ティアは、ふと気付いた。
ウルが、ものすごく意地悪なのでは、ということに。
最初はそんなことはないはずと、自分の考えを打ち消してみるものの。
次から次へとそれを裏付けるような思い出が蘇ってくる。
これまでの冒険を紙面に書き留めていたティアは、その事実に愕然としながら、ペン先を下ろした。
別に本を出版するというわけでも、日記というわけでもないが、なんとなくあったことをまとめていて気付いた事実は、それくらいに衝撃的だった。
そういえば、あれも、これも――と、言い出したらきりがない。
思い立ったが吉日という。
この際、ちゃんと一回いっておこう!
そう考えるのはごく自然のことのように思えた。
うん、とティアは小さく心の中で拳を握り、気合をいれた。きりりと顔をあげ、振り返る。
そこには、恋人になって以来、すっかり人間の生活に馴染んでしまったウルがいる。いつもティアが食事をとるテーブルの椅子に腰掛けて、長い足を組み、預言書から取り出したお茶を片手に、新聞なんて読んでいる。優雅なその姿に、一瞬見惚れかけ、はっとしたティアは頭を振った。
いけない、いけない。
「ウル」
するり、と椅子から降りてその側へと歩み寄る。
「はい、なんですかティア?」
紙面からすぐに顔をあげ、薄く微笑むウル。
ティアは、ウルを目の前に両拳を腰にあて、その端整な顔をせいいっぱいに睨みつけた。
「ウルって、意地悪だよね」
目を据わらせて、いきなりそんなことを言い出したティアを、色の違う切れ長の瞳を瞬かせて眺めたあと、ウルは小さく首を捻った。
「今頃、気付かれたのですか?」
「……っ、」
ティアは、危うくつんのめりそうになった。
だって、そこはまず否定するところじゃないんですか。
内心、頭を抱える。どうやら自分の恋人は、思っていた以上に性質が悪いようだ。どうして今まで気付かなかったのだろう。ウルの言うとおりだ。
恋は盲目、ということを実体験しているとも気付かず、ティアがどうしたものかと唸っていると。
「どうしました? 気分でも悪いのですか?」
むしろウルが悪い。
と、喉まで出かかった言葉を、ティアはなんとか飲み込んだ。はあ、とため息が出てしまうのは、仕方ないことだろう。ふるり、とティアは頭を振った。
「ううん、そうじゃなくて。ちょっとここまで会話がかみ合わないのも、どうなのかなぁって……」
「そうですか?」
うん、と頷いてもう一度ウルを見る。
「あのね、ウルは、どうしてあんなことするの?」
ひとまず原因から探ろうと試みる。もしかしたら自分にもなにか非があるのかもしれないから。
ん? とウルが眉を動かす。顎に手をあて、ほんの少し考えるそぶり。
「どのことでしょうか」
思い当たるところがありすぎて、どれのことだかわからないという顔をしているウルに、ティアは眩暈を覚えた。
「だからっ!」
気力を振り絞り、ティアは叫ぶ。
「高いところにあるもの、とってくれたと思ったら渡してくれなかったよねっ」
にこにことしたウルに、頭上で目的の瓶を持ち上げられたまま、ティアは数度か飛び跳ねるはめになった。
「この前は人がたくさんいるところで、その……きゅ、急にキスしようとしてきたし!」
いきなりのことにびっくりして、変な声を上げながら後ろに倒れて、尻もちをついてしまったことを思い出す。周囲の人にはウルは見えないから、ティアは涙目でその場から逃げ出したものだ。
「昨日の夜だって、おもしろい話をしてくれるっていったのに、いつの間にか怖いお話になってたし!」
確かに、最初は楽しかった。しかし、話が進むにつれて、段々とおどろおどろしい方向へと展開していき、最後には主人公だった女の子は――いや、思い出したくない。微に入り細に入ったウルの語りのせいで、少しの物音すら怖くて、ウルに一晩中しがみつかざるをえなかったのだ。今晩も、まともに眠れないなんて嫌すぎる。
その後も、ティアはエルオス火山の噴火もかくやという勢いで、思い出せる限りのウルの意地悪を述べていく。
預言書のメタライズの謎解きも、懸命にやってもどうしても解けないから助言を求めたのに、まったくもって協力してくれず、ティアは延々と困った顔をすることになったのだ。前までそんなことなかったのに。
「だからね! そういうことをどうしてするのって、訊いてるのー!」
ぜーはー、と一息に言い切ったせいで乱れた呼吸を整えていると、合点がいったらしいウルが「ああ」と頷いた後、にこりと笑った。
艶やかで、男の人なのに綺麗だといわざるをえないそれ。
真正面から見てしまったティアは、う、と小さく息を飲んだ。
「――どうしてって、わからないのですか? ティア」
目を細めてしょうがない人ですね、といっているようなその姿に、ティアは真っ赤になった。
「そ、そんなの、わかるわけないでしょ?!」
あんな意地悪をする心理をわかるなら、こんなこと訊いたりしない。
「聞きたいですか?」
つ、と流し目を送られて、ティアは唇を尖らせてそっぽを向いた。
「そういうところが意地悪だっていってるの!」
むきー、と頭から蒸気を噴出しているように叫んだティアに、ウルが声を転がす。
それはそれは――心底、楽しそうに。
ちらりと伺ったその笑顔が、あんまりにも楽しそうで楽しそうで。ティアは「うぐむむむ……」と口を噤んだ。
「ティア」
おいでおいで、とウルが手招きする。ウルが意地悪だということをちゃんと認識した今、ティアは警戒しつつ近寄っていく。
子猫だったら毛を逆立てているような状態のティアを前にしているのに、ウルに動じたところはない。むしろそれを楽しみきっている。
大切な内緒話をいうように、口元に小さく人差し指をあてて、ウルが微笑した。
「それはですね、可愛いからですよ」
秘密の睦言を交わすような声音で言われたことを、ティアはすぐに理解できなかった。
「へ?」
それは理由になるものだろうか。
誤魔化されているのかと、慌ててウルの瞳を見上げるが、そこに嘘の色はまったくない。というか、精霊は嘘をつかない。つけない。真実に対し、口を閉ざすしか彼らにはできない。
つまり、それはウルの本心ということだ。
可愛いから、意地悪する。
だが、それがどうにもティアの中で、等号で結ばれてはくれない。なんで、どうして?
「ティアがね、本当に可愛いんですよね」
うっとりと、ティアの頬を撫でながら、ウルが白い肌をやんわりと染める。
ぞわわ、と背筋に何かが這いずり回るような感覚を覚え、ティアは体を強張らせた。
「潤んだ瞳も、照れて頬を染めて俯く様も、その際に頬に零れる髪も、恥らいに小さくなるあなたも、何かに困って眉を下げた表情も、恐怖におののく姿も。すべて可愛いのです」
「かわ、いい……?」
それってほんとうに可愛いのだろうか。
ウルの感じる可愛さと、自分が思う可愛さに間には決して越えられないものがあるような気がして、ティアは頬を引き攣らせた。
ええ、とウルが頷く。
「とてもね」
わかっていただけましたか? という声を、どこか遠くに聞きながら、ティアは崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えた。
「だ、だから、意地悪するの?」
「はい」
見たいんですからしょうがないですよね、とウルが頷く。
「しょうがないわけないでしょ! い、い、い……意地悪ぅー!」
精一杯の音量で叫ぶと、さっと尖った耳を素早く押さえてそれを回避したウルが言う。
「だからそういってるじゃないですか。むしろ今まで気付いていなかったという、そちらのほうが、私には不思議なくらいです。本当にわかっていなかったのですか?」
「え? えっと、う、うん。気付いてなかった……」
逆に質問をしかえされて、ティアは素直に答えて俯いた。本当に、いまさらだ。
「そういうところも可愛いですよ、ティア」
「ううっ」
はー……、と艶めいた声を漏らしたウルに、うっとりとそういわれて、ティアは小さく身を縮めた。
「でも」
そんなティアの顔を掬い上げるように、顎をつかまれて上向かされる。
きらり、と深い地の底で静かに輝く宝石のようなウルの瞳は、深いのに澄んでいる。ティアは、眩しいものをみてしまったように、目を細めた。
「ティアは、こんなことがわかっても、私のことを嫌いじゃないでしょう? 嫌いになれないでしょう?」
「……はぅ」
そう、それが一番の問題だ。どんな意地悪をされても、泣かされても。ウルのことが好きでたまらない。
「私のこと、好きでしょう?」
「……うぅ」
にっこり、ウルが微笑む。さきほどとは別の意味で眩暈を覚える。心臓が、果てしなく煩くなっていく。
「私たち、相性いいですよね」
「……」
どの口でそんなことをいっているのか。
かといって、はいそうですね、ですませられるわけがない。
「と、とにかくもう意地悪しないで!」
ぎゅー、と近寄ってこようとするウルの顔を押しのけるように、手をつっぱる。
「……そうですね。それほどいわれるのではれば、構いませんが」
「ほんとっ?!」
押されながらも告げてきたウルの言葉に、ティアは顔を輝かせた。
「ええ。その分、他のことで満足させていただければ私としてはとくに問題ありません。要は可愛いティアをみられればいいのですから」
私、そんなに可愛くないのに……と、思うものの。ウルの気が変わってしまってはたまらないと、ティアは大きく頷いた。
「じゃあ、そっちにして。意地悪じゃないなら、なんでもいいよ」
「わかりました。ではそのように」
よかった。これであんなことにならずに済むのだ。
やはり言ってみるものだ。ちゃんと話あえばこうやって解決するものなんだ。そう考えながら、ほっと息をついたティアの手が、するりと持ち上げられる。
「?」
くるり、手のひらを上向かされて、あれれ? と目を瞬いている間に、高い背をかがめたウルが柔らかく口付けを落とした。
くすぐったさもあるけれど、それ以上に恥ずかしくて、ティアは肩を跳ねさせた。
「ちょ、ちょっとウル!?!?」
「おや、いまさきほど許可を頂いたばかりのはずですが」
「え、えええ?!」
ちゅ、と再び落とされるぬくもりに、全身が粟立つ。
「あ……、や、くすぐった……!」
「好きですよ、ティア」
たまらなく愛しいのだと、そう行動と視線と、甘い声で伝えてくるウルにみつめられ、ティアは何度も口を開け閉めするしかできない。
「ぁ、ぅ……」
「大好きです」
にっこり、とティアの手のひらに頬を寄せたまま、珍しく子供じみた笑顔をウルが浮かべる。
「ティア。これは意地悪じゃないですよね?」
ね? と念押しをするウルに、ティアは絶句した。
「いままでとは別の形で、私の想いを伝えているだけです。可愛いあなたを見ているだけです。何の問題もないです。むしろ親切なくらいです」
そういいながら、また手のひらに口付けてくる。
もうだめだ。ウルには何を言ってもだめだ。くらくらと意識を遠い世界にやりかけていると、ふわりと体がもちあがる。
「きゃあっ」
軽々と持ち上げられ、抱き上げられたティアは、慌ててウルの肩に手を置いた。
「好きですよ、ティア」
「あああうううう……」
これはどうしようもなく恥ずかしい。かといって、意地悪をされても困る。
「好きです。可愛いです、ティア」
ちゅ、とウルの唇を頬に受けつつ、ティアは泣きたくなってきた。
もしかして、これからの日々はこんな状態で過ごさないといけないんだろうか。
確かに意地悪ではないが、恥ずかしくて死にそうだ。
幸せで、嬉しくて、それでいてそれが人生最大の悩みになるなんて。
解決の糸口は、どこを見渡しても見つけられない。ひとつ悩みが解決したと思ったら、もっと大きな悩みが生まれるなんて。
ああ、どうしよう――どうしよう。
蕩けた思考でそんなことを考えながら、ティアは近づいてくるウルの唇を、そっと受け入れた。
その後、抱え上げられたまま、うんうんと唸るその姿に、にやりとウルが微笑んだのを真剣に悩むティアが気付くことはなく。
やはりウルだけが楽しい時間は、ゆっくりと流れていく。
これからもきっと、ティアを幸せに悩ませながら。