髪を綺麗に結い上げられて、白いリボンまで結ばれた自分がいる。
まとめられた髪をぐるりと囲むみつあみ。みっともなく零れている髪はどこにもなく、一体どうやったのかわからないくらいである。
「ユカってば、どこかでこういう仕事でもしてたんじゃないの……?」
「んなわけねーだろ。ま、生来手先が器用なんでね。我ながらよくできたと思うぜ。傑作だ」
似合っている、と。
言葉にはせずとも、その瞳がいってくれている。ほんのりと頬を染め、ノーラは大きく頷いた。
「うん! 涼しいし、こういうのもいいね」
「だろ」
真後ろから見れないのが残念であるが、ぎりぎりまで左右に首をひねりながら何度も眺めたあと、ユカを見上げて笑う。
「またやってくれる?」
「気が向いたらな」
そんなことを面倒くさそうに言っているが、きっと頼めば、なんだかんだといいながらやってくれるのだろう。ユカは、そういう男だ。
えへへ、と笑ったノーラは、椅子から立ち上がった。
「よし! もうちょっと頑張ろうっと!」
「お~、がんばれがんばれ、ついでにジャーキーつくってくれ」
握りこぶしを作りながら刻分儀の前へと意気揚々と向かうノーラの背に、なんとも気が抜ける応援がかけられる。
「前にいっぱい作ったでしょ? それ食べててよ~」
数日前に大量に作らされたジャーキーと、それをみて誕生日プレゼンともらった子供のように顔を輝かせ、はしゃいでいたユカを思い出す。こういうときは、なんだか母親のような気分になる。
やれやれだよ、と小さく頭を振りつつ、ふとノーラは呟く。
「……あとでアイラちゃんやエルシーにみせにいこうかな……」
独り言程度のつもりだったのに、ユカがそれに反応した。
「――町にいくのか?」
どことなくトーンが低い声を気にしつつも、クロノ水溶液の量を調整しはじめていたノーラは振り返らずに応える。
「うん、ダビーさんのところにも用があるし……、ひゃあっ?!」
あともうちょい、と水溶液の瓶を傾けようとしていたノーラの体が、勢いよく後ろへと引っ張られた。
ノーラの手から離れた水溶液が、あたりに銀色をした液体を振りまきながら、床へと落ちた。硬質な音に鼓膜を震わせられながら、ノーラは自分の腰に巻きつく逞しい腕の持ち主――ユカを睨みあげた。正確には、しようとした。
「ちょっと急になにすんの?! っ、ひゃぁぁ?!」
が、それはできず、突如として襲いきた感覚に、体をはねさせ声をあげる。
ちりっとした痛みと、ちゅう、と濡れた音がする。
しっかりと抱きしめられ固定され、身動きできないノーラの背骨から首の骨が続き、頭蓋に至るところ――ちょうど結い上げられてさらされたうなじの、髪の生え際をユカの薄い唇でなぞられて、ぞわぞわとノーラは身を震わせる。
ノーラは、この感覚を知っている。
反射的に閉じた目蓋の裏に、もう幾度も過ごした人肌に包まれる夜が蘇る。
見えるところにはつけないで。
そんな恥しさからくるお願いを、これまでユカはきいてくれていたのに!
じんわりと涙を浮かべはじめたのと感じとったのか、ぱっとユカが離れた。
いきなり自由を取り戻したノーラは、両手で首を守るようにして、思いっきりユカから飛びのいた。
「な、なに……なにすんの……!」
涙目で睨みつけてやっても、飄々としたユカは肩をすくめるだけだ。
そして、縮こまるノーラを指差して言う。
「そのままいくのはやめとけよ。まあ、でっけー虫に刺されたあとがあるっていわれたいなら別だがな」
「っ~~~!」
やっぱり、痕をつけられたんだと理解したノーラは、うなじを押さえたまま叫んだ。
「ユカがつけたんでしょ?! なにするのよ、もー! これじゃ、外でれないじゃない!」
町にいけないことはないが、そのためには赤く咲いた痕を隠すために、髪をおろさねばならない。それでは、この髪型をみてもらえない。
アイラちゃんやエルシーなら喜んでみてくれると思ったのに!
女の子のおしゃれ心を台無しにしたユカを、ぎりぎりと睨みつけると、はん、とユカが鼻で笑った。目だけが、妙に不機嫌そうだ。
「男心のわかんねーやつに仕置きだ仕置き」
「なにそれ、意味わかんない!」
それはこっちの台詞だよと叫ぶノーラに、ユカは肩をすくめながら背を向ける。おまえが悪いというその態度に、ノーラの堪忍袋の緒が切れた。
「うう~! あたしばっかりこんな目にあうなんておかしいよ!」
「って、うお?! なにしやがる!」
広い背に飛びかかり、剥き出しかつ無防備な首にむかって、ノーラは怒りのままに口を大きくあけた。
――……!?……!!……――
「な、なんだ?!」
「さあ、なにかしらね~」
遠くから聞こえてきた遠吠えのような音に、ケケはびくりと飛び跳ねた。隣のメロウにそそくさと寄り添いながら、不安そうに眉をひそめる。
メロウとつれだって湖へと水を採集にいき、上機嫌に歌いながら帰っていたところだったのに、いい気分が台無しだ。
「へ、へんな獣とかだったらどうしよう!?」
「だいじょうぶよ~」
ノーラとともに、冒険にでてそれなりの実力を備えるようになったにもかかわらず、相変わらずの怯えっぷりをみせるケケに、メロウが笑いかける。
たべられちゃう! と、悲痛極まりない嘆きをこぼすケケの頭を、メロウの白く細い手が優しく撫でる。
「あれは、獣じゃなくて、ユカくんの悲鳴だと思うわ~」
「えー、ってことはまたあの二人喧嘩してるのかい?」
恋人という関係になったというのに、あの二人は言い争いが絶えない。
ぷりぷりと怒っているノーラを想像しつつも、食べられる危険がないとわかったケケは、ほーっと胸をなでおろす。
「ふふふ、喧嘩するほど、仲がいいっていうものね~」
「……あれで、仲いいの、かい……?」
ノーラの幸せを自分のことのように、顔を綻ばせて語るメロウと手を繋ぎながら、ケケはよくわからないと首を捻った。
でもまあ、あんなに喧嘩していても、次の日には仲良く笑いあっているのだから、そうなのかもしれない。
工房はもうすぐそこだ。帰れば、なにがあったかとノーラにきいてみよう。
ふう、とわざとらしく首をふりふり、ケケはいう。
「しょうがない二人だよねぇ~」
「ほんと、可愛い二人よねぇ~」
ねー、と声をそろえ、ケケとメロウはまた歌い始める。
こんどは、優しい恋の歌を。