幾千万の世界をこえて ~ 幸福な織姫 忍耐の彦星 ~

Caution!!
 簡単にいえば、アヴァロンコードの転生もの+現代ものです。
 なんとなく妄想したら止まらなくなったので、思いつくまま書くシリーズです。

 

 

 引き離された愛しあう二人が、一年に一度だけ、逢うことが許された日。
 星が流れる大河の向こう、恋焦がれた日々がむくわれる大切な約束。
 きっと、かささぎたちがつくる橋の上、二人はきつく抱きしめあい、互いのぬくもりを確かめるのだろう。
 愛しいひとへの、想いを囁きながら。

 テレビで流れている七夕の言い伝えに、ほう、と溜息が出た。内容は知っているものではあるが、ついつい見入ってしまった。
「七夕って、ロマンチックだよね……」
 ティアは細い指を頬にそえ、うっとりと目を細める。
 脳内では、織姫を自分に、彦星をヒースに置き換えた、めくるめく愛の物語が絶賛展開中である。
 一年ぶりに、恋人の逞しい腕に引き寄せられ熱い抱擁を交わし、落ち着いているようにみえても熱烈に重ねられる唇に、男の内に秘められた激しい想いを垣間見るのだ。ああ、なんて素敵。
 きゃっ、とティアは己の妄想に身をくねらせた。
 自分の考えで自分が照れていては世話はない。せめてもの救いは、それが可憐な唇から漏れ出していないことである。
「それはわかったが、今は甘い夢想よりも、確かな現実を見据えたほうがいいんじゃないのか?」
 妄想の彦星に仕立て上げられているとは知らずとも、その様子に思うところがあったのか。ヒースが至極冷静な声で、膨らんだ妄想という名の風船を割っていった。
 ティアは、冷や水を浴びせられた気持ちで、ほんの少し眉根を寄せながら振り返る。
 ノートパソコンを広げて陣取ったガラスのローテーブルの後ろは、革張りのソファだ。そこに深く腰掛けて、仕事の資料を読んでいたはずのヒースは、思った以上の呆れ顔をしていた。
「それに、雨の日は天の川も氾濫するから、橋もできず、二人は会えないのだと聞いたことがあるぞ」
 夢も希望もない。なんとも世知辛いことをいいながら、ヒースが窓の外に視線をおくるものだから、ティアもつられてそちらを見遣る。
 まあ、確かに。窓ガラスを勢いよく伝わり落ちていく雨に、ティアは眉をひそめた。室内からでもわかるくらいに雨足が強くなっている。
 朝、ヒースのマンションに向かっているときは、小雨だったのに。いつの間に、こんなにひどくなってしまったのだろう。
 一瞬、帰りが不安になったが、ヒースが車をだしてくれるだろうという淡い期待がティアの胸を掠めた。雨の町に車を走らせるヒースの横顔をみつめ、家の前についたら別れを惜しむような口付けをひとつ落としてもらうのだ。
 だけれど、あまりにも雨がひどくて道路が封鎖されているかもしれない。そうしたら――そうしたら、お泊り、とか。
 さきほどとは比較にならないくらいの照れくささが襲い掛かってきて、ティアは思わず顔を覆って床の上を転げまわりたくなったが、ヒースの手前それはできなかった。
 だが、この朴念仁はそういう繊細なことを考えくれそうにない。夕方あたりになったら、まるで猫の仔をつまみ出すような扱いで、ティアを家へと送り返すのだろう。恋人同士になってからというもの、男女の関係に至ったことは、まだ、ない。
 あせっているわけじゃないけれど、もうちょっとこう……ヒースの心のうちをみせて欲しいのに。
 ティアは、七夕のことだけでなく、積もり始めている不安を具現化させるように、唇を尖らせた。
「私ね、ヒースは乙女心をもうちょっと思いやるべきじゃないかなって、前から思ってるんだけど」
「そうか?」
「うん。わりと本気で」
 自分はごくごく当たり前、というような顔をしているヒースに向かってティアは座りなおした。
 それにね、とティアは立てた人差し指をふりふり、ヒースに教えてあげることにする。手を出してほしいな、といういじらしい乙女心は恥ずかしいのでいわないけれど。
「地上では雨が降っていても、雲の上は晴れてるもん。青空だよ? 綺麗な星空だよ? だからきっと、天の川は氾濫なんかしなくて、織姫と彦星はちゃんと会ってるんだよ」
「なるほど、そういう考え方もあるか」
 ふむ、とヒースが納得したように頷いた。対するティアは、ヒースを言いくるめられたことに満足して笑った。
 雲は地上にかかるもの。成層圏を突き抜けた神の世界ならば、きっとそんなの関係ない。
 いやまあ、ティアだって本気でそう思ってるわけではないが、そう信じたほうがなにかと素敵だ。愛し合う二人は、ちゃんと巡りあってほしい。
「でも、一年に一度だなんてやっぱりさびしいよね」
 もしも、ヒースと会えるのは一年に一度だけ、といきなり言われたら、ティアは納得できない。悲しい。寂しい。週末の休みにはほぼ二人きりでいるのに、毎日会えたらいいのにと、とせつなく思っているティアには、絶対に無理だ。
 想像しただけで、こんなにも気持ちが深く沈んでしまう。織姫と彦星が、とても不憫に思えてきた。
 と。
 ふわり、温かくて大きな手が、ティアの頭を撫でてくれた。なぐさめるようないたわりのこもった仕草に、ティアはヒースをぼんやりとみつめる。
 青灰色の瞳が、とっても優しい。幼い頃からずっと見上げてきたそれは、大人になっても変わらない眼差しで、ティアをみつめてくれる。
 ああ、すごく、好き。
 こうやってその瞳に映してもらえない日々が続くなんて耐えられない。どうあっても、この人と離れるなんてティアにはできそうにない。
 人に撫でられて目を細め喉を鳴らす猫のように、ティアはヒースの手に身を任せる。
「そうだな。ひどい遠距離恋愛だとオレでも思う。まだ、地球の裏側に相手がいるほうがましだな。それならば、いこうと思えばどんな手段を用いてもいくことができる。それに、これだけ通信技術の発達した世界ならば、電話でもメールでも、チャットでもなんでもできる。触れ合えずとも、想いをこめた言葉を交わせる」
「もしかしたら、神様の世界よりも便利になってるのかなぁ?」
「ああ。ここまで人類の技術が発展するとは、神だとて思ってもいなかっただろうさ」
「ふふふ」
 いままでに、ヒースと交し合った電話やメールの思い出が、ティアの心を軽くする。返る言葉は少ないかもしれないけれど、そこにティアへの想いを精一杯に綴ってくれていたのだと思うと、嬉しくなった。
 ティアは、ヒースの手をとって、頬を寄せた。このぬくもりが遠ざかることなんて考えたくはないけれど。
「あのね、でも、もし、ヒースが――……ううん、なんでもない……」
 一年、待っててくれる? それとも、他で恋をする? ――そう、訊ねそうになったのを堪えて誤魔化す。それは、ヒースの気持ちを疑うことだと思ったから。
 ヒースの長い指が、ティアの髪の間に潜り込む。引き寄せられるように、ティアが身を乗り出すと、ヒースが身をかがめた。
「なあティア、君はオレと会えなかったら、他の男と恋をするか?」
「ううん。絶対にしない」
 坦々とした口調の問いかけを、ティアは静かに、だがはっきりと一蹴した。
 なんて失礼なことをいうのだろうと怒ってもいいところだが、もともとティアも同じことを訊こうとしていたのだ。そんな立場じゃない。
「私はヒースがいいの。ずっと、ヒースだけがいい」
 この世界でこんなにもヒースを求めているのは自分だという自負がある。瞳に凛と力をこめて、ティアは言い切る。何度でも、何度でも。死の間際でも、この想いを伝えてみせよう。
 指先を優しく頬まで滑らせたヒースが、笑う。
「オレも同じだ。君が織姫でなくて、よかった。一年など到底待てない。もしも、彦星の立場になったなら、なんとしてでも会いに行く」
「ヒース……!」
 ティアの心を大きく揺さぶり感動にうち震わせるヒースの言葉に、感無量だ。ふわ、と空気がまろやかにあまくにおいたつように変わった気がした。
 胸の前で祈るように両手を組み、感激に頬を紅潮させたティアは、「ん」と瞳を閉じてわずかに顎を持ち上げた。
 もちろん、キスが欲しいという無言のアピールである。この流れと雰囲気ならば自然なことだ。
 びくりと、震えたヒースの手が離れていく。
 どきどき、わくわく。
 甘酸っぱい気持ちで、ティアはヒースからの口付けを待つ。
 が。
 いつまでたっても、唇に触れるものはなにもなく――やがて、ぽこん、と頭上で軽い音が響いた。
 わずかな衝撃に目を開けば、丸めた書類の束をもとのように開きながら、ヒースがあきれた顔で見下ろしていた。
 むう、とティアは唇を尖らせる。どうやら、さきほどまで目を通していた書類で、諫めるように小突かれたようだ。
 さしたる痛みなんてなかったけれど、自分で頭を撫でながら「ひどいよ」と睨みつける。女の子に恥をかかせるなんて、いけないと思うのだ。
 さらにいうなら、二人は恋人同士なのであるわけだし、多少融通を利かせてくれるべきだ。あそこは、ちょっとなにか思うところがあっても、キスをするべき場面であるはずだ。
 ヒースが、ようやっと乙女心のなんたるかを理解してくれたのだと思ったのに、なんということだ。やはりヒースはヒースだった。朴念仁のうえに頑固者。どこまでいっても理性的。
 ティアの憤りをふんだんにこめた視線もなんのその。ヒースは深く深く溜息をついている。とても疲れたとでも、いうように。
「……まずは目の前のレポートを片付けろ。真面目に勉学に励め。さもないと、本当に織姫と彦星のようになるぞ」
「うっ! それはやだよ……っていうか、やっぱりそうなるよね……」
 えぐえぐと泣き言を漏らしながら、ティアはパソコンに向かいなおす。軽く、否、重く現実逃避をしていたけれど、明日提出のレポートをはやく仕上げなければ。単位を落としたくはない。
「当たり前だ。織姫と彦星は、自分たちの勤めを忘れたことが原因で引き離されたのだ。逆に考えれば、自分のなすべきことをなしてから恋愛をすれば、誰にも咎められることもないということだろう。ならば、やるべきことはわかるな?」
「……うん……わかってる、ごもっともです……」
 つまりは、ヒースの場合、勤めが仕事であるように、ティアの場合は勉学であるということだ。
 ヒースとの仲を認めてもらうためにも、勉強で手を抜いてはいけない。恋にうつつを抜かして、成績が悲惨なありさまにでもなろうものなら、両親のヒースに対する評価も下がってしまう。こうして遊びにくることも許してくれなくなるだろう。それは嫌だ。幸せな結婚をするためにもそこは譲れない。ようやくヒースとここまでの関係になれたのだ、逃がしてなるものか。
 でも――と、ティアは少しだけ肩を落としつつ、振り返る。肩越しにヒースに語りかける。
「……じゃあ、ヒース、あのね……終わったら、私と恋愛してくれる……?」
 もっと単純にいえば、ヒースといちゃいちゃしたい、というおねだりである。ご褒美がほしいなぁ、と甘えるように見上げれば、小難しい顔をしていたヒースが、しょうがないなと表情を崩した。困ったような、諦めたような、でもとても優しい顔。
「そのためにも、はやくレポートを書き上げろ。ティアの好きなケーキも買ってある」
「え、ほんと?! はやくいってよー! 約束だからねっ、私がんばる! もうちょっと待ってて!」
 ヒースとの甘い一時と、美味しいケーキ! なんという幸福!
 まるで目の前にぶらさげられた人参を追いかける馬にでもなった気分で、ティアは鼻歌交じりに、キーボートに指を軽やかに走らせる。
 だから、ティアは気づかなかった。
 その背後で、ヒースが顔を覆ってしまったことに。その耳が、ほんのりと色づいたことに。
 天の川ほどの大きさではないけれど、二人の間を流れるわずかな隔たりの川を、自重・配慮・我慢・責任・その他諸々を一抱えにしたヒースが飛び越えたとき。
 自分たちの勢いが逆転することになるなどと、レポートに集中しはじめたティアに、未来予想できるわけがなかった。