「なんだこりゃ」
せっせと目の前の作業を続けていたノーラは、ふいに聞こえてきた声に顔をあげた。
みれば、工房に続く扉を開けた姿で立ち尽くす背の高い男が一人。それが誰かを確認したノーラは、自然と顔を綻ばせた。
「ユカ! 前に頼まれてたジャーキーならできてるよ」
手を払いつつ、先日の依頼がすでに仕上がっていることを伝えつつ、ノーラはユカに近づく。
ジャーキー中毒患者ともいえなくもないユカが、嬉しそうにへらっと笑う。
「お、あんがとな。あとでもらってくわ」
イサルミィでも買うことはできるジャーキーだが、ユカはノーラの工房で作ったものが一番おいしいといってくれる。
それは純粋に嬉しい言葉であったし、それを裏付けるようにユカはノーラの工房にだけ注文をしてくれる。
きちんと支払いもしてくれることだし、いい常連様だ。
そんなユカが、ついと視線をノーラがやってきた方向へと向ける。
「で、どうしたんだよあれ。なんかのまじないか?」
ああ、とノーラはユカにつられるように、ついさきほどまで作業していたものを見遣る。
庭のほぼ真ん中あたり。ケケとコッコのためのタンベリーや果樹と並ぶように置かれているのは、大きな鉢植えだ。
そこに植えられているのは、ノーラの背よりも高いが森の木々にくらべれば赤ん坊ほどの大きさである木。太陽の光を浴びる緑の葉は瑞々しく、生命の息吹を空に伝えるように伸びた枝も、若々しく美しい。
今は、その枝のあちこちに、細く縦長に裁断された紙や、手作りの飾りがぶら下げられている。
へへん、とノーラは胸を張る。
「タナバタのササ飾りだよ!」
聞きなれない単語が続いたのか、ユカが眉を潜める。
「……タナバタ? ササ?」
どこかたどたどしく繰り返すユカに、ノーラは首を傾げた。トレジャーハンターをやっていることもあって、ユカの知識量は幅広い。そんな彼が不思議そうにしていることがなんだか意外だ。
でも、なんとなく可愛い。ユカに教えられることがあるのだと思うと、妙に嬉しい。
「きいたことない? ええとね、遠い東の国のことらしいんだけど――」
ノーラは、祖母からの手紙に書いてあったお話を思い出しつつ語る。
東の果てのとある国。
その地の天を治める神様の娘がお年頃なので、神様は立派な牛飼いの青年とひきあわせた。
しかし、結婚したのち、娘も青年もお互いに夢中になって、神様より任せられた仕事をすることを忘れてしまった。
怒った神様は二人を引き離し、行き来できないよう、大きな星の川の東西に住まわせた。
だが、夫である青年を想い泣き続ける娘をみた神様が哀れに思い、一年に一日だけ、会うことを許した。
その日を、タナバタという。
「っていうお話だよ。それにあわせて、お祭りするんだって」
「異国の御伽噺ってとこか」
「たぶんね。あたしも、おばあちゃんの手紙で知っただけだし、ちょっと違うとこあるかもだけど」
興味深そうな顔をしてきいていたユカが、くい、とあごで鉢植えを示す。
「でもよこれ、霧の森にあるちっこい木、鉢植えにしただけじゃねーか? これがササか?」
なんか違うんじゃねぇの? と疑うユカは、さすがに勘が鋭いと褒めてもいい。けろっとした顔で、ノーラは答える。
「だって、あたしササなんてみたことないもん。だいたい、東の国のお話なんだから、植物も違って当然でしょ。とりあえずこれでいいじゃない」
実際のところ、種を大きな鉢に蒔いて、導刻術で成長させている。いろいろと間違っているが、要は祭りごととして楽しめればいいのだ。
「いい加減すぎんだろ。まあいいけどよ。んで、この紙は?」
さくさくと草を踏みしめて木に近づいたユカが、手近にある紙をつまむ。
「ええとね」
そのあとを追うようにして駆け寄って、ノーラはユカの手元を覗き込む。
「こうやって、タナバタの日に縦長に切った紙に願い事を書いて吊るすと、叶うらしいよ」
「なんでだよ」
「え」
顔をあげると、意味わからんというような顔をしたユカが見下ろしていた。
「タナバタがそういう話っつーのはわかったけどよ、なんで願いが叶うんだ? 関係なくね?」
「……そーいわれれば、なんでだろ」
ノーラは頭をひねる。手紙にはそんなことまで書いてなかった。祖母も、その理由を知っているのかはあやしいだろう。たまたま旅の人とお茶をしたときに聞いたとものであるらしいし。
「うーん……二人が願い続けたことが叶う日に便乗、とか……」
自分でいっていてあれだが、なんか違う気がする。
むむむ、とノーラは眉根を寄せて考え込むが、それっぽいことすら思いつきそうにない。
「ふーん。まあ、べつにいいけどよ」
「それならあんまりつっこまないでよ、もう」
待っている間に面倒になったらしく、適当な相槌をうちつつ、ユカが赤い紙をひっくり返す。
「どれどれ……『タンベリーの実をおなかいっぱいたべたい!』……ケケか」
「あたり!」
名前をみずとも、誰が願ったのかわかる内容に、ノーラは声をあげて笑う。
続いて、ユカがその近くにある青い紙をとる。
「こっちは……『商売が上手くいきますよう――それから、おいしいタンベリーがたくさん手に入りますよう』……あー、庭でみかけるちっこいやつか?」
「あはは!」
小さく書き足されたものは、いつもクールなコッコでも譲れない願いのようだ。というか、どれだけ好きなのタンベリー。
くすくすと笑うノーラのすぐそこにある薄い水色をした紙に、ユカが手を伸ばす。
「えー……『みんなが幸せでありますように』……メロウだな」
「やっぱりわかる?」
いつも穏やかで優しくて、やわらかに微笑むメロウらしいと、ノーラも思っていた。
「えー、『おじいちゃんの頑固が治りますように』……そりゃ無理だろ、アイラ」
「前よりは随分よくなったのにね」
テンペリナにきたころの頑なさは幾分か和らいだものの、のらりくらりと日々を過ごしているようにしか思えないらしいユカに対して、町長の説教が炸裂しているのはよくあることだ。
だが、ユカは持ち前の交渉術でも駆使しているのか、それもひらりとかわしてしまうのだからすごい。
そういえば、町長は願い事を書いてくれるのだろうか?
今ごろ親しいものを中心に、声をかけまくっているだろう様子を思い浮かべつつ、ノーラはいう。
「いまね、街のみんなの分をケケたちが聞きにいってるの」
飾りを詰め込んだ木箱の中から、一枚の紙を手に取る。
「ユカも書く?」
小さく首を傾げ、薄紫色の紙を差し出せば、なんだか皮肉気に口元をゆがめてユカが笑った。
「願い事、ねえ」
ありそうな気がしたのに、思ったよりも食いつきが悪い。遺跡ですっごいお宝が手に入れられますように、とか。宝の地図が手に入りますように、とか。そんな、トレジャーハンターとしての憧れを願いにしてもいいのに。
あまりにも不思議そうな顔をしてしまっていたのか、ユカが大きな手でノーラの頭を撫でる。
「や、もう!」
くしゃくしゃとされて目をつぶった隙に、ぴっと紙がノーラの指から引き抜かれた。
目をあければ、ぴらぴらと子供が遊ぶように、ユカが紙を振っている。
「借金帳消しにしてくれるんなら書いてもいいけどよ」
「それは自力でどうにかしようよ……」
乱れた髪をなおしつつ、ノーラはじっとりとユカをみつめた。
わざとらしい仕草で、ユカが肩を落とす。
「つかえねぇなあ~」
「もー」
やる気をだせば、あっというまに返済できるくせに。トレジャーハンターとして復帰してから、数々の遺跡探索を共にしてきたノーラには、ユカの実力がよくわかっている。それでもツケで酒を飲むのは、もう癖ということなのかもしれなかった。
ダビーさんも苦労するなぁと、ノーラは同情した。
「とりあえずあとででもいいから、何か決まったら書いて」
「おー。……なんだよ?」
気のない返事をしつつ上着のポケットへと紙を突っ込んだユカの腕を、ノーラはがっちりと掴む。
不審げな表情を浮かべるユカに、にんまりと微笑む。
「じゃあ、いいところにきてくれたことだし、手伝って!」
「手伝うって何を」
これ、とノーラはたぶんササ飾りと称したものの天辺を指差した。
「うえのほう、あたしじゃ手が届かないんだもん。これとか、飾り付けてよ」
爪先立ちをしてもどうしようもないのだと訴えれば、木とノーラを交互に見遣ったユカが、息を吐いた。
「……しゃーねえなあ」
「えへへ、ありがと! お礼に、ジャーキーの代金半分でいいよ」
「マジか! よしまかせろ!」
ジャーキーという単語を聞いた瞬間に輝いたユカの顔と、こぼれんばかりに溢れ出したやる気に、ノーラは噴出す。あまりにも現金すぎて、おやつをちらつかせた大型犬のようにみえたのだ。失礼なので言葉にはしないけれど。
「じゃあ、これお願いね」
くすくすと笑いながら、ノーラは小さな星形をした飾りを、ぽん、と手渡した。
夜空には、ちらちらと金に銀に、ときに赤く、ときに青く輝く星たちの河が、くっきりと浮かび上がっている。それはまるで、恋焦がれあう恋人たちを祝福するよう。
きっと今頃、引き離された夫婦は、天で幸せな逢瀬を過ごしていることだろう。
工房の庭先で夜風に揺れる木を見上げて、ノーラは頬を緩ませる。
ケケとメロウが街にいってくれたおかげで、木には色とりどり千差万別の願いが下げられてる。紙でつくった飾りや、これもあれもと持ち寄られた季節はずれな飾りですごいことになっている。これが本来のササ飾りかといわれれば、はなはだ疑問ではあるが――まあ、楽しければいいのである。祭りは賑やかなほうがよいものだ。
んー、と背伸びしながら、ノーラは自分に届く精一杯の位置に紙を結びつけた。
残った白い紙には、ノーラの願いがこめられている。
どうか、この願いたちが、無事に天に届きますように。
手を組んで小さく祈り、満足したノーラがゆっくりと振り返って、家にもどろうとしたとき。
屋根の上に、淡い光が灯っているのがみえた。そこにまるで星がひとつ落ちてきたような、そんな輝きで揺れている。
あれ? と思いつつ、ノーラは歩く。
夕食をともにして後片付けもすんでから、最後に自分の願いをさげにいくと庭にでたときには、みんな揃ってまだ歓談していたと思うのだけれど。
そうして扉を開ければ、はしゃぎ疲れたのかすやすやと眠るケケと、そんな彼を膝の上で抱くメロウがいた。
見回すが、ユカの姿はない。どうやら屋根にいるのは彼のようだ。なにをしているのだろうと、ノーラは単純に疑問に思う。
「眠かったら、先に寝ててね」
夜更かしというほどでもないが、そろそろ二人は眠りにつく時間帯である。家の片隅にあるベッドを示せば、メロウが微笑んで頷いた。
「ええ。わかったわ~。おやすみなさい~、ノーラ」
小さく手を振ってくれるメロウに手を振りかえし、ノーラは屋根裏へと続くはしごに足をかけた。
上りきれば、チーズ棚の向こうにある屋根へと続く窓が、開け放たれていた。
その桟に、赤と橙色を混ぜたような光を灯す、ランプがひとつ置いてある。ひょいとそこから顔をだして見回すと、すぐそこにユカが腰をおろしていた。
「ユカ? なにしてるの?」
ジャーキーを口の端から覗かせつつ、深い藍色の空を見上げていたユカが、ちょいちょいと手招きする。
「おー、ノーラ。おまえもこいよ」
「……うん」
わずかに躊躇ったものの、ノーラは頷いて、窓に手をかけた。よいしょ、と声をかけつつ足をかけ外にでれば、裏庭より幾分か冷たい夜気に包まれる。
足元に気をつけつつ、ノーラはユカのもとへと向かう。なんとか転ばずに傍までたどり着き、おそるおそる腰を下ろす。
「で、なにしてるの?」
最初の問いを繰り返せば、ユカがすっと夜空に目を向けた。どこか皮肉気な笑みを刻む横顔を、ノーラはじっとみつめる。
「星に願いをってか?」
疑問に疑問で返すのはよくない。しかも自分の行動に疑問に思っているのはどういうことか。
むー、とノーラは口元に手を当てて首を傾げる。
「ええと、つまりは、お願いあるってこと? いまからでも書く?」
街のみんなの紙をくくりつけたり、飾りをつけるのを手伝ってはくれたが、結局、ユカが願いを紙に記すことはなかった。
夜になり、この満天の星空をみて、もしかしたら気が変わったのかもしれない。
が、そんなノーラの考えを、ユカは肩を竦めて一蹴した。
「神様なんつーうさんくさいもんに頼まなくても、叶えてもらうからいいんだよ」
「えー、なんなのよ。誰に叶えてもらうわけ?」
そんな力をもつ人が身近にいるなら、こちらこそ頼みたいものだ。とはいえ、工房の経営は順調だし、健康状態に不安はないし、街の人たちとの交友にも問題はない。
となれば、やはりノーラが願うのは、さきほどくくりつけたあれしかない。
満たされているなぁと、自分の幸福をノーラがしみじみと噛み締めたとき。
「ノーラ」
いつの間にか空から視線を引き戻していたユカが、名を呼んだ。
「な、なに?」
それがあまりにも真剣なので、ノーラは思わず肩を跳ねさせ、わずかに居住まいを正した。
「怪我すんな」
「え」
なんのこと? と問い返す暇もなく、さらにユカはいう。
「病気もすんな」
「えと、ユカ?」
急にどうしたというのだろう。いつもの飄々とした様子ではなく、まるで別人になったかのように語ってくる。
「ここからどこにもいくな」
「ちょ、ちょっと……!」
一度にいろいろいわれても、意味がわからない。止めようと手を伸ばそうとするが、それはユカに絡めとられた。
いきなり手を繋がれて、ノーラは顔を赤くした。ユカがなにをしたいのかが、さっぱりわからない。
こういうとき、どうしたらいいのかなんて、そんな経験の乏しいノーラには判断のしようがない。
でも。
「オレより先に、死ぬな」
「……」
それが必死で、真剣な願いであることは、痛いほどに伝わってくるので。
ん、と息を飲んだノーラは、大きく見開いた瞳でユカを凝視した。
星明りの下、わずかに苦笑するユカは、ひどく不安げで、置いていかれることを恐れる子供のようだ。
からかっている様子ではない。本気でそう思っているということは、これまでの付き合いから判別できた。
ここで、ノーラはようやく息を吐き出した。入れ替わって体内に滑り込んだ夜の空気が、少し火照った身体に心地よい。
「ユカは、あたしにおいていかれたくないってこと?」
「……」
この場所に、この世に、一人取り残されるというのは、たしかに怖いだろう。誰だって、そうだ。
問いに対する応えはないが、ユカが黙っていることこそが肯定だと、ノーラは思った。
「でもそれじゃあ、あたしがユカにおいてかれちゃうよ」
そうなった場合の当然の結果を伝えれば、ユカが「そーいわれれば……」というような顔をして腕を組む。
ね、とノーラはその気づきを後押しする。
「そうすると、あたし寂しいんだけど?」
ユカの願いを聞き届けたら、ノーラのほうがひとりぼっちになる。ユカはそうしてくれというのだろうか。
不満げに唇を尖らせながらも、どんなふうにユカはこたえてくるだろうかと、ちょっとわくわくしながら顔を覗き込む。
と。
「じゃあ、オレ長生きするわ。そんで、オレが死んだら次の日に死んでくれ」
あっけらかんと、満面の笑顔でそんなことをいってきた。
一瞬、あっけにとられたノーラだったが、ぷ、と噴き出した。というかもう、笑うしかない。
「もー、無茶いうんだから!」
けらけらころころとノーラは笑いながら、目元に滲んだ涙を指先で払う。
「うん、わかった! そのお願い、叶えてあげてもいいよ」
お、と意外そうに目を丸くして、すぐに顔を緩めたユカに、「ただし!」とノーラは指先を突きつける。
「でも一年のうちに叶えられるのは一個だけだから、その中から今年のぶん選んで!」
「なに?!」
驚愕するユカに、ノーラは「甘い甘い」といわんばかりに、立てた人差し指を左右に振る。
「当たり前でしょ」
「ケチくせえ!」
無茶なお願いをしているという自覚がまったくないユカの非難に、ノーラは仕方ないでしょと肩を竦めた。
「あたし神様じゃないもん」
「いやまあ、そりゃそうだけどよ~……あ~……」
どれにすっか、どうすっかと腕組みしたまま眉根を寄せて悩むユカに、くすくすとノーラは笑った。
「でもおかしいね」
うんうんと真剣に考え込むユカに、さきほど括り付けてきた自分の願いを思い出しながら、言う。
「あ?」
不思議そうな顔に向かって、にこり、と幸せな笑顔を向ける。
「あたしも、にたようなことお願いしたよ――ユカが、元気で一年いてくれますようにって」
結局のところ、お互いに相手のことを想う願いをしている。
ん、と虚を突かれた表情を浮かべたユカが、数瞬の後、くしゃりと子供のように笑った。
「……は、しょうもねえの」
結局は似た者同士、ということなのだろう。
だからこそ、惹かれたのかもしれない。
ふわ、と温かなものが手を覆う。目線をさげれば、ユカの大きな手がそこにあった。
それを握り返し、ちょこちょことユカに近づいてノーラはその肩へと、寄りかかるようにして頭を預ける。
そして、空いているほうの手を伸ばす。
「とりあえず、ジャーキー食べすぎないように控えたら? 塩分とりすぎじゃない?」
「ほっとけ!」
「あははっ」
掴める肉がほとんどないユカの無防備な腹を撫でると、そんな叫びが返ってきた。
屋根の上ということも忘れて、賑やかにじゃれあう。
みあげれば、さらさら流れるような天の川。
どうか、来年も、再来年も、大好きな人と一緒に見上げることができますように。