嫉妬なんてオレらしくない

3つの恋のお題ったー 「嫉妬なんて俺らしくない」より。

 

 

 うららかな空の下、ティアは機嫌よくローアンの石畳を駆けていく。
 今日も今日とて商売にいそしむ双子たちに挨拶し、街角に佇み小説の思索に耽る詩人に声をかけ、太陽の光に輝く噴水前へ階段をあがっていく。
 息をはずませ、一段一段のぼっていく。
「おまたせー!」
 そして、中央公園の噴水前に立つ、よく知っている人影に、ティアは手を振った。
 暇つぶしにか、小さく笑いながら会話を交わしていた彼らが、振り向く。
「よー、おせーぞ、ティア!」
「え? 時間ぴったりじゃないかな」
「うるせぇな、オレより遅いんだからいいんだよ」
 レクスの言葉に、デュランが首を傾げている。
「二人ともはやいね」
 駆け寄って、ティアは二人を交互に見遣る。勇者たるよう振舞うデュランは時間をきちんと守るほうだから、先に待っているだろうとは思っていたが、レクスもとは。
 ティアの疑問にこたえるように、デュランが笑う。
「レクスと一緒に、街のパトロールをしてきたんだ」
「あ、なるほど。レクスが私よりはやくついてるなんておかしいと思った!」
 きゃらきゃらとデュランと顔を見合わせてティアが笑うと、レクスが顔を顰めた。
「おまえが無理やりひっぱっていったんだろうが! 朝っぱらからきやがって……!」
「それのおかげで遅刻せずに済んだからいいじゃないか」
「ねー」
 デュランとティアのいうことがもっともだと思ったのか、レクスが嫌そうな顔をしてそっぽを向く。いつも遅刻するという点を、一応は悪いと思っているのかもしれない。
 そんなレクスが、ふと何かに気付いたような顔をして、ティアに向き直る。
「でもおまえ、いいのかよ、こんなことしてて」
 言われた言葉の意味がわからず、ティアはきょとんと目を瞬かせた。
「えっと、なんのこと?」
「なにって、そりゃー……恋人できたっていってたじゃねーか」
 なんだか気まずそうに、レクスが頭を乱暴に掻きながら、言う。
 うん、とティアは頷く。つい先日、ヒースからの告白を受け、晴れて恋人同士になったばかりだ。レクスやデュランに、ついつい嬉しくて話をしたのだから間違いない。
 だからといって、なぜここでヒースの名前がでるのだろう。
「ヒースさんのことだよね? ヒースさんが、どうかしたの?」
「大丈夫なのかってきいてんだよ」
「うん大丈夫。昨日会ったけど、元気そうだったよ!」
「そうじゃねぇ……」
 ヒースの様子を気にしてくれたのだと思い、満面の笑顔でティアはそう答えたが、どうやらレクスの訊きたかったこととは違うらしい。
 レクスが頭を抱えたのをみて、デュランが前にでる。
「ええっとね、ヒース将軍は、怒ったりしないのかなっていうことなんだけど」
「んー、今まで怒られたことないなあ。あ、稽古のときはべつだけど」
 わずかに考え、ティアは小さく頭を振った。実際、ヒースにこっぴどく叱られたことなんてない。徒手流派の稽古だって、剣の相手をしてもらっているときだって、動作の甘さや気の緩みを的確に指摘されるときはあるが、その口調はよき指導者そのもので、むやみやたらに威張ったり怒鳴り散らしてくることは絶対にない。
 ティアの言葉に、ぱあとデュランの顔が輝いた。
「って、ティア、ヒース将軍に稽古つけてもらってるのかい?!」
「うん、ときどきだけど」
「すごいね! うわぁ、僕も剣をみてもらいたいな……!」
 ヒースは帝国はおろか王国でも有名な剣士であり、デュランが憧れるのも無理からぬ話。ティアは、くすくすと口元に手をあてて、小さく笑う。
「今度きいてみようか? デュランも一緒にいいですか? って」
「ほんとかい?! じゃあ、お願いしてもいいかな……、あ、父さんには内緒で!」
「それは、うん、もちろんだよ」
 ヒースに対して並々ならぬ執着をみせる師匠のことを思い出し、ティアは当然ですといわんばかりに頷いた。やれ、ヒースと剣の稽古です、なんていったが最後、乱入されかねない。
「おいおい、話がどんどんずれていってねーか……?」
「あれ? そういえばなんのお話してたっけ?」
 レクスの呆れた声に、ティアは頭の上に疑問符を浮かべる。
 わずか数分前のことを思い出そうとして――。
「あ」
 ぴく、とティアは肩を震わせた。そして、振り返る。
 大きくて、温かい、安心できる気配を察知して、背伸びをする。そして、胸を高鳴らせた。ティアをそうさせるだけの人物はゆっくりと、だが隙のない足裁きで南方向、つまりティアたちがいる方向へと歩いていくる。
「ヒースさーんっ」
 ぶんぶんと手を大きく振り、ぴょんと跳ねる。ガキじゃあるまいし、やめろ! というレクスの声はティアの耳には届かない。そんなふうに自分の所在を知らしめれば、ヒースが気付かぬわけがない。こちらに顔を向けられた瞬間、ティアは駆け寄って飛びつきたくなったが、なんとかこらえた。
 青灰色の瞳が、瞬きを繰り返す。おや? と太い首が傾いた。
「ティア? ああ、それに君たちも。こんにちは」
「こ、こんにちは! ヒース将軍!」
「……どうも」
 丁寧に頭をさげるデュランと、ぞんざいにこたえるレクスの姿は対照的だ。
 ティアは、そんな二人を置いて、歩み寄ってきたヒースへ小走りに近づいた。
「ヒースさん、どこいくんですか?」
「砦まで、ちょっとな。そういう君たちは――なんだ、三人で遊んでいるのか?」
 ヒースが、レクス、デュランそしてティアを順繰りに見遣る。
「はい! 帝国からきた旅の一座をみにいこうね、って約束してたんです」
「ふむ」
 なるほど、と頷いたヒースが、優しく笑う。大きなヒースの手が、ティアの頭にやわらかに乗せられる。
「そうか、楽しんでくるといい」
「はい!」
 ゆっくりと手のひら全体で撫でられて、ティアはくしゃりと笑う。その様子に、ヒースの笑みが一段深くなった。
「では、失礼する」
 レクスとデュランに律儀に挨拶をして、ヒースはローアンの南へと去っていく。そのまま街道に出て、ワーグリス砦へと向かうのだろう。
「……ヒース将軍、落ち着いてるね。大人だなあ」
「……普通、自分の女が男とでかけたら嫌な顔するもんじゃねーの?」
 大きなヒースの姿が見えなくなった頃、どこか感心したようなデュランと納得いかない顔をしたレクスがしゃべるのを、ティアは聞き逃さなかった。
「ヒースさんはそんなことないよ? 嫌な顔って……みたことないもん」
 そろそろいこうよと声をかけ、ティアが歩き出すと、両脇にレクスとデュランが並んだ。
「誰といても何か言われたことってないし。そういうの、気にしない人みたい」
 歩きながらそうつけたせば、レクスが肩をすくめた。
「……男心のわかんねー奴。ああいうのに限って、すげえ嫉妬深かったりするんだぜ、気をつけろよ? いきなりブチ切れられてもしらねぇぞ」
「そうなの?!」
 ティアは、レクスの言葉を真に受けて、傍らのデュランを思わず見上げた。びく、とデュランが怯えたように半歩離れる。
「ぼ、僕に訊かれても……! ど、どうかなあ……? ――でも、僕だったら、大好きな女の子が誰かと一緒にいたら嫌、かな」
「……」
 んー、と首をティアは首を捻る。レクスとデュランの意見も、男側からの意見なのだから、間違いっていうことはないはず。ならばそれに該当するかどうかは、ヒース次第ということだ。
「じゃあ、今度きいてみるね! ――あいたっ」
 勢いよく頷いてティアが言うと、ぺし、とレクスに頭をはたかれた。
「バーカ、そんな直接的にきいてどーすんだよ!」
「だ、だめなの?」
 軽い衝撃をうけた箇所を手でおさえながら、ティアは男の子二人を交互に見上げた。レクスとデュランが顔を見合わせ。同時にため息をついた。
「こりゃ、苦労するぜ……。あのおっさんには同情するしかねえな……」
「ははは……そうかも」
「うう~……!」
 友人二人のいいように、ティアは自分の対応に問題があることだけは理解した。
「ま、おまえがそんなにガキくさいから、嫉妬なんてしてねーのかもしれねぇけどー?」
「!?」
 ニヤリ、からかうように人の悪い笑みを浮かべたレクスの言葉に、ティアは、ガン! と殴られたような衝撃を受けた。さきほどはたかれたときよりも、脳が痛む。
 だってそれは、ティアが一番気にしていることだ。
 子供くさい。
 ヒースのような大人に釣り合わないと、ずっと思っていたから。
「ティ、ティア! そんなことないよ、ヒース将軍だって、心の中では心配してるんだよ、きっと、うん!」
 うる、と涙目になったティアに気付いたデュランが、わたわたと慰めてくる。
「……うん」
 デュランの優しさに、小さく笑うと、レクスが背を叩いてきた。
「ま、あんま気にすんな」
「もー、レクスのせいでしょっ」
 そんなことを話しつつじゃれあいつつ、ローアンの東、ジャッジメントリンク大会や、武術大会が開かれる競技場へと、三人で向かう。
 到着したそこには、大きなテントが張られていた。そこで繰り広げられる異国の旅芸人たちの妙技は、噂できいていたとおりすばらしいものだった。
 が、ティアは何をみても、どこか上の空だった。
 ヒースさん、私に嫉妬するのかな? もしかして、してくれてるのかな?――そんなことばかり、考えていた。

 

 

 一度でも気になってしまえば、もうどうしようもなかった。
 ずっとずっと、そればっかり考えてしまう。
 ティアはヒースが大好きだから、ずっと一緒にいてほしいといわれて、それこそ天にも昇るような心地だった。嬉しくて仕方がなかった。
 そのときの高揚感が、心の深いところに色あせることなく存在し続けているから、『嫉妬』という言葉自体、頭から消えていた。
 でも、そういう感情があることを思い出してしまった。知りたいと思ってしまった。
 ヒースは、自分にどんなふうに嫉妬してくれるのか――気になる。
 と、いうわけで、ティアは実行に移してみることにした。
 レクスが言うように、直接訊くべきことでないならば、嫉妬してくれているのがわかるくらい、感情をあらわにしてもらえばいいじゃない!――という単純な思考の結論である。「妬ける」という一言を引き出せれば大成功だ。
 よし、と意気込んだのはよかったが、はて、とティアは気付いた。
 どうやったら、そういう状況になるんだろう? と。
 レクスやデュランと遊びにいっても、あの反応である。ということは、あの二人に手伝ってもらうのは却下。
 ウルやレンポに手伝ってもらおうにも、ヒースには精霊がみえない。論外だ。
 と、なれば、あと、ティアが助力を仰げるのはアンワールだけだった。
 思い立ったら即実行。
 目的を持ったティアの行動は迅速だ。
 さっそく、ローアンの街の片隅、いつもの定位置で風に吹かれていたアンワールを捕まえ、一緒にヒースのところにいってくれないかとお願いしたら、ふたつ返事で頷いてくれた。
 そうして、ヒースのもとへ二人で出かけたのだが――嫉妬されるどころか、二人そろって頭を撫でられ、お菓子を貰ってしまった。
 だけど、いい匂いのする焼き菓子はとてもおいしくて、アンワールと笑みを交わしながら食べていたら、ヒースが優しく目を細め、にこにこと笑ってくれていた。
 あまりみる機会のないその笑顔に、ティアは頬を染めてはにかんだ。
 そんなこんなで、嫉妬させるという当初の目標は、お菓子の甘みで遠くへと追いやられ、幸せ気分いっぱいなティアとアンワールは、ヒースのもとを離れた。
 そして街角でアンワールとも別れ、家に帰ってからようやくティアは気付いた。
 嫉妬されるどころか、二人あわせて可愛がられてしまったのだ、と。
 それが昨日のことである。
 これ以上、自力ではどうしようもないと悟ったティアは、ヒースの一番身近な人物――ヴァイゼン帝国皇子であり、ヒースの上司であるヴァルドのもとを訪れていた。
 面会して早々、ティアはひととおり、自分の目的と現状とその問題点を話した。
「……ヒースにやきもちをやかせたい、ね……」
 しばらく黙ってティアの話をきいていたヴァルドの秀麗な顔が、わずかに歪む。笑いをこらえているのだろうと察したティアは、唇を尖らせた。肩や手、頬がぷるぷるしているのに、そうでないとはいわせない。こちらは真剣なのに、他人事だと思って面白がられれば、いい気はしない。
 ばん、とティアははしたなく、かつ失礼にも、テーブルを両手で可愛らしく叩いた。
「だって! ヒースさんってば、誰かとでかけようとしても止めてくれないし、遊んでても文句いわないし……! 男の子と一緒に会いにいったらお菓子くれるし……! もうどうしようもなくて……」
「ふ、ふふっ、あははは!」
 ティアの精一杯の主張に、とうとうヴァルドが笑い出した。
「もー! ヴァルド皇子、笑わないでください!」
「す、すまない、いや、笑うつもりでは……なかったのだけれど……」
 ときおり肩を強く震わせてるものの、ようやく落ち着いたらしいヴァルドが、ゆったりと手を組み合わせる。
 赤い瞳が柔らかに細くなる。穏やかな、人の上に立つべき者がもつ王者の気風に、ティアはふくれっ面を納めた。
「ヒースが嫉妬しないことに悩んでいるようだけれど、それは、ティアのことを信用しているからではないかと私は思うよ」
 ヴァルドの言葉に、ティアは目を瞬かせ、長い睫をそっと伏せた。
「でも……私が魅力ないからかもしれませんし……」
 レクスがいっていたとおり、子供っぽいからと思われているのではないだろうか。子供に嫉妬する男などいないだろう。
 すとんとなだらかな自分の体に手をおいて、ティアは泣きそうに震える声で、己が抱く不安を訴える。
「そんなことはない。ティアは、可憐で可愛い。私が保証する」
「皇子……」
 ぽ、とティアは頬を赤らめた。
 ヴァルドに真正面からそういわれて、心地よくない女の子なんて、そうそういないだろう。まさに、世の王子様像にぴったりあてはまるような存在なのだから。
「あ、ありがとうございます」
 褒めてくれた心が、気遣ってくれたことが、素直に嬉しい。ティアが、照れくさく笑いながら礼を述べると、ヴァルドもまた微笑みを返してくれた。
「ああ、やはりティアは可愛らしいね」
「も、もう……! ヴァルド皇子ってば……」
 ぽぽぽ、とさらに顔を上気させ、ティアは恥ずかしさをこらえるために、上着を強く掴む。
「いつも一生懸命で健気だし、ティアのことを嫌う男は、世のどこにもいないだろう」
 ティアは、あまり褒められなれていない。だから、こんなふうに直接言葉をぶつけられるとどうしたらいいのかわからなくなる。
「瑞々しい果実を思わせる髪の色も、優しい瞳の色も、とても素敵だよ。肌は白いくて帝国の冬の雪を思い出させてくれるし、花びらのような唇からこぼれる声だって、とても愛らしい」
「ちょ、あの……お、皇子……!」
 もうやめてください、と小さくか細く訴えるが、にこにこと笑うヴァルドの賛辞はとまらない。
 ティアは、自分の顔が熱で溶けてしまうんじゃないかと思う。
「それになにより、君は人に優しい気持ちを抱かせるなにかを持っている。そして逆境に立ち向かい、諦めない意思の強さは美しい。私も憧れているよ。わずかでも、君のようでありたいと」
「……」
 もう無理。ティアは真っ赤になって、震える手で耳をおさえた。いつもは冷えているはずのそこも、熱で覆われていて居た堪れない。
「林檎みたいで可愛いね、ティア。たべてしまいたいくらいだよ」
「おうじ……!」
 ばくばくと心臓がうるさくて、ティアは涙目でヴァルドを睨む。
「お、おうじだって、か、かっこいいですもん……!」
 なけなしの、抵抗にもなっていない抵抗に、ヴァルドは優雅に微笑んだ。
「ありがとう、君にそういってもらえるのは嬉しいよ」
「う~~……」
 だめだ、勝てない。無理無理無理。恋人であるヒースにだって、こんな手放しで褒められたことはない。
「ティアは、どうかな?」
 小鳥の羽ばたきのように、長い睫を上下させ、ティアは息を飲む。そういわれたことへの感想を求められて、視線を泳がせる。
「……う、うれしいです……とっても。ありがとうございます」
「それはよかった」
 もじもじとしながら伝えれば、満足そうにヴァルドが大きく頷いて――斜め方向に視線を向けた。
「さて、と。彼女の要望どおり、嫉妬はできたかな?」
 皇子の執務室から続く隣室から、大きなため息が聞こえ、ティアは思わず肩を跳ねさせた。
「ヴァルド皇子……からかわないでください」
 疲れきった声を漏らしながら姿を現したのは、ヒース、だった。どこか不機嫌そうな気配を纏っている。
 ひぃ、とティアは喉の奥を鳴らした。

 というか、いつからそこに――?! どのあたりから聞いてたんですか――?!

「ああ、誤解しないでほしい、ティア。ヒースは隠れていたのではなくて、私の仕事の手伝いで書類をみていたんだ」
「君が来室したときに、顔をだそうかと思ったんだが……。君が勢いよくしゃべりだしたものだから、出るきっかけを失ってしまってな」
 盗み聞きをするつもりはなかったと、ヒースが詫びる声が、やけに遠くから聞こえる。もちろん、実際の距離が遠いのではなくて、ティアの意識が現実から遠ざかっているせいだ。
 ああ、これで、ヒースに嫉妬させたい作戦は、水の泡である。
 いやいや、その作戦にヴァルドが乗ってくれて、こういう状況を作ってくれたのだから、一応成功といえば成功なのかもしれない。
 青くなればいいのか赤くなればいいのか、謝ればいいのか逃げ出せばいいのか。何一つ判断できず、ティアが固まって動けないでいると、ふふ、とヴァルドが笑う。
「いや、実に可愛い恋人じゃないか、ヒース。嫉妬してもらいたいなんて、とてもいじらしい言葉にきこえるよ。どうして希望に沿った行動をしてあげないのか、理解できないな」
「いや、ですから、からかわないでください」
 静かにヴァルドへ書類の束を手渡しながら、ヒースが眉間に皺を寄せて言う。
「そうだ、ティア」
「は、はい!」
 急に名前を呼ばれ、縮こまっていたティアはやたらと元気に返事をする。
「上司の権限で、今日はもうヒースに休暇を与えようと思うから、私たちのやりとりをどう思ったのか、じっくり訊いてみるといい」
 ぴし、と空間が強張ったような気がした。
 おそるおそる視線だけを向けると、ヒースもまた、ティアをみていた。
「ひ、ひーすさ……」
「では、お暇させていただきます。ティアに、いろいろと言いきかせなければならないようですので」
 ティアが何か言いかけたのを遮る、にこやかなヒースが怖い。
「きゃあっ」
「暴れるな。落としはしないが、おとなしくしてくれると助かる」
「喧嘩をしてはいけないよ。仲良くね」
 ひょい、と小脇に抱えられたティアは、じたばたと手足を動かし、助けを求める。
「ああぅ、お、おうじー!」
 だが、懸命に伸ばした手をとられることはなく。ヴァルドは微笑みながら、優雅に手を振り返してくるだけだった。
「うわぁぁん!」
 皇子に見送られ、ティアはなすすべなく連行された。

 

 

 城内ですれ違う小間使いの人たちの好奇の視線が突き刺さる中でも、堂々と歩き続けるヒースの力強い腕から逃げられるわけもなく――ティアは、ヒースの執務室へと連れ込まれた。
 ソファへと優しく降ろされたティアは、縮こまって顔を伏せる。その隣に、ゆっくりとヒースが腰掛けた。
「どうも君の言動がおかしいとは思っていたんだが……」
「……すみません……」
 ますます小さくなって、ティアは半泣きになって謝った。
「まさかそんなことだとは思わなかった」
 理解が追いつかないといわんばかりに、ヒースが頭を抱えた。
「なんだ、オレにやきもちをやかせたい? だったか?」
「えー、えっと、はい……」
「それで昨日、彼と遊びにきたのか」
 洗いざらいぶちまけたのをきかれていたのだ。いまさら取り繕う意味はない。ティアは、素直に頷いた。
「はい。アンワールならついてきてくれるだろうなって思って」
「なるほどな……」
 ヒースが、眉間の皺をほぐすような仕草をする。何か言われるのは怖い。でも何か言うのも怖い。ティアは、いたずらがばれた子供の頃の心境を思い返しながら、ばくばくと嫌な鼓動を繰り返す心臓の上に、手をあてた。
 考えてみれば、勢いだけでやきもちやかせてみたいと思い立った今回のことは、ヒースを意図的に騙そうとしていたということではないか。
 ただただ、自分へ向けられる感情がどういうものか知りたいだけだったが、逆にそうされたらと思うと……最悪だ。
 たとえば、ヒースが綺麗なお姉さんをはべらせて、自分を置いてどこかへ遊びにいったらとしたら――すごく嫌だ。それがティアの反応を知るためのものだとしても、嫌だ。
 ようやく気付いたそのことが、申し訳なくて申し訳なくて。ティアは呼吸すらままならなくなってきた。なぜもっとはやくわからなかったのだろう。やはり自分は、わがままな子供なのだ。されて嫌なことを、他人――否、一番好きなひとにするなんて。
 しょんぼり。ティアは自己嫌悪に肩を落とした。これは怒られたって仕方ない。
「君の言いたいことはよくわかった。やりたいこともよくわかった。……どうしてそういう考えにいたったのかだけが理解できんがな」
 あぅ、とティアは小さく唸った。自分でもどうしてそう思い立ってしまったのか。もうよくわからない。
「ティア」
「は、はいっ」
 真剣な声音で名を呼ばれ、ティアは顔をあげた。
 す、とわずかに顔をよせたヒースが、膝に乗せていたティアの手に、手を重ねてくる。やわらかに力をこめられて、肌が心地よさに痺れた。
「オレだって人間だ。当然、嫌な感情だって持ち合わせている。だからといって、それをすぐ表にあらわにするようではいけない。違うか?」
「……はい。そう、ですよね」
 ヒースは大人。そして、帝国の将軍だ。普段から感情をあからさまに、前面にだすわけにはいかないだろう。そんなことでは兵を率いる将の器とはいえない。
「それに、」
 あー……、と気まずそうにヒースが口ごもる。そんな風になるのは、珍しい。ティアが物珍しさについつい見入っていると、ぎゅっと一度その唇が引き結ばれた。
 次いで漏れる、観念したような吐息。

「――嫉妬なんて、オレらしくないだろう?」

 僅かに視線を下げ、ぶっきらぼうに言うその様子に、ティアはぽかんと口をあけた。
 それはつまり。
「ええっと、それだと……あの、嫉妬してる、けど……私の、その……」
 ティアの中にある、冷静で頼れる大人の男であるヒースへの理想を壊したくないと――そういうこと?
 ティアは、ヴァルドにからかわれたときの比ではないくらい、顔を真っ赤にした。全身が、火照る。
「じゃ、じゃあ、ヒースさん、嫉妬しないってわけじゃ、ないんですね……?」
「……まあ、な」
 苦虫を噛み潰したような渋い顔をするヒースに、ティアは身を寄せる。
「じゃあ、じゃあ、さっきの……さっきのはどう思いました?!」
「皇子とのやりとりか?」
 ますます、ヒースが嫌そうな顔をする。さきほどの光景を思い出しているのかもしれない。はやく、はやく、と急かすように、重ねられたヒースの手をティアはぎゅっと握り返す。
「……いい気分はしなかった」
「!」
 ぱああ、とティアは顔を輝かせた。甘く熱い吐息が、胸の奥から自然とこぼれる。妬いた、という言葉ではないけれど、それはティアにとって十分すぎるものだ。
「君は、ああいわれるのが好きなのか?」
「好きってわけじゃないですけど……嬉しかったです」
「……」
 むっつりとヒースが黙り込む。その様子に、ティアの胸がきゅんとないた。言ったら怒られるだろうが、可愛いとしか思えない。歓喜が、全身をふるふると揺さぶる。
「えへ、えへへ、ごめんなさい」
「笑いながら謝るな」
 むに、と頬をつねられても、ティアの笑みはとまらない。
「でも、いまのほうが、さっきよりずーっと嬉しいです……!」
「困ったやつだな」
「はい。だから、ごめんなさい」
 甘く蕩けるように微笑みながら、ヒースの手に頬を寄せてティアが重ねて謝ると、ヒースの指先が唇から頬を愛しげに辿る。
「頼むからこれっきりにしてくれ。君に幻滅でもされたら、かなわん」
「そ、そんなことありえません!」
 ティアの剣幕に驚いたらしく、ヒースが僅かに目を見開く。
「私はそういうヒースさんも、みてみたいんです!」
 む、とヒースが僅かに顔をしかめる。だがそれは怒っているのではなく、照れているのだと察したティアは、くすくす笑う。だってほんのり、目じりが色づいている。本人は気付いていないのかもしれないけれど。
「ヒースさんが怒ったところも、笑ったところも、嫉妬するのも、私、ぜんぶぜーんぶみたいんです!」
「……趣味が悪いな」
「ヒースさんのことだから、いいんです!」
 大好きな人だからこそ、いいところも悪いところも、すべてがみたい。綺麗なもの、汚いもの、全部あわせてこその人間なのだから。
 ばりばりと、ヒースが頭を掻く。
「――そうだな。君が、受け止められるようになったと思ったら、すべてみせてやってもいい」
「いまじゃだめなんですか?」
 不満だと告げるが、ヒースは頑なだ。
「だめだ。――……さすがに、いま好きにしたら君は絶対泣くだろうし、無理はさせたくはないし……――……はあ……」
「え? なんですか?」
 ため息前の、小さな呟きがよく聞こえなかったティアはもう一度言って欲しいと願ったが、ヒースは憮然としたまま、頭を振った。
「なんでもない。ほら、ティア」
「きゃっ」
 横に座っていたティアを、軽々と引き寄せ自分の膝上に置いたヒースが、瞳をあわせてくる。
「これからは、へたな挑発はしないこと――いいな?」
「はぁい」
 ヒースの腕に囲われながら、頬を緩ませたティアは腕を伸ばす。
「とりあえず――今はまだ、物分りのいい大人の顔をさせてくれ」
 囁くように落とされた、男の見栄がくすぐったい。
「じゃあ、……いつか、みせてくださいね」
 もっともっとたくさんの、愛おしいあなたをを知りたいから。
 太いヒースの首にかじりつくように抱きついたティアは、頬を摺り寄せて甘える。ヒースの大きな手が、背中にあるという安心感は、ここが自分のいるべき場所だと教えてくれている。
「いやというほどにな」
「じゃあ、楽しみに待ってます!」
 ティアは顔をあげ、やったぁ! と心から喜ぶ。
「嫉妬されるのを楽しみにするとはな……はははっ」
 仕方ないなと苦笑するヒースと、こつんと額をあわせて、また笑いあう。
 いまはこのまま、ただ幸せであれればいい。いつかヒースがすべてを曝け出してくれる日を待ちわびて。
 ティアはもう一度、愛しい恋人を力いっぱい抱きしめた。