ヘタレ男に愛の手を(前編)

 ジュードはしみじみと、自分も歳を重ねていっているのだと実感しつつ、手の内にあるものをみつめる。
 以前は飲むことさえ考えられなかった、琥珀色の液体。やや丸みを帯びた角グラスに注がれたそれからは、喉を焼け焦がすアルコールの匂いがする。
 それを一口含み、嚥下する。ふわ、と年代もの特有の香りが鼻を通り抜け、ジュードの身体を包み込む。悪くない。
 ちらり、この酒を持ってきた男を見遣る。隣に腰掛けた男は、その瞳にわずかに期待を滲ませている。
 ジュードが座っているのは、宿の食堂にあるカウンター。営業時間が終わってしまったものの、主人の了解を得て、ここで二人で酒を飲んでいるのだが――彼が選ぶものは、やはり趣味がいい。もう一口飲んで、つくづくそう思う。これなら心地よくはあっても、悪酔いはしまい。
 こうして酒を酌み交わすようになるような関係になるとは、出会った頃には思っていなかった。この男との関係がという意味でなく、自分がこうして酒を飲むようになるとは考えていなかったという意味でだ。
「どうだ?」
 焦れたのか、先に問うてくる男。
「うん、おいしい。高かったでしょ?」
「まあな。でもたまに飲むならいいのが飲みたいだろ?」
「そうだね」
 ジュードの素直な賛辞に、にかりと人懐っこそうな笑顔を浮かべた男――五年前にともに世界を旅し、何度も裏切られ、だがこうして酒の席をともにする真の仲間に至ったアルヴィンは、とても嬉しそうだ。
 出会った頃の、どこか作ったような、人を食ったような笑みが向けられないことに、信頼の証が垣間見える。
 それは、いま宿の二階で眠っているだろう仲間たちも感じたことだろう。太陽もまだ高い位置にある時刻に合流したときも、アルヴィンはこんな顔をしていたから。
 そんな彼らと夕食をともにした後、レイアとエリーゼは、女子同士の話があるとかで部屋にこもってしまった。本当はローエンもこの場にいるはずだったのだが、ガイアスからの急な連絡があって、城へと戻ってしまった。残念だ。
 グラスをゆっくりと下ろしながら、ジュードはふと思う。
 こうして、旅の終わった日と同じ日付がめぐるたび、皆で会うのはいつまで続くだろう。五年間は欠かさず行ってきた大事なこの行事が、ずっと続けばいい。続けていきたい。
 仲間たちみな、そう思っていてくれるといい。
 感慨深く、妙な懐かしささえ抱きながら、そう願ったとき。
「で、どうよ、最近。研究は進んでるわけ?」
 近況を尋ねられて、ジュードは意識を現実に向け直した。
「うん。バランさんの手も借りてね、微精霊の源霊匣なら問題なく運用できるようになってきたよ」
「そりゃすげえな」
 まるで我がことのように喜ぶアルヴィンに、ジュードも頬が緩む。
「そういうアルヴィンの仕事はどう? もっときかせてよ」
「ん、俺か、俺はなー……――」
 にやり、今の人生が楽しくて仕方がないのだという空気を滲ませ、身振り手振り混じりに、アルヴィンは語りだす。
 商売の話はおもしろく、ジュードを惹きつけた。そしてアルヴィンも、故郷であるエレンピオスを救うオリジンのことに興味深く聞き入ってくれた。
 あれこれと近況を語り合い、グラスを傾けていたせいで、お互いに程よく酔いが回り始めた頃。ふいに落ちた沈黙。
「……俺、贅沢だよな」
 ぽつりと、静かな水面に波紋を描く小石のように落とされた言葉。
 他愛ない話の延長にしては、どこか自虐的な響きを帯びていたせいで、ジュードは目を瞬かせた。
 やや赤らんだ顔をして呟いたアルヴィンは、心ここにあらずといった風情で、薄暗いカウンターの奥を、なんとはなしに眺めている。
「……アルヴィン?」
 どうしたの、と心配げに声をかけると、はっと我をとりもどしたような様子をみせる。瞳を彷徨わせたあと、ばつが悪そうに口元を手で覆う。
 そんなうろたえる姿さえ、あの頃にはなかった。子供から青年時代まで、苦労してきた分、愛情を与えられなかった分、素直であることができなかった分、それをとりもどすかのように、いまのアルヴィンは表情豊かだ。
 じーっと、それを珍しい動物でも眺めている気分で凝視していると、それが問い詰めるものにみえたのか、アルヴィンが口を開いた。
「あー……いや、なんだ。ジュードたちみたいな、俺にはもったいないくらいの仲間がいるのにさ、」
 かろん、とアルヴィンがグラスにはいった氷を遊ばせれば、まろやかな音が磨かれたカウンターに広がって消えた。
「……まだ、欲しい居場所があるんだ」
 遠い、遠い目。幸福な子供時代にだけあったそれを、細くなっていく記憶の糸で懸命に繋ぎとめている、そんな顔。
「家族?」
 ふ、と思ったことをそのまま問えば、大きな男が頷いた。
 そのどこかあどけない様は、ほんとうに身体だけが育ってしまった子供だった。
「怖いんだ。家族になってくれっていって」
 せつなくもあり、情けなくもある告白に、ジュードは黙って耳を傾ける。
「拒絶されたら? 眉を潜めて避けられたら?」
 そんな予想を脳裏に思い描いているのか、アルヴィンが悲痛な表情を浮かべる。
「怖くて怖くてたまらないんだ……」
 ふぅん、と。この話でようやく合点がいったと頷きながら、ジュードはアルヴィンの苦悩する横顔を覗き込んだ。どうりで、妙に余所余所しくておかしいと思っていたのだ。
「だからエリーゼのこと避けてるの?」
「ぶほっ?!」
 懺悔じみた言葉のせいで乾いた口内を湿らせようと、酒に口をつけていとおぼしきアルヴィンが、勢いよく噴出した。ジュードは、思わずひく。
「うわっ……、汚いなあ、もう……! ほら、そっちもちゃんと拭いて! 宿の人が困っちゃうよ」
 カウンターの隅にあった布巾を勝手に拝借し、あわてて拭う。咳き込むアルヴィンにも言いつけるが、それどころではないらしい。
 がばっと、いろんな意味で赤くなった整った顔が、必死の形相でジュードをみた。
「っ、な、なん……?! 俺、べつにエリーゼのことだなんて一言もいってねーぞ?!」
 なにいってるんだこの男は。
 これにはさすがのジュードも驚いた。
「ちょ、アルヴィン?! ばれてないって思ってたの?! 僕だってレイアだってローエンだってわかってるよ?!」
 ジュードにしてみたら、そちらのほうが青天の霹靂とでもいう衝撃だった。
 互いに互いの言葉に驚いていれば世話はない。
「……うそだろ」
 ぱくぱく、とアルヴィンが口を開け閉めする。これが三十過ぎの男のやることか。
 ジュードはわずかに肩から力を抜き、微笑む。
「アルヴィン、嘘が下手になったんだよ。いいことじゃない」
「よくねーよ!」
 どん、とアルヴィンがカウンターを叩いた。
 まるで親に交際がばれた、思春期真っ盛りの学生のようである。まったくもってしょうがない三十路男である。
「恥ずかしがらなくてもいいのに。二人だけで会ったりしてるでしょ?」
「?!?!」
 知ってるんだからね、と事実を突きつければ、今度はアルヴィンの顔色が寒色系へと変わっていった。
「エリーゼが手紙で教えてくれたけど? すごく嬉しそうだったよ、このロリコン」
「ジュード君、容赦なさすぎ!」
 わぁっと、テーブルにアルヴィンが突っ伏す。ああ、鬱陶しい。
「いいじゃない。年齢なんてたいしたことないってば。アルヴィンにはエリーゼはもったいないけど……幸せにしてもらいなよ」
 なんだかもうどうでもよくなってきた気持ちはうまく隠し、ジュードはグラスを指先でつついた。
「俺が幸せにするんじゃねーのかよ?!」
 泣き声混じりに顔をあげて抗議するとは。
 まだ自分の立場がわかってないと思いつつ、ジュードはじっとりとした目つきでアルヴィンを見つめた。
「だって、こんなことぐずぐずいってるアルヴィンに、エリーゼが幸せにできるとはとても思えないんだけど」
「ジュード君、ひどい……」
 しくしくと、再びアルヴィンが突っ伏した。ジュードは笑う。
「知らなかったの?」
「……知ってた」
 伏せた顔の下から、呪いのようなくぐもった声音で、応えがある。わかっていれば結構。
 からん、とアルヴィンがやっていたように、ジュードもまたグラス内の氷を遊ばせる。
「素直に言えばいいよ。家族になってくださいってさ」
「……」
 今度は応えがない。ただ、広い背中が、ぴくりと揺れただけ。ジュードはたたみ掛ける。
「エリーゼは頷いてくれるよ。きっと」
「……なんでわかるんだよ」
「なんでって……」
 本当にわかっていないのだろうか、アルヴィンは。
 あの頃からずっとずっと、エリーゼの瞳はアルヴィンだけをみていたのに。
 あるかどうかわからなかった色が、いつの間にか瞳の奥に確かに見えるようになっていったのを、本当にわかっていなかったのだろうか? そんなことはないはずだ。アルヴィンだって、同じ気持ちでエリーゼをみていたのだから。
 ジュードにしてみれば、恋に恋する少女が、男に恋する女になっていくさまは、はらはらとしたけれど――それはとても、綺麗な成長ぶりだった。
「ずっと、みてきたから」
 男親の気持ちを、二十歳の段階ですでに味わうことになろうとは。苦笑いしながらいった言葉に、アルヴィンが激しく反応した。
「まさか、ジュードおまえ、エリーゼのことが……!?」
「違うってば。どうしてそうなるの」
 ここまでヘタレがすぎればもういっそ芸術の域である。やれやれと頭をふりつつ、ジュードは言う。
「たしかにエリーゼのことは好きだよ。妹みたいに見守ってきた」
 むしろ娘か。それはいわず、視線をそらすことなくアルヴィンに告げる。
「でも僕が好きなのは、たったひとりだけだよ。これからもずっとね」
 ジュードの意識を掠める、鮮やかで華やかな記憶。
 そうきっと、死ぬまで自分は彼女の面影を胸に抱いて生きていく。
 それを悲しいと思ったことはない。自分が自分のままでなすべきことをみつけられたのは、彼女のおかげ。彼女のため。人と精霊を見守り続ける美しい彼女のため。この世界のため。
 なれば、忘れられるはずがない。この生が尽きるまで輝き続けるその標を、死の瞬間まで愛していく。
「……悪かった」
「いいえ、どういたしまして。そうそう、このお酒気に入ったから、今度送ってくれるよね?」
 申し訳なさそうに瞼を伏せるアルヴィンに、にっこり笑いかけておねだりすれば、かくんと頭が下がった。
「……はい」
 我ながら、アルヴィンの扱いが上手くなったものだと思いつつ、よろしくない仕草だとは知りながら、びしりとアルヴィンを指差す。
「とにかく、思い切っていっちゃえばいいんだよ。そうすれば、何かしらの結果は得られる。そこからまた戦略をたてることだってできる。それに、もたもたしてて、エリーゼが誰かにとられたりしたらどうするの?」
 アルヴィンの顔から感情がふいに消えた。あれ? とその反応を訝しく思うジュードの前で、ぷるぷるとアルヴィンの全身が震えだす。
「……エクスペンダブルプライドをぶちかますから、協力してくれジュード」
「なに涙目でとんでもないこといってるの?! そんなの駄目に決まってるでしょ!? 僕はお断りだからね!」
「いいだろうが、秘奥義のひとつやふたつ……。だめなら、レイアかローエンでも……」
 座りきった目でそんなことを鬱々と呟くぐらいなら、なぜ告白のひとつもできない?!
 ジュードは頭を抱えたくなった。これが本当に、イル・ファンの海停で、自分を抱えて走り、船にまで連れて行ってくれた、あの格好良かった傭兵なのだろうか。ああ、思い出はいつも美しい。
「もう、めんどうくさいからはやく言ってきてくれる……? いまならエリーゼ、部屋にいるでしょ」
「……はいそうですかってそれができれば苦労しねーよ」
 両者ともに疲れきった顔をして、ぐいとグラスをあおる。飲み干した酒が入ってたグラスが、同時にカウンターに降ろされた。
「――なあ、ジュード」
「なに?」
 決意がこめられているとわかる呼びかけに、嫌な予感がするけれど、邪険にしたらもっと厄介なことになりそうな気がして、ジュードは律儀に返事をする。
「練習させてくれ」
 素晴らしく真面目な顔をして、アルヴィンがのたまった。
「……はい?」
 意味がわるような、わかりたくないような、微妙な心もちのせいで、ジュードの反応が遅れる。
「だから、練習」
「まさかと思うけど……告白の?」
 おそるおそる、まさかまさかという気分で訊ねてみたら、予想通りにアルヴィンは頷く。
「そう」
「……情けなくないの?」
「おまえは俺の情けないところなんてみすぎてて感覚麻痺してるだろ? 頼む」
 それでいいのか、アルヴィン。
 道理が通っているような、しかしその道理が心底情けなさすぎるような。
 拝み倒すようなその切なさと勢いに、ジュードは悟りの境地に達した気分になった。
「わかったから、そんな泣きそうな顔しないでよ……」
 もうどうにでもなれという気分で、ジュードはアルヴィンに向き直った。
 こんなことを言い出して、こんなことを引き受ける。それはつまり、お互いそれなりに酔っ払っているということなのかもしれなかった。
 こほん、とアルヴィンが咳払いをする。せわしなく、身なりを整えた後、視線を落し気味にし――ようやく口を開いたのは、たっぷり数十秒も経ってから。
「そ、そ、そそそ、その、なんだ……」
 このヘタレ。
 思わず考えてしまったことが、ジュードの身体から滲み出たのに恐れをなしたのか、アルヴィンが急に動いた。
 いきなり、ジュードが腿の上に置いていた手が、掴まれる。一瞬、護身術というにはすでに一流派を築き上げられるくらいに高められ、物騒極まりない己が武術の拳を、その顔面に炸裂させそうになったが、ジュードは気合でそれを押し留めた。
 ぎゅう、ときしむくらいにジュードの手を握り締め、それを持ち上げながら、アルヴィンが身を乗り出す。
「絶対幸せにするから、一緒に暮らそう! お前と添い遂げたいんだ!」
 しん、としたカウンターに、アルヴィンの精一杯らしい言葉が響いた。
「……うん。まあ、いいんじゃないかな」
 ジュードは曖昧に微笑む。ほ、とアルヴィンが息をつく。
 微妙にキャラが違う言い方だし、古臭いような気がしないでもないが、アルヴィンにしては頑張ったほうなのだろう。これ以上の言葉を重ねようとしたら、きっと墓穴を掘るか、格好悪いことになるに違いない。いやまあ、いまの状態が男らしいのかときかれると笑顔で否を返せるが――おびえきった子犬のような瞳をみれば、多少なりとも女心はくすぐられるに違いない。
 うんうん、とこれならまあ、エリーゼにとってもそう悪い思い出になりはしまい。そう思う。のちのち笑い話として語られる程度にはなるだろうが。
 と。
 かたん、と小さな物音。なんとはなしに、気を引かれてそちらを見て。ジュードとアルヴィンは固まった。
「アルヴィン……ジュード……」
 ひぐ、と泣きそうになったエリーゼがそこにいた。明かりが落とされた宿屋のロビーに、途方にくれて立ち尽くしている。
「え、ちょ、エリーゼ?! なんでそこに?!」
 慌ててジュードは握られていた手を振り払った。
 一方のアルヴィンは、すっかり固まっていて生命反応があるのかすらあやうい。
「ふ、ふたりとも……もどってこない、から。私、アルヴィンと話が……したくて」
 ぐす、と声を震わせたエリーゼの顔から、涙が落ちて床で弾けた。
「アルヴィン、わ、私……ごめ、ごめんなさい、かんちがい、して、ました……!」
 そこまでいわれても、まだアルヴィンは起動する様子がない。はやくはやく、正気に戻ってと苛立ちながらも、ジュードもまた対処できずにいる。
「ジュードも……立ち聞きなんて、するつもはなかったんです……あの、その……。ごめんなさい! お幸せに!」
 エリーゼがもう耐え切れないというように、その場から駆け出した。宿の扉を開いて、夜の街へと飛び出していく。
 これにはさすがのジュードも硬直がほどけた。が、手を伸ばしても、声をはりあげても、エリーゼにはもう届かない。
「うわぁぁぁ、エリーゼ待って! ちょっとアルヴィン、魂抜けかけてないで、ほらおきて!」
 しょうがないので、隣にいるすべての元凶の胸倉を掴み上げ、がくがくと揺さぶる。しかし、アルヴィンの魂は戻ってこない。
 このー!
 ぶつん、とさすがのジュードも堪忍袋の緒が切れた。というか、誰だって切れるだろう。
「おきろー!」
「ぐふっ?!」
 獅子戦吼一発。宿屋の正面入り口あたりまで綺麗に吹っ飛んだアルヴィンが、数秒の間をおいて跳ね起きる。
「ま、待ってくれ、エリーゼ!」
 そして、そのままよろよろとあとを追いかけていく。
「頑張ってね、アルヴィン!」
 ジュードの声は、果たして必死にアルヴィンに届いたのかどうか。
 嵐のような展開がおさまり、ようやくもとの静かさをとりもどしたカウンターで、ジュードは肩を落とした。
 ああ、疲れた。
 ため息をつきつつ、倒れた椅子を直しつつ――ジュードは、くすりと笑った。
 可愛いあの子が、どうか幸せになりますように。家族の温もりを求め合う二人の未来が、明るいものでありますように。
 なんとなく、うまくいくような予感はするのだけれど、はてどうなることやら。
 ここに居ない、いや、見えないだけかもしれないミラもまた、この様子を見て、笑っている気がした。