交わす誓いに咲くものは 前編

 軽やかに鐘の音がひとつ、風に乗る。
 高らかに鐘の音がふたつ、街に渡る。
 華やかに鐘の音がみっつ、人に降る。
 ローアンの街にいくつかある教会のうち、中層階域にある素朴なつくりの小さな教会の前。この世全ての幸福を招かんとするその音のもとへ集った住民たちは、皆一様に喜びに溢れた顔で笑いあう。
 その輪の中に、ティアは居た。大きなそのまなこは、湖面で踊る光のようにきらきらと輝いている。尖塔より奏でられる祝福に耳を澄ませながら、ティアは落ち着かない様子で、階段の先にある重厚な扉が開くのを待ちづける。
「まだかなぁ……!」
 痺れを切らしたように、手に持つ花びらのいれられた小さな籠を握り締め、背伸びをしながら独り言を零す。
「やだ、ティアったら。さっきからそればっかり」
 側にいるファナが、それを聞いて小さく噴出しそういった。
 ころころと鈴を転がすように笑う幼馴染の言葉に、ティアは大きく目を見開いた。
「え、そ、そうだった?」
 どうやら、気付かぬうちに同じことを繰り返し口にしていたらしい。
 恥ずかしさに思わず頬を染め、ティアは俯いた。
「きっと、もうすぐよ」
「う、うん」
 はしゃぐ子供に言い聞かせる母親のようなその優しい声に、ティアはますます恥ずかしくなる。同い年であるというのに、この差は一体どこからくるのだろう。そんなことを考えながら、ティアは熱を帯びた頬に、指先を添えた。
 ファナの家の裏手に住むお姉さんの結婚が決まったのが三ヶ月ほど前のことだ。彼女とはティアも顔見知りであったことから、「当日は、二人一緒にお祝いにいこう」と、ファナと約束をした。それが今日。空は高く晴れ渡り、吹く風も心地よい日で、本当によかった。
 教会の中で執り行われていた厳かな式はすでに終わっており、招待された親類や友人もすでにティアたちと一緒に、二人が出てくるのを外で待っている。
「はやくでてこないかなぁ、花嫁さん! ね、ネアキ!」
「……うん」
 ティアの傍らに浮かび上がったミエリとネアキもまた、期待に満ち満ちたまなざしで扉をみつめている。朗らかにミエリが笑えば、汚れを知らぬ雪原のような美しく冷たい面が、ほんの少し綻んだ。
「なんだ、おまえらそんなに楽しみなのかよ? どうでもいいじゃねぇか」
 レンポは特に人間の結婚式には興味がないらしく、退屈そうにそう零す。皆が待ち続ける花嫁なぞどうでもいいといわんばかりに、ひらひらとぞんざいな仕草で手を振る。
「まぁまぁ、レンポ。そういわずに」
 す、と空中を滑り近づいたウルが穏やかな口調で諌める。
「結婚というものは、その人の人生においてとても重要な出来事です。これまで他人同士であった者たちが、お互いを想いあい、共にこれからの人生を歩むことを誓う、神聖な儀式であるからです」
 まるで辞書でも読み上げるような、淡々と事実を述べるその言葉に、ティアは苦笑いを零した。解説の仕方が、まことにウルらしい。
「そして、晴れの日に美しく着飾った花嫁を一目みて、その幸福にあやかりたいと願う女性がいるのは当然のことといえます。誰しもが、自分の好いた者や、これから生涯を重ねるただ一人の人とめぐり合い、幸せになりたいと願うもの。すなわち、結婚式というものは、花嫁や参加者も含めて女性が主役ということです。したがって、私たちは静かに見守っていればよいのですよ」
 まあ、男性にとっても大事であるのは確かですけど。
 そう小さく付け加えるウルを、レンポは何か胡散臭いものでもみるように眺めた。
「わかったような……なーんか納得いかねぇような……」
 ぶちぶちと呟くレンポに、ティアはとうとう小さく笑い声を漏らした。その様子に、ファナが不思議そうな顔をしたので、慌ててなんでもないと手を振る。
 そして、レンポの不満をおさめたというか、まるめこんだウルに視線を送って「ありがとう」と唇を動かす。ふわり、麗しいその面が嬉しそうに微笑を浮かべる。
 と。
 滑らかに、聖書の一節を再現した、複雑な彫刻の刻まれた大扉が開いていく。
 あ、と観衆がどよめく。次いで、その奥から現れた一組の男女に、どっと歓声があがった。
「おめでとうございます!」
 祝福の声と花びらが舞う中、ティアは満面の笑顔で声をかけ、手にした籠の花びらに祝いの気持ちを込めて、空へ、彼女へと届くように舞い上げる。
 高潮した顔の花嫁は、それはそれは嬉しそうに微笑んで、応えるように白い手袋に包まれた手を振ってくれる。
 結い上げた髪に留められた霞のような繊細なヴェール、静々とした歩みに付き従うようにたっぷりとした襞の流れる純白のウエディングドレス、手にするのは太陽の下でいっそう輝く真白い花のブーケ。白に彩られ、今まさに人生最高の幸せの中を歩く花嫁を導く花婿もまた、これ以上はないほどによい顔をしている。
 互いに深く想い合うのが伝わってくるようだ。夫婦となったばかりのその男女に、ティアはどきどきとする胸を抑えながら、手を振り続けた。
「えー、それでは新婦がブーケトスをいたしますので、未婚の女性の方は是非前にどうぞ!」
 式の進行役からの言葉に、待っていましたと参加者女性が前にでてゆく。
「ファナいこうよ!」
「え、ええっ、ちょっと待ってティア……!」
 慌てるファナの手を握り、ティアは女性でのみ構成されつつある人垣に加わろうとする。
 しかし、それをファナがおしとどめる。
「いかないの?」
「素敵なブーケだもの、できれば手にとってはみたいけれど……」
 そういって、ちょっと困ったような顔をして視線を流すファナにつられて、ティアも前を向いた。いつのまにやら、そこにはやけにぎらぎらとした空気が溢れかえっていて、ティアは「う」と言葉に詰まった。
「すげぇな……」
 レンポが呆れかえった様子で、獲物をねらう狩人のような鋭い瞳をした女性たちを眺めている。なんとなく、レンポがそういってしまう気持ちがわからないでもないこの状況。
「みんな、そんなにあのブーケが欲しいのかな? 確かに綺麗だけど……」
 どうしてだろう? と首を傾げるミエリに、ウルが右手人差し指をたてて説明する。
「それはですね。人間の中では、花嫁の投げたブーケを手にした女性が、次に結婚できるという言い伝えがあるのです。ですから妙齢の女性にとって、あのブーケを手にするということはとてつもなく意味あることなのですよ」
「……なるほど」
 ウルの説明に、ネアキがこくこくと頷いた。
「と、とりあえず今回はこのあたりで様子見しようか」
 あはは、とティアはファナに笑いかけた。
 いくら病気が治ったとはいえ、まだ外の空気に体を慣らしている最中であるファナを、あの戦いの渦に巻き込むわけにはいかなかった。
「私に遠慮しないで。ティアだけでも参加してきて?」
 ファナが困ったように眉を下げ、長い睫を伏せながら、ティアを気遣う。
「ううん、私もここでいいよ」
 ティアだってブーケを手にとってはみたいけれど、あの嵐に飛び込む勇気はなかった。背も高くなく、小柄な自分では揉みくちゃにされるに決まっている。
 二人そろって、ぎゅうぎゅうと押し合う華やかな人垣から数歩離れたところに立つ。
 花嫁の幸せな姿をさきほどよりも間近で見ることができる。それだけで満足だった。自然と笑みが零れる。
「お姉さん、本当に綺麗だね」
「ええ、本当に」
 ファナの家に遊びにいったとき、顔をあわせるたびに「二人で食べて」と、お菓子を渡してくれた。外に遊びに行けない二人が一緒に楽しめるようにと、「もう読まなくなったから」といっては絵本をくれた。一人っ子である二人にとって、本当のお姉さんのような存在だった。
 ゆっくりと階段をあがっていた花嫁が立ち止まる。
 いまかいまかと待ち構える女性たちの、息が詰まる。
 その様子を眺めるティアの目に、ヴェールをなびかせながら花嫁が大きく腕を上へと振り上げるのが見えた。
 人垣がどよめいて、前へ前へと塊となって動いていく。ちょっと怖い。
 そんな女たちの執念など軽くいなすように、可愛らしく纏められた白いブーケが、青い空に弧を描く。きゃあきゃあと悲鳴のような声をあげる女性たちの波に、それは吸い込まれていく。
 が。
 自分こそが手にするという執念が激しくぶつかり合うせいで、伸びたいくつものその手の先でブーケが数度、弾かれ跳ねる。
 それは、あれよという間にくるくると小さく回転しながら、目を大きく見開いたティアの手元へ、ぽんと落ちた。
「え、あれ……?」
 間の抜けた声を出したティアに、おしろいをはたき紅をさした面がいっせいに振り向いた。鋭い視線を一身に受けることになったティアの頬が引きつる。
 しばしの沈黙の後。
 ああー、と落胆する女たちの声に肩を強張らせたティアの横で、ファナが飛び跳ねるように笑った。まるで、自分のことのように喜び、ティアに抱きついてくる。
「わあ! よかったね、ティア!」
「う、うん……!」
 それを受入ながら、ティアはようやく、ぎこちなくはあるが微笑んだ。
「ふふ、それじゃあ次は、ティアが結婚する番ね!」
「え……」
 幼馴染の言葉に、ティアは目を瞬かせる。それは、正直言って考えていなかった……。
「そのときにはめいっぱいお祝いするわ!」
 柔らかな笑顔に、ゆっくりと頷く。
「――うん、ありがとう。ファナ」

 でもきっと、そんな日はこないと思うよ――

 心に浮かんだそんな言葉は飲み込んで。ティアは、傍らに浮かぶ恋人を見上げながら、ほんのりと笑った。深く吸い込まれそうな赤と青の瞳の奥底、何か言いたげにさざ波がたつ。ティアの言葉の奥底にあるものに、ウルが気付かぬはずがない。それを、わざわざいうこともないだろう。
 そっとティアは睫を伏せて、口元までブーケを持ち上げる。
 風にあおられ湧き立つ香りは、清々しく甘く――そして、ほんの少しせつなかった。

 

 

 

 

 ガラスの花瓶に生けたブーケを見つめながら、ティアは取り出して眺めていた今日の思い出を、そっと心の奥にしまう。
 柔らかなオレンジ色をしたランプの明かりに、瑞々しい白い花弁が淡く光っている。小さなティアの家は、香でも焚いたかのようなその花の香りに満ちていた。
 すでに夜の帳は落ちて、もう寝る刻限だ。すでに精霊たちは預言書に戻って休んでいる。
 さて、そろそろ自分も寝なければと椅子から立ち上がり、ランプを手にしようと指先を伸ばしたティアの目の前で、傍らに置いていた預言書がばらりと開く。そんな風に持ち主であるティアの手によらずページが勝手にめくられるときは、大体決まっている。
「どうしたの、ウル?」
 案の定、するりと栞から抜け出してきた雷の精霊に、ティアは小さく首を傾げて笑いかけた。ウルは端整なその顔に、子供が甘いお菓子をねだるような、母性をくすぐる色を浮かべていう。
「ティア――今夜は、褥をご一緒してもよろしいでしょうか」
「……」
 ティアは、ぽっと頬を染めた。恋人同士となってから過ごした夜のうち、互いを重ねあったことはもう幾度だってあるというのに、いまだに慣れることができない。
 もじもじとしていると、ウルが笑った。
「ふふ、今日は何もしませんよ。いけない人ですね、一体何を想像したのですか?」
 かあ、と先ほどとは違う意味で、ティアはさらに顔を赤くした。勘違いしたのは自分が悪いけれど、紛らわしいことをいうウルはもっと悪い。
「……もうっ!」
 恋人の意地悪な問い掛けに、ティアは頬を膨らませた。
 そんなティアを宥めるように、一息で近づいてきたウルが、やんわりとティアを抱きしめてくる。
「申し訳ありません。私は、ただ、ティアと一緒に眠りたいだけなのです。だめですか?」
「……嫌っていったら、どうするの?」
 言葉とは裏腹に、甘えるように恋人の胸に手を添え、その腕の戒めに身を委ねながらティアはそういってみる。見上げたウルが、にこりと笑う。それはもう、一点の曇りすら見つけられぬほどの輝かしさで。
「そうですね、その場合はこっそり忍び込むことになりますね」
 はぁ、とティアはため息をついた。それでは、断ろうが頷こうが、結果としてはなにもかわらないということではないか。そして、ウルが言葉どおりに実行するだろうということも、ティアは経験から知っていた。
「では、休みましょうか。夜更かしはよくありませんからね」
 そういって、ウルはティアを引きずっていく。いつの間にか片手にはランプを持っている。脱力したティアは、もはや諦めの境地だ。なんだか、ウルと付き合うようになってから、そこに到達する時間がやけに短くなった気がする。
 ランプを寝台の脇に置かれている小さな机に置いて、ウルがいそいそと毛布をめくり横になる。どうぞ、といわんばかりにあけられたウルの横に、ティアはもう一度息をついた。
 そっとランプの明かりを消せば、一瞬にして夜色に室内が落ちた。ティアは、手探りでウルの傍らへと小さな体を滑り込ませる。もぞもぞと具合のよい場所を探し、当たり前のように伸ばされたウルの腕に頭を預け、ティアは身体の力を抜いていく。その髪を、幼子をあやすようにウルの指先が梳いていく。
「今日は、どうでしたか?」
 先ほどまでの回想を、垣間見ていたのではないかというような質問に、ティアは微笑んだ。
「うん。とっても楽しかったよ。花嫁さん、すごく綺麗だったし。それに……」
 瞼の裏に、あの清らかに白い光景を思い浮かべる。
「すごく、幸せそうだった」
 心からそう思わせてくれる、とても素敵な結婚式だった。思い出せば、分けてもらった幸福にティアの胸が温かくなる。
「……ティアも、結婚したいですか?」
「え?」
 掠れ気味のウルの声が、ひどく沈む。ティアは瞼を開いた。闇に目を凝らしてみる。しかし、明かりを落とした今、その表情はよくみえない。だけど、二人の間に落ちた空気が、腰に回されたその腕が、ティアにその想いを伝えてくる。
 言われたことを、反芻する。
 ああ、ウルは――気にかけてくれているのか。だからわざわざ来てくれたのか。皆が寝静まったこの夜に。
「……子供の頃には、憧れていたよ?」
 大切な人たちに囲まれて、大切な人たちから心よりの祝福を受けて、真珠色のドレスに身を包み、この世でたった一人の大好きな人のもとへと嫁ぐ。
 夢見る女の子ならば、あの綺麗な姿に憧れないはずがない。
 だが、今は違う。
 恋人であるウルは精霊。ティアは人間。
 愛し合っていることは間違いないけれど、あんな風に結婚式をあげるなど土台無理な話だ。ちゃんとわかっている。
「でも、それは昔のことだもん」
 すり、とウルの胸元に頬を寄せる。
 この腕の中にいるだけで、こんなにも心地よく幸せならば、それ以上を望む必要はなかった。ずっと一緒だといってくれたウルの言葉が、この胸にあれば、それだけいい。だって、恋しいこの精霊が、自分だけを愛し続けてくれると知っている。もう、すべて叶えられたに等しい。このままでかまわない。
 ティアは、それを望むことを伝えるように、その想いを言葉に乗せる。届け届けと、ひたすら願う。
「だから、いいの――ウル、大好きだよ」
 結婚式を挙げることはなくとも、神に誓うことはなくとも、私の生涯の伴侶はあなただけ。でもちょっとだけ、あなたのお嫁さんになれないことは残念だけど。
 わずかに鎌首をもたげるように顔を覗かせたそんな想いを、ぎゅうぎゅうと押し込めて。ティアが、その声にありったけの心を込めてそういえば、闇に滲むように笑う気配がした。
「――私もです。愛していますよ、ティア」
 その顔は見えないけれど、応えたウルから、額に落とされる口付けの温かさとくすぐったさは確かにわかるもの。首をすくめ、ティアは小さく笑ったあと、夢の神に誘われたようにゆっくりと目を閉じる。
「ウル、おやすみなさい。また明日、ね」
 ゆえに、ウルのその瞳に深く静かな光が宿されたことに、ティアは気付くことはなく。
「……はい。ティア、良い夢を」
 再び額に落とされたおやすみの口付けに、ただ愛おしさを募らせる。
 そうして恋人に見送られながら、ティアは心地よい眠りの淵から遠い夢の世界へと、ゆらりゆらり、船を漕ぎ出していった。