片田舎である静かで穏やかなイサルミィとは違い、交易の要所であるテンペリナは活気に満ち溢れている。
行き交う人々の姿は、さまざまだ。出身を示すような見たことのない民族衣装の団体が店の前で半円を作っていたり、ノーラだってきいたことがあるようなブランドの洒落た服を着た男女が歩いていたり、せわしなく荷物を届けに走り回る商家の配達員がいたり。
整然と立ち並ぶ商店は美しく、雑然とした市場は賑やかだ。そういうものをみたり覗いたりしていれば、あきることはないのだが、いかんせん今はここを離れることができない。
見える範囲に視線を流すのにも、もはや飽きてしまった。
「もう……ユカのばか……!」
ノーラは、苛々とした感情を隠すことなくその愛らしい面にのせ、商工会の前でひたすら突っ立っていた。足元には大きな鞄が置いてあるが、中身はさきほどキトに届けてしまったので空である。
依頼をこなして、懐はあたたかく、心は軽くなったというのに、待ち人はいまだ来ず。
ちゃり、と金属の鎖の音をわずかに響かせながら、ユカから貰った古びた懐中時計をとりだす。
そっと蓋をあければ、長針がそろそろ一回りするくらいの時間がたっていた。
それを認識したとたん、ノーラの小さな肩に、どっと疲れがのしかかる。
みなきゃよかったよ……、とノーラは思った。
うっかりと時間を確認してしまった自分に後悔しつつ、ノーラは溜息をつく。
懐中時計の蓋をしめ、手のひらで撫でながらこんな状況を生み出した男を思う。
ユカはテンペリナへ依頼品を運ぶノーラに勝手についてきたあげく、「用事あっからここで待ってろ」と、返事もきかずにふらりとどこかへいってしまったのだ。
いつものように、ジャーキーでも買いにいったのかと思って放置したのがまずかった。依頼品を渡して、少し世間話をして、商工会の前に戻ったものの、ユカは一向にあらわれない。遅すぎる。
いい加減、苛立ちが募る。
なんでこんなに待っていなきゃいけないんだろう。いつ戻るともいわなかった男を、どうして待ち続けているんだろう。
ほうっておいて先に帰っちゃえ、という気持ちがないわけではない。でも、そんな考えとは裏腹に足は動こうとはしない。
つまりは、ユカが「待ってろ」といったからなのだ。だから、ノーラは足が痛くなっても、暇すぎて思考が麻痺してこようとも「待って」いる。
ああ、いつの間に、こんなにユカに甘くなってしまったのだろう。
ノーラが、すっかりとユカにほだされている自分に対して、再び溜息をついたとき。
その顔を影が覆った。
「ユ……! ――っ、」
やっときた、と勢いよく顔をあげて文句をいってやろうと思ったものの。
「こんにちは。きみ、ひとり? ひとりだよね?」
そこにいたのは、にんまりとした愛想のよい笑顔を浮かべた見知らぬ青年であった。
栗色の髪、はしばみ色の瞳、多少そばかすがあるが、魅力的な部類にはいる愛嬌たっぷりの雰囲気。
喉からいまにも飛び出しそうだった言葉は、なんとかギリギリのところでひっこめることができた。さすがに、見ず知らずの人を怒鳴りつけるなんてできやしない。思わず、ぎゅっとスカートを握りしめる。
そんなノーラの仕草を、警戒したものと勘違いしたのか、青年が慌てて手をふる。
「ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったんだ。さっきからひとりみたいだし、どうしたのかなーって」
そういって、さりげなく距離を縮めてこようとするその様子に、ノーラは思った。あ、これナンパだ、と。
珍獣でもみつけたような心地で、ノーラはじっと青年を見返した。
だって、これまでこんな風に声をかけられたことなんて一度もない。だから、あまりそういう手合いに好まれるタイプじゃないんだろうなー、とノーラは勝手に思っていた。
なにせ、イサルミィにきても両手に余るような荷物を運んだり、短剣を腰に下げているいかにもな冒険者姿でもあるわけだし。
まあ、それが女の子としてそれはどうなのと思わないでもないけれど、そういう場合の対処方法もわからないし、声がかからないならかからないなりに、楽だと思っていた。
でも、今、目の前にはそんなノーラのナンパ歴第一号となった青年がいるのだ。ながめずしてなんとする。
「ええっと……その、ここにずっと立ってて疲れてない? よかったらお茶でもどうかな。紅茶とお菓子がとってもおいしい店、知ってるんだけど……」
無言のまま、あまりにも観察眼的な眼差しを向けられた青年が、やや怯む。しかし、さらに言葉を重ねてくる。
なんという、ナンパ精神だろう。そういう根性はあるようだ。
んー、とノーラはここではじめて思案した。悩んだ。
見ず知らずの人についていっちゃいけません、というのはよくいわれることである。
もう子供ではないけれど、身元不明の人物においそれとついていくのは憚られる。
かといって、お茶とお菓子の誘いはこのうえなく魅力的だ。ちょうど喉が渇いているし、おなかもへってきている。足も痛いし、腰掛けて一息つきたい。
だけど。
ユカは、どう思うだろう。
待っているはずの自分がいなかったら――驚くだろうか、探すだろうか。
ナンパされてついていったと知ったら――怒るだろうか、悲しむだろうか。
こんなにも待たされているというのに、そう思えばなんだか胸が苦しくなってくる。
ノーラは、しょうがないなぁと、心の中でこぼしながら、顔をあげた。
どうあっても、ユカのことを考えてしまう。
「ええっと、ごめんなさい。あたし、人を待っているから」
ノーラは困ったように眉をさげながら、笑顔を浮かべて断りをいれた。そうしなければ、ノーラはここにいてくれると思っているだろうユカの心を、裏切ってしまうような気がしたのだ。
そうしたら、なぜか青年の顔に必死な色が浮かんだ。
「でも、誰もこないじゃん!」
「うぬぬ……、そ、そのとおりだけど」
ずっとこっちをみてたの? と訊きたいけれど、きくのも怖い。
たじろいだのを好機とみてとったのか、青年が畳み掛けてくる。
「ちょっとくらいだいじょうぶだって!」
「でも、」
ずい、とさきほどよりなお詰め寄られて、思わず一歩後退する。
「なら、ここが見える店にはいろうよ。それなら待ってる人がきてもすぐわかるし! ね?」
「……」
なんでここまで、あたしなんかに必死になるんだろう。
ノーラは呆れを通り越して、感心してきた。
世の中のナンパ男は皆、こんな風なのだろうか。ナンパをされる女の子たちは、こういうのをうまくあしらっているのだろうか。
またしても、まじまじと初めて天然記念物をみるような目を向けたとき。
「わりぃわりぃ、待たせたな――ノーラ」
ぜんぜん、ちっとも、これっぽっちも、まったくもって悪いと思ってなさそうな声が聞こえた。
「ユ――! っ、」
今度こそ、と、怒鳴りつけるべくそちらを向いた瞬間、ノーラの視界は柔らかな服いっぱいになっていた。
「ちょ、ちょっと……!」
振り返った身体を、ユカに強引に引き寄せられ、抱きしめられたのだと気づく。まわされた腕の強さ、鼻をくすぐるユカの匂い、ノーラを包み込むぬくもりを間違えるはずがない。
だが。
「いたいいたい!」
ぎゅーっとユカの胸へと頭を押し付けられて、ノーラは喚いた。首が痛いし、息もしづらいし、大体、こんな往来でなんてことをしてくれるのか。
いくらもがいても、力いっぱい手を振り回しても、ユカは離してくれない。
いい加減我慢も限界に達し、足先でも踏んづけてやろうかと思ったら――それを察したわけでもないだろうが、ノーラはふいに解放された。
「ちゃんと待ってろっていっただろうが。どこにいこうとしてんだよ、あ?」
「……!」
ひょいと顔を覗きこんで子供をしかるようにそんなことを言うユカに、ノーラの頭に血が上った。
「そっちがいつまでたってもこなかったんでしょ?! あたしちゃんとここにいるじゃない!」
ずい、とユカからもらった懐中時計を突きつける。別れてからの今のこの時間を直視して! と訴える。
「だから悪かったっていっただろうが」
めんどうくせえなあ、と、顔に大きく書いたような態度で、そんなこという。
あんな謝罪で許されるとでも思っているのだろうか。
ノーラがどこにもいくつもりがなかったとわかったらしく、へらりと顔を緩ませるユカに、怒りがこみあげてくる。
「ユカを待ってたら、あたしお婆ちゃんになっちゃうよ、もう!」
ぷりぷりと怒っているのに、ユカのにやにやとした笑みは強張るどころか、ますます深くなっていく。
意味がわからなくて、涙目でその余裕綽々の顔を睨みつければ、ジャーキーを離したユカが高い背を折るようにして顔を近づけてくる。
怒り返されるかと一瞬警戒したものの、ユカはやたらと嬉しそうにしているだけで、そんな気配はない。
訝しく思って、眉を潜めるノーラの前で、ユカがつりあがっていた薄い唇を動かした。
「なんだ、ノーラは婆さんになるまでオレ様を待っててくれんの? いやぁ、そんなに愛されてるなんてねぇ~」
男冥利につきるねぇ、と嬉しそうに楽しそうにいわれて、はっと気づく。
今の言葉にそんな意味をこめているわけではなかった。でも確かにそういわれれば、おばあちゃんになっても、なんだかんだと文句をいっても、ユカを待っていてあげるという意味にとらえられなくもない。
「……!」
恥ずかしい。ノーラはいまさらながらに真っ赤になった。
「ユカの天邪鬼!」
そういう意味じゃない! と叫ぶものの、ユカの笑いはとまらない。
ひとしきりわらったあと、ユカがふいに真剣な目をする。顔は笑みの形なのに、瞳はひどく真摯だ。
うぐぐ、とノーラが黙ったのをみてとって、ユカが背筋を正した。
高いところにいってしまったユカが、ふふんと鼻を鳴らした。
「まあ、オレはずーっとお前のこと待っててやるよ」
「っ、」
「爺さんになっても、ノーラのこと待ってる」
「ず、ずるい……!」
さも当たり前のことを口にしているだけという顔をして、なんてことをいうのだろう、この男は。
ぎゅ、とノーラは空いていてる手でユカのコートの裾を掴んだ。僅かに唇を尖らせ、ノーラは告げる。
「もう、怒れなくなるじゃない……」
「そうか、ま、機嫌直せって」
ぐりぐりと頭を撫でられて、もうやめてよ、と抗議するために顔をあげると、目の前に淡く色とりどりの光が踊った。
驚いて目を瞬かせ、ノーラはそれをよくよく眺めてみる。
それは、幾重にもたおやかな花びらを重ねた、とても精緻な髪飾りだった。本物かと思うような精巧さだが、指先に伝わる硬い感触が、そうでないと暗に告げる。
だが、美しい。なにでできているのか、どうやってつくられたのか。工房を経営するものとして、さまざまなものを見てきたし作ってきたけれど、見当がつかなかった。
「なに、これ」
それはいろんな意味を含んでの問いだった。何で出来ているのか、どうやって出来たのか、どうしてこんなものがここにあるのか。
「オレ様からのプレゼント」
疑問のうちのひとつにあっさりと返答したユカが、ノーラがいつもしてる髪飾りをさっとはずす。
長い指がノーラの髪に触れる。神経が通っていない体の一部だけれと、そうされるとむず痒くなる。優しくされて、心地いい。やがて、目的を達成したのかユカは離れていった。
どうやら、その器用さを存分に発揮して、その髪飾りをノーラにつけてくれたようだ。
ノーラ自身にはそれをみることができないが、無邪気に笑うユカをみていれば、そんなに悪くないのかも、と思えた。
「おー、似合う似合う! さっすがオレ様目が利くね!」
得意満面にいってのけるその自信はいったいどこからくるのだろう。
しかし、そういわれれば悪い気がしないのが、乙女心だ。
ノーラは、壊したりしないようにおそるおそる髪飾りに触れる。
「もしかして、これ買いにいってたの?」
「正確にいうなら、とりにいっていた、だな。けっこー前から頼んでたモンだ」
少し前にできあがったと連絡を受けていたのに、今日とりにいったら職人が不在で時間を食った――と、ユカが笑った。
それで、ユカはすぐに戻ってくるつもりだったのだと、わかった。
「これ、くれるの?」
「いらねーのか」
ゆっくりと、ノーラは頭を振った。「いる」と小さく声を漏らせば、にんまりとユカが笑う。
でも。
「どういう風のふきまわし?」
よくよく考え、思いだそうとしてみるが、今日という日に該当するような、思い出がない。誕生日ではない。付き合いはじめた日でもない。一緒に住み始めた日でもない。
「ばーか。今日はオレとお前が酒場で会った日だろうが」
「いたっ……!」
ぱちん、と額をはじかれて、ノーラは痛みが響くそこを手で覆った。にらみつけるが、「なんで覚えてねーんだ」という目を向けられていては、文句はいえなかった。
というか、そんなことまで覚えていることにびっくりした。
ダビーの仲介があったにせよ、あまりいい出会いではなかったように思うのに。あれが運命だったといえばそうなのかもしれないが。
「だからくれるの?」
「そ」
記憶力のいいオレ様に感謝しろ、というユカの頬が、ほんのりと赤らんでいることに、ノーラはいまさらながらに気づいた。
ふふふ、と笑みが自然とこぼれる。いぶかしげなユカをみあげて、ノーラはいう。
「ユカってさ、意外と乙女だよね」
「むしりとるぞ、この野郎」
わざとらしく手を振り上げてくるユカから、身を捩じらせて逃げようとするものの、やわらかに引き寄せられてそれもかなわない。
「あはは、ごめんごめん」
さきほどのような力任せの抱擁ではなく、ただ寄り添いながら、ノーラはもう一度髪飾りに触れた。
「ありがと! あたし、大事にするから!」
「おう」
満面の笑みでようやく感謝の言葉をおくれば、ユカが頬が緩めた。
もしかしたら、ユカは少し緊張していたのだろうか。訊いてみたい気もしたが、いまはやめておくことにする。そうかもしれないと思っているほうが、なんだか楽しい。
ひょい、とユカがノーラの足元に置かれた鞄を手に取って担ぐ。
「とりあえず、茶でも飲もうぜ。喉渇いた」
「うん!」
そうして伸ばされたユカの手を当たり前のようにとり、ともに歩き出したノーラは、すっかり忘れていた。
ユカがくるまで自分を懸命にナンパしていた青年がいたことに。
そうして、黒髪の青年と、金髪の少女が商工会からの前から、かしましくほほえましく去っていくのを見送ったとある人物は、ため息をついた。
「おお、こわいこわい……」
店のすぐそばでおこったやりとりを始終をみていた、露店の店主である。
やれやれと、肩を竦めて思う。
まるで親の敵でもみつけたと言わんばかりに、殺気混じりに見ず知らずの人間を睨みつけるくらいなら、最初からこんな往来に可愛い恋人を待たせるなんてこと、しなけりゃいいのに、と。
転びそうな勢いで、人ごみに紛れて逃げていった、何の罪も無い哀れな青年に同情しながら、店主は客引きを再開したのであった。