また泣かせたな、すまない

3つの恋のお題ったー 「また泣かせたね、ごめん」から。ちょこっとヒースっぽくに変更しました。ティアへのお題だったのですが、ヒース視点で。

 

 

 ヒースは、真っ暗な道を歩いていた。
 ふと、なぜ自分が歩いているのかわからなくなって、立ち止まる。
 そういえば、ここがどこだかもわからないということに気付いて、頭を巡らす。
 右を見ても、黒。左を見ても黒。下も、上も、すべて黒一色。
 そのせいで、立っている、という感覚さえ狂ってくるような世界――つまりここは、どうしようもない闇のなかだった。
 そのくせ、自分の体は視えるという不思議。
 わきわきと、手を動かしてみる。ちゃんと動く。声を出そうとするが、それはでなかった。
 無音の世界で、ああ、とヒースは息を吐きながら気付く。
 なんのことはない、これは夢なのだと。
 こんな現実感のない世界・感覚は、それくらいしか心当たりがない。
 夢とわかってしまえば、やることはとくにない。目覚めるまで待つだけだ。
 ヒースは立っているのも面倒だといわんばかりに、ごろりと横になった。
 本人は横になったつもりだが、実際のところそうではないのかもしれない。しかし、夢であるならばどうでもいいことだろう。
 闇に目を凝らしても、何も見えないならば意味はない。
 ゆっくりと、ヒースは瞳を閉じた。そこもまた、闇だった。
 どろり、すべてが溶けて混ざりあっていく気がする。
 自分という個が、すべてに消えていくような感覚は、恐ろしくもあり、心地よくもある。
 そういえば、この闇色の夢を見る前、自分は何をしていただろう。
 戦場に身を置く者としては、ゆっくりと風呂を浴び、温かく柔らかな寝床にはいったわけではないだろう。
 だが、そうしたごく当たり前の考え方に、違和感を覚える。そんな経験が、あるような気がしたのだ。まさか。このオレが?
 ふ、とヒースは自嘲気味に笑う。
 ずっと、自分はそうして生きてきたではないか。これからも、そうして生きていくはずではないか。
 それなのに、そんな人並みの幸せを微かにでも望むようなことを思うなんて、夢にしても都合がよすぎる。だが、夢だからこそ、そんな綺麗なものに憧れても許されるような気がした。
 しばし、穏やかな闇に包まれて、幸せな夢を追いかける。
 ふいに、ちらちらと、星よりもなお小さく、だけれど確かに瞬く光が、閉ざした視界ではなく脳裏を過ぎる。
 血と死に塗れた道の先、導くようにみえる希望の光は、きっとこんな感じなのだろう。
 そんなもの、みつける資格もないくせに、やけに懐かしく思えるのはどうしてだろう。
 こんなにも愛しいと想うのは、なぜだろう。
 傍にいて欲しいと願ってしまうのは――。
 まどろみの中、ヒースを誘うような光について、まとまらない考えをめぐらせる。
 と。
 ふいに、ぱたぱたと生ぬるいものが、頬に落ちるのを感じた。
 夢のくせして、そんな感覚があるなんて、変なものだ。だがそれも夢なのだから、という一言で片付けられる。
 優しい雨だ。でも同時に、悲しみを帯びた雨。
 ヒースは、薄く瞼を開く。
 そこは相変わらずの闇。
 だけれど、遠い遠いはるか遠い上、そのさらに上から、だれかの、呼ぶ声がするような気がした。
 いや、小さくか細く、嗚咽交じりに、泣き声まじりに、誰かが確かに自分を呼んでいる。
 はらはら。
 雨は止まない。
 ああ、泣いているのかと、胸を申し訳なさに痛めながら、ヒースは思う。
 どうした、なぜ泣いている。
 泣かないでくれ。君には笑っていてほしい。
 君? 君とは、誰だ。
 混乱してきた頭で、考える。
 ぎゅ、と目頭に力をこめると、ずきりと全身が痛んだ。とくに、胸部がひどく痛む。鼓動にあわせて、体が軋んだ。
 痛い。
 痛いけれど、ヒースは必死に考える。
 その瞬間、ひらり、闇色の世界に翻る赤。さらり、闇になびく明るい茶。柔らかな白。
 とん、とヒースの傍らに鮮やかな色彩が降り立つ。
 突如としていうことを聞かなくなった体を無理やり起こし、ヒースは顔をあげた。
 すぐそこに、少女がいた。横たわるヒースのすぐそこで、しゃがみこんでいる。ぽろぽろと涙を流しながら、ヒースを見つめている。悲しそうに、寂しそうに、辛そうに。
 あ、と出ないはずの声が漏れた。
 ぎこちなく、手を伸ばす。
 夢のせいか、痛みのせいか、顔がよくみえない。ただ、泣いているのだけはわかった。
 彼女が何者であるか。
 そんなこと、考える必要もない。
 森の霧が晴れていくように、記憶にかかった闇が、振り払われる。
 塗れた頬に、指を添える。そっと、そこに細い指がかかる。甘えるように、いたわるように、寄せられる頬。

 そして、ヒースはその名を、世界で一番愛しい者の名を唇に乗せた――

「ティ……ア……? っ、……!」
 濁流のように押し寄せてくる痛みに、ヒースは呼びかけの声を引き攣らせた。
 先ほどまでの闇は、周囲に欠片もない。ぼやけた視界が、少しずつ明確になっていく。ここは光と色に溢れた場所。
 ゆっくりと、視線だけを動かす。
 綺麗に整えられた部屋。清潔なシーツのかけられた寝台。わずかに血が滲む、包帯のおかれた小さな机。
 そして、寝台の傍らに――――愛しい少女が、いた。
 夢から覚めたのだと思う間もなく、血の気が引く。
 大きな瞳に、いっぱいの涙。次から次へと大粒の雫を落としながら、ぎゅっと唇を噛み締めているティアに、ヒースは顔面蒼白になった。
 そうだ、と。
 ヒースは遠ざかりかける意識をなんとか掻き集めつつ、思い出していく。
 王国にほど近い帝国領内の小さな町に、強い魔物が発生しているからと要請を受けて、その討伐に向かって、負傷した。
 戦闘自体はたいしたことはなかったが、最後の最後でまさか自爆されるとは思っておらず、ふいをつかれた格好になったヒースは、勢いよく吹き飛ばされたのだ。
 その魔物は自爆する性質などもっていないはずだったが、世界が終末を迎える影響で、突然変異でもおこしていたのか。まあ、いまさらそんなことをいっても仕方がない。
 兵士たちにはあまり被害がなかったように記憶している。だが、なんというか――いかんせん、自分がこの状態では、あまりいい話ではない。
 怪我しないでくださいねと、泣きそうな顔をして見送ってくれたティアの願いを、踏みにじる格好になっているのだ。
 もちろん、ヒースはそうなるつもりなんて、微塵もなかったのだが、こういうときは結果がすべてだ。
 魔物の討伐にいって、自分が重傷を負い、看病されているという結果が。
 それを受け止めざるをえないティアの心中は、察するに余りある。
「ティ、ティア……いたた……あの、な」
 いい訳、というつもりはない。ただ、なんとか泣き止ませたくて、ヒースが口を開いた瞬間。
「ばかっ! ばかばかばかばか! ヒースさんのばかっ!」
 エルオス火山の噴火を思わせるような勢いで、ティアが爆発した。くしゃりと感情のままに顔を歪めて叫ぶ。泣く。
 ひぅ、と歴戦の戦士たるヒースは、情けなく息を飲んだ。
「なんで、こんなことになってるんですか!? ほんっとに、もう~~~……――ばかああああ!!!」
 大きな傷を胸元に負ったヒースを目の前に、ティアは散々可愛らしい罵声を浴びせたあと、わっと顔を覆った。
 ヒースがもう少しましな状態であったなら、全力のプラーナをこめた拳で殴られそうな勢いだった。
「……また泣かせたな、すまない。その、……」
 わんわんと声をあげ、涙を零し、全身全霊をこめて泣くティアに、ヒースは何もいえなくなる。
 なぜならば、こういう事態は、今回が初めてというわけでは、ないのだ。
 クレルヴォとの戦いの折、ワーマンを足止めするべく墓地に残り、ティアを地下へと送り出したときが最初。
 それ以降、平和を取り戻した世界とはいえ、小競り合いや魔物の発生は続いており、帝国の将軍であるヒースは、その対処にあたることもしばしばで、その最中に怪我を負うことだって少なくはなかった。
 その度ごとに、ティアはよく泣いた。その度ごとに、ヒースは約束した。

 ――次は、怪我をしない。そして、君のもとへ必ず帰る。

 と。
 だが実際、守れているのは後者のみ。生きて帰れればそれが一番だとは思うが、ティアはヒースの怪我には敏感で、なによりもひどく心配をするのである。
 ちなみに、生きていることに胡坐をかいて、「生きて帰ったからいいじゃないか」などとは、決していってはいけない。
 言ってしまったが最後、一ヶ月は余裕で口をきいてくれなくなる。あれは流石に堪える……。
 地獄のようだったその日々を思い出しつつ。
「その……今後気をつけ……、」
 おそるおそる、顔色を伺うように、ヒースが小さな声で言った瞬間。
 ぎっ、とティアが苛烈な眼差しを向けてくる。かろうじて悲鳴だけはあげずにすんだが、気圧された。ヴァイゼン帝国の将軍が、である。それだけ、いまのティアには鬼気迫るものがあった。
「うそつきっ! 前もそんなこといってたじゃないですか!」
「……う、うむ……」
 ごもっとも。
 約束は守られなければ、意味などない。
 ヒースはそう考えてはいるが、まさにそれを破ってしまっている手前、強くはでれない。ティアの、約束を反故にされたという怒りも悲しみも、わかるつもりだ。
「そ、それなのにっ……! また、こんな怪我して……!」
「あー、いや、ティア、その、な、なんだ……うむ……」
 ヒースは、だらだらと嫌な汗が背に流れるのを感じていた。痛みと熱からくるものとはまた違う汗だ。
 もうどうしたらいいのか。
 今のティアに何をいえばいい。
 なんかもう、意識が朦朧としてきた。
 どんな敵と対峙したときでも、こんな状態に陥ったことはない。もうしばらく、眠った状態でもよかったんじゃないのか、オレ……と、気弱なことまで考えてしまう始末。
 何もいえず、ヒースが沈黙するしかできないでいると、感情を爆発させて少し落ち着いたのか、そっとティアが寄り添ってくる。
「ほんとうに、もう、無茶しないで……。わ、私のこと……置いていこうとしないで……!」
「……!」
 ヒースには、そういうつもりはまったくないのだが、ティアにしてみたらそうみえるのだろう。
 置いていかれる、という不安をティアが抱いているとは、思ってもみなかった。
「――オレは、君を置いていきたいなどと思ったことなどない」
 ヒースは低い声で、静かに告げる。
 それは、本当だ。ティアとずっと一緒にいて、新たな世界を創るティアを、その傍らでみつめていたいと、強く願っている。
 この気持ちを告げたときの言葉もまた、本気のものだ。生涯をかけて、ティアを守りたい。幸せにしたい。
「じゃあ、どうしてこんなことになるんですか……!」
 ひっく、とティアがしゃくりあげる。その拍子に、また涙が降る。
「ほんとうは、わ、私のことなんてどうでもいいからっ、だから自分のことそんな風に扱うんでしょう?! そんな風になってもいいって、心のどこかで思ってるんでしょう?!」
 そうとらえられても、しかたがない。
 ヒースは、ぐっと奥歯をかみ締めた。
 自分が死んでしまっては、ティアを守れない、ティアを幸せになどできやしない。当然だ。
 もし、そうなった未来の先で、自分以外の誰かの隣に立ちながら、ティアが笑う姿など想像するだけで身体の奥が煮え立つ。
 そうなったら、きっと、ヒースは自分を許せないだろう。何度生まれ変わっても忘れることなく、後悔するだろう。
「もっと、もっと……自分を、大切にしてください」
 震える手を握り締めながら、ティアが懇願してくる。
「自分のためだって思えないなら、そう考えるのが嫌だっていうなら……私のために、お願い……お願いします……。私の、そばにいてください……おいていかないで……」
 強い感情に焼けつくように胸が痛むと同時に、自分という存在をそこまで愛おしんでくれるティアが――たまらなく、愛おしい。
「すまん……」
 かける言葉がみつからない。
 ヒースは手をあげて、そっとティアの頬に指を添えた。夢の中で、そうしたように。
「ティア、愛している」
 了承の返事ではなく、ただ己の想いを口にする。自分はつくづく馬鹿だと、ヒースは薄く笑った。
 涙を拭うように指を動かすが、目を見開いたティアの涙は止められそうにない。
 そうさせているのが自分だという事実が苦しくて、ヒースが「頼むから、もう泣かないでくれ」と、小さく訴えると、ティアがまた泣いた。
「ヒースさん……」
 涙を散らし、ティアがさらに身を寄せてくる。細い首を伸ばすようにして、ティアから与えられる口付けは、どんな薬よりも効果がありそうだ。ティアの体温を感じるだけで、気力が漲る。絶対に自分は死ねないと、改めて思った。このぬくもりを失いたくない。
 ん、ん、と小さな声とともに、動けぬヒースに降る、涙と口付けは、あの夢の中と同じく、優しく、悲しい、雨のよう。
 大きな手で、ティアの頭の後ろを押さえる。もう少し、と無言でねだると、ティアが応える。
 愛する想いを伝え合うようなキスを解いて、視線を重ねる。
 目の前にある瞳に、強く宿る決意に魅入られる。
 綺麗だと思うと同時に、嫌な予感がした。
 ぎりり、と泣き止んだティアが、眦をつりあげた。
 まずい。これは、こうと決めたら絶対に譲らないときにみせるものだ。う、と唇を引き結ぶ。そうするしかできないヒースを見下ろしながら、ティアは高らかに宣した。
「今度から、私も一緒にいきます!!!」
 ばん、と薄い胸に手のひらをあてて、任せてください! といわんばかりの、逞しいやら可愛いらしいやら、どうしたらいいのかわからぬティアの様子に、ヒースは目を剥いた。
「な、なにっ?! いっ、つっ~……」
 慌てて身体を起そうとしたが、意識についてこない。ただ、痛い思いをしただけだった。気ばかりが焦る。
「約束したでしょう?! 今度こんなことがあったら、ヒースさんが何言っても、ぜーったいについていきますからって!」
 そういえば。
 前回、似たようなことがあったとき、静かに泣くティアにそう請われ、頷いたような気がする。そのときは、今度こそ、こんなことにならないようにしようと心に誓った。まあ、それは守れなかったわけだが……。
 はた、とそんな過去のやりとりを思い出しはしたものの、だからといって同行を許可するわけにはいかない。自分の行く場所は危険なところであり、ティアの身が危うくなることだってありえるのだから。
 痛みを無理やりおさえつけ、考え直せと迫る前に、ティアはヒースが横たわる寝台から、さっと離れた。
「お、おい、待てティア! っ!」
 手を伸ばしても、届かない位置で、ティアが「べーっだ!」と舌をだしてみせる。
 ヒースの、頬が引きつる。
 ざまあみろ、とでもいうことだろうか。可愛い顔して、こんにゃろう!
 じたばた、もだもだ、なんとか起き上がろうとするものの、身体はなかなか言うことを聞いてくれない。どうやら麻酔のようなものを使われているらしい。
「いまから皇子にお話してきますから! ヒースさんはここにいてください!」
「待て、ティア!!」
 必死な形相でティアを退きとめようと試みるが、ばたん、と大きな音をたててティアは風のように出て行った。
 あーあーあーあー……。
 ヒースの手が、むなしく宙を掴む――と思ったら、扉が再度開いた。ティアが、つかつかと近づいてくる。
「ティア!」
 考え直してくれたのかと、ほっと油断したところで。本人は厳しい表情をしているつもりなのだろう、可愛らしい顔が、勢いよく近づいた。
「ん、む?!」
 対応できず、なすがままに――ぐっと荒々しく口付けされたヒースは、目を白黒させた。
 ちゅ、と小さな音を立て、キスをしたティアが、呆然とするしかできないヒースを見下ろし、ふん、と鼻を鳴らした。
 そしてまた、先ほどと同じように、扉に向かう。
 男前な後姿が、廊下に消える。扉にさえぎられる。
 どうあっても、自分はティアには勝てないのだと、ヒースがつくづく思った瞬間だった。
 寝台に身体を預け、ヒースはこれからどうするべきか真剣に悩み続ける。
「まいったな……」
 が、確実に、ヴァルド皇子のお墨付きをもらってくるだろうティアを納得させるような言葉は、なにひとつとてみつからないのであった。

 

 

 『ヒース将軍の向かうところ、常に可愛い女の子がついてくる』――と、ヴァイゼン帝国軍内で随分な噂になり、ヒースの率いる部隊への志願者が増えるのは、この少しあとのことである。