Caution!!
簡単にいえば、アヴァロンコードの転生もの+現代ものです。
なんとなく妄想したら止まらなくなったので、思いつくまま書くシリーズです。
音なく髪を撫でる大気の揺らぎ。暑くもなく寒くもない優しい温度。
うららかな午後の休日に、のんびりと雑誌に目を通すひとときは、心躍るような刺激はないが、心地よいものだ。
かすかに鼻腔をくすぐる太陽の匂いに誘われ、紙面で文字を追うのをやめて、顔をあげる。
目をむけた先。小柄な少女が、丁寧に洗濯物をたたんでいる姿が、やわらかな光に包まれ浮かび上がっている。
じっと視線を注げば、さきほどまで脳内を行きかっていた情報が、蝋燭の炎が消えるようにふつりと勢いを失くし、意識の底へと隠れていった。
夏ほど濃くなく冬ほど儚くない光がうみだす、少女の陰影が、じんわりと脳裏に焼きつく。
ややもすれば絵画のようにさえみえる静かな光景。
だが、その向こうでは、薄いレースのカーテンが、窓から遊びにくる風と戯れている。その無邪気さが、現実だと教えてくれる。
細い指先がタオルをたたみ終え、次にシャツを選び取る。
自分のものだから自分でやると何度もいっているのに、やりたいからやらせてほしいと頑なに譲ろうとしない、妙なところで頑固な少女。
そんな、ずいぶんと歳の離れた幼馴染のティアは、手馴れた様子で手をひらめかせている。
いつしか、彼女が家事をすることが当たり前のようになっていて、申し訳ないと思う反面、こちらを気遣ってくれるその気持ちがいじらしくて嬉しいと思う。
紅茶色の髪を陽光に透かし、まろやかな曲線を描く白い頬を淡く光らせながら、ティアは鼻歌を奏でながら楽しそうに洗濯物をたたんでいく。伏せがちな瞼を縁取る睫毛さえはっきりとみえる。それは、よく知っている姿かたち。幼いころからすぐそばでみてきたもの。
ふわり、風にもてあそばれて舞う髪のあいまから、ほっそりとした首とうなじがみえた。
どこか遠いところで、ささやかに手を鳴らすような音がした。ぱたぱたと軽やかなその囁きを聴きながら、いつのまにか魅入っていたヒースは、息を漏らす。
綺麗だ――
はじめて、ティアをみてそう思った。可愛いではなく。ただ、綺麗だと。
小さかった幼馴染は、もはや子供ではないのだ。思えば、すでに高校三年生。
変わっていないと思っていたけれど、自分に向けて必死に伸ばされた、もみじのような手は、もうない。懸命に追いかけてきた、短くむっちりとしていた子供らしい足は、すらりと長くなってしまった。
大輪の花のように、匂いたつような色香を持っているとはまだまだ言いがたい。しかし、瑞々しさに溢れた可憐な小花のような、その容姿に目を惹かれる男はいるだろう。やがては美しく花開く未来を感じている男はいるだろう。
もしかしたら、もう、そういう目でティアをみている輩はいるのかもしれない。
ティアは、男がどういう生き物なのかまだ知るまい。だが、いつの日か、人間としての対をなす存在の、業ともいうべき本性を教えられる日がくる。彼女は、「女」なのだから。
ふいに、胸が苦しくなった。気持ちが悪い。腹の奥が、わずかに煮え立ち始める。
ヒースは、眉根を寄せた。
誰かがティアに、など不愉快きわまりない。教えるのなら、いっそ自分の手で――そこまで考えて、はっと肩を揺らした。
ふわふわとして形を崩し始めていた意識が、一気に冷え固まる。
自分は今、なにを考えた?
空恐ろしいなにかを封じるように、ヒースはわななく口元に手を置いて、深く息をつく。
だが、一瞬でも考えてしまった光景は、消せない落書きのように、思考の壁にべったりとこびりついたままだ。
ぬぐっても消しても、またそこに描かれる色に、背が震えた。
しっとりと汗ばむ肌、涙に塗れた瞳、鮮やかに染まった頬に張りつく髪、仰け反る細い喉に咲かせた所有の証。
ぶわり、と汗が噴出す。嫌な汗だ。爽快感などまるでない。
脳裏に行き交う情景は、すべて、想像だ。妄想も甚だしい。わかっている。
しかし、それはどう言い訳をしても、自分にとってティアがそういう対象になりえるのだという証明にほかならず――それに思い至ったヒースは、愕然とした。
自分はティアを、「女」として認識している。
これまでずっと、年上の幼馴染として、ティアを保護し、導いてきた。
それなのに、どうして今になってこんなことに気づく?
ティアがどこかの誰かと幸せになることを願っていた自分は、どこにいった?
しかもこんな日常で、とくになにもなかったはずなのに、なぜだ?
唐突な自分の変化に戸惑い、思わず壁か床にでも頭を打ち付けてやりたい衝動に駆られた瞬間。
まるで心中を見透かすように、まっすぐな瞳がヒースを射抜いた。びくり、と小さく肩が跳ねる。悪戯を働いた子が、母親に見咎められるような、居心地の悪さに泳ぎそうになる目を懸命におさえた。
わずかに首をかしげたティアの、ふっくらとした小さな唇が動く。
「ヒース? どうかした?」
「あ……」
なんでもない、と返そうとするが、喉が渇いていて言葉がでない。
落着け。落着け。これはきっと単なる欲求不満に違いない。ここ最近、仕事で忙しくしていたせいだ。きっと。たぶん。
そう自分に言い聞かせて、一度深呼吸をしてから、口内を濡らす。
「……少し、喉が渇いたと思ってな」
不審に思われないようそう答えれば、ぱっとティアが表情を輝かせた。
「じゃあ、コーヒー淹れるね。まってて」
「……」
さっとたたみ終えた洗濯物を脇にのけ、ティアが立ち上がる。
ヒースのためになにかできることを喜ぶその姿は、ほんとうに――いじらしい。
ぎゅう、と心臓を鷲づかみにされたように、胸が痛む。
こうした身体の異変がなにであるか、知らぬわけではない。特定の感情が、もたらすものだ。だが、こんなにも深いものだったろうか?
ヒースは大人だ。精神、身体、ともにオトナだ。いくらティアにまとわりつかれようとも、やりようならばいくらでもあった。女のほうも、ほうっておいてはくれなかった。
しかし、これほどまでだったろうか?
手のひらから伝わるぬくもりに、心のどこかが融けていく感じがする。
ソファに座る自分と近い位置にあるティアの瞳を、ヒースは覗き込んだ。
その色の中に、自分の熱を押し込む隙がないか、探すように。
さきほどからきこえている遠い音が、強さを増した。それは、夕立の音に、似ている気がした。ばたばたと鳴り止まぬ。外は、心洗われるような晴天であるのに。
ふ、と長い睫がそれをさえぎるように降りてくる。それが惜しくて、もう片方の手を伸ばす。
と。
「えっと、ヒース……?」
「……!」
気づけば、ティアの細い手首を掴み、その頬に指先を伸ばしているという事態になっていた。
どうやら無意識のうちに、キッチンへと向かうティアを捕まえてしまったらしい。
もじ、と恥ずかしそうに俯くティアにつられて、ヒースの全身が熱を帯びた。
なにをやっているんだ、オレは!
平静な顔をしたまま、内心狼狽しているヒースの前で、ティアはせわしなく瞬きを繰り返しながら、いう。
「あ、あの、あのね……私、あのね、ヒースのこと……やっぱりね、」
好き、とその唇が紡ごうとする音を察し、ヒースは奥歯をかみ締めた。
それはなけなしの理性とこれまでの保護者たる意識がかけた、懸命なブレーキだった。
いままさに頬に添えようとしていた指の行き先をかえる。やわらかな髪を一度撫でると、ティアが、ん、と息を呑んで目をつぶる。
反射的な行動なのだろうが、無防備すぎるその一瞬。
小さな耳まで真っ赤に染めて、わずかに震えるティアの細い身体をかき抱きたい。その髪に鼻先をうずめて、その香りを探ってみたい。そんな雄らしい衝動に駆られる。
そんなこと、できるわけも、ないのに。
だけれど、なんて、あたたかい。なんて、いとおしい。
突然の雨のように、心のやわらかいところに降り注いだ想いが、恋心を強くうつ。
耳鳴りのように感じていたものは、己の感情だったのだとヒースは理解した。
恋の雨音はいまだ消えぬ。むしろ、それを知ったがゆえに、激しさを増す一方。
これはだめだ。もう、どうにもならない。
恋とは求めること、愛とは与えること――だが、与えていたばかりだった関係性は、いつしか様変わりしていた。今度はこちら欲しいのだと、想いの矢印が主張している。
恋が愛に昇華することはあれど、愛が恋になろうとは思いもしなかった。
ぐ、と眉間に皺を寄せながら、ヒースは手を引いた。名残惜しく震える指先を隠すように、きつく拳を握り締める。
しばらくしてもなにも起こらないことを不思議に思ったのか、ティアがそろそろと目を開く。
「ヒ、ヒース?」
「……」
今日は怪訝そうに呼びかけられてばかりだなと、ヒースは苦笑いした。大丈夫、まだ、誤魔化せる。自分も、ティアも。
「ああ、すまん驚かせたな。髪に、糸くずがついていたんだ」
一言いえばよかったな、と付け加えるとティアがさらに真っ赤になった。きっと、なにかされると期待した自分を恥じているのだろう。
「あ、そ、そっか、とってくれたんだね、洗濯物とりこんだときについたのかな、えっと、あ、ありがとう……。今、コーヒーいれるね!」
熟れ落ちそうな頬に手をあて、早口にまくしたてたティアが、そそくさとキッチンに向かう。
慌てながらお茶の準備をするティアの後姿に、小さく「すまん」と謝って、ヒースはソファに深く腰掛け、息を吐き出した。
もしも。
もしも、ティアが「好き」と口にしたのなら、「オレも好きだ」と、いっていたのだろうか。
それを言葉にしてしまったら、なにもかもが、ひっくり返っただろう。そうしたくもあり、そうしたくもない意気地のなさに反吐が出る。
ヒースは、ぐちゃくちゃに混乱した頭をかかえた。
はやく、はやく、おとなになってくれないか。迷いなく、戸惑いなく、その細い身体を抱きしめても、折れないほどに――
そう願わずにはいられない自分を、ヒースは殴ってやりたいと思った。
「ちくしょう、変態かオレは……」
十ほども違う年下の少女に懸想している事実に直面した、いい年をした大人が思い悩んでいることなど露知らず。
かぐわしいコーヒーの香りが、ゆったりと部屋を満たしはじめた。