「おぬし、ラブラブしとるか!?」
「はい?」
秋の真っ只中であることを伝える、茜色の蜻蛉が飛び交う高い空の下。高らかに突然のビスの言葉が響く。たまたま立ち寄っただけのティアは、きょとんと目を瞬かせた。
以前にプレゼントの仕方を教えてもらったときといい、この老人はいつもいきなりだ。あのときのレンポの呆れた様子がまざまざと思い出される。
最初は乗り気だったのに、ビスさんの言動をみて早々に見切りをつけていたっけ。
そんな記憶を引っ張り出し、微妙な顔しているティアに、ビスはまったく気付いていない。むしろ自分の世界に酔っている。浸りきっている。大げさな様子で頭を振っている仕草からも、それがわかった。
「いかん、いかんな! 若者がそんな腑抜けていてはいかん!」
小柄なこの体のどこにそんな力を隠しているのか。くわっと気迫すさまじくビスが詰め寄ってくる。気圧されて三歩は確実に後退したティアの行動は、誰しもの共感を得るだろう。
「ラブラブになるために、その第一歩としてモテモテになりたいじゃろ!?」
「え、えっとー……」
ティアはなんと応えていいものかと、言葉を濁らせた。ちら、と傍らに浮かぶ精霊を見遣る。すごそこにいる、雷の精霊であるウルと結ばれている以上、モテモテになりたいかといわれると……正直いって微妙だった。なにせウルは男女問わず嫉妬するという、大変なヤキモチ焼きなのだ。そのことを知っているティアが、モテたいとは口が裂けてもいえるわけない。というか、ウルがいてくれるのだからモテなくてもいい。
「ティアはすでに私にモテモテですし、私たちはラブラブな恋人同士でもありますから、そんなこと願うわけがないのに……。まったく、おかしなことをきくご老人ですね」
にこにこ笑いながら、感情の伺えない淡々とした口調で、いつもは絶対に言わないような言葉を使うウルが、空恐ろしい。なんだか空気がぴりぴりしているのは、気のせいだと思いたい。
「そ、そうだね……」
ティアがちょっとだけ遠い目をして、ウルに同意するように頷くと、それを自分の問い掛けに対する答えだと思ったらしく、ビスが小さな目を輝かせた。
「そうじゃろ、そうじゃろ!」
だが、一般人にはみえぬ精霊と会話していました、とはいえず。
「あ、いえ……! そうじゃなくて……! ええっとー……」
もごもごと口ごもっている間に、ビスはわが意を得たりとばかりに何度も頷いた。ティアの様子などまったくもって気にしていない。
「よし、そんなティアちゃんに、ワシからとっておきのプレゼント! 我が家に伝わりし古文書じゃ!」
じゃじゃーん! と、自分で言いながらビスが指差す先に、古文書というか――メタライズがひとつ。
「これぞ、ご先祖様が用いたという究極のラブラブ道具の作り方が記された、貴重なものなのじゃ!」
「は、はあ……」
こんなところにメタライズがあることに驚きつつ、ティアが気の抜けた相槌を打つと、ビスが大きく後ろに飛びのいた。
「これを使えば、きっとこうなること間違いなしじゃ!」
ばばっと、ビスがティアから向かって右手に立つ。
「おお、なんと芳しい香りだ……! これは、君の香りかい?」
ひらり、今度は左手側へ。
「ええ、あなたのために用意したのよ。……どうかしら?」
ぎゅ、と靴の底を鳴らして右へ。
「君にとてもよく似合っているよ。ああ、可憐な花のような君に、僕は囚われてしまいそうだよ……!」
残像を残しながら左へ。
「まあ! それは、もっと私を好きになってくださるということ……?」
「もちろんさ!」
「嬉しいっ」
僅かに砂煙を上げつつ、外套をひらめかせつつ。めまぐるしく左と右に移動しながら一人二役を演じるビスのこの身体能力は、もっとほかのことに生かされるべきだ。
延々と繰り広げられる、ビスの一人芝居を呆然と眺めていると、ウルがそっと肩に手を置いてきた。見上げると、「もう放っておきましょう」といわんばかりに、諦めの色を浮かべた瞳を伏せて頭を振っている。
ああ、昔にもこんなことがあったような。ティアは、思わず苦笑した。
「と、そういうことでな!」
どうやら気が済んだらしい。わずかにも息をあげていないビスに感心していると、びしっと指差された。
「我がモテモテ道を継承する者よ! 必要な材料がそこにしるされておる! 是非とも作ってモテモテなるといいじゃろう!」
「はい、わかりました」
ラブラブモテモテを目指すわけではないけれど、預言書に価値あるものとして記録する分にはいいだろう。そして何より、これがビスなりのティアに対する罪滅ぼしなのかもしれないと――ティアは、微笑んで頷いた。そうでなければ、秘伝の古文書をそうそうみせてくれるわけがない。と、そんなことまで思ったティアは、まだまだ甘かった。
「よし、頑張るのじゃぞ! でな、相談なんじゃが……」
胸をはってそういったビスが急に声を潜め、すすすとティアに近寄ってくる。
「?」
ちょいちょいと手招きされて、ティアはそっと身をかがめて耳を近づけた。
「できたらひとつ、ワシにもくれんかの?」
内緒話をいうように、悪戯っぽくビスからそう持ちかけられて、ティアは小さく噴出したのだった。
「でーきたっ」
せっせと預言書をいじっていたティアは、喜色満面で顔をあげた。
今日新たに預言書に加えられたアイテムのメタライズを確認しつつ、必要なコードをビンの素体に入れて書き換える作業が終わったのだ。さして複雑なコードでもなかったおかげで、あっさりと出来たことに、ほっと肩から力を抜く。ただ、それらを探すのが大変だった。今度、コードの整理でもしよう。
そんなことを考えながら、んー、とひとつ伸びをする。
「お疲れ様です、ティア」
傍らにいたウルが、労いの言葉をかけてくれるのに応え、大きく頷く。
「うんっ! えっと、どんな感じなのかな……」
わくわくとした表情をみせながら、ティアは作り終えたばかりのそのアイテムを具現化させた。この瞬間が、ティアはとても好きだった。自分の知らなかった価値あるものを、次の世界へと繋ぐことができたと、確信できるから。
そして、 青っぽい翡翠色と金細工でできた綺麗な小瓶が、ティアの手のひらに出現する。
「わあ……綺麗」
あらゆる角度からうっとり眺めていると、ウルがすいと宙をすべってティアの肩に降り立った。綺麗な横顔にはめこまれた、宝石のような瞳が自分の手の中に注がれている。ティアはくすぐったそうに笑う。
同じものを、こうしてウルと二人で眺めることもまた、ティアは大好きだった。些細なことも、ティアにとっては、ウルとこの世界に共にいる証としての尊い思い出になるからだ。
にこにこと笑いながらティアは香水に視線を戻す。ふむ、とウルがその細い顎に軽く握った拳を当てた。
「それは、今日あの老人に教えていただいた、あの古文書のものですね?」
「そうそう、ビスさんが教えてくれたものだよ」
これが、本当にラブラブになる究極の道具なのかは、ティアには判別がつかないけれど、女の子の心くすぐるこの可愛さと綺麗さは目に楽しい。せっかくこうして作ったのだから、明日あたりにプレゼントしにいってもいいだろう。ひとつ欲しいとビスはいっていたのだし、きっと喜ぶだろう。それで彼がモテモテになるのかは、わからないが……。
「えっと、中身はどんなかんじなのかな……っと」
そう呟きながら、ティアは瓶の蓋にそっと指をかけた。ゆっくりと持ち上げていく。その途端、ふわんとティアとウルを包み込むようにして、芳しい香りがあたりを満たした。
「わぁ……」
くん、とティアは小さな鼻を蠢かせる。 驚きにその顔が輝く。ほうと、ため息をひとつついて、ティアは笑った。
「とってもいい香り!」
「なるほど、古に用いられていた香水なのですね」
ほんとうに良い香りです、とウルがほんのりと笑ったので、ティアも同意して何度も頭を上下させる。
「なんだか不思議な感じがする……」
目を閉じて、うっとりとしながら。ティアは空気を胸いっぱいに、鼻をとおして吸い込んだ。
森の奥にひっそりと咲く花のような、異国の香辛料のような、瑞々しい柑橘のような。複雑に入り混じっていながらも、そこに不協和音のような嫌らしさは微塵もない。
「でも、」
ぱっちりと目を開けて、手の中の瓶を見下ろし、ティアは首をかしげた。
「これ、どうやって使えばいいのかな……?」
町ですれ違う、素敵な大人の女性たちは、こういったものをつけていることは知っている。だが、風にやわらかに乗って漂う、あのなんともいえない絶妙な濃度の香りを纏うには、どうすればいいのだろう。さっぱりわからない。ばしゃりとかける……なんてことはないだろう、さすがに。
頭に疑問符を並べ立てていると、ティアの手の中から瓶が消えた。慌てて、視線をあげる。ひょい、とティアから香水を取り上げたウルが、にこりと笑っている。
いつの間にか、ティアが見上げるほどの、大人と同じくらいの大きさに姿を変えたウルが、そこにいた。
「では、私がつけて差し上げましょう」
え、と言葉を発する前に、ウルがティアの座った椅子の傍らに膝まずく。そして、上品な仕草で手袋をとったウルの指先が、ティアの手首を優しく捕らえた。
「ティアは初めて香水を使うのですね? でしたら、顔から遠いところにほんの少しつけるのがちょうどいいですよ」
そっと落とされる、一滴というにはあまりにも少ない量。同様に、もう一方の手にもウルは香水を馴染ませた。
肌に滲み、あっという間にそれはわからなくなる。だがかわりに、ゆらりと立ち昇る香りに、ティアは小さな息を吐き出す。
「あまり近い部分に加減のわからぬうちにつけると、自分で匂いに酔ってしまうこともありますから、気をつけてください」
そして、ウルは香水の瓶の蓋を閉じて机の上に置いた。青と赤の瞳が、ゆるりと和む。
ウルの一連の動作は静かな清流のようで、乱れがなかった。まるで、そうされるのが当たり前という錯覚に陥ってしまいそう。そんなウルの姿に魂を抜かれてしまったように、ティアはすっかり見惚れていた。
そんな様子を満足そうにみつめ、ウルが続ける。
「手首のほかには、あとは膝の裏側とか……」
そっと、ウルの大きな手がティアの膝を風のように撫でる。声をあげる間もなくそれは離れ、そして長い指はそのまま、ティアのお腹の中ほどを指し示した。
「腹部あたりもいいと思いますよ。きっと、ティア本来の肌の臭いと混じれば、素晴らしいものになるでしょう」
へぇ~、とティアは感心することしかできない。
「ウルって、物知りなんだねぇ……」
改めて、ウルの知識深さに感心しきっていると、ウルが恭しくティアの手を持ち上げた。
そのまま、すっと顔を寄せられて、ティアの肩が小さく跳ねる。
一瞬、口付けを落とされるのかと、思ったのだ。
だが、ウルは静かに微笑むだけで何をするでもなかった。ちょっとだけ残念に思った自分の考えに、ほんのりとティアは頬を染める。どきどきと、胸が高鳴る。
「ティア、知っていますか?」
何を? と言葉にするかわりに、ティアは首をかしげた。
「女性にとって香水はもうひとつの衣である、といいます」
ふ、と顔をあげてウルが真正面からティアと視線をあわせてくる。やけに嬉しそうな瞳がそこにある。ティアは思わず、睫を伏せた。
少しずつ熱さを増していく頬は、間違いなくウルのせいだ。色の違う両目からの視線が愛しさに溢れていて――甘いせいだ。
恥ずかしそうなティアに誘われたのか、ウルが前髪ごしに柔らかく額に口付ける。
「私の手でもって、その衣をあなたにかけて。初めて、香りを纏ったあなたを見ることができるなんて……私は、なんと幸せ者なのでしょうね」
心からそう思っていてくれるのだろう。幸せそうにウルが微笑む。
「……綺麗ですよ、ティア」
嘘をつかぬ精霊の、手放しの賛辞はいつも星が流れるように、ティアの心に届いて弾ける。そうした星のかけらが降り積もるそのたびに、自分への愛が健やかに育っていくことを、ウルは知っているのかもしれない。
「……うん、ありがとう」
とくとくと音をたてて巡る血潮に、ティアの体温があがっていく。
ふわふわと、己の肌とほんの少しの香水が入り混じった、自分だけの香りを気付かぬうちに立ちのぼらせながら、ティアは真っ赤になった顔で俯く。
「少々癪ですが、あのご老人のいったとおりですね。私は、もっともっと……あなたを、好きになる」
甘い蜜を求める蝶のように、ウルがそっとティアの頬に口付けてくる。
くすぐったくて、小さく声を漏らしながら首をすくめ。そうして、ゆっくりと離れたウルと視線を交わして笑いあう。
大好きな人に喜んでもらって、褒めてもらう。
こんな蕩けてしまいそうな幸せな時間をもつために、香水ってあるのかなぁ?
ティアはそんなことをぼんやりと考えながら、覗き込むようにして三度唇を寄せてくるウルに応えるために、そっと瞳を閉じる。
視界を閉ざせば、さらに香りが際だつ。
その中を泳いで近づいてきたウルの唇が、そっと自分に触れてくれるこの現実が。
幸せすぎて――ティアは、なんだか泣きたくなった。