杭を打ちつける音が、鈍くあたりに響いていく。一本一本丁寧に、決して揺らがないよう、倒れないとようにと、念入りにその先端を大地にうがつ。
 そうして、畑の周りへ均等にうちこんで支柱をつくり、その間に適当な材を渡して落ちないよう荒縄でしっかりとくくればば、柵の完成だ。
 ぐるりと視線をめぐらせてその出来栄えを確認し、青年は笑う。
「これで大丈夫そうだね。手伝ってくれてどうもありがとう」
「いいえ、お役に立ててよかったです!」
 にこ、と笑うハンターに、青年の中に生まれていた疲労感がやわらぐ。
 ハンターの頬についていた泥を手ぬぐいで拭ってあげたあと、ここからみえる範囲すべてを確認するようにあたりをみまわす。
 村の各所での修理は、終わった頃合だろうか。もしもまだのようならば、手伝いにいかねばならないだろう。でもひとまずここは終わったのだから休憩をしてからにしようか。
 うーん、と考えをめぐらせる青年の足元にある壊れた柵の一部を、ハンターがひょいひょいと拾い上げながらいう。
「昨晩はすごい風でしたもんね」
「そうだね、あんな大風は久しぶりだったよ」
 つねに穏やかさを湛えた顔を曇らせて、青年は眉をさげた。
 昨日の夕方あたりから天候が荒れだしたため、警戒はしていたのだが――夜が明けるといろいろなものが吹き飛び、村中の家屋が損傷したりしていた。
 ハンターたちの移動手段兼拠点でもあるイサナ船も、多少の影響があったらしい。しかし、ハンターは夜が明けてから早々に動き出した村人たちの手伝いを、率先しておこなってくれた。
 お世話になった人たちを助けるほうが先だと言い切るあたり、ほんとうにお人よしだ。
 村人たちに修復の指示をだし、作業の目どころがついたところで、青年とハンターは畑の柵を修理していたのである。
 野菜の収穫をはやめておいてよかったと思う。しかし、ここ数日に芽生えた野菜の種は、あるものは風に吹き飛ばされ、あるものは柵の下敷きになってしまった。
「きちんと柵の確認をしておけばよかったよ。可哀そうなことをしてしまった」
 青年はしゃがみこむと、足元で無残に千切れ倒れた若芽をそっと手で包んだ。あとで改めて耕したときに、次の作物への力となってほしいと願う。
 その隣に同じようにしゃがみこんだハンターが、うーん、と唸った。
「そうかもしれませんけど……、あの風の中にでたら、大僧正さまも飛んじゃいましたよ、きっと。そうしたら、あたし全速力でおいかけることになっちゃう」
「ははは、僕はそんなに軽くないと思うんだけどなあ」
 いつもいつも、背に翼をもって自由に空を飛ぶように、どこまでも駆けていく彼女を、届かぬ手をのばして追いかけているのは、自分のほう。ここで待っているよといいながら、心はいつも、彼女を追い求めている。
 思わず想像してみる。
 強い風に吹かれて、あてどころなく飛んでいく自分を、懸命に追いかけてくるハンター。
 うん、悪くないかもね、などと思った瞬間、ハンターはぺっかぺかの笑顔でいう。
「加工屋さんくらいになられれば、大丈夫だと思います!」
「……」
 ゆるり、と自分の身体を見下ろしてみる。なにもかも受け止められるというほどではないが、そこそこの体つきだ。だが、脳裏をかすめる逞しい腕で鎚を振るい、彼女に数々の武器防具を作り上げる巨躯の竜人にはかなうべくもない。
 ああなった自分を思い描いてみようとしたが、無理だった。青年は小さく噴出す。
「僕がああなるのは、ちょっと難しそうだね。想像することすらできないよ」
「あはは!」
 おどけたように肩をすくめてそういえば、ハンターがころころと軽やかに声をこぼした。
「えっと、だからですね、畑は残念だったけど、大僧正さまが無事で、村の皆が無事で、ほんとうによかったです」
「うん……、そうだね」
 青年は、彼女なりの励ましの言葉に頷く。畑がだめになってしまったことは悲しいけれど、確かに今は、自分や自分の大切なものたちの無事を喜ぶべきだ。
 ハンターが、ぎゅっと拳を握り締めていう。
「あとでまた、種植えしましょう! あたし、お手伝いします! 今度はきっと大丈夫です!」
「ありがとう。君に手伝ってもらえると嬉しいよ」
 じっとその青い瞳をみつめながら静かに距離を詰めると、ぱっとハンターの頬に朱が散った。
 ひょい、と人の懐深くに無防備に飛び込んでくるくせに、どうしてこう、いちいち初心な反応をするのだろう。まあそこも、たまらなく可愛いのだけれど。
 やんわりと微笑むと、ハンターは誤魔化すように顔を背けて、立ち上がった。
「え、えっと、あの、その……! こ、これはどこに片付ければいいですか?」
「ああ、こっちに運んでくれるかな。まだ使える部分もあるかもしれないし」
「は、はい!」
 よいしょ、と掛け声をひとつもらして、青年も同じように立ち上がると、柵作りに使った道具を持って、先頭をいくように歩き出す。
 ハンターは腕に材木を抱えたまま、軽やかな足取りでなんなくついてくる。
 彼女は間違いなくかわいい女の子だけれど、やはりその鍛え方はそのあたりにいるような女の子ではないのだとわかる。
 ほどなくして、青年の家裏手にある納屋へと到着した。
 材木を地面に下ろしてもらい、二人がかりで仕分けをする。昔使っていたこともあって、大部分が脆く、このあとに使えそうなものはあまりなかった。
「うん、こっちはとっておいて、あとは処分することにするよ」
「はい。じゃあ、中にいれちゃいますね」
「助かるよ」
 残すものはハンターにまかせることにして、青年は処分するべきものを薪を積んである場所にひとまず置いておこうかと考え、視線を動かし――その瞬間、鼓膜を叩き覆うような風に、思わず身体を強張らせて目を閉じる。
「わ、わぁっ?!」
「ハンターさん!」
 まるで昨晩の名残りのようなその強さに動きを封じられた青年の耳に、かすかな悲鳴が届く。
 視界も確保できないまま、勘だけを頼りにのばした手に、やわらかなものが触れる。問答無用で掴み引き寄せ、胸へとおしつけるようにしてかばう。
 やがて、ふいっと風は何事もなかったかのようにおさまった。ゆるゆると身体の力を抜いて、あたりを伺う。
 すこし、仕分けた木材は飛んでしまったけれど、被害はない。村の皆は無事だろうかと案じたとき。
「あは、あはは、びっくりしましたね! すごいすごい、クシャルダオラの風みたい!」
 きゃらきゃらと胸元から元気な笑い声が響いて、驚く。
 見下ろせば、自分の腕の中で、ハンターの笑顔が全開になっていた。風に弄ばれたせいで、短い銀の髪は乱れに乱れている。でもそれを気にしたようすもなく、古龍を引き合いに出してくるあたり、彼女らしいと思う。
「あはは、ほんとだね。大丈夫?」
「はい! 大僧正さまも、だいじょう、ぶ……っ!?」
 指先を髪の間に整えるように滑らせながら、ハンターの顔をのぞきこむと、距離の近さにようやく気づいたのか、一息で真っ赤になった。おろうろと泳ぐ青い瞳を自分だけに向けて欲しいのに。
「でもこれで、強い風のなかでも僕は大丈夫だってわかったね」
「……は、はい……あの、よくわかりました、から、その、そ、そろそろ……」
 居た堪れないのか、恥しくてたまらないのか、ハンターがあまりにも弱弱しい声で訴えてくるので、残念だと思いながらも腕を緩める。ほっとした表情で、するりと抜け出されるとなんだか妙な気持ちになる。残念なような、苛立つような、不思議な感情の波が、心をゆらゆら揺さぶった。
「あ、ごめんなさい。落としちゃいました……」
「ああうん、いいよ。気にしないで。あるものだけしまっておこう」
「はい」
 風のせいで取り落とした材木が地面に散らばった光景をみて、眉を下げるハンターの肩をたたく。
 気を取り直したのか、素直に頷いたハンターは、見える範囲のものを拾うと納屋へとはいっていく。同じように落ちたものをいくばくか拾った青年は、そのあとに続いた。
 納屋はさほど広くはない。窓もないため、入り口から差し込む日の光だけが光源だ。
「えっと、ここでいいですか?」
「うん、そのあたりに置いておいてくれるかい?」
 ちょうど棚に空いている部分がある。道具を片付けていた青年は、そこをみつけたハンターの言葉に頷いてかえした。
「よいしょ、と」
 背伸びをして、棚の上へとわずかな材木を置こうとする彼女の背中に引き寄せられるように、青年は近づいた。
 腕が、胸が、ふれた場所が、まだ彼女の感触と温度を覚えている。
 明確な意思のないまま、自然と身体が動いていた。
「え」
 油断していたのだろう。あっさりとその身体を絡めとることができた。
 驚いて目を丸くして見上げてくる彼女を、棚へと押しつける。がたり、と今しがたあげられたばかりの材木が、わずかに崩れた音がした。
 その音に、一瞬我にかえる。なぜこんなことをしているんだと自問しつつも、なかったことにも、謝ることも、したくない。突如として身体から溢れた恋心の命じるままに、青年は動くことにした。
「わ、わ……!」
 ぎゅう、と腕に力を込めるとすぐそこに熟れた色をした耳と頬がみえた。くちづけというには幼い仕草でそこに触れれば、ひゃあ、とあまりにも色気のない悲鳴がハンターから漏れた。
「あ、あのっ……! だ、だいそうじょ、さまっ?!」
「しー、静かに。誰かきてしまうよ」
 大慌てで手をつっぱり距離をとろうと試みているようだが、力がこもっていない。どうやら膝も同じらしく、青年の腕にかかる重みが少しずつ増してくる。
 力をなんとか拮抗させながら、ハンターが顔をそらして目を伏せる。
「あのでも、ち、ちかい……です……」
「そうだね」
 抱きしめているのだから当然だろう。こんなにも近いところに、ハンターがいる。ぬくもり、におい、やわらかさ。すべてが愛おしくて、青年はふいに笑みを消して、ゆっくりと唇を開いた。
「ねえ」
「……?」
 声が自然と一段低くなっていた。怖がらせたくはないのに、どうしようもなく切羽詰った音色。
「君に、くちづけてもいいかい?」
「……ふぁ?!」
 どこから声がでたんだろう、と思わずにはいられないようなその驚きよう。
 性急すぎただろうか。でも、嘘偽りなく、彼女に触れたい。ねだるように、もういちど頬に触れる。
「な、なん、で、ですか……」
「理由? ……そうだなぁ、さっき抱きしめたときの君が、とても可愛かったから」
 嘘だ。いつだって、可愛くてたまらない。あの瞬間だけでなく、いつもそう思っている。けれど、それはまだ伝えない。
「いやならあきらめるよ」
「……」
 かといって無理強いでは、彼女の心に傷がついてしまうかもしれない。ひくことを知らないわけではない。今ならまだ間に合うと思う。
 判断をハンターに委ねるのはずるいだろうけれど、やめろといってもらえなければ、そうすることはできそうになかった。
 そっと顔を覗き込むと、ふるふると震えていたハンターが、ゆっくりと顔を向けてくる。
 真っ赤な顔、きつく閉じられた瞳、真一文字の口。でも、嫌がってはいない。そうでなければ、つっぱっていた手を青年の背にまわしてはこない。
 くす、と笑った青年は、しなやかな筋肉を秘めた身体を、さらに引き寄せる。
 慣れぬ色事になんとか耐え、応えようとする女の腕が、青年の身体におずおずと巻きついてくる。
 堅く引き結ばれたハンターの唇をほぐすように、やわらかに口付ける。
 しだいに力が抜けて、薄っすらと開いたそこから中を味わうために、舌先を滑り込ませる。
「ん、ん……!」
 そんなことまでされるとは思っていなかったのか、ハンターが一瞬抵抗するそぶりをみせたが、すぐに身を任せてきた。いや単に、力がもう入らなくなってしまったのかもしれないが。
 ああ、甘い。
 これまでに感じたことのない甘味に、酔いがまわっていくようだ。触れ合う喜びが全身に満ちていく。
 どのくらいそうしていたのか。
 子供たちの声を青年の尖った耳が捕える。まだ遠くから聞こえているが、ここをみつけられるのは時間の問題だろう。
 そういえば、そろそろお昼だ。もしかしたら、昼食の誘いかもしれなかった。
 名残惜しいと心から思いながら、離れる。未練を伝えるかのように、濡れた音がした。
 指を滑らせた頬は赤く、潤んだ青い瞳の焦点がいささかあっていないが、とくに問題はなさそうだ。
「皆が探しているみたいだね。そろそろいこう……、って大丈夫かい?」
 いまだに、心ここにあらずな感じで、ぽーっとしているハンターの目の前に、ひらひらと手をひらめかせる。
 魂まで味わわれたように、呆然自失としているさまに、不安がよぎる。もしかしてやりすぎた?
「ハンターさん、大丈夫?」
「っ、は、はいっ」
 重ねて問えば、ようやく我を取り戻したらしく、いきなり元気よく返事をしてくる。とろりと甘く濁っていた瞳には、しっかりとした意思の光が戻っていた。
「皆が呼んでいるよ。いこう」
「……」
 離れようとした動きを非難するように、震える指が服を掴んでくる。青年は、目を見開いた。次いで、嬉しさのあまり蕩けるように微笑む。
 ぐいぐいと小さくひっぱられて、おねだりされれば当然だ。背をわずかに丸めて、問う。
「もっと?」
 こくん、と頷いて真っ赤な顔をあげ、背伸びをしてくる姿が可愛くて可愛くて。呼ばれているとをわかっていながらも、求めに応じることを選ぶしかない。
 どこにでもゆく風を、ひとときこの腕に留めおく幸運を手に入れた青年は、もう一度、笑みを刻んだ唇を寄せた。