南の放牧場のさらに奥。
鬱蒼と生い茂った木々が形作る深い森の中、ユカはぼんやりとあたりを見回す。
同じような景色が東西南北どこまでも広がる様は、慣れぬものの方向感覚を狂わせる。
こんな中、よく迷子にならずに採集なんかできるもんだと、半ば感心半ば飽きれる。
こんなところまできて工房経営に必要な材料を手に入れようとか、酒場の依頼に応えようとか、ユカには考えられないことだ。
さて、そんな行動力がその小さな体のどこにつまっているのか、つくづく不思議に思っている少女――導刻術士であるノーラは、じーっと木をみあげている。
こちらに背を向けたままであるため、ユカにはその表情がみえないが、なにやら困っているような、考え込んでいるような、そんな気配がする。
一歩、そちらへと近づこうと足を踏み出した瞬間、ユカの心を読んだかのようにノーラが金の髪をなびかせて振り返る。
「ユカ!」
いままさに声をかけようとしていたユカは、みつめていたことに気づかれたのかと、一瞬どきりとしたものの、すぐに平静さを装ってノーラに近づいていく。
「へいへい、なんだよ」
呼ばれたからきてやったぞ、というようにノーラの前にたつ。
と。
「肩車して!」
唐突なお願いに、さしものユカも虚を突かれた。きっと間抜け面をさらしているだろうと思いつつ、眉を動かす。
「あ? なんだって?」
「だから、肩車!」
聞き違いかと思ったが、そうではないらしい。ノーラは木の上を指差して言う。
「ほら、あそこにある実が欲しいの! 今回の依頼品で、あと一個必要なの!」
みれば、たしかにたわわにみのったマーヤの実がひとつ、こちらの挑戦を受けて立つというように高い位置に生っている。
「いつもならオクトーヤさんが肩に乗せてくれるんだけど……」
今日は一緒にきてもらってないし、というノーラの小さな呟きを聞きつつ、ユカは呆れた。
「おまえ、いつもそんなことしてんのか」
うん、とノーラは頷いた。ユカは頭が痛くなるのを感じた。
採集に出かけた先で、そんなことをやっているとは思ってもみなかった。
「ね、お願い。ユカも背が高いじゃない」
「おまえなあ……」
ただそれだけのことで声をかけられたのかと思うと、なんだか腹がたつ。都合のいいときばかり頼りにされている気がする。
「あいつに頼んでみたらどうよ」
「キトさん?」
もう一人の仲間の名をノーラは口にしたとたん、『それはない』といわんばかりに、笑顔で手を振った。
「だって、キトさんにお願いするのは悪いじゃない」
「オレはいいのかよ?!」
「ユカは頑丈でしょ。キトさんね、この前クルマル山にいったときも、エルシーに心配されるくらいだったし。それに今、休憩中じゃない」
採集中にうっかり出くわした魔物を三人がかりで倒したものの、あまり戦闘慣れしていなかったキトにはきつかったらしく、現在は森の出口付近で休んでもらっている。
ユカは、かりかりとこめかみあたりを引っ掻きつつ、申し訳なさそうにしていたキトを思い浮かべる。
「あ~……まあ、おぼっちゃんなら、ヘタしたら潰れちまうかもな。……っとに、しゃあねぇなあ」
そんな事態にでもなったら、体力のないことをひそかに気にしているキトにとどめをさすことになりかねない。男としてそれは同情に値する。キトなりに、優秀な冒険者となったノーラの足手まといになるまいと、体を鍛えていることも知っている。
「ほらよ」
ひょい、とノーラの前に、ユカはしゃがみこむ。こいこいと手まねきすると、ぱあっとノーラの顔が輝いた。
「やったぁ!」
嬉しそうにそういうノーラに苦笑いしつつ、頭を深く下げる。
細い足の間にもぐりこめば、顔の左右から足がはえたような変な感じがした。それにしても軽い。それに、とても温かくて柔らかい。男と女の身体のつくりは違うのだから当然か。
これをオクトーヤにも経験させていたというのだから、ノーラは女としてはもちろんだが、誰の恋人であるかという自覚が足りない。
ひとつ屋根の下に住むようになって、より近くなったと思っていたのは自分だけだったのだろうか。もっと、こちらだけを気にかけるようにさせるには、どうしたらいいのか。
「……ちっ」
うーん、と考えたものの、そんな自分の感情が、ガキくさい嫉妬や執着であることに気づき、ユカは思わず舌打ちをする。
どうしてこうもノーラには振り回されてしまうのか。
げんなりしてきたユカの頭に、ノーラが触れる。
「どうかした? もしかして重い?」
「なんでもねー」
見当違いなことをいうノーラに対し、何を言ったところで容易く理解しないだろうと、ユカはそうそうに諦めることにした。肩に乗せたまま、問答を繰り返すつもりはない。
「どっこいせっと」
「ユカ、おじさんくさいよ」
掛け声をかけつつ体を起こせば、上から覗き込みながら、ノーラが笑った。
「そーいうこといってっと、落とすぞ、こら」
「うそうそ! ごめん~」
軽口をたたくノーラを、わざとらしく振り落とそうと動けば、楽しそうに謝られた。
きゃあきゃあと歓声をあげさせるのは面白いが、さっさと用事を終わらせよう。
「で、どれだって?」
「あれあれ!」
後ろにひっくり返らないように気をつけて、ノーラが指差す方向を見上げる。だいたいの位置を把握し、その下へと移動する。
「どうだー?」
「んーっと……。ユカ、もうちょっと右。右ー!」
「へーへー」
すっかりノーラに操縦されている気分である。言われたとおりに少し右へと横移動する。ノーラが、ユカの頭に片手を置いて、もう一方を限界まで伸ばす。もぞもぞと動かれて、ユカは妙な気分になってきた。正直くすぐったい。
「よし、とれた!」
「じゃあ降ろすぞ。変に動くなよ」
「うん」
振り返ってゆっくりとしゃがみこむ。
ひょい、とノーラが離れていって、足に顔を挟まれているという状況から脱することができた安堵から、ユカは息を吐いた。なんか無駄に疲れた。
そんなことをユカが思っているとは露知らず、ノーラが満面の笑みを向けてくる。
「ありがとう!」
マーヤの実を手にして、ノーラがにこにこと笑って礼を言う。
そうやって感謝されれば、悪い気はしないのだけれども。
「……おまえさ、女なんだからよ、なんつーか、もう少し気にしろよ」
「何を?」
いそいそと果実を鞄にしまいこみ、きょと、と首を傾げるノーラには、まったく心当たりがないらしい。
いつものくせでジャーキーを懐から取り出そうとしたものの、食べる気力がわき上がらず、ユカは溜息をついた。
無防備すぎるノーラに対して、多少きつい仕置きをしても許されるような気がしてきた。
なにしろ、自分達は恋人同士であるわけだし、そういうことを教えるのも自分の役目というものだろう。
いってわからぬなら、実力行使。
「……いろいろと。それとも、」
いまだにわけがわからないといった顔をしているノーラに、ユカは無造作に手を伸ばす。それにもノーラは反応しない。ユカの一挙手一投足を、ただ眺める無垢な瞳。
そうして、伸ばしたユカの手の平は、吸い付くようにして、ノーラの胸へ張り付いた。
わかっていたことだが、ほとんどない。しかし、ユカにしてみれば、これすらもたまらなく愛しい。
改めて、好みと現実は合致しないものだと認識しつつ、ユカはぐいぐいとノーラの胸を無遠慮に、撫でるというより、押した。
まだノーラは反応しない。唐突なことに思考が停止しているのかもしれない。
「こんだけぺったんこなら関係ねえとか思ってんのか?」
「っ!?」
そこまでいえば、ようやくノーラが動いた。
弾かれたように大きく後ずさって、ぎゅっと自分の体を抱きしめる。白い肌が、みるみるうちに赤くなる。
その様子は、ちゃんと恥じらいをもった『女の子』の姿だった。工房の主でもなく、腕のたつ冒険者もでない、年頃の女の子。
「~~~っ! ユカぁぁぁ!」
「おおっと」
あまりに大きな声で叫ばれて、ユカはとっさに両耳を手で覆った。
遠のいた音が、己を責めたてるものだと理解しつつ、数秒後、そっと手を外してみる。
「ばかばかばかっ! えっち! すけべ!」
案の定、ノーラの口からは可愛らしい罵詈雑言が飛び出していた。まあ、当たり前である。
「恋人にたいしてあんまりじゃねーか?」
「そういうことじゃないでしょ?!」
ぷりぷりと怒るノーラが、は、と息をついた瞬間の隙をつき、ひょいとユカは近づいた。一瞬で、空けたはずの距離を詰められ、ノーラが息を飲む。
「っ、」
「とにかく、だ」
とん、とノーラの額を小突き、大きな緑色の瞳を覗き込む。
「オレはいいとしても、他の男にあんなことさせんな。そういうときはオレにいえ」
「あ、あんなことって……あたしの胸に触るの、ユカくらいじゃない」
「それは当然だろ。今いいたいのは、そっちじゃねぇ」
「……ええっと、もしかして、肩車?」
ようやく合点がいったらしいノーラが、可愛らしく唇を尖らせる。
「だって、あたしじゃ届かないもん」
出会った頃から、幾分か背も伸びてはいるが平均よりやや低めの身長では、たしかに難しいだろう。
「わーってるって。だから、そういうときはオレを呼べっていってんだ」
「なんでよー!」
むくれるノーラの頬を、ユカは摘んだ。このにぶちんが、と視線だけでノーラを諌める。
「おまえ、オレ様以外の男にそんなに足をくっつけたいのかよ」
「……」
なにをいってるのかよくわからないといった様子だったが、そこまで言えばすぐに顔色が変わった。
あっ、と声を漏らしたノーラが、じんわりと顔を染めていく。もじ、とスカートを握り締めながら、小さく頭を振る。
「……う、ううん。そっか、そう、だよね」
どうやら今の今まで、そういう視点から考えたことはなかったらしい。
「そーいうこった」
はうう、と困りきった声をだしていたノーラが、じとり、とユカを上目遣いで睨む。
「そこまでいうなら、これからはいつでも一緒にきてくれるんだよね?」
「……まあ、しゃあないだろ」
誰かにノーラを任せるくらいなら、面倒でも付き合うしかない。
頷けば、にへ、とノーラが笑う。
「約束だよ?」
「おう」
嬉しくてたまらないというその緩みきった笑顔に、つられてしまう。
ふいに抱きしめたくなって、手を伸ばしたそのとき。
遠くからキトの声が聞こえてきた。どうやら、休憩は終わったらしい。
ノーラとしても必要なものは揃ったのだから、そろそろ街に帰る頃合だろう。
当初の目的を果たせなくなった手の目的を、状況にあわせるように変更させる。
「よし、そろそろかえろーぜ」
「うん!」
ノーラの小さな手をとって、ユカは放牧地へ向かって歩き出した。
数日後――
「ユカ、いまから採集につきあって」
「え~、今日はオレ様のんびりしたいんですけどー」
自分のベッドの上で、だらけきった格好で寝転がりつつ古文書を読みふけっていたユカは、ノーラの提案に眉をひそめた。
だが、そんな反応も、ノーラにとってはどうでもいいらしい。
べしっと勢いよく尻を叩かれた。お前はオレのかあちゃんか、と思わず口にでかけたユカに、ぐっとノーラが顔を寄せてくる。
「朝からずっとごろごろしてるじゃない! ほら、起きて! このままだとカビ生えちゃうよ!」
「……」
あまりにもひどいいいよう。反論する気もなく、ユカは枕に顔を埋めた。
「昨日まで遺跡こもってて、だりぃんだよ」
いやいや、とむずがる子供のように言い訳をすれば、はあ、と溜息が降りかかる。
ノーラが離れていったことを気配で察しつつ、ユカはちらりと顔をあげた。
むう、とした顔でノーラが腕組みをして立っている。
「じゃあいいもん、オクトーヤさんたち誘うから。肩車じゃなくてもおんぶか抱っこで、採集するならいいよね」
べーっだ、と可愛らしく舌をみせ、ノーラが身を翻す。
置き去りにしていくそのスカートを、ユカは無意識のうちに捕らえた。
「なによ。いきたくないんでしょ?」
ぺちぺちとユカの手を叩き落そうとするノーラの冷たい声と視線に、ユカは観念した。
「しゃあねえなあ……わかったわかった」
名残惜しく指の力を抜けば、ひらりと裾を翻したスカートがあるべき位置へともどっていく。
のろり、と体を起こした瞬間。
「ありがと!」
「おっと」
満面の笑みで抱きつかれ、ユカは腕を回してそれを支えた。
「今日は、アロの樹海までよろしくね」
「げー、結構遠いな」
「文句言わない!」
「へいへい」
そのままノーラごと寝台に寝転がりたくなる欲求をおさえこみ、ユカは立ち上がる。
外に出る準備をしようと、レイピアやコートに手を伸ばしつつ、思う。
――優位に立ったつもりだったが、逆にノーラの立場を強くしてしちまったんじゃねーのか?
「ユカ、はやくいこ!」
「……おう」
ふと、ユカの脳裏にそんな考えが過ぎるが、ノーラにせかされたユカは思考を放棄して、のろりと歩き出す。
尻に敷かれつつあるという事実から目を背け、ユカはコートを羽織ながら、ノーラに続いて扉をくぐる。
でもやっぱりなんか癪だな、と思ったので。
とん、とノーラの肩を背後から叩く。
なあに、と無防備に振り返るノーラへと顔を寄せながら、また怒るだろうなぁ、と数秒後の姿を思い描きつつ。
ユカは、ノーラの唇を先払いの報酬として、奪った。