遠い日に約束を

「では失礼いたします、大僧正さま」
「はい。よろしく取り計らって下さい」
 日ごろから世話になっている竜人の翁は、小さな体をさらに小さくなるように深くお辞儀をし、去っていく。
「ごめんごめん、またせたね」
 自分たちの会話が終わるのを待っていてくれたハンターに、詫びながら振り返る。
 いいえ、と気にしないで下さいと笑った彼女が頭をふると、短い銀色の髪が星が宿ったように煌めく。
 以前に彼女が種まきをしていった花の成長ぐあいをみていたらしく、さほど退屈ではなかったようだ。
 ぽかぽかと心地よい陽光の下、畑を囲うようにつくれた石垣に並んで腰掛ける。石はほどよくあたためられていて、気持ちがいい。天空山から吹く風は、今日は穏やかで、どこか優しかった。
 先日からこの村に滞在しているハンターと、さてなにを話そうかと視線を向けると、にっこりと笑われた。はて、と思っているとハンターがいう。
「長老さんって小さいですよね、可愛い!」
 これはまた予想外の言葉である。青年は細い目を瞬かせた。
 大僧正という地位を引き継いだばかりであるし、長老のことは頼りにしている。とてもよくしてくれて、このうえなく感謝している。そんな彼の翁を、そんなふうに思ったことは一度もなかった。
「長老さんのお父さんとかお母さんも、あんな感じだったのかなぁ~」
 もう随分と遠いところにある丸く小さな背をみつめながら、ハンターは無邪気に笑っている。
 青年は、うーん、と首を傾けた。可愛い可愛いと連呼している彼女に告げてもいいものか。でも、勘違いしていそうな気がしたので、やはり伝えることにする。
「長老さんは、別にもともとああだったわけじゃないよ? ご両親も……僕は知らないけれど、そうではないと思う」
「えっ?! そ、そうなんですか?」
 ああ、やっぱり。
 目を見開いて驚くハンターに、青年は小さく苦笑した。
 きっと、生まれてからずっとあんな感じなんだろうと思っていたのだろう。
「長老さん、今の僕くらい身長があったって、前にいっていたよ」
 これでも昔はモテたのですぞ、とお酒がはいったときに自慢げに胸を張っていたのを思い出す。彼にも青春時代はあったのである。
「へえ~。じゃあ、皆さん縮んじゃうってことなんですか……不思議ー」
 人間も小さくはなるけれど、劇的に小さくなるわけじゃない。そう見えるのは腰が曲がってしまったりした場合などだ。竜人のように、骨格そのものが大幅に縮むということはない。
 それは竜人にしてみれば自然なことだけれど、人間である彼女がそのことに詳しいはずがない。だけれど、それほど驚かれると、妙に新鮮な感じがした。
「そういうことになるね。僕たちには当たり前のことだから、そんなふうに不思議に思ったこと、なかったなぁ」
「でも、こーんなに背の高い大僧正さまが、あーんなに小さな長老さんみたいなるなんて、信じられないです」
 片手を高い位置に、もう片方の手を低い位置に伸ばし、ふふふ、と笑うハンターの脳裏にはどんな自分が描き出されているのだろう。
「大僧正さまがあんなかんじだったら、ぎゅってしやすいのになぁ」
 そのぶん、青年からしてみればハンターを抱きしめやすくて助かっているのだけれど。それは言葉にはせず、青年は笑う。
「ははは、そういえば、たまに長老さんのこと抱きしめてるね」
「えへへ~、怒られることも多いんですけどね」
 年頃の娘がはしたない! と、長老の真似をするものだから、おかしくてたまらない。
 そうして、どこか照れたように目を伏せやハンターは、もしかしたら小さいものが好きなのだろうかと、ふと思う。
 ふむ、と顎に手を当てて僅かに考えこんだそぶりをして、青年は悪戯っぽく微笑んだ。
「じゃあ、僕が小さくなった頃、あんなふうに抱きしめてくれる?」
 ずっと遠い未来のことだけれど、もしもそうしてくれるなら、歳をとるのもまたひとつの楽しみになるだろう。歳をとった彼女に、おなじく歳をとって小さくなった自分を膝に乗せて抱いてもらいながら、いまのように日向ぼっこをするのも悪くない。
 そんな、他愛のない気持ちが紡いだ問いかけに、ゆるりと顔を向けなおしたハンターが、笑った。
「やだ、大僧正さまったらー! その頃には、あたしいませんよ!」
 あっけらかんとした寂しい言葉が、青年の胸に突き刺さる。冷たい刃が、温かい懐を切り裂いていく。
 あんまりにもいい笑顔を向けられているものだから、一瞬、何を言われたのかわからなかった。だから、反応が遅れた。
 ハンターの声が、頭の中に木霊する。意味はわかっている。だけれど、理解が追いつかない。噛み締めるように何度も何度も、彼女の言葉を繰り返す。
 ああ、ああ――そうか、そうだった。この楽しくも幸せな時間は、永遠ではない。
「――そう、だね、とても残念だよ」
 なんとか笑みを作った自分は、彼女にどうみえているのか、少しだけ怖くなった。いつものような顔ができているといいのだけれど。
 苦しくて、視線を畑に向けなおす。ゆっくりと息を吐き出すと、体全体が小さく震えた。
 どうして、忘れていたのだろう。彼女は、人だ。
 わかっていたのに、考えたくなかったのだろうか。彼女が、自分より先に死んでしまうという悲しくも当然な現実を。
 急に自分たちの間に、深く暗い大地の割れ目ができた気がした。いや、出会ったときから、それはあったのだろう。見えないふりを、忘れたふりを、していただけで。
 ハンターは、心中複雑極まりない青年から、視線をはずした。
 青年が大地をみつめている傍らで、彼女の青い瞳は、それによく似た色合いの大空をみあげる。高く遠く、未来の先まで見晴るかすように。
「あたしのこと、たまに思い出してくださると、嬉しいです」
 訥々と、ささやかな願いを口にするハンターの横顔を、青年はなんともいえない気持ちでみつめる。とても綺麗で、どこか儚い。
 ハンターが死んだあとも生きる自分への言葉が、両の肩に妙に重く圧し掛かってくる。それが自然なことであるはずなのに、彼女がいない未来には違和感しか覚えない。
 いつの間にかこんなにも、彼女がいる世界が当たり前になっていた事実に、恐怖した。青年は、少し青褪めた唇を震わせる。
「……うん、お酒を飲みながら、シナト村を救ってくれた君や、我らの団の皆のこと……話をするかもしれないね」
 君のその輝きを忘れることなど決してない。この胸に鮮やかな恋の花を咲かせていった君を、忘れられるわけがない。
 そういえたならよかったのに。でも、それをいってしまうと、彼女は自分のもとから去ってしまう気がした。にっこりといつものように笑って、お別れをいわれてしまう気がした。そうして、幸せを祈られる気がした。
 記憶には残っていたいけれど、それで誰かの人生を縛ることは、この風のようなハンターは決して望まないだろう。今重なり合うこの時間を大切にしたいと、きっと彼女はいうのだろう。
「えへへ、そうだったら嬉しいなぁ」
 どうして、たったそれだけのことで、そんなに幸せそうな顔ができるのか。軋む胸にそっと指先を添えたとき。
「あ、でも、大僧正さまが小さくなったころには、あたし生まれ変わってるかもです!」
 ぽん、とハンターが胸の前で手のひらを重ねて、唐突にそんなことをいった。
 え? と声を漏らす暇もなく、どこか興奮気味にハンターは青年へと向きなおってさらにいう。その勢いに圧され、青年は口をつぐむ。
「おばあちゃんがいってたんです! この世界の生きものはぜーんぶ、うまれて、生きて、そうして死んで、魂だけになって世界をめぐって――それで、またうまれるんだよって!」
 なんだかシャガルマガラに似てるかもしれませんねー、と暢気にいうハンターになんといえばいいのかわからない。反応できずに固まっている青年をよそに、彼女は軽やかに歌うように言葉を綴る。
「えっと、だから、そうしたら会いにきますね!」
「……」
 瞬きすら忘れ、呼吸もできず、ただ隣に座り大きな約束を高らかに宣するひとをみつめる。胸は、さきほどまでの痛みではない、別の痛みを訴えてくる。愛しさが、ゆるゆると甘い毒となって全身に回っていく。
「それで、大僧正さまのこと、力いっぱいにぎゅってします! 約束しましょう!」
 こーんな感じに、としなやかな腕でなにかを抱きしめる仕草をする。そこにいる、遠い未来の自分を想像できない。
 でも。
「……そう」
 青年は、やわらかに微笑んだ。
 人間と竜人は、生きる時間も違えば、考えかたも違う。神という存在を崇拝する文化や、輪廻転生という概念も、竜人は有していないのだ。
 だけれど、いまはその言葉を信じたいと心から思った。
「待っているよ」
 万感の思いをこめた遥か遠い約束が、ここに成る。
 いつの日にか彼女がこの世界から消えても、これで自分は彼女を待つことが出来る。ずっとここで、待ち続ける。
 重くはない。むしろ、なにより貴い枷に繋がれたことが、嬉しい。
 そこまでは考えていないのかもしれないハンターが、大きく頷く。
「はい! だから、いーっぱい長生きしてくださいね!」
「うん」
 そうして差し出されたのは、ハンターの手。小指だけが、ちょこんとたてられている。
 このシナト村の子供たちがよくやっている、拘束力なんてなにもない可愛い儀式をねだられていると、すぐにわかった。きっと、彼らと遊ぶうちに覚えたのだろう。
 きらきらとした瞳に促され、青年は自分の小指をそっと絡めた。
「ゆびきり、……ええっと……」
 元気よく言い出したのはいいものの、その先が出てこなくなったらしく、ぴたりと動きを止めるハンターに、青年は小さく噴出した。
 ゆるゆると繋いだ小指を上下させながら、その続きを教えてあげる。
「げんまん、だよ」
「そう、それです! ゆびきりげんまん、です!」
 ゆびきったー、と無邪気きわまりなく小指を離されて、ちょっと寂しい。ぐ、と約束だけは離れていかないように、きつく拳を握り締める。
「ところで、ちゃんと意味わかってるのかな?」
「えっ!? ……ええっと、よくわかってない、です」
 至極満足そうな顔をしていたハンターの目が、あちこちに泳ぐ。しゅん、と肩を落としたかと思ったら、素直に白状してきた。可愛くて、笑いが止まらない。
「ああ、やっぱり。げんまんっていうのはね、拳で万回おしおきするよ、っていう意味なんだ」
「え」
 ひく、とハンターの頬が引きつった。まさかそんな意味があるなんて、思っていなかったのだろう。だいじょうぶ、だいじょうぶ、とそんなハンターの頭を優しく撫でる。
「もし約束がかなわなくても、僕はそんなことしないから。でも、そうだね――そのときには、君に万回の口付けをしてもらうことにしようか。うん、それがいい。そのときには、僕が君を探すよ」
 もうすでにこの世界にいない人に、どうやってそんなことをしてもらうというのか。竜人にとっては、荒唐無稽な話だ。人間だって、そんなことできやしないと笑う者がいるだろう。
 だけれど、彼女が自分のところにきてくれるというのなら、自分が彼女のところにいくと、言ったっていいじゃないか。そんな夢物語を、彼女のように語りたかった。
「!」
 多々純情なところのあるハンターが、真っ赤になる。数え切れないほどの口付けなんて、できないとでもいうように、慌てている。
 心が満たされるその反応に、青年はにこにこと笑って続けてやる。
「どっちにしても僕が得なことばかりだね。ああ、歳をとるのが楽しみになってきたなあ」
「だいそうじょうさまっ!」
 照れ隠しなのだろう。ぺちぺちと力なく胸元を叩いてくるハンターを引き寄せ、抱きしめる。しばらく暴れていたハンターだったが、やがて観念したらしく身を任せてくる。
 懐深く抱いて、その銀の髪にそっと唇を寄せる。ぴく、と肩を跳ねさせたハンターが、むずがるように頭をさげた。顔をみられたくないのかもしれない。
「う~……、ぜったいに来ますからね……」
 くぐもった声で決意を語る彼女の背を撫でる。
「……うん、待っているよ」
 もしも、その約束が果たされることはなくとも、僕はここで君を待とう。
 青年は穏やかな気持ちで、彼女を抱きしめる。
 穏やかな陽の光、優しい風。そして、愛しい人のぬくもりを、長い時間の果てに忘れてしまわないように――

 

 

 ――は、と意識を取り戻す。
 どうやら、心地よい日差しに誘われて、少しだけ、夢の世界にいってしまっていたようだ。
 うつらうつらとしていた場所が、果たされるかどうかわからない約束の舞台であったせいも、あるのかもしれない。
 ここからみえる景色は、変わらない。だけれど、時間だけは確かに過ぎ去っていった。幾度、季節は巡り、何度、風は吹いただろう。
 彼女はまだ、旅からかえってこない。今は、どんなところにいるのだろう。はやく会いたいと心から思う。あの笑顔が、どうしようもなくみたかった。
 だけれど、彼女が願ったような生き方をしなかった自分は、もしかしたら怒られてしまうのではないだろうか。でも、後悔はしていない。
 もしも怒られたのならば、胸を張っていってやろう。僕の伴侶は君だけなのだからと。
 うっかりすると、落ちてしまいそうな石垣の上で、息を漏らしながら体の力を抜く。
 花に止まった蝶が、ゆるやかに翅を上下させるように、視力の衰えた目で瞬きを繰り返す。
 また、眠くなってきた。
 ぱたぱたと、いくつもの軽やかな足音が響いてくる。懸命におちてくる目蓋を開けば、村の子供たちが駆けていく。と思ったら、こちらに向き直って、いっせいに頭をさげた。
「「「ちょうろうさま、こんにちは!」」」
 重なる元気いっぱいの挨拶に、ゆるゆると皺だらけの頬を動かして微笑む。声が、なかなかでない。うんうんと、なんとか頷いてやれば、子供たちは満足したように笑って、また元気いっぱいに走り出した。
 彼らと同じくらい、否、それよりも小さくなった自分は、いつ抱きしめてもらえるのだろう。いくらもどかしくても、ただ待つことしかできない。
 また押し寄せてくる眠気に、逆らえない。まるで、ゆらゆらと水面を漂う木の葉にでもなった気分だ。
 吹く風は、あの日のようにひどく優しく。降る陽光は、あの日のように穏やかだった。ただ、彼女はいない。それが残念でならない。
 どのくらい、そうしていたのだろうか。
 地面を靴底が擦るような音が聞こえた気がして、薄く視界をひらく。
 てっきり、さきほどの子供たちがきたのかと思ったが、違う。視線を、緩慢にあげていく。
 村ではみかけない靴に包まれたつま先、そこからすらりと伸びた足、身につけられた防具が光を反射している――それらをとらえるにつれ、目が勝手に見開かれていく。
 淡い光に包まれてたつその姿を、一度たりとて忘れたことはない。
 常に死と隣り合わせのハンターでありながら、そのことを微塵も感じさせないような、花によくにたその笑顔は、なんどもなんども願ったそれそのもの。
 枯れかけた身体にわずかに留まる水が、熱く目を濡らしていく。
「ああ……今回は、随分と長い旅だったね」
 さきほどでなかった声が、するするとでてくる。
「おかえり」
 手を伸ばす。それはかつて、彼女を抱きしめていたもの。
「ずっと君を、待っていたよ」
 応えるように伸ばされたしなやかな腕が、わずかな命だけを灯す身体を包み込んでくれる。
 これは現実なのか、それとも夢幻なのか。儚い約束だけをよすがにしていた老人には、もう、よくわからなかった。ただ、満たされる感覚だけは間違いようがなかった。
 ああ、幸せだと――心から思う。
 春の陽だまりのようなそのぬくもりに、忘れかけていた喜びの涙をひとつこぼしながら、かつて大僧正と呼ばれた者は静かに目を閉じた。