史上最高のまくら

 ゆらり、ゆうらり。
 右に、左に、規則正しく緩慢に揺れるものを追いかける。
 ゆうらり、ゆらり。
 目の前にある装置を手持ち無沙汰に眺めつつ、はやくパスカルが地下からもどってこないだろうか、とヒューバートは考えていた。
 遥か昔、この地にあったというアンマルチアの英知の結集は、一族がこの地より去ったために忘れられ、システムの老朽化とともに数々のデータが文字通り塵と消えてしまった。
 それでも、いまだ残るデータも多く、それひとつでも今の人類には手に余るものである。
 今まで管理をほうっておいたが、伝説といわれたアンマルチアがその姿を世界の歴史の表舞台へと現したため、そうもいかなくなった。
 現在、パスカル、フーリエ、ポアソンの三人が代表となり、アンマルチア族がデータの完全消去のため解体するか、引き出せる情報すべてを現在の郷へと移すかを協議するための、情報収集を行っている。
 壊れかけの部分も多いため、へたに触れば暴走しかねないとのことで、アンマルチア以外は地下からでるように言われている。こういうとき、自分とパスカルの立ち位置の差を、いやおうなしに感じる。努力を重ねた結果の優秀さを自負していても、アンマルチアでも天才と謳われるパスカルたちには当然及ぶべくもない。
 とん、とヒューバートは組んだ腕を指先で叩く。ああ、心配だ。
 彼女達の技術力を信頼していないわけではないが、万が一と言うことはあるものだ。
 今日は、簡単な点検だけということだったし、はやく帰ってきて欲しい。いつものあの笑顔で笑いかけて欲しい。
 ゆらり、ゆうらり。ゆうらり、ゆらり。
 魅入られたように装置を眺めながら、ヒューバートはそんなことを考え続ける。
 と。
 ガコン、と背後で何かが作動する音がした。
 それが何かは、わかっている。地下にいるパスカルたちが、エレベータと使ってもどってくるのだ。
 よかったと安堵し、お疲れ様ですと出迎えたいのに。
 それなのに、目が装置から逸らせない。
 これは……おかしい。
 くら、と意識が揺らぎはじめて、ようやくヒューバートはこの装置に異常さに気づいた。
「たっだいま~! あれ? ヒューくん?」
 元気いっぱいの声がする。
 振り向きたい。だけどできない。顔は固定されたように動かず、声もでない――ああ、ねむい。
 かく、と頭が落ちそうになる。その拍子に眼鏡がずれるが、直そうにも手があがらない。ねむい。
「ヒューくん、ヒューくん、それみちゃうとまずいよ~」
 そんな言葉とともに、ひょこっとパスカルの顔が視界にはいる。すぐそこで、さらりと流れる赤と銀の髪。
 ゆっくりと目を瞬かせたヒューバートには、ゆらゆらとパスカルが揺れているようにみえた。海の中でたゆたう海藻を連想した。
 いつもしゃんとしてくださいといっているのに――。
「パスカル、さ……ん……。そんな、ふらふらしている、と、あぶない、です……」
 途切れ途切れでもなんとか気力を振り絞ってそういうと、ひらひらと緑色のグローブに包まれた手が、蝶のように踊る。
「違うよ~。あたしじゃなくて、ヒューくんがふらふらしてるんだよ」
「なにを、いって……?」
 そう指摘されても、意味がよくわからないくらい、ヒューバートの意識が混濁してくる。
 これは現実なのか、夢なのか。
「すごく眠いでしょ?」
「……そんな、ことは」
 そのとおりですと頷きたくなるのを堪えて、違うと答える。
 だが、ヒューバートの意思に反し、身体の力が抜けていく。ぎゅ、と手を握り締め、唇も噛み締めるが無意味な抵抗にしかならなかった。
 がくん、と膝から崩れ落ちそうになった瞬間。
 ふわりと柔らかなものがヒューバートを支えた。
「おっとっと~、無理しちゃだめだよー」
 よっこいしょ、と妙齢の女性らしからぬ掛け声で、引き寄せられる。
 ようやく装置からはずれた視線を、のろのろとあげれば、すぐそこにパスカルの笑顔があった。
「ヒューくん、おやすみなさい」 
 にぱ、と花ひらいた表情に、ついつられて微笑む。
 遠くで、ポアソンとフーリエの声がしたような気がしたが、何を言っているのか聞き取ることも理解することもできないくらい、自我が保てない。
 深い湖沼の奥底へと引きずり込まれるような心地の中で、ヒューバートは意識をそっと手放した。

 

 

 ふんわりとしていて、あったかい。
 ほやほやとした日差しの下、空に浮かぶ真っ白な雲に寝転がっているようだ。実際にそんな体験はしたことがないが、きっとこんな感じなのだろうと思わせる。
「ん、」
 ごろ、と横になって雲に頬を摺り寄せる。子供の頃、無邪気に憧れていた空想が現実になったようだ。
 ああ、いつも使っている枕も、こんなに心地よければいいのに。
 ストラタの一流寝具店が御用達のオズウェル家であるから、間違いなくいいものを使ってはいるが、これほどではない。
 ふと、気づく。
 自分の枕でないのなら、これは一体なんだろう。どこの枕だろう。宿に泊まっていただろうか? それならば経営者にどこの枕か聞いておかなければ。
 確かめるようにもう一度、頬を寄せる。ぐ、と頭を押し付けてみる。適度な柔らかさとハリ。そして温かさ。
 やはり、最高だ。これがあればどんな激務の日々も乗り越えられるだろう。良質な睡眠は、短時間でも身体を癒してくれるのだから。
 夢半ばであっても、ついつい仕事のことを考えていると。
「あははっ、くすぐったい~!」
 けたけたと頭上で響く明るい声に、ヒューバートはぼんやりと瞳を開いた。
 史上最高の枕が、動いている。笑っている。目の前にある色は、雲のような真っ白ではない。滑らかな黒。
「……」
 なんですっけ、これ。笑って、動いて、温かい。枕……じゃない?
 ヒューバートは正体がなにかさっぱりわからず、ひとまず確かめようと手のひらで撫でてみる。
 とたん、笑い声が大きくなり、また大きく動いた。
「くすぐったいっていってるのに~」
 寝転がるヒューバートの耳に降ってくる声は知っている。よく知っている。元気で明るくて、彼女に名前を呼ばれるだけで幸せになれるのだから、聞き間違えるはずがない。
 パスカルさん――鈍い頭で恋しい人の名を呼ぶ。そうして、考え、考えて。
「!?!?!」
「わっ」
 ヒューバートは、勢いよく身体を起こした。ぱっと視線を向ければ、いきなり動き出したことに驚いたパスカルが、大きな目を瞬かせている。
 それが見えるということは、顔が近いということだ。ヒューバートは、琥珀色の瞳の煌めきを目の当たりにし、顔を赤らめた。
「なっ、ななな……! ぼくの、メガネは……!」
 わたわたと近視のヒューバートを助けるはずのメガネを探す。見えなければ状況の把握もできやしない。
「ほい」
「あ、どうもありがとうございます」
 どうやら傍らに置いてあったようで、パスカルがすぐに手渡してくれた。
 反射的に、いつものように丁寧に礼をのべ、あまり力の入らない指先を叱咤して眼鏡をかける。
「目、覚めた?」
 さきほどよりもっと明瞭になったヒューバートの視界いっぱいに、パスカルの笑顔がうつる。
「……はい」
 息を飲み、のろのろと視線を落とす。幾度か深呼吸をして、ちら、と今まで寝転がっていたところに目を向ける。
 場所は古いが綺麗に掃除された宿とおぼしき一室。シングルのベッド。綺麗なシーツ。そこに腰掛けたパスカル。
 ぬくもりを宿したシーツとさきほどまでの記憶から、身を横たえていただろう自分が容易く想像される。
 つまり、自分はパスカルの太ももに頬を寄せていた。
 そう結論づけたあと、ヒューバートはベッドに腰掛けなおし、頭を抱えた。
 女性の膝で寝入ったあげくに、頬を寄せるわ撫でて掴むわ、普通に性的嫌がらせじゃないですか!
 かーっと真っ赤になっていくヒューバートをみて、パスカルが笑う。
「ヒューくんってば、まっかっか~。まるで夕陽みたい」
 のんきなことをいって笑うパスカルに、ヒューバートはくってかかった。
「そ、それはっ……! パスカルさんがっ……! というか、なにして……! どうして……!?」
 胸のうちにはこぼれんばかりの質問が渦巻いているが、口から出そうとするとたんうまく言葉という形になってくれない。
 おろおろおたおたと、仕事では臨機応変の対応ができるくせに、自分個人のこととなるとてんで頭が働かなくなるヒューバートに、「ああ!」とパスカルが手を打った。
「ええとねー。みんなで研究所にいったのは覚えてる?」
 どうやら、ヒューバートの疑問を察してくれたようである。
「は、はい。パスカルさんたちが地下にいって、ぼくはそれを待っていて――」
 ん? とヒューバートは顎に手を当てて目線を彷徨わせる。
 確か、手持無沙汰なこともあり施設内をみせてもらい、とある装置の前で皆の帰りを待っていて――そのあとは、どうなったかが思い出せない。
「そうそう! それでね、あたしたちがもどってきたら、睡魔球の前にヒューくんが立っててさー。あちゃーって思ったらときすでに遅し!」
 そのときのことでも思い出したのか、あははとパスカルが笑う。
「ヒューくんってば。ぱったりと寝ちゃったから、ポアソンとおねえちゃんに手伝ってもらって宿まで運んでー」
「……!」
 パスカルの言葉に、すべて思い出す。
 右に左に揺れる装置に目を奪われ、前後不覚になり、パスカルに寄りかかって――そこからの意識がない。
 つまり、パスカルのいうとおり、女性三人に運んでもらったのだろう。
 さーっと血の気が引いていく感覚する。ヒューバートは眩暈を起こした頭を指先で押さえた。
 あああ、なんたる失態!
 身体を戦慄かせていると、パスカルが続きを話す。
「ここまでつれてきたときそのまま倒れこんじゃってさ、まあいっかーってそのままにしてた」
 部屋に置いてある時計をみれば、研究室を訪問してから数時間たっている。三人が装置の具合を確かめにいった時間を考慮しても、十分な睡眠をとってしまったようだ。
「……あれは一体何なのですか?」
 呻きつつ、悔しさを絞り出すようにそう訪ねる。
「睡眠を促す装置だよ。なんかそういうの研究してるみたい。おもしろいよね! きっと睡眠不足とか不眠症の人とかの役に立つよー!」
 あたしもあんな研究したーい、とのたまうパスカルを横目にみつつ、ヒューバートは息をついた。これで納得した。どうして、パスカルに膝というか太ももを貸してもらっていたのか。
「あれ、すごいんだよー。前に来たときも、みんなで寝ちゃったんだよ!」
 旅の頃を思い出し、楽しそうにそのときのことを身振りを交えて話すパスカルに、もう何度目かわからぬ溜息をつく。
「……そのときには教官もいたでしょうに、なをしていたのですか、あなたがたは」
 え、とパスカルが目を瞬かせる。
「教官がまっさきに寝てたよ?」
 パスカルの言葉に、ああそうですか、としかヒューバートは返せなかった。
 まったくあの人はパーティの最年長である自覚があまりにも欠落……。いやいや。
 マリク教官に今回ばかりは何も言えない立場であることを思いだし、ヒューバートは、がっくりと肩を落とす。
 あやしいものに目を奪われ、あげくにパスカルをはじめとした世話になった人たちに迷惑をかけるとは、案内係をかってでたストラタ軍人としての名折れである。いや、ヒューバートの個人的失態である。
「とにかく、申し訳ありませんでした」
 居住まいをただし、頭をさげるとパスカルが手を振った。
「いいの、いいの。ヒューくんも疲れてたんだろうし。ヒューくんが元気になってくれるならいいんだよ~」
「……ありがとうございます、パスカルさん」
 明るく砕けた物言いだが、こちら思いやってくれるその言葉は本物だ。嬉しくて、ヒューバートはほんのりと微笑む。
 確かに、ここ最近は仕事が重なり、寝ても身体が軽くなることがなかった。短時間の睡眠を繰り返していたのがまずかったのだろうか。
 きっと、パスカルのいうとおり疲れていたのだろう。今日のことは、いい機会だったと思おう。
 ヒューバートはいい方向へと意識を切り替えることにした。パスカル自身はあまり恥ずかしいことをしていたという考えはないようだし、こちらばかりが気にしていても仕方がない。
 ほっとしたら、喉が渇いていることに気付く。あたたかい部屋で眠っていたせいかもしれない。
「パスカルさん、一階の食堂にでもいきませんか? お詫びにバナナジュースでもいかがですか?」
「いいの?! やった!」
 喜色満面で手を打ち鳴らすパスカルに、ふふ、とヒューバートは笑みを深くする。こういう無邪気なところも、パスカルの魅力だ。
 では行きましょう、と立ち上がったヒューバートは部屋の扉へと向かうが、パスカルが動く気配がない。
「パスカルさん? いかないのですか?」
 不思議に思って問いかければ、パスカルが細い眉を深刻そうに寄せた。
「う~ん、それが困ったことにね、いますぐは無理そうなんだよ」
 腕を組み、もっともらしい顔をして残念そうにパスカルが言う。
 意味が分からず、ヒューバートは首をひねった。
「なぜ?」
「だって足痺れてるもん」
「……」
 きっぱりといわれた言葉を噛みしめて、ヒューバートはその場に膝をつきたくなった。
 なんでそこまで頑張ったんですか。
 思わず、ヒューバートは心の中で突っ込みをいれた。
 きびすを返してパスカルの前にもどると、ヒューバートはなんの躊躇いもなくそこに跪いた。
 細いパスカルの足、ふくらはぎあたりに手を伸ばす。
「ひゃあうっ!?」
 よほど痺れているらしく、そっと触れただけでパスカルの悲鳴があがった。
「さわ、さわっちゃ、だめっ……っ、うう~!」
「我慢してください。ぼくの頭を支えていたせいで、血の巡りが悪くなっているんですよ」
 優しく撫でさすり、血が足先へといくように、しびれがはやくとれるようにとマッサージする。
 片足を終わらせ、もう片足に手をかけて、つとめて優しく気を付けて撫でさする。冷たかった肌が、いくぶんかあたたかくなり、血色もよくなったような気がする。
「どうですか? しびれが少しは落ち着きましたか? ……っ、」
 そろそろいいだろうかとパスカルの様子を伺おうと顔をあげたヒューバートは、う、と息を飲んだ。
 パスカルが、神妙な顔をして、頬を赤く染めている。
 珍しい、可愛い、と思うと同時に、自分がなにをしてしまったのかをヒューバートは理解した。
 ばばっと立ち上がると同時に後方へと下がる。
「うわああっ! す、すみません、ぼくは、また……!」
 柔らかな肌と肉の感触がまだ残る手を、後ろへと隠しながら詫びる。どきどきと高鳴る胸に、居たたまれなさが満ちていく。
「う、ううん、いいっていって~! だって、ヒューくん、あたしのためにやってくれたんでしょ?」
「そ、それは、そうですが……!」
 あまり意識はなかったとはいえ、太ももを撫でだあげく、ふくらはぎまで撫でさするとか、明確なセクハラ二度重ねじゃないですか!
 あああああ、と内心ふたたび悶えていると、す、とパスカルが立った。
 そして、ぴょんぴょん、とその場で跳ねて笑う。
「おお~、さっすがヒューくん、もう大丈夫だよ!」
「……よかった、です」
 ああもう、と真っ赤な顔を片手で抑えながら、ヒューバートは弱弱しくそう答える。
 意識されているのか意識されていないのか。案外と、自分からなにかをするのはよくても、相手から何かされるのには弱いのだろうか、と悶々とヒューバートが悩んでいると。
 もう片方の手が、きゅっと握られる感触に、はじかれたように顔をあげる。
 みれば、パスカルの手がヒューバートの手に絡んでいた。
「ほんとにありがと」
 落ち着いた、囁くような優しい声が、ヒューバートの耳をくすぐる。
 じゃあ、いこっか、とパスカルに促され、ヒューバートは歩き出す。
 手をひかれながら、もういっぱいいっぱいになってきたヒューバートは、もうどうにでもしてください……と、心の中で白旗をあげる。
 起きていても眠っていても、自分はパスカルに振り回される運命なのだろう。
 それでもいい。だから、もしそんな人生を与えた神様がいるのなら、もう一度、史上最高の枕に横になることができる日も与えてほしい。
 恋にあがく哀れな男の喜劇を観て楽しむのなら、それくらいの褒美はあってもいいのではないだろうか。
「バナナ、バナナ~! バーナナジュース!」
 嬉しげなパスカルの妙な歌に導かれるように廊下へと足を踏み出しながら、ヒューバートは沸騰直前の意識でそんなことを考えた。