Caution!!
捏造です。力いっぱい捏造です。もしも、もしも、カーツがあのとき死ぬことなく、生きていたなら――そんな妄想の産物です。
原作の展開無視なものですから、お気に召さない方もおられると思います。そういう方は、ここでUターン願います。どうかよろしくお願いします。読後の苦情はいっさいお受け致しかねます。
フェンデル軍の紋章が刻まれた重厚な扉を、マリクは軽く握り締めた拳で叩いた。
中から応えがある前に躊躇うことなくドアノブに手をかけ、わずかに開けた隙間から入り込む。どうせ在室していることはわかっているし、相手は長年の友だ。
案の定、こんな失礼な真似をするのは一人しかいないとわかっていたのだろう部屋の主は、カリカリと書類にペンを走らせている。
「よお、カーツ。ちょっと付き合え」
そうしてマリクが掲げたのは、街の酒場で無理をいって調達してきた高級酒の瓶だ。
ようやくここで顔をあげたカーツは、眉を顰めた。
「マリク、お前、仕事は終わったんだろうな」
「まあな」
に、とマリクは笑った。ぴく、とカーツの細い眉が跳ねた。
「嘘をつけ」
やはりカーツは騙されてはくれないらしい。だが、今日するべきことは終わっているのは確かだ。ただ、明日に回しても差し支えないものが、少々残っているくらいで。それでも生真面目なカーツであるならば、きちんと終えようとするのだろうが。
「いいから付き合え。それにお前だって、どうせ行くつもりだろう? 帰りのことを考えると、そろそろ出発しないとな」
マリクが誘う場所は言葉にせずともわかっているらしいカーツの視線が、重い色をしたザヴェートの空を垣間見せる窓に移る。
「……まあな」
「だろ?」
そうして、マリクは部屋の壁にかけられたカレンダーを見遣る。その日付に、目を細めた。胸の奥が、苦しく疼いた。
そこにあるのは、あれから二十年以上が立ったことを示す数字。かの佳人が、志を抱いたまま、己の腕の中で逝ってしまった日を刻んでいた。
「少し待て」
「ああ」
そういって、ひどくゆっくりと執務机の椅子から立ち上がったカーツが、わずかに左足を引き摺りながらコート賭けへと向かう。その動きに、かつての機敏さはまったくない。
大煇石の暴走を食い止めるために装置へ槍を直に振るったことによる後遺症が、カーツの身体を苛んでいるためだ。
医師の判断によると、右足および左腕に僅かな麻痺が残っているとのことで、それは一生治ることがないとも診断されている。
そんな風に身体を悪くしてしまったカーツは、二度と槍を手にすることはできない。しかし、これまでの大煇石活用技術への開発に対する業績と、その卓抜した事務処理能力は手放すのは惜しいと軍部が判断したことに加え、復職をカーツ自身が強く望んだことにより、身体がある程度回復したつい最近、軍へと復帰を果たした。
そしてマリクもまた、再びこのフェンデルのため、若きころに成しえなかった夢を叶えるため、ともに旅した仲間であるパスカルとともに、大煇石の活用に向けてフェンデル軍へ協力している。
「待たせた」
厚手のコートと、杖を携えマリクのもとへとやってきたカーツが、また眉根を寄せた。
「……おい、グラスはどうした」
「お前、クリスタルのやつ持っていただろう」
満面の笑みで言ってやる。二十年前に、夢を語りながら三人で飲み明かしたときに一度だけ使ったことのあるもの。彼女――ロベリアが、年相応の女の顔で、綺麗だとはしゃいでいた。
カーツもそれを思い出したのか、厳しい瞳がわずかに和んだように見えた。
「もう少し待て」
カーツがくるりと背を向ける。靴音を響かせながら、カーツが壁にしつらえられた棚へと近づいていく。
「日が暮れる前に頼むぞ。ああ、いや、それともオレが探してやろうか?」
「ぬかせ」
くす、と笑いながら問いかけると、振り返ることなくカーツがはき捨てた。
重い扉に背を預け、マリクは軽く腕を組んだ。
ほどなくして、美しく手入れされた、少しだけ年代を感じさせるグラスが現れるだろう。あの頃の思い出の形そのままで、カーツの手に乗せられて。
相変わらず飾られている三人の写真のように、それもまた、二十年前の若い自分たちを刻んだかけがえのない思い出のひとつだ。
マリクは、そんなことを考えながら、カーツを待った。
「っ、」
よろりと氷に足をとられたカーツを、マリクは咄嗟に支えた。
「おっと……大丈夫か、カーツ?」
「ああ、大丈夫だ」
やはりカーツの身体には、この流氷で形作られた洞窟にくるのは厳しいのかもしれない。もちろん、カーツはそんなことを微塵も見せることはないのだが。
「おぶっていってやろうか?」
半ば本気でいう。四十男が四十男を背負って歩くというのは、傍から見たらおかしく見えるだろうが、背に腹はかえられない。アンマルチアの研究者が、大煇石の部屋には数人いるやもしれないが、まあそこには目をつぶってもらって―― 「結構だ」
だが、カーツは不愉快そうにマリクの手を払い落とした。恐らく、マリクの本気と一瞬の間に思い浮かべたものを読み取ったに違いない。そのまま、カーツは歩き出す。
「はははっ」
友の背に、はっきりと滲む誇りと拒絶。マリクは、冗談だと誤魔化すように笑った。
言葉数は少なくとも、互いの想いがわかるのは長年の付き合いの賜物だ。
もうマリクはなにもいうことなく、カーツの後ろをゆっくりとついていく。ほどなくして、高い吹き抜けの真下に安置された紅に輝く大煇石のもとへと辿り着く。
きょろ、とあたりを見回すが、いまこの場にいる研究者の中にパスカルの姿はなかった。
明るく子供のような無邪気さで、周囲のことを省みないと誤解されがちな彼女だが、仲間たちのことには目ざとく、そして本当に秘したい領域へと踏み込むような真似をしてくることはない大人の分別を持っている。そんな彼女であるならば、今日の訪れたことにも興味は示せど、深入りはしてこなかったはず。
だが、会えば訪れた理由くらいは尋ねられただろう。だから今日は、会えなくてよかったのかもしれなかった。
近くにいた研究員に話を通したカーツが戻ってくる。これでしばらく人がくることはない。
大煇石を横目に、二人そろって横穴へと入り込む。その奥の奥を目指す。
やがて、青く静謐な空間に守られるようにしてある、少し古びてきた墓石がみえてくる。
「きたぞ、ロベリア」
「……」
そっと、カーツが墓石の前に跪くようにして、包みから取り出した三人分のグラスを置く。
こぽこぽと音をたてながら、膝をついたマリクがそれぞれ同じくらいに酒を注ぎいれる。ふわ、と遠い昔の記憶を引きずり出すような、芳醇な香りが漂った。
そのうちひとつをカーツに手渡す。その手で、マリクも自分の分の酒を手にした。
声をかけあうことなくクリスタル製のその縁をあわせる。ちん、と堅く澄んだ音が響いた。そして、ロベリアのためのグラスに、二人でグラスをあわせる。今度は、りんとまろやかな音が響いた。
そのまま、ぐいと酒をあおる。アルコール度数の高い酒が、焼け付くような熱を喉に与えて、胃の底へと落ちてわだかまる。
しばらく、舌に残った酒を味わったあと、マリクは伏せていた睫をあげた。
「――なあ、ロベリア、オレたちは今あのときの夢をもう一度、叶えようとしている」
はぁと、アルコール交じりに吐いた息が、白く空気を濁らせた。
マリクは、まるで昔話を語るように続ける。
「君と共に語り合った、フェンデルの国を立て直すためのあの理想を、再び追いかけているんだ」
マリクは笑いかける。そこで愛しい人が、眠りながらも聞いてくれていると、信じているから。
「オレの仲間にな、大煇石に詳しいアンマルチア族がいるんだ。すごいだろう? しかも一族のなかでも天才だとみとめられるほどだ。見た目は、そんな風にみえないんだがな」
からかい気味な口調で、マリクはパスカルのこと報告する。カーツが、そのあとを引き継ぐように薄い唇を開いた。
「彼女ならば、研究を完成させてくれるだろう。そして、火の原素が誰しもに使える資源として活用できる日が、きっとくる」
ただ淡々と、事実を告げるようなカーツの声。見上げた横顔は、ただひたすらに静かだ。だが、その奥底には燃える火のような情熱がある。マリクはそれを知っている。そうでなければ、たった一人で二十年のもの間、国のためにすべてを捧げ、あの実験に命を賭ける――そのようなことが、できようはずもない。
そんなカーツの横顔から、再びロベリアに目を移す。
「そのために、オレたちはオレたちが今できることを懸命に、やっている。君には、まだまだだと、怒られるかもしれんがな」
大煇石を用いて沸かした湯を各家にひき、暖房として利用する。そのためにまず都市計画を見直し、緊急性の高いところから順次工事に取り掛かれるように手配し、そのための資金を調達する。そして、軍上層部や一部の裕福層の利権争いに、この計画が利用されることが決してないようにする。
マリク、カーツそれぞれが、これまでの人脈や信頼を活かして、いまできる最大限のことに努めている。
「今度こそ必ず――夢を叶えてみせる」
ぐっと胸に拳を当てて、マリクは言葉にした。
それが今の二人の原動力だ。どんな障害があろうとも、今度こそという想いがあった。
「ロベリア、君が望んだ未来へ、僅かではあるがちゃんと進んでいる。ここまで時間は多く流れてしまったが、その日は夢物語のなかでなく現実のものとして見えてきている」
カーツが、目を閉じ深く重々しく告げる。だから、とマリクはその言葉に続く。
「どうか、オレたちのやることを、ここから見守っていてほしい」
そういって、二人はもう一度酒をあおった。飲み干して、コトリと氷の床にそれを置く。
ふと、ラントの大きな木の下で、弟子たちが交わしたというものをマリクは思い出す。ここに木はないけれど、誓うことならばできるだろう。
「なあ、友情の誓いを真似て、理想の誓いってのでも、してみるか?」
悪戯っぽくそう問いかけると、カーツの顔が不快そうに歪んだ。かつて、ラントで子供たちの間でもてはやされる誓いのことを語ったことがある。聡明なこの男は、そのことを忘れてはいないだろう。
「断る」
冷たい一言に、カーツならば頷かないとも予想していたマリクは、苦笑いした。
だが、カーツは視線を前に戻して、感慨深く呟いた。
「そんなものしなくとも、お前との間には腐れ縁というものがあるだろう。そうそう切れることのない、無駄に頑丈なものが、な」
思わぬ言葉に、マリクは僅かに目を見開いた。驚いた。このお堅い男から、そんな言葉がでてくるとは。
「それにその誓いならば、二十年前の昔にとうに済ませているはずだ。三人で、な」
マリクの口元がゆっくりと綻ぶ。たしかに、いまさらそんなことをしなくとも、自分たちには時を越える絆がある。
「――そうだな。カーツ。これからも、よろしく頼むぞ」
がっしりと肩を組む。思わずよろめいたカーツが、深く深くため息をついた。
「お前が、しっかりと仕事をするならな」
こうして軽口をたたきあうことができるようになったのは、これまでの分かたれた道があったからだ。二十年という決して短くはない道のりの中、互いに知らぬうちに得たものがあったからだ。今までどれひとつとて、無駄なことなどなかったのだと今ならわかる。
その積み重ねが、こうしてまた再び道をひとつにしてくれた。
マリクは、そんな現在へと導いてくれた仲間たちのことに思いを馳せる。
それぞれのいるべき場所で、それぞれの果たすべきことをしている仲間たち。まっすぐに、信じることを諦めず、相手を想うことを忘れず。そうして、最後にその願いのとおり、なにもかも守ってみせた。
ロベリアを失ってから見失い。それでも無意識のうちに、ずっとずっと探し続けていた光を与えてくれた仲間たちのことを思うと、胸のうちが暖かな温度に満たされる。
また、折を見て近いうちに会いに行こう――笑いながら、マリクは手を伸ばした。
彼女のために注いだ酒を、そっと墓石にかけて、グラスをあけた。
空になったグラスをふたつ、そして酒瓶を手にして、ゆっくりと立ち上がる。
「またな、ロベリア」
マリクは、明るくその名を呼んで、愛しげに目を細めた。
「また来る、ロベリア」
隣に立つカーツが、普段からは想像もできない、ひどく優しい声で別れを告げた。
そうして、二人は恋しい女に向けて微笑む。
厳しい雪の国にも鮮やかに咲いていた、希望に満ちた未来を目指して柔らかに綻んだロベリアの明るい笑顔が、確かに見えた。
二人とも、頑張ってね――
そんな幻聴が、鼓膜を叩く。それはきっと、傍らのカーツも同じだろう。
マリクはゆっくりと、背を向けて歩き出す。名残惜しくはない。また、ここにくればいつでも会える。そう思いながら、自分とロベリアのグラスを、同じ強さの力で握り締める。
ゆっくりと青い氷の壁に沿って歩きながら、ふと、マリクはカーツに問いかける。
「そういえば、お前、ロベリアに惚れていたのか?」
「ああ、そうだ」
あっさりと認められたことに、わずかに驚く。他人への恋心など、秘め続けて表に出すような男ではないと思っていた。
「すこしも否定しないとはな。オレはそんなこと知らなかったぞ」
「お前が、間抜けにも気付いていなかっただけだ」
「……違いない」
自分のことに精一杯で、カーツのことにまで気がまわっていなかった、若い頃の未熟な自分を思い出し、マリクは小さく笑った。
「……」
「……」
妙な沈黙が落ちる。
きゅ、と氷を踏みしめる音だけが、鳴り響く。
「あの世にいっても、ロベリアのことは譲らんぞ」
おもむろに、マリクは口を開いた。
「それはわかるまい? 何もかも投げ出して逃げた男を、彼女が選ぶとも思えんが」
ぐ、と言葉につまる。たしかに負けん気の強かった彼女のことだ、なんて馬鹿なことをしたの、なぜカーツ一人を残したの、と尻を叩かれることにもなりかねない。
「――いってろ。絶対に負けんからな」
「……く、それはこちらのセリフだ」
この世に生きているというのに、あの世にいる女のことを巡って言葉を交わす自分たちは、まるで恋を知ったばかりの少年のようだ。 そんなことを思って横をみると、カーツも同じことを考えたのだろうか。ふ、とマリクのほうをみた。視線が絡む。四十もこえた男同士が、こんな寒い場所でこの世にはいない女をめぐって牽制しあう。それは滑稽であるけれど、なんだか平和であるということの、証のような気がした。
「ふっ」
「くくっ」
顔を見合わせたまま、互いに小さく噴出す。そのまま、からからと二人一緒に笑いあう。
その声は、氷洞に響き、賑やかに木霊しては消えていく。
その希望に満ちた明るさは、この雪にとざれたフェンデルに、彼らがずっと夢見たものを実現させるだけの力に彩られていた。