コランダムの瞳

「すごーい……!」
 素直に感嘆の声をあげるティアに、ナナイはくすくすと笑った。
 香が焚かれ、どこか薄暗い、いかにもという雰囲気に仕立てられた魔女の館。その中央におかれたテーブルの上には、今は水晶玉ではなく色とりどりの宝石が置かれている。
 女性が身につける宝飾品になる前の、まだ台座にも据えられていない裸石が並べられているだけだが、十分に人を惹き付ける美しさを持っている。
 ランプの明かりにゆらゆらと輝きを放つそれらは、実は魔術用のもの。
 丁度、持ち石の整理と依頼のまじないを施す準備をしていたところに来たティアに、ナナイはそれらをみせてやっているのである。
 煌く宝石が嫌いな女などいやしない。ティアも例外ではなかったらしく、大小様々な石の競演に魅入っている。
「これとこれは依頼品なんだけどね。あとはぜーんぶ、私の魔術の触媒になるのよ」
 そういって、ナナイは燃えるような赤と目の覚めるような青の石を指差した。
「これってルビーとサファイア?」
 自分の親指の爪ほどもある石をみつめながら、ティアはいう。それは赤と青といえば、一般的によく耳にする石の名前だ。
「そうよ。大正解」
「きれーい……ウルの瞳と、おんなじ色だぁ……」
「ウル?」
 ぽーっとした様子で、ティアが漏らした名をナナイは反復した。すると、夢見心地だったティアが、はっと表情をあらためて手を振った。その慌てようは尋常ではない。
「な、なんでもないの! うん、ほんとだよ!?」
「……ふぅん」
 その様子に、にやり、とナナイは口元を手で覆いながら目を細めた。仲良くなってからあまりみることのなかった、魔女らしい人の心の内を探るような瞳に、ティアはぴくっと身体を震わせた。
「あら、てっきりティアのいい人の名前なのかと思ったんだけど」
「っ!」
 図星だったのか、あっという間に林檎顔負けなくらい頬を染めたティアが、おろおろと視線を彷徨わせる。ナナイは声を転がした。
「やだ、ほんとにそうの? 可愛いわね、そんなに真っ赤になっちゃって」
「ナナイったらからかわないでっ」
 ぷりぷりと怒り出したティアに、ますますナナイは笑い声をあげた。
「もうっ」
「ああ、ごめんなさい。悪気はないのよ? ただあんまりにも可愛いから、つい、ね」
 これ以上はまずいだろう、とナナイは素直に謝った。だがしかし、ついつい苛めたくなってしまうようなティアの仕草や表情も悪い。そんな責任転嫁をしつつ。それにしても、とナナイは指先で紅の石と青い石をつついた。
「その彼はどっちの色なの? ティアにそんなこといってもらえるなら、よほど美しいのね」
 単純な疑問だったのだが、ティアは目を瞬かせたあと小さく頭を傾げた。
「どっちもだよ?」
「……それは、左右で目の色が異なるということ?」
「うん、そう」
 ティアは、あっさりと肯定する。
 その言葉を受けて、ナナイは己の中にあるローアン住人の顔に、すべてバツ印をつけた。うまくいけばティアの想い人がわかるかも、と思ったのだが予想外の答えだった。
 淡い期待が消え去ったことは微塵も感じさせず、ナナイは微笑む。
「あら、それは珍しいわね」
「そうなの? すごく綺麗だな、とは思ったけど」
 そのときのことを思い出したのか、ティアはふんわりと笑った。
 魔術の世界において異なる瞳の色をもつものは稀有な存在とされるのだが、ティアにしてみれば今まで会った人とさして変わりないらしい。
 偏見もなにもない、そこに在るものをあるがままに見て、受け入れることができるティアらしい、とナナイは内心つぶやいた。
「そうそう、知ってる? ルビーとサファイアって本当はおなじ石なの。コランダムっていうもののうち、赤をルビー、青をサファイアっていっているのよ」
「えっ! そうなの?」
「ほんの少し、混じっているものが違うだけなの。それだけなのに、こんなに対照的な色合いになるんだから不思議よね」
 うんうん、とティアは頷いて同意する。
「でもいいわね、宝石みたいなんて。ちょっとみてみたいわ」
「うーん。でもね、もっと……なんていうかー……」
 じーっとクッションの上の石をみつめ、ティアは眉を八の字にして口ごもり――やがて自分の中で言葉をみつけたのか、ぱっと顔を輝かせた。
「そう! もっとね、あったかい感じがするよ!」
 そういって幸せそうな笑みを浮かべるティアに対し、ナナイは言葉につまった。
 やれやれと肩の力を抜いて落とす。そして、テーブルの上にひじをついて、優雅に組み合わせた手に顎を乗せたナナイは小さく笑った。
 のろけたことに気付いていないティアに、言い含めるように言葉を紡ぐ。
「それはね、ティア」
「うん?」
「きっとその人がティアのことを、とても大事に思ってくれているからよ」
「!」
 一瞬息を詰まらせて、ぱちぱちと目を瞬かせたティアは耳まで染めて、ゆるゆると俯いた。あまりの微笑ましさにねたむ気持ちもおきやしない。
「素敵ね。コランダムの瞳をもつ恋人、か。ねえ、ティアは石言葉って知ってる?」
 ナナイの言葉に、ティアは赤い顔のまま、ふるふると頭を振った。
「ううん、知らない。花言葉みたいなのが、石にもあるの?」
「ええ」
 ゆっくりともったいぶるように手を組み替えてナナイは言う。
「ルビーは情熱、サファイアは誠実っていう意味があるのよ。ダイヤモンドに次ぐ硬さでもあるし、恋人に贈るにはほんと相応しい石よね」
「へえ、そんな言葉があるんだ」
 感心しきりという風に頷くティアの熟れた頬を、ナナイは白い指先で突付く。
「だから、いつもそんな瞳でみつめられるなんて、ティアは幸せってことよ」
「あ……!」
 ナナイの言いたいことがようやくわかったのか、ティアは色の褪めかけていた頬をもう一度朱に染めた。
 ほんとからかいがいがある。
 そんなことを思わせるティアの姿に、ナナイは一層楽しげにその声を震わせたのだった。

 

 

「すっかり遅くなっちゃった」
 ナナイに「またね」と告げて館を後にしたティアは、占い横丁を満たすような赤い夕暮れの色に、そんなことを呟いた。通りに人影はなく、ずいぶん静かだ。
 以前借りた本を返しにきただけだったのだが、長居してしまった。
「つき合わせちゃってごめんね、ウル」
「いいえ」
 す、と長い影を連れて我が家へと歩き出すティアに、背の高い精霊が寄り添う。ナナイの館に一緒に入り、話が終わるまでずっと静かに待っていてくれた恋人に、ティアは僅かに眉を下げつつ、ほんのりと笑って謝った。いつもなら、あれこれちょっかいだしてきそうな長さだったはずなのに。
 そんなティア対して、ウルは気にしていないと返す。
「楽しいお話を聞かせていただきましたので」
「むぅ」
 その言葉どおり声に滲む上機嫌な色に、ルビーとサファイアのことをいっているのだろうと察したティアは、小さく唸った。
 大体、隣にいて聞いていなかったはずがないのである。ナナイと同じように、後ろで笑いを堪えていたのもティアは知っている。
 素直に言ったら揶揄されてしまったことを思い出して、ティアは頬を膨らませた。そんな様子に気付いたらしく、ウルは瞳を細めた。
「ですが、なかなか興味深い話でもあったでしょう?」
 なだめるようなウルの態度に、それは確かにとティアは頷いた。
 あのあとも、それぞれの石のことを教えてもらった。危害や嫉妬から身を守る青、邪気を払う魔除けの赤。とくに印象的だったのは、サファイアは贈った恋人が心変わりをしたら、それに呼応するように色を変じるという話だった。事の真偽はどうあれ、なんだか気になる。
 本当の石じゃないし、そんなことありえないともわかっているけれど……。
 つらつらと、ティアがそんなことを思い出していると。
「大丈夫ですよ、私の瞳の色は変わったりしません」
「!」
 ウルの発言は、まるで自分の心の中を見透しているかのようで、ティアはびっくりして横にいる精霊を振り仰いだ。
 その瞬間、ぞくり、とティアの背筋を悪寒とは違う別な何かが駆け上がる。
 端正な顔に麗しい笑みを浮かべた雷の精霊が、見下ろしている。その姿に、胸が鳴く。
 紅玉と青玉の瞳が優しく綻ぶ。
 それはあのルビーとサファイアのように美しい。いや、あの宝石も確かに美しかったけれど、そこには何も浮かんでいなかった。無機質な冷たい美がそこにあっただけだ。
 今、こうして間近でみつめるものは、あれらよりもっと温かさに満ちている。自分だけをみつめ、甘く切なく揺れる炎の宿したこの瞳のほうが、ずっとずっと綺麗だ。
 世界を染め上げる夕焼けの中、なお赤々と紅に燃え、冴え冴えと青く瞬く。
 その瞳が、切なそうに歪む。
「そんな目で、私をみないでください」
「……?」
 赤と青で構成された万華鏡の世界に迷い込んでしまったかのように、意識がおぼつかなくなってきたティアは、感じた眩暈にあわせて頭を傾けた。
 いつの間にか歩みを止めていたティアの目元を、ウルの大きな手が覆う。
「吸い込まれてしまいそうです」
 それはこちらのほうだ、と思いながらティアはゆっくりと目を閉じる。
 夜の冷たさをはらんだ風が、頬と髪を撫でていく。世界を知る術は、音を拾う耳と肌が伝える感触だけだ。そんな耳元に寄せられる気配に、ティアはぴくりと肩を跳ねさせた。
「大丈夫ですよ」
 涼やかなのに、その下に確かな情熱を秘めて、ウルの声が囁く。
「私を形作るものすべて、ティアのもの。未来永劫、どんなに世界が生まれ変わろうともそれは決して揺らぐことなく、覆ることのない真実です」

 だからサファイアのように――私の瞳の色が、変わることはない。

 そう告げて、ウルは笑い声を滲ませて続ける。
「だって、この石を暗い場所から見つけ出し、輝くように磨き上げたのはティアでしょう?」
 封印の枷を解き放ち、愛する者をこの目に写す喜びを教えてくれたのは、あなた。
 なれば、この瞳にはあなたしか映らない。
 紅の情熱を捧げるのはティアだけだと、そう当たり前のようにウルは言う。
 じんわりと指先、髪の一筋まで、ティアはその想いに包まれる。
 ゆっくりと手が離れて、頬を包みこむ。長い睫を震わせてティアが目を開くと、ウルが静かに微笑みながら覗き込んでいた。
「……うん、ありがとう。ウル」
 そういってもらえて嬉しいと。頬を染めて、ティアはふわりと微笑み応えた。
 そして、想いを少しでも返せるようにと願いながら、ティアはつま先に力をこめる。
 く、と背伸びをして、すぐそこにあるものを求める。それは、ほんの少し開いた、ウルの薄い唇。
 そこへ自分の唇を押し当てて、微熱を分けてすぐ離れれば、珍しくウルが目を見開いた。
 くす、とその様子に声を零せば、頬から手を離したウルが自分の口元を覆う。
 いつも余裕があって冷静な彼らしからぬ仕草は新鮮で、ティアは笑みを深くする。
「ウルのその瞳がずっと綺麗でありますように、っていうおまじない」
 こつん、と額をあわせてティアは胸の奥から恋慕の情を紡ぎ出すように、口にする。
「しようのないひとだ。私ばかりが、いつも嬉しい」
 してやられました、というようにウルは眉を下げて笑った。
 そして、今度はこちらの番だというように口づけを落としてくる。
 それをいつものように懸命に受け入れるティアの閉じたまぶたの裏に、赤が、青が、走っていく。唇が離れて視界を開けば、それはあっという間に消えてしまう儚さ。
 なんだか名残惜しい気もしたけれど、目の前で煌くウルの瞳のほうがもっとずっといい。
 ティアは赤と青に写る自分を確かめて――愛くるしい笑みを零した。