かぐわしい花

 快晴の空の下、早朝から勤しんでいた畑仕事がひと段落ついた。
 鍬を置き、手ぬぐいで額に浮かんだ汗をふき取りつつ、青年はにっこりと笑う。
 労働で火照った身体に、天空山から吹く風が心地よく通り抜けていく。
「ふう、こんなものかな」
 周囲の雑草を抜き取り、追肥をした野菜たちは、青年がほどこした丹念な手入れを喜ぶように、日の光をいっぱいに浴びながら葉を揺らしている。
 作物を育てる場所の少ないこの天空山において、自分たちの食糧を確保するためには、きめのこまかい世話は必要不可欠である。
 水遣りも終えたし、午後からは別のところにある果樹の様子をみにいこう。
 そういえば喉も乾いたし、休憩がてら家に戻って昼食の準備でもしようか、それとも恋しい人に会いにいこうか――――いろいろと思い巡らせていると、きゃあきゃあと賑やかな声が聞こえてきた。
 みれば、村の子供たちを従えるようにしながら、一人の女性が歩いてくるのがみえた。脳裏に浮かんでいたその姿に、自然と口元が綻ぶ。
 昨日、このシナト村に数週間ぶりに訪れたキャラバンのハンターであり、ギルドでもその腕を認められた一流の狩人である。
 傍目からみれば、体つきはもちろんしっかりとしているが、どうみても年頃の女の子であるのに、すごいものだ。
 子供たちは彼女が持っているものに、興味津々な様子でまとわりついている。
 遠くからみても鮮やかな青さを誇るそれを、青年は知っていた。
 やがて彼女が所属するキャラバンの団長に、その集団は呼び止められる。
 そして、団長とハンターが一言二言話したと思ったら、彼女は子供たちに手を振って別れ、こちらへと向かってきた。
「大僧正さま! こんにちは!」
「こんにちは」
 自分を見上げて花開く笑顔は、彼女が今、胸に抱いているものよりずっと魅力的に思えた。
 挨拶をしながらその表情にひそかに見惚れていると、視線の意味を違うものに受け取ったらしいハンターは、元気いっぱいに一輪の花を差し出した。
「これ、どうぞ!」
「竜仙花だね。くれるのかな?」
 うんうん、とハンターが何度も頭を上下させる。
「前に、おじーちゃんから、竜人族の人たちが好きなお花だってきいたので」
 なるほど、と青年は一人納得して小さく頷いた。
 我らの団にはさまざまな役目を担う人々が集っている。腕のいい料理人であったり、確かな技術をもつ加工屋だったり、モンスターが大好きなギルドからの派遣員だったり。そのうちの一人が、自分とおなじ竜人族の商人である。
 眼鏡をかけた好々爺然としたかの老人は、物流を巧みに読み取り、必要とされるものを各市場でいとも容易く手に入れてみせる。長らく商売をしながら世界をめぐっているだけあって、生粋の商売人なのだろう。
 それに、竜人であれば、誰しもが好む薬の素材として重宝されるのが竜仙花だ。商人の間では、特に珍重されている。
 ゆえに、ハンターが彼の商人から竜仙花のことを聞いていても、なんの不思議もない。
 でも、この竜仙花は、自生する樹海でもみつかりにくい花である。わざわざ今回の訪問にあわせて摘んできてくれたのだろうか。
「――僕のために、摘んできてくれたの?」
 彼女の心遣いを確かめたくて、わざとらしくないようごく自然に訊ねてみる。
 なんという答えが返ってくるかを知りながら、こんなことを口にするなんてずるいだろう。でも、彼女の口から言葉が欲しい。
「はい! もちろんです!」
 なんともあっさりとした、でもたまらなく嬉しいその心。
 じんわりと、全身が痺れるような感覚に、青年は静かに震える。
 一方、元気に頷いてみたものの、どうやら少し気恥ずかしいらしいハンターは、そっと瞳をふせた。銀色の睫毛に、太陽の光が絡んで美しい。
「どうしても大僧正さまに綺麗な竜仙花をお渡ししたくて」
「なかなかみつかりにくい花なのに探してくれたんだね……。そっか、僕のために、ね」
 普段は大型モンスターにも臆することなく立ち向かうハンターが、こんなにも女性らしい仕草をしてくれるのは、自分だけだと自惚れてしまいそうだ。
 誰にでも優しく闊達に接する彼女の心を、独り占めできたらいいのに。
「ありがとう」
 仄暗さを併せ持つ気持ちに流されるまま、青年はにっこりと笑った。
 シナト村での穏やかな時間しか知らなかった自分に、こんな恋を教えた彼女へ、すこしくらいの意趣返しをしても、罰はあたるまい。
「君の気持ち、ありがたく受け取らせてもらうよ」
「え?」
 青年からの予想外であろう言葉に、ハンターはきょとんと目を瞬かせて首をかしげた。
 どこか無垢さの滲むその仕草に、口の端が意地悪く持ち上がる。
「竜仙花は、結婚を申し込むときにも使われる花だからね。僕がもらう側になるなんて、思ってはいなかったけれど」
 青い花弁から零れる香りを楽しむように、鼻を寄せる。ああ、いいにおいだ。
 ちらり、と視線を落とせば、呆然としたハンターが、ぽかんと口をあけている。思わず噴出しそうになるのをなんとか堪える。
 嘘ではない。そういうことをする竜人もいるというだけだ。そんな習慣が、このシナト村で根付いているわけでは決してない。
「え、……えっ?!」
 だけれども、思ったとおりに勘違いをしてくれたらしい。その素直さが愛おしくて、青年は笑う。
 うっとりとするような薔薇色に頬を染めながら、挙動不審になっていくハンターの耳元へ、青年は上半身を傾け唇を寄せて囁く。
「嬉しいよ。君がそんなに情熱的な女性だったなんて」
 できるだけ優しく優しく言葉にしたのに、まるで電流でも流されたように、ハンターは飛び上がって後ずさった。素晴らしい身体能力である。
「あ、ちが……! あたし、そう、そう意味じゃ……なくて、あのその!」
 右手の甲で口元を隠し、とうとう首まで真っ赤にした彼女の悲鳴じみた釈明に、眉をさげる。
「ちがうのかい? もしかして、君は僕のことが嫌い?」
 ずるい言い方だ。こういって、悲しげに表情を曇らせてみせれば、彼女が否定するとわかっているのに。予想通り、ハンターはさらに混乱したようで、涙目になった。
「いいえ! いいえ!」
 大きく頭を左右に振って、ほんの少しの距離を勢いよく詰めてくるその必死さが可愛い。
 くす、と小さく笑いながら、その熟れた果実のように真っ赤になった頬に触れて、「冗談だよ」と告げようと、唇を動かしかけたとき。
 ぎゅううう、と衣服を力いっぱい掴まれて、青年は目を見開いた。
 すぐそこにある彼女の青い瞳が、まっすぐすぎて痛い。思わず押し黙ってしまった青年に、ハンターは大きく口を開いた。

「大好きです!」

 大好きです、だい好きです、だいすきです……――そんな言葉が山々に木霊した気がした。もしかしたらそれは、青年の鼓膜が、びりびりと震えたことによる勘違いかもしれないが。
 だが実際、この天空山全体とまではいかずとも、村中に響き渡ったのに間違いはないだろう。
 そんな大きな声で盛大な告白をやらかしたハンターは、自分のしでかしたことの重大さを認識していないようで、まだなにか言おうとしている。
「でも、あの、これは、そういう意味じゃなくて、あの、あたし、そんな、大僧正さまに、ぷ、ぷろ、ぷろぽーず、だ、なんて……そんな……」
 あれだけの響き渡るような声量をだしたと思えないくらいしおらしく、頬に手を当てて、もじもじと消え入るような声でそんなことを繰り返す姿を、ただ見下ろす。
 そういえば、人間のあいだでは、結婚の申し込みをそんな言葉でいうんだったなぁ――なんて、ぼんやりと思い出す。いやいや、今はそんなことをしている場合ではない。
「あ、ああ、うん。落ち着いて?」
 自分も落ち着かねばと内心思いつつ、ハンターの肩に手を置く。
 これはまずい。
 なんというか優位にたって物事を密やかに進めようと思っていたら、想定外の体当たりをされて成す術がなく地に伏してしまった感じだ。
 包み隠さない、どうしようもないくらいのまっすぐな気持ちをかわすことなどできない。その想いを受けとめてはみれば、ただただ嬉しくて愛しくて――たまらなく恥しい。
 じんわりと己の頬が熱を帯びていくのを感じながら、青年は彼女を諭してみたものの、精神的に容量いっぱいになっているらしいハンターには通じない。
「ほんとです! こんな、軽くいうつもりなくて!」
 え、じゃあいつか重く言ってくれるの? なんて突っ込んだことをきける余裕がない。こちらもまた、いっぱいいっぱいだった。
「うんうん、わかったよ。だからちょっと落ち着いて――っ!」
「信じてくださいー!」
 うわぁぁん、と胸に泣き縋られた。興奮によって体温があがったせいか、ふわりとたちのぼってくるやわらかなにおいが、青年の鼻腔を官能的にくすぐる。
 竜仙花は竜人を惑わすが、こちらは青年だけを特別に惑わせる。世界でただひとつのもの。
 彼女のほうから抱きついてくれるのは嬉しいけれども、これはいろいろとまずい。
 きつく抱きしめ返したくなる腕をできるかぎり優しくまわし、ゆっくりと視線をめぐらせた青年は、小さく息をついた。
「えっと……ちょっと、あっちにいこうか」
「信じてくれるまで離れませんー!」
 そうはいわれても、村人たちと、子供たちと――そして、いつの間にやら集まっていたキャラバンの団員たちの、好奇の視線が痛い。
 微笑ましく見守っているつもりなのかもしれないが、にやにやとした視線に、居た堪れない気持ちになる。とくに、ギルドから派遣されているお嬢さんは、熱心にスケッチするのをやめてください。僕たちは別にモンスターではありません。
「とりあえず、僕の家にいこう。そこでちゃんと話をしよう、ね?」
「あぁぁ、だいそうじょうさまー! ほんとなんですぅぅ!」
「わかったよ、よくわかったから! ね?」
 珍しく上ずった声をあげた青年は、ネンチャク草のごとく自分にくっついたハンターを抱えるように引きずって、その場を逃げ出す。
 どっと背後で笑いが弾けたような気がしたが、気にしては負けである。
 今日はさして暑くはないのに、内側から焦がされたように、身体が熱っぽい。
 手にした青い花から漂う香りとはまた違う、自分の胸元からたちのぼる花の香りに、めまいがした。

 

 教訓。
 からかうのも、ほどほどに。