あなたとワルツを

「……――すごい……」
 ティアは、小さく息をついた。その大きな瞳は、目の前の光景に釘付けで、他のものは目に入ってこない。古い歴史を誇る王国が主催するに相応しい、豪勢華美な宴模様も、今はただの背景だ。
 その実り色に映るのは、フランネル城のホールの中央、髪をなでつけ黒のタキシードを一分の隙もなく着こなして、艶やかな蝶のごとき女性と踊るたったひとりの男である。
 鍛え上げた体躯が、服をまとっていてもわかる。伸びた背筋と、安定感のある足さばきに、ティアだけでなく周囲の女性が一心に視線を送っている。そのどれもが、熱っぽい。
 ようやくダンスが終わったと思ったら、次の相手を願うように、ヒースのもとへと女性が集う。
 その誰もが、ティアとは比べることすら失礼なほど、洗練された大人の女性だった。
 ティアは、わずかに肩を落とすと、そっとホールから抜け出そうときびすを返した。
 一直線にとある方向へと向かう。以前、ドロテアからきいていたとおり、重いカーテンをそっとよけて、バルコニーに続く大きな窓をあける。するりと外に身を滑らせて、後ろ手に窓を閉めた。
 そこは夜風が冷たく吹いていた。
 だが、人の熱気に溢れた場所にいたティアにとっては、丁度良い心地よさだった。全身が冷えきってしまう前に、戻ればいい。少し、頭を冷やしたい。
 そんなことを考えて、汚れなどひとつもない白い可愛いらしい靴に包まれた足を前にだす。ふんわりと腰から広がる、雪色のドレスの裾をなんとかさばきながら、歩いていく。
 ふと、ティアは足元に視線を落とした。
 ドロテアが、侍女たちに隠れて飛び石がわりにして遊んでいたというその場所は、なるほど、そうしたくのもわかるような、精緻な細工が施されていた。ティアがいましがた出てきたところより上にある窓から、城内の明かりに照らされて幻想的に揺らめいている。ティアはなんとはなしに、とん、とん、と、目に付いたモザイクをつま先でたどっていく。
 だが、いつもなら心浮き立つだろうことをしても、いくつも錘のついた気持ちは軽くはならない。
 そして、地から天へ昇る月の軌跡を追うように、顔をあげる。だが、見上げた空には、星さえもない。黒々としたものが、横たわっているだけ。考えてみれば、昼間からすでに曇天であったのだから、致し方ない。
 それはまるで、今の自分の心のようだと、ティアは思った。
 聖なる夜にはふさわしくない気持ちを抱いたまま、バルコニーの手すりにたどり着いたティアは、はあと白い息を漏らした。ふわ、と形作られたものは、あっという間に消えていく。耳を澄ませば、かすかに楽団が奏でる音色が聞こえてくる。
「せっかくだから、踊りたかったなぁ」
 ドロテア姫に招待を受け、さらにヴァルド皇子に薦められ、このクリスマスパーティに出席することになってから二週間。ずっとずっと、この日を楽しみにしていた。
 せめて一曲だけでいいからと。あの人と踊りたいからと。随分な我侭をいって、ドロテアに付き合ってもらって――ワルツを、練習していたのに。
 先生の足を何度踏んだかわからない。なんとか足の動きを覚えても、目線が下がりっぱなしではいけないといわれ。家では、精霊たちにつきあってもらって、練習を繰り返した。それはひとえに、ヒースと踊りたい一心あってこそ。
 だがその努力は、どうやら報われることはないらしい。
 ホールの様子を思い出しながら、ふるり、肩を震わせる。でも仕方ないことだ。ヒースは帝国の将軍だ。こういった場でやらねばならないことなんて、ティアの考えが及びもつかないくらい、たくさんあるに違いない。
 ぎゅ、と自分を慰めるように、ティアは肩を抱きしめた。

 でも、やっぱり―― 一度だけでも……いちどだけで、いいから――

 ほんとうに、今宵奇跡が起きるなら。よかったのに。
「……ん」
 鼻先につめたい感覚がともる。伏せていた睫をあげて、視線をわずかに上向かせる。
 ふわ、ふわり。
 白い何かが、闇の向こうから降ってくる。
「――雪」
 そっと手を差し出して受け止める。小さなそれは、ティアの手袋につつまれた手のひらにうずくまる。まるで慰めるように訪れた雪の精に、ティアは微笑んだ。
 ああ、あの人と、こんな素敵なクリスマスをともにしたかった。でも、その人は自分の傍らにはいない。
 きゅう、と冷たくなってきた指先を握りこむように手を結ぶ。
 そろそろ、戻ろう。そして、もう少ししたら姫たちに挨拶をして退出しよう。うん、そうしよう。
 くるり、城へ戻ろうと振り返る。シャンデリアの明かりが、足元に差し込む。え、と思った次の瞬間、すうと窓が開いた。
「ああ、やはりここか、ティア」
「!」
 男の声が、夜の闇に響いた。ティアがびくりと肩を震わせる間に、靴の音を響かせて、長身の影が光の合間に伸びた。
「――ヒースさん」
 ぼうっとした口調で、ティアはその名を呟いた。
 ぱちぱちと目を瞬かせていると、再びカーテンに光は遮られ、窓が静かに閉じられる。
「ふう、ようやく抜け出せた」
 肩がこった、と首を左右に捻りながらヒースが近づいてくる。ホールでの将軍然とした雰囲気はない。いつもの、暖かく包み込むような空気。間違いなく、ティアの大好きなヒースだ。都合のいい幻ではない。
「あ、えっと……ど、どうして、ここに?」
 なにかいわなければと思って口を開いたものの、随分と間の抜けた質問だ。
「どうしてって……」
 ひょいと肩をすくめて、ヒースが笑う。そして、持っている柔らかそうな、白いマントをふわりとひろげて、ティアにそっとかけてくる。それは、ドレスと揃いでドロテアに貸してもらったものだった。
「君と一緒にいたいからに決まってるだろう」
 当たり前だといわんばかりの顔と、自信に満ちたその声。
 ティアは、かあっと頬を染めて俯いた。まとうマントの縁につけられた、ふわふわの毛皮に鼻先を埋める。夜風にあたって、芯まで冷えてきていたというのに。そういわれただけで、冷めることない熱が、全身にゆっくりと燈されていく。
「まったく、次から次へとよくもまあ飽きないもんだ」
 ティアの隣にたち、空をみあげ雪を掴むように手をひらめかせながら、ヒースが疲れたような声音でいう。どうやら、あのあとも何人かとダンスをしてきたらしい。
「でも、ヒースさん、とってもお上手だったじゃないですか」
 みていたのか、とヒースが苦笑した。みていたもなにも、かなり目立っていたのに。本人の認識は、どうなっているのだろう。
「まあなんだ。いろいろ必要に迫られてな、覚えさせられたんだ。これでも苦労したんだぞ?」
「ふふ、とてもそうは見えませんでしたけど?」
 素敵だが、どこか近寄りがたい雰囲気をみせていたヒースが、自分にはいつもどおりに喋ってくれている。それがなんだか嬉しくて、ティアは笑った。
「あまりからかわないでくれないか。これでも必死なんだぞ。相手の足なんて踏んだ日には、どうなるかわからんし……」
 苦虫を噛み潰したような顔をするヒースに、ティアは笑いが止まらない。
「あは、ヒースさんってば、なんでもないような顔をしてそんな心配してたんですか?」
「まぁな。昔、帝国にいたときにとあるご婦人のドレスの裾を踏んで、大変な目にあってなあ……」
 その頃のことを思い出したのか、やけにしみじみとした口調で語るヒースを、ティアは見上げる。ヒースの失敗談なんて、そうそう聞けるものではない。ぱっと、弾かれたようにその身体に縋る。
「やだそれ聞きたいです!」
 いっ、とヒースが目を見開いた。そして、ふいとそっぽを向く。ねぇねぇとティアが催促するよう詰め寄ると、柔らかな額にヒースの指先が炸裂した。いい音が鳴った。
「いったぁぃ!」
「まったく、人の失敗にそんな目を輝かせるもんじゃない。……まあ、そのうち気が向いたら話そう」
「えー!」
 額をおさえて、ティアが唇を尖らせると。ヒースが、くっと笑った。
「えー、じゃない。まったく……」
「わ、ぁ……!」
 ぐいと肩が引き寄せられる。
 あっと思う間もなく、ティアはヒースの腕の中に押し込まれた。一番安心できるその場所に、身体から力が抜けていく。
 誤魔化されてしまったような気がしないでもないが……。興味よりも心地よさが勝る。
「……あったかい……」
 寄り添うだけでティアの凍りかけていた心が、じんわりと溶けていく。
 この人が私のすべてだ、とティアは強く思う。だって、恋の不安に戸惑う感情も、溢れ零れてしまいそうなこの暖かな愛しいという感情もすべて、彼が与えてくれるのだから。
 そっと、ヒースの胸に頭をあずけて、目を細めたとき。響いてきていた曲が、変わった。
「あ……」
 ティアは、小さく声をもらして、城をみた。きらびやかなシャンデリアの光もれる窓の向こう、流れてくる音色。
 それは、ティアが何度も何度も練習したあの、しらべ。
「踊るか、ティア」
 簡素な誘い言葉を口にして、ヒースがティアの肩を抱いて歩く。バルコニーの中央にひきずられながら、ティアは目を瞬かせた。
「え、で、でも、私……!」
 口ごもると、ヒースが朗らかに笑った。
「ワルツ、練習したんだろう?」
「!」
 ティアが固まった一瞬に、ヒースがゆっくりと数歩下がる。そして、大きな手が恭しく差し出される。
「ど、どうして知っているんですか!?」
 その手を見つめながら、ティアは悲鳴のような声をあげた。
 皆に、あんなにも口止めをお願いしたというのに!
「さあ、なんでだろうな?」
 だが、ヒースは応えることなく。くすくすと、ほんの少し意地悪そうに目を細めた。
「オレと踊ってくれたら、教えてやらんでもないぞ?」
「……もぅ」
 観念したティアは、そっと手を伸ばす。
 おおかた、ドロテアあたりが内緒だといいながら、ヒースにいったに違いない。そういえば失念していたが、ヒースがここにたどり着いたのだっておかしい。きっと、ドロテアが教えたのだろう。
 その配慮に、ありがたいやらはずかしいやら涙がでそうやら――でも、やっぱり嬉しいから――ティアは、こんどドロテアに会ったときに心からのお礼を言おうと決めた。
 するりと手が、ヒースにとられる。手袋越しに、そのぬくもりが伝わってくる。背に置かれた手に、ひどく安心する。ティアは、ふわりと微笑んだ。
 そうして、ひらりひらり舞う雪の中、城の中から響くワルツの音を聞きながら、ヒースに誘われたティアは、足をひとつ踏み出した。  ホールでみていたとおり、ヒースのリードは上手い。慣れていないはずなのに、ティアはまるで昔から自分は踊れていたんじゃないかと、錯覚してしまいそうだった。
 ゆるやかに美しい円を描くように、二人一緒に舞う。
 小さな雪が舞台を飾り、城からの明かりは二人だけを照らす天からの光のようだった。
 危なげなところなど微塵もみせないまま、ヒースが笑う。
「君とこうして踊れるのなら、昔に覚えたかいがあったというもんだ」
「……!」
「練習してくれてありがとう。オレも、君と踊りたいと思っていた」
 あまりにも楽しげに、嬉しそうにそういうから。
 ティアは俯いた。頬が熱い、目頭が熱い。胸が、熱い。
 もう、なにもかもどうでもいい。さっきまでの寂しさも、悲しさも、すべて消えていく。そうして芽吹くのは、愛しい気持ち。
「ヒースさん……」
 幸せにしゃくりあげて泣き出したくなるのを、なんとか堪える。
「ん?」
「メリークリスマス、です」
 顔をあげ、微笑む。ありったけの気持ちをこめて、言う。

 この聖なる夜、私に幸福を届けてくれたあなたに、世界で一番の幸運がありますように。

 と、ヒースの顔から表情が一瞬抜け落ちた。そして、その頬がわずかに赤みを帯びる。それはすぐに、困ったような顔になって、ティアは首をかしげた。
 あれ? と思っているとヒースが踊りの足をとめる。
 まだ、ワルツは途中なのに。不思議そうな顔をした自分が、ヒースの瞳に映っている。ティアの手をとり、背に添えられていた大きな両の手が離れていく。
 そして、それはそのままティアの頬に添えられた。ゆっくりと持ち上げられる。
「――君にも、素晴らしい幸運があるように。メリークリスマス、ティア」
 そういって蕩けるように笑ったヒースが、そっと身をかがめてくる。
 口付けられる。
「あ、」
 慌てて、ティアは目を閉じていく。指先が、つかめるものを探し求める。前に伸ばしたそれが、柔らかな布にたどり着く。
 ああ、服に皺がついてしまうかもしれない――そう思いつつも、ティアはぎゅっと縋ることしか出来なかった。
 目を閉じる瞬間の、幸せそうなヒースの微笑みを、忘れることのないように、心の奥へと懸命に引き寄せる。
 今宵降る雪のごとく静かに。
 だが正反対の燃えたつような熱を孕むその心地よさに、酒を口にしたがごとく、ティアは酔いしれた。