時遡り時辿り 時遡の薬編—–前編

 とんとん、と控えめに扉を叩く音に、ティアは「はーい」と応えながら、小さな家のたった一つの出入り口に向かった。わずかに蝶番を軋ませながら扉を開くと、長身の影が家の前に立っていた。にこ、とティアは高い位置にあるその顔を見上げながら微笑む。
「おはようございます、ヒースさん」
「ああ、おはよう。邪魔するぞ」
 どうぞ、とヒースを中に案内する。だが、ヒースとて何度も訪れている家だ。勝手知ったる他人の家。手にした剣を降ろし、椅子に腰掛ける。
「さて、今日は徒手流派の稽古に付き合ってくれ、だったか?」
「ええっと、そう、ですね……」
 ティアはぎくり、と肩を震わせた。それは本当半分嘘半分だからだ。歯切れ悪く呟きながら、ヒースのためのお茶を出す用意をする。
「なに、気にしなくていいぞ。今日は非番だしな。ここ最近事務仕事ばかりだったから、体を動かすのにちょうどいい」
 はっはっは、と朗らかに笑うヒースをみていると、ちくちくと罪悪感が心に棘を刺してくる。だが、気になるのでごめんなさい。
 ティアは、淹れたての目の前のお茶へ、『時遡の薬』をそっと注いだ。薬は、くるりと水面に幾重にも円を描いて溶けていく。ほんの少しだけ、お茶とは違う甘い香りが漂った。ティアはカップのソーサーを持ち、ゆっくりと振り返る。
「お茶どうぞ、ヒースさん」
「ああ、ありがとう」
 どきどきとした心臓を知られぬように願いつつ、ティアはヒースにお茶を出した。
 本当にごめんなさい、ごめんなさい――! そう心の中で呟きながら、ヒースの行動をじっとみつめる。
 ゆっくりとヒースがお茶に口をつける。とくに味や匂いに変わったところはないらしい。ごく、と太い喉が上下する。ことり、カップが机の上に降ろされる。
 あれ? 何も、起こらない。
 そんなティアには何にも気付かぬヒースが、机の上においてあった今日の新聞に目をつけたらしく、それを指差した。
「ティア。君が準備をする間、新聞を読んでいてもいいか?」
「あ、はい!」
 内心首を捻りながらも、ティアはヒースに頷いて返した。快い返事をもらえたことに、ヒースは穏やかに微笑んで、大きな手でばさりと新聞を広げた。
 やっぱり……なんともない、みたい。
 じーっと、その顔を凝視していると、視線に気付いたらしいヒースが首を捻った。慌てて「なんでもありません」といったティアは、茶器を片付けることにする。
 どうやら薬はうまく作用しなかったらしい。お茶に混ぜたのがいけなかったのだろうか。
「あれれー?」
「なんだよ、失敗か?」
「おかしいですね、そんなことはないはずですが……」
「どう、して……?」
 ティアの背後では、同じようにヒースの一挙手一投足を見守っていた精霊たちが、疑問の声をあげていた。
 その声を聞きながら、ティアは眉をさげて笑った。これでよかったのかもしれない。なんだがちょっとだけほっとした。
 ヒースの若かりし頃をみてみたかったけれど、もともとティアはみることのできないものなのだから、うまくいかなかったところでなんの問題もない。
 さて、当初の約束どおり、ヒースと一緒に陽だまりの丘に行って、徒手流派の上達具合をみてもらおう。うん。そうだ、お弁当も持っていこう。お天気もいいことだし、きっと気持ちいいはずだ。
 サンドイッチならすぐつくれるし、と。そんなことを考えたとき。

 どたん

「へ?」
 重いものが落ちるような音がして、ティアは振り返った。
 つい今しがた間でそこにいたはずのヒースが、いない。精霊たちをみてみると、こちらも何が起きたのかわからないような顔をして、ぽかんとしている。
 慌てて机を回り込む。そして、床に倒れたヒースの姿に、ティアは青ざめた。
「き、きゃあぁぁ! や、やだ、ヒースさん! どうしたんですか!?」
 駆け寄って、その大きな身体に縋って揺り動かす。苦しそうに寄せられた眉根と、忙しなく息を繰り返す様子に焦りと不安がない交ぜになって、ティアに押し寄せた。す、と近づいてきたウルが、その動きを止めるように、ティアの手を上から押さえる。
「落ち着いてください、ティア!」
「でも、ウル……!」
 ティアが涙に潤む瞳を上げると、ミエリがおろおろとあたりを飛び回っていた。
「ど、どうしようっ!」
「なあ、エリクサーでも飲ませてみればいいんじゃねえか!?」
 レンポが、机の上においていた預言書を叩きながら叫んでいる。
「熱……ある……!」
 ヒースの秀でた額に小さな手を当てたネアキが、そんなことをいうから、ティアの思考は混乱に陥った。そういわれれば、大きな体が火のようだ。
「や、だ……ヒースさんっ! よ、預言書ーっ!」
 奇跡の力で、なんとかしなければと必死にページをめくるティアの周囲に、精霊四人が集う。そうして、ぎゃいぎゃいと一人と精霊四人で騒いでいると。
「……うるさい」
 聞きなれない声がした。
「……え?」
 全員、ぴたりと動きをとめて、ゆっくりとその声の発生源をたどってゆく。そこには、一人の少年がいた。瑞々しい生気をみなぎらせた、知らない少年。
 だが、額に落ちた髪をうっとうしげにかきあげるその面差しに、見覚えがある。青灰色を湛える左目に傷はないけれど。顎に髭はないけれど。床についた腕が、少し細いけれど。その身につけている衣服だって。見覚えが、ある。これは。
「ヒー、スさん――? っ、きゃあ!?」
 名前を呼んだ瞬間に、ぎらりと瞳が険しくなって、気付いたらティアは床に押さえつけられていた。あっという間に腕をとられて、身動きひとつできない。
「なんだ、おまえ。なんでオレを知っている」
「っ、や、やだ、痛いです……! ヒースさん、離して……!」
「質問に答えろ」
 声が冷たい。込められる力に容赦がない。ティアが恐ろしさにひっと息をつめると、ふとその戒めが緩んだ。
「てっめ、ティアに何しやがる!!」
 こちらもまた手加減なしに炎をふるったレンポが叫ぶ。ひらりと身を翻し、その火球による攻撃を難なく避けたヒースの瞳が、一層剣呑さを帯びた。
「魔術か? そのわりには、あいつら特有の陰気さがないな……」
 警戒しながら立ち上がったヒースが、不思議そうにティアの家を見回した。
「あ? ここどこだ」
「どこって……」
 しびれた腕を振りつつ、ティアは立ち上がった。
「ローアンの街にある、私の家、ですけど」
 ヒースだって、良く知っているはずだ。何度も訪れたことがある。幾度か、ここで食事をともにしたし、おしゃべりだってしたはずだ。
 だが、そんなことに思い当たる節はないように、ヒースは訝しげな顔をするだけだった。
「ローアン? カレイラ王国の、首都のか?」
 こくこくと、ティアが頷くと、ヒースの眉間に皺が寄る。考え込むように、顎に手を当てたヒースだったが、はっと馬鹿にしたように笑った。
「嘘つくな。オレが師匠と修行している山からカレイラ王国までかなりある。たとえおまえが魔女だったとしても、一瞬でここまで人一人連れてくることなんてできるわけない」
「わ、私は魔女じゃありませんっ」
「じゃあ、なんだ」
 あなたの弟子だ。そういいたかったが、何かおかしい。おかしい。もしかして、これは。
「……た、ただの女の子です」
「ほお~、カレイラ王国では、ただの女の子が人攫いをしたあげく、火責めまでするのか」
「違いますっ!」
 とうとう耐えきれなくなって、ティアはヒースに駆け寄った。
「どうしたんですか、ヒースさん! そんな、私のこと忘れちゃったみたいに……!」
 伸ばした手が打ち払われる。びく、とティアは足をとめた。
「忘れるもなにも、オレはおまえのことなんか知らない」
 呆然と、ティアは赤くなった手のひらを引き寄せて、胸元で抱きしめた。
「おい、これって」
「ええっと……ねえ、ウル、もしかして」
「……もしかして、じゃなくて……」
 精霊三人とティアの縋るような視線を受けて、ウルは重々しく頷いた。
「どうやら、身体だけでなく精神――すなわち、記憶まで遡ってしまったようですね」
 そうかもしれないと、ちょっとだけティアも思っていた。だが、だが……信じたくはなかった。
 頭を抱えたくなったティアであったが、すたすたとヒースが家の出入り口に向かうのを見て、慌てて駆け寄る。
「ど、どこにいくんですかっ」
「おまえの言葉が本当なら、ここはローアンの街なんだろ? だから見に行く」
「え?」
 にい、と自分の力を信じきっている傲慢さが滲む笑顔で、ヒースは続ける。
「修行もそろそろ終わりだったし、腕試しにローアンの街の武闘大会にでたいと思っていたところなんだ。敵地視察ってことで。じゃあな」
「わああっ、待って、待ってください!」
 今のままのヒースを街にいかせるなんてとんでもない。ティアはヒースに手を伸ばした。
「なんなんださっきから!」
 ひゅ、とヒースがさきほどと同じように、ティアの手を払おうとする。それを纏ったプラーナではじいて、ティアは今度こそヒースの腕を掴んだ。
「っ……! おまえ、どうして徒手流派の技が使える!?」
 ぎょっとヒースが目を見開く。今見たものが信じられない、そういう色がありありと浮かんでいる。
「ヒースさんが教えてくれたんでしょう!?」
「そんなわけあるかっ! オレに弟子なんざいない!」
 はりついたティアを振り落とそうと、ヒースが腕を振る。そうはさせじと、ティアは細い腕に力を込めた。
「離せっ!」
「いやです! 私の話を聞いてくださいっ」
「なんでオレがおまえのいうこと聞かなきゃいけない!?」
「じゃあ、離れませんから!」
 互いに一歩も譲ることなく言い争った挙句、ぜーはーと互いに息を切らしてしばし睨み合ったあと、ヒースが舌打ちをした。
「――わかった。きくから離れろ」
「……絶対ですよ?」
「男に二言はない。そっちこそ、もう火をつけようとするなよ」
「わかってます」
 ゆっくりとティアはヒースから離れる。発言に嘘はないらしく、乱暴な所作ではあるがヒースが椅子に腰掛けた。それを見届けた後、ティアはそっとレンポたちに耳打ちする。
「ごめんね、ちょっと預言書に戻っていてくれる?」
「大丈夫かよ、ティア。あいつ何しでかすか、わかんねーぞ?」
「だ、大丈夫だよ……たぶん」
 レンポの言葉に、不安げにティアが睫を伏せると、ミエリがそっとその頭を撫でた。
「何かあったらすぐに呼んでね?」
「……いつも、ここにいる、から」
 続いてネアキが、ティアの頬に自分の頬を寄せて小さく呟く。
 うん、と頷いて返すと、ウルが腕を組んだままいう。
「おそらく、薬の効果が切れるまではこのままでしょう。いつもどるかまでは、わかりませんが……申し訳ありません」
「ううん、ありがとう。ちょっと頑張ってみる。何かあったら呼ぶから……お願いね?」
 それぞれ頷いた精霊たちが、預言書に戻るのを確認して、ティアは振り返った。精霊とのやりとりの間に、上着などのあまった部分の裾をまくっていたヒースが、ティアの知らない瞳で、こちらを見る。その冷たさに震える心に気合を入れなおし、ざっと机の上を片付けた後、ティアはにっこりと笑った。
「お待たせしてすみません。ええっと、じゃあ、私とヒースさんの関係から、お話しますね?」
「はいはい」
 聞く気があるようにはまったくみえない横柄な態度で、ヒースが続きを促す。
「まず、どうして私が徒手流派の使い手であるか、からですが――」
 そうして、ティアは語りだす。
 自分は預言書の持ち主であること、ヒースはヴァイゼン帝国の将軍で、最初は敵対していたが、とある一件の後、ヒースから徒手流派を教わることになったこと。そのおかげで、自分は再び戦えるようになり、大切なものを取り戻すことができたこと。そして、魔王を倒すことができたこと。要点だけをかいつまみ、ティアは話していく。そして、この事態は、自分が預言書でつくった若返りの薬『時遡の薬』のせいであることまで。
 いつしか瞳を閉じて、じっとティアの言葉に耳を傾けていたヒースだったが、ティアの話が終わると同時に、ゆっくりと目蓋を開いて言った。
「おまえ、バカか?」
「……」
 吐き捨てられた言葉に、口元を引きつらせながらティアは思った。この人、すごく口が悪い!
「そんなこと、誰が信じるっていうんだ? オレがヴァイゼン帝国の将軍? オレがおまえの師匠? 預言書とやらのせいで若返った? アホか?」
「でも、ほんとなんですってば!」
「まあ、少なくとも、おまえが徒手流派の使い手であることだけは、確かなことみたいだがな」
 だからってなにもかも信用できるわけないだろ――ヒースのそんな言葉に、ティアはしゅんと頭を下げた。
 ああ、どうしたら信じてもらえるのだろう。だが話せることはすべて話した。これ以上、どうしようもない。
 ティアがそう思っている間に、ヒースが席をたつ。
「じゃあ、おまえの話もきいたし、これでいいな? オレはいく」
「い、いくって……! どこにですか!?」
「さっきもいっただろ? とりあえずこの街をひとまわりして――あとは適当だな」
「なら、私、案内します!」
「はあ?」
 ティアの反射的に飛び出した申し出に、ぽかん、とヒースが口を開けた。ますますもって、ティアの言動が理解できないといった顔だった。
「子供の頃からずっとこの街で暮らしていますから、だから……その……」
 きっと断られると思いながら、ティアは必死にそう言い募る。すると。
「……勝手にすればいいだろ」
「は、はいっ」
 思いもかけぬ了承の言葉に、ぱあ、とティアは顔を輝かせた。それをみたヒースの動きが、一瞬止まる。
「どうかしましたか?」
「……なんでもない」
 だが、それもわずかなことだった。ぷいと顔を背けたヒースが、すたすたと歩き出す。
「あ、待ってください!」
 ティアは、預言書をかばんに押し込むとその後を追う。そうして、二人は家を出た。
「ここは、下町か?」
 ぐるり、太陽の下に出たヒースは、あたりを見回してそういった。
「はい。私はここに住んでいるんです」
「ふぅん。悪くないな、ここ」
 対して興味もなさそうなヒースだったが、そんな風にいってもらえて、ティアは嬉しくなった。
「えっと、ヒースさんはまずどこにいきたいですか?」
「闘技場」
 簡潔なその返答に、ティアは苦笑する。そういえばそうだった。
「じゃあ、こっちですよ」
 ついでに、ローアンの街をみてもらおうと、ティアはヒースを案内するべく歩き出した。
 ものめずらしげに露店に視線を送るヒースに、あれこれと説明をしつつ、街へ続く橋を渡る。そうすれば様々な店が軒を連ねる中心街へと到着する。ティアは足を止め、東を指差した。
「闘技場は、ここから東の方角にあるんです」
 ティアの説明を聞き流し、ヒースは感心したように息を漏らした。
「ローアンは、いつもこんなに人が多いのか」
「ええっと、はい。今は、帝国との和平条約も締結されましたから。もう戦争の心配もありませんし、あちこちからの品物も、随分まわってくるようになりました」
 それもこれも、ヴァルド皇子の平和への想いとそれを支え続けたヒースの働きがあってこそ。ティアは、こうして活気のある町を見るたびに、それを実感する。
「……帝国と、王国が和平……?」
「はい」
「……」
 反応がなくなったことに、どうかしたのだろうかとその横顔を見上げると、ヒースがとても不思議そうな、戸惑ったような顔をしていた。
 ヒースさん? とティア声をかける前に、わあっと歓声が上がった。
 みれば、二人のいる場所より少し先に、煌びやかな一団がいる。どうやら、いまから大道芸がはじまるらしい。あたりを歩いていた人々が一斉に注目する。ティアも、わずかにそちらへと気をとられた。
「すごいですね、ちょっとみにいってみます? って、あれ……? ヒースさん!?」
 隣に立っているはずの少年に声をかけつつ振り返ったティアだったが、そこにその姿はなかった。ひゅう、と虚しく風が吹く。
「え、うそ!? どこいっちゃったの!?」
 おろおろとあたりを見回してみるが、その姿の残滓さえ見つけられない。ほんの、わずかな一瞬であったというのに。
「ヒースさーん!」
 人の流れに逆らうように足早に歩きながら、ヒースを探してティアは街中を歩く。しかし、見つからない。
 闘技場をみたいといっていたことを思い出し、そちらに行って近くにいた老人にも尋ねてみたものの、それらしき少年はみていないという。その先の場所にも、ヒースの姿はなかった。裏通り、占い横丁近辺にもその姿は無く。
 ことごとくあてがはずれ、とぼとぼと来た道を引き返したティアは、ため息をつく。見失ってから一時間近くたってしまった。
 ティアは、途方にくれるしかなかった。